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『■熱の反芻■ 』
千獣3087)&ルディア・カナーズ(NPCS003)





 ――あいしている。

 そんな言葉を好きな人から言われたらいやいや好きな人とまで言わずともちょっと格好良い男の人なんかが言ったのだったらもうもうもう――と、それだけを一気に頭の中で考えて、ルディア・カナーズは現実に帰ってきた。

 手の中には淹れたてのあったかなお茶。
 テーブルの上にはご贔屓のお店のクッキー。
 どちらもルディアが休憩の楽しみにと店に置かせて貰っているものだ。
「おいしいですか?」
 目の前の女性というか少女というか、あどけないながら恵まれた肢体の彼女に問えば無言でこっくり。口数の少ない彼女は態度で示す。今だってもぐもぐと真面目に幸せを滲ませてクッキー咀嚼中。
 ああ、と両手で抱えた自分専用カップの中から立ち上る香気に鼻を和ませて、ルディアは目の前の彼女をちらちらと見る。変わりない様子からすれば耳にした言葉は空耳だったかと思うけれど。思いたいけれど。
「あい、あいしている、の意味ですよね」
 一瞬とはいえ現実から逃れる原因となった一言は、しかしやはり彼女の口から零れ落ちたのだ。
 確かめるルディアに「そう」と静かに返す彼女、千獣。
「意味……って、なんだろう」
「あいしている、の意味かぁ」
 ルディア同様に両手でカップを包み込みこくりと少し飲んだ千獣の紅玉の眸は透明で、あまりそいった話題に際しての気恥ずかしい少女めいた情動は見えなかった。
 ううんと考えつつぷらりと足を揺らす。
 爪先が動く気配に千獣が少し視線を下に向けて、そして遠くを見るようにしてから――仕込み時間の休憩を一緒に過ごす程度には親しく感じる相手である。その方向に何があって誰がいるかはすぐに閃くというものだが今はひやかしを呑んだ――再び正面を向きルディアの答えを待つ。
「あい、愛、あいしてる」
 意味を言葉にするのは案外と難しい。
 そもそもルディア自身にそういった経験が無いのだから尚更だ。
 うーん、と思案したままの白山羊亭のウエイトレス。きゅっと眉間に皺を寄せて考え込む彼女を見詰めながら千獣はある人からの言葉を思い出す。
(『意味をわかってない』って)
 そうなのか、そうじゃないのか。
 好きな人。愛しい人。あいしてる、という相手。
 告げる。その意味、言葉の意味ってなんだろう。
 む、と口の端に力が入るのも気付かず千獣は言葉を探す。きりきりと眉も厳しく顰められていく。しかし当人は気付かずに、言葉の意味を探している。自分の中にそれはあるような気もするのだけれど、しかし見つからず、そんな内面の探索はどこか学者が己に課した命題に挑むかの如く――
「……ちょっと千獣さん」
「?」
「顔が固まってますけど」
 ――つまりガチガチな、小難しい顔付きになっているわけだ。
 ほらほぐして、と促されるまま両手を思案の間に飲み干したカップから頬に移して緩く揉む。
「おかわり用意して来ますね」
「……うん、ありがとう……」
 早速気付いて厨房の火を借りに立つルディア。
 おさげが踊るのを見送りながらなおも頬を揉み解し、それからちょっと撫でてみた。
 柔らかい。力を入れた奥歯の辺りも大丈夫。それから、それから、それから。
「……手」
 触れたままの自分の手の平に知らず重なる記憶の肌。
 自分とは違う人の手のぬくもり、熱。
 ほろりと知らず綻んだ唇が小さく動き、気付かないままの動きを無意識に誤魔化したくでもなったのか手元を探し、こつんと指先に当たったのはカップ。
 ぬくもりの消えた器。
 なんとなしもうい一方の手を自分の胸に当ててみる。
 人のぬくもり。思い出す人のもの。
「お待たせしました。蜂蜜もたっぷり!」
 ゆるゆるとぬくもりの違いを考えてみていたところでルディアが戻ってきて、トレイに乗ったお茶と甘い甘い香りの蜂蜜の小瓶との組み合わせに思考が流れた。無論明確な言葉は見つかっていない。あるいはこれも小難しい顔になるだけだったかもしれないが。
 ともあれ、厨房からかっぱらってきました、と朗らかに言われたスコーンをクッキーに代わりもぐもぐと食べ始める千獣。その前に座りなおし、ルディアは「それで」と少しばかり恥ずかしそうに笑った。
「愛っていうか、まあ愛ですけど」
「……意味」
「うん意味ですけど!えっとルディアが思うにですねぇー……えー、と」
「?」
 もじもじと中途半端な笑いのまま身じろいで、それから白山羊亭のウエイトレスは一息に。
「恋愛ってなぁに?とか言えばまあ『あの人カッコイイ』とかちょっとドキドキと落ち着かなかったり話しかけるのも緊張したりそういうのが恋愛かなとか言ったり、でも正直ルディアはそういう経験がないので残念ながらないのでわかりませんホントわかんない!――くらいなわけで、だから愛は人それぞれ、じゃあダメかなぁと思うんだけど」
 つまり簡潔に言えば『わかりません』という答えを――おかわりを用意しながら考えていたのだろうか流れとして――まくしたててから、最後に千獣同様に小難しい顔になって付け加えた。
「それに『愛』って色々あてはまり過ぎるじゃないですか?」
「……色々」
「愛の範囲は広いです」
「そう、だね」
 髪を揺らして僅かに顔を傾けた千獣は再び手を胸に沿え、それから頬に上げた。

 あい、愛、あいしてる。

 好き、愛してる。大好き。愛してる、あいしてる。
「でも、好き……とは違う使い方、だとは……思う、よ」
 そしてその『愛』を向ける先、言葉に込める熱。
 その違いもきっと解る。言葉に出来なくても、感覚で。
「誰になら、『好き』じゃなく、て……『愛してる』って言うのか……それから」
 向ける愛情の形。熱さ。
 育った森を思い返し、獣の親と人間にしてくれた親と、そんな記憶へ向ける『愛』は、胸に灯す熱は柔らかく、じわじわと四肢の端まで解し暖めていく。安らがせ、どこか日向でまどろむような、そんな熱。
 けれどルディアのいう恋愛の、であるかもしれない――彼女曰くの『緊張する』ようなそれは優しいばかりではなく、暖かいばかりでもない。今だって、考えるだけで千獣の内で仄かな熱を宿し、その微かなはずの灯は酷く熱くときに痛みさえ伴う厳しい一面がある。不安を過ぎらせ恐れを抱かせ、足を竦ませ、そのくせ最後の最後には強く背を支えてみるのだ。
「心の中、で、違う」
 あたたかさ。
 明らかな違いはしかし言葉で人に伝えるのも難しいのにそれでも、それでも知る者には明らかな。鋭さをときに見せる熱。
「……」
「……」
 頬に触れた手から誰の手を考えているのか、と。
 やっぱりそれは解ってしまう気がするなとルディアは、言葉を切ってからそのままの千獣の顔を見た。
 本人は気付いていないのだろうけれど、そこらの宝飾品より余程綺麗に磨かれた印象の紅い瞳が潤んで柔らかい。そう、きっと気付いていないのだろうけれど、それはルディア自身にはまだ経験のない、しかし友人達は経験したと聞いた、ある種の感情のものを思わせた。近く、深く。熱く、苦しくもあり幸福でもあり乾きもし満たしもし、なんて矛盾しているのか!そんな感情に。
 そうしてそれぞれの娘がそれぞれに胸の中で想ったり考えたり、沈黙する中で響くのは厨房で慌しく仕込みの仕上げに入る音。火の音。動く音。
(もうすぐお客さんが多くなるかな。あー休憩終わっちゃう)
 雇い主や同僚の動く音を耳に、ぷらんと足を振るルディア。
 いつの間にやらテーブルの上のお茶とお菓子は着実に減っていて、お菓子はよくよく考えれば目の前の今も頬に手を当てて止まったまんまの千獣さんがきっと殆ど召し上がったのだろう。いやルディアだって食べたので結局は少女達のお茶の時間は思考と手と口はしばしば別の制御下であるのだ。
「ねえ千獣さん」
 ともかくそんな別腹なひとときも終わり近いとなれば、この唐突な質問と回答には何らかの決着をルディアとしてはつけておきたかった。
 だって年頃の娘なのだ。
 そんな愛だなんて愛してるだなんて、そんな言葉の意味だなんだと話してオチのつかないままでいるなんて。
(絶対にお皿割る!)
 だからなんとか話を収束させたかった。
 決着としては適当かどうかはともかくとして、だからルディアはちらりと周囲の賑わいがまだ気配程度であるのを確かめて、そして千獣がカップを置くのを確かめる。ようやく手は下ろされて咽喉を潤していたところであったので。
「ルディアには千獣さんがその難しい顔で悩まなくなるような『あいしている』の意味は思いつかないけど――え、今じゃなくてさっきの顔ですって」
 おっとりしながら普段より急いだ動きで顔を再度揉み解しかける千獣を笑って押し留め、そうしてコホンと咳払いを一つ。気分である。
「でも、もしかして、もしかしてですよ?」
「……もしかして?」
「はい。千獣さん、解ってるんじゃないかなぁ、なんて」
「あい、の……意味は、わからない、よ」
 意味にこだわっている。
 これは休憩時間も終わる今更ながら、何か『愛』を告げるような相手に何か言われたなとピンときたルディアであったけれども本当に今更だった。問い質してみるには時間はきっと足りない。
「意味はそうかもしれませんけど」
 なのでひとまず『あいの意味』談義に決着をつけておこう。とにかく絶対ルディアだって年頃だからこんな微妙な話題が引っ掛かっていれば仕事が疎かになる……と思う。働く内に忘れたりしない。多分。
 んん!ともう一度咳を一つして嬉しくないお給金マイナス予想を振り切って、白山羊亭のウエイトレスは目の前の自分とは比べ物にならないナイスバディな娘さんを見直した。ことんと不思議そうに見詰める紅い瞳。さっきまであんなに潤って揺れていたのに今はもう普段通りだ。
「でも千獣さんは意味を知りたい『あい』を、もう持ってるみたいだから」
 つまりあの頬に当てた手で思い出すような相手がいるみたいだから。
「だからきっとよっぽど解っているんじゃないかなと思いますよ」
 自分より、よっぽど。
 だって決まった方角へ顔をふらふら向けてみたりするし。そしてその理由だって予想出来るし。

「あいしてる、って言う相手がいますもんね」

 くいーっと自分もカップの中身を空にして、それからルディアは最後を締めた。
 それはいくらかのひやかしというか、からかいというか、ちょっとした悪戯心の発露というか、そういったことからの締めくくりだったのだけれども。
「あ」
 と、小さく小さく言葉を零して数度瞬いた千獣の紅い瞳が揺れて、それから白い肌にその色がじわりと染み出るように広がっていくのを見。
「……」
「……」
 ごちそうさま、と言ってもいいのかなぁ。
 瞬間に思ったことは流石に堪えてからルディアは経験の無いむしろ千獣の後輩になるだろう我が身を省みつつ、とりあえず更に付け加えてみた。
「逢うたびに『あい』の話をしてみるとか……どうでしょ」
「……そう……だね」
 もう少し、考えてみてから、と小さく訥々と呟く千獣。
 いい加減テーブルからお茶会セットを片付けつつ表情を窺ってみるも、少しばかり伏せられた面の中で見えたのはきゅっとまた顰められつつある眉だけだった。
(また難しい顔になりそう)
 大丈夫かな?とこっそり考えながらそこでルディア・カナーズの休憩は終わり。
 いらっしゃいませとお決まりの挨拶に心を篭めて。

 ――あいしてる。

 そんな言葉を誰かと語らうことの出来る稚い風情の娘の姿をちらり。
 いいなあ羨ましいなあ。
 そんな風に考えてから頑張れという気分になった。

 だって彼女はまだ『あい』の意味について暫くは考えるだろうと思われたから。
 そして解答を出すのに適した相手が店に来る気配はなかったから。


 あい。あいしている。
 愛してるよ、愛してる。

 何かの記憶を手繰る風にまた頬に伸びたしなやかな手指は、ちなみにルディアにさえも見られなかった。
 お客は一気に増えるもので、だからウエイトレスはその動きを見なかったのだ。
 広がりだした喧騒の中。千獣は静かに瞼を伏せて胸の中で言葉と温もりを反芻して、そこから意味を拾い上げようとしていた。表情はやはり小難しく。
 そして『あい』について彼女がこれだと頷く意味を見出せたかは更に誰も知らない。
 いつか知るとしてもそれはきっと、たった一人であることだろう。





end.
PCシチュエーションノベル(シングル) -
珠洲 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2007年02月01日

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