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『by night 』
葛城・夜都3183)&(登場しない)

 霧の中、瓦斯灯の灯火は何処か青白い。
 葛城夜都は、微細な水の粒子にぼんやりと滲む明りに目を細めた。
 硬質さを現わすかの如き銀の瞳は、その弱い光すら沁みる。夜都は光から逸らす為、俯いた視線の先に煉瓦で舗装された道の様に見た。
 文明開化を歌われた時代、光の領域が急速に夜を侵蝕し……闇が濃さを増した頃。
 光に追われた魔が数少ない闇にひしめき、夜都にとって狩りの容易な時代である。
 瞼を軽く揉むように指をあて、光の刺激に覚えた疲労を和らげながら、夜都は濃い霧の中足を踏み出した。
 真新しい瓦斯灯が、如何に明るく道を照らしていても、付近の人の姿はない。
 霧の濃さ、もあるが、未だ人々は夜に対する恐怖の感覚を失っていないのだろう。神を語らず、魔に息を潜め、ある種の敬意を持って人為らぬ存在に接していた、そんな時代だ。
 時を渡る彼にとって、郷愁……と言うのも妙だが、それに近い感覚がじわりと胸に滲んで、夜都は首を傾げてその箇所に手をあてた。
 夜都がこの世に生まれ落ちてから生きた時間、それを追った『現在』を存在の基盤にしているが、それは何処か戯れに近い感覚だ。
 さりとて『未来』に興味はない。が、同じ『過去』を繰り返すのもそれ以上に退屈な事だと感じながら、やはり過ぎ去った時代というものは独特の感慨をもたらす。
 思考に沈む夜都の背後、不意に空気が揺れた。
 耳元から先にふぅと長く流れた霧は瞬時に凍り付いて、和装の肩に降り、煉瓦の石畳に落ちてぱらぱらと音を立てる。
「空腹ですか」
肩を払いながら右肩越しに振り返る、夜都の背後には霧に融けた闇しかない。
 しかしその呼び掛けに応じてもう一度、冷たい息が頬を撫でるに、夜都は軽く息を吐いた。
「今暫く」
待て、と言外の意を込めたそれに、るる、と震えて不満を示しながらも息は潜んで沈黙する。
 空腹を、訴えるのは父だ。
 人の女に夜都を孕ませた魔狼。
 父と言いながらも、己が子を生んだ娘を喰らい、生まれた子は食餌を狩る手足とするに、その関係は家族と呼ぶに程遠い。
 ただ確乎たる事実であるが為、父と呼びかけているに過ぎなかった。
 故にいつの時代も、夜都の仕事に変わりはない。闇から出で、領域を侵す妖魔を狩り、その血肉を父に与えるのだ。
 他愛ない思考に沈む間もなく、父の腹を満たすに相応の魔を求め、光の脇に存在するからこそ色濃い闇の領域を求めて再び歩を進める。
――人だ。
ふと耳に届く、枯葉を擦り合わせたような声が、夜都の歩みの後から続いた。
――いや、違う妖だ。
問答のような声はかさこそと、乾いた響きで夜都を評する。
 明りの及ばぬ路地、建物の影でこちらを伺う小鬼の声だ。
 枯れたような手足、土気色の肌。膨らんだ腹を抱えて存外の早さで影から影へと駆ける、餓鬼の類の黄色く濁った目が幾つも夜都に向けられている。
――けれど人間だ。
――あれで人間か。
――そんな臭いだ。
底辺に存在し、幾らでも闇から湧き出でる雑鬼は、目ばかりをぎょろつかせ、影から夜都を伺う。
 死骸にたかるのがせいぜいの、吹けば飛ぶような魔物だ。狩りにすら値せぬ。
――しかし妖だ。
――そうか妖か。
――そんな気配だ。
影から影へ渡りながら、雑鬼は夜都の後について口々に囃したてた。
――そうか、かあいそうに。
――かあいそうに、人混じりか
――かあいそうに、かあいそうに
かさ、こそと。声は夜都を嘲るように、罵るように、哀れむように続く雑鬼の声は、しかし夜都の心を揺るがす事はない。
 如何に卑小な鬼といえども、それ等は純粋な魔である。意を持ち力を有しても、夜都の存在は比べて酷く曖昧だ。
 それも今更、である。
 夜都を哀れんでみせる雑鬼達とて、ほどなく文明に追われて居場所を失うのだ。
 妖魔の幾末は消滅するか、狩られるか。人を母に持ったとしても、選択肢に幅が出る訳ではない。
 今こそ狩る側であるが、それがいつ逆転するかは夜都自身に知る由はなく、ただ父の為に闇に潜む魔を狩り出すばかりだ。
 雑鬼に好きに言わせたまま、夜都は不意に路地の一つに足を向けた。
 急な夜都の動きを見誤った雑鬼の一匹が、キキィと声を上げて影から飛び出し、霧の向こうに走り去っていく。
 騒ぐ雑鬼に気を払うことはなく、夜都は求める場へと、より深い闇へと怖じる事なく歩を進めてそして。
 路地の片隅に座り込む、女の背を見つけた。
 目にも艶やかな紅い花の振り袖に、夜都はその背に声をかける。
「もし。どうされました」
小刻みに震えていた背は、声に気付くとゆっくりと顔を夜都に向けた。
「あぁ、よかった。何方か存じませんがお助け下さいませ」
立ち上がった娘は壁伝いに、夜都の居場所を求めて霧を手で探る。
 星も月もない夜、どんなに目の良い人間でも人を影としか見て取れないだろうが、夜都は闇の中でこそ明瞭な視界を得る。
 近付いてくる娘に手を差し延べる事はなく……しかし逃れる事もなく、夜都は肩に触れた手に位置を図った娘が、胸に取りすがるのを許した。
「連れが、連れが急に動かなくなってしまって……ッ」
夜に一人置かれた不安からか、涙ながらの訴えに夜都は道の向こうに視線をやる。
 横臥する人の姿はあれど、その下に広がる血だまりに、生命を失っているのは確かめずとも察せた。
 血の臭いが混じった闇は、粘度を増すかの如く。
 しかし娘はそれを察する術を持たないのか、或いは嗅覚が麻痺してしまったのか、連れの無事を信じてひしと夜都に訴えた。
「先まで私と話していたのです。私をずっと見つめていると約束を下さいましたのに……」
トッ、と胸に響いた衝撃は軽かった。
 しかし爆ぜるように生じた熱は直ぐさま痛みに変わり、夜都は胸を叩いた娘の手、その拳に握られた短刀が深く柄まで己が身に埋まる様を見る。
「直ぐに死んでしまいましたの」
涙に濡れた頬はそのままに、娘……鬼女はうっとりと夜都を見上げた。
「ですから貴男、喰らわせて下さいまし」
微笑みに明らかな狂気が混じる。
 喉の奥から迫り上がる熱に、赤い色をした咳を吐いた夜都の口元を袖で拭い、鬼女は続けた。
「約束を下さいまし。命尽きるまで私を見つめ続けると。ならば私もゆっくりと。時間をかけて喰んで差し上げます」
夜都の左手を取り、五指を絡めて持ち上げた鬼女はまるで睦言を囁くように甘く、指の背に唇を寄せる。
「指の先から掌へ、腕から肩まで頂きましたらもう一方、首はいっとう最後まで。ですからどうか私を見つめ続けてくださいましな」
強請る口調で引き抜く短刀に、こぷりと溢れた血を黒い生地が吸って、更に色を深めた。
 瞬間。
 鬼女の喉に、真白い刃が突き立てられた。
 人の骨から為る日本刀、白眉……夜都の牙は真っ直ぐに鬼女の喉元に埋まり、刃に添って流れる血がぱたぱたと音を立てて地に落ちる。
「貴女の望みに沿うには、私では役不足だ」
手首を返して捩るように、夜都が引き抜く刃に鮮血がほとばしり、鬼女はその場に膝を突く。
「後は、父に任せます」
夜都は場を譲る仕草にす、と半身を引いた。
 血の塊を吐く鬼女の眼が恐怖に見開かれるが、夜都によって声帯を裂かれて悲鳴を上げる事は適わない。
 鬼女の凝視する夜都の背後、深く濃い闇に……真珠色に光る、牙の鋭利さを際立たせ、紅く開く顎門。
「……指の先から掌へ、腕から肩まで頂きましたらもう一方、首はいっとう最後まで。どうぞ、お望みの通りに」
夜都の声に、魔狼が獲物に食らい付く。言葉のままに、望みのままに喰らう側から喰らわれる側に転じた鬼女の、声なき悲鳴に震える霧の冷たさに、夜都はふと頬に触れた。
 頬に飛んだ鬼女の血が、父の発する冷気に触れて冷えついている。
 夜都が覚える母のぬくもりは、生まれた瞬間に浴びた血肉と、最期の息の暖かさ。
 人を母に魔狼を父に。魔を狩る者としての生が何時まで続くか夜都に知る由はない……が、仮に寿命があるとすればどんな形で命を終えるとしても、自分の骸は父に喰われるのだろう。
 漠然と、しかし半ば以上確信に近い思いを抱きながら、夜都は頬にこびりついた血を乱暴に拭い取った。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年02月02日

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