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『あちこちどーちゅーき 〜奥山の美女〜 』
桐苑・敦己2611)&(登場しない)

 また、失敗だ。彼女は長い溜息を吐くと、床にへたりこんだ。こんな筈ではなかったのに。何故こうも思い通りにならないのだろう。だが、嘆いている暇はなかった。次こそは、必ず…。幸い、次の機会は案外と早く訪れそうだった。誰かがまた、この家に近付いてきている。

 「聞いた通りなら、もうすぐ着く頃なんだけど」
 桐苑敦己(きりその・あつき)は手元の懐中電灯で周囲を照らした。吊橋を渡った辺りから、道幅はぐっと狭くなってきた。木々は鬱蒼と茂って月明かりを遮っている。先月降ったという大雨のせいで道は削れて、小石だらけの足元は暗くて覚束ない。しばらくの間周囲を照らしていると、光に反応したのか、何かがガササッと音を立てて道を過ぎった。多分、猪だろう。何気なく彼(彼女かも知れないが)の飛び込んだ先を目で追った敦己は、木々の向こうに明りを見つけた。人家だ。

「まあ、こんな夜更けにお一人で?それは難儀な」
 山で道に迷ったのだと戸口を叩いた敦己を、女はそう言って、すぐに中へ招き入れてくれた。年の頃は20代後半かそれより少し上。どちらにしろ、敦己とそう違わないように見える。色白の細面に黒目勝ちの瞳はすうっと切れ長で、漆黒の髪を長く垂らしている。かなりの美人だ。少なくとも、こんな山奥には不似合いなほどの。
「暗い中、よくもここまで」
「ええ、まあ」
 上着にかけられた手をやんわりと断りながら、敦己は頷いた。白くて細い指先だ。
「途中でこちらの灯りを見つけて、何とか。お陰様で命拾いしました」
 敦己が頭を下げると、女は、そんな大げさな、と艶やかに微笑んだ。勧められるまま囲炉裏端に腰を下ろし、部屋をぐるりと見渡す。だいぶこじんまりしているが、昔ながらの日本家屋だ。小さな囲炉裏と、狭いながらも土間がある。火に当たっていると、女が盆に酒を載せて戻ってきた。
「どうぞ。まだ夜は冷えますでしょう?」
「ありがとうございます」
注がれた酒に口をつけると、女はいそいそと立ち上がり、盆一杯に肴を載せて戻ってきた。
「さあさあ、召し上がれ」
「それなら、貴女もご一緒に」
 女は躊躇いつつも杯を差し出し、敦己が酒をついでやると、すぐに飲み干した。女の料理はどれも野草や芋、茸を使った独特のものだったが、味は良かった。
「嬉しいわ。いつも一人では味気なくて…。さあ、沢山ありますから、どんどん召し上がって下さいな」
 料理は沢山ある、という彼女の言葉は嘘ではなく、料理は次々と出された。食べては飲み、飲んでは食べた。女も時折食べたが、それでも敦己に勧める方が多かった。
「俺ばかり食べてしまって、何だか悪いですね。貴女の夕食だったんでしょう?」
 敦己が言うと、女はいいえ、と首を振り、
「私は貴方が食べているのを見ている方がずっと嬉しいです。だって…」
 女が言葉を継ぐのを待っていたが、結局最後まで聞く事は出来なかった。視界が揺れた。女の声が遠くで聞こえた。

 うまく行った…。床に倒れこんだ青年を見下ろして、彼女は安堵の息を吐いた。だが、これでお終いと言う訳ではない。そう、次は。彼女は土間に駆け下りると、片隅から大きな鉈と砥石を取り出した。冷たい水をたっぷりとかけ、鈍った刃を研いでゆく。シュッ、シュッ、と繰り返される音の中で、思い出すのは昔の事だ。無論、昨日や今日の事ではない。ずっとずっと昔。彼女が名実共に、この山の主であった頃の話だ。あの頃は良かった。全てがもっと簡単に行った。時折失敗もあったけれど、おおむね問題は無かったのだ。そう、今夜のように。自ら酒をおかわりしたいと言い出した時には、内心ひやりとしたものだったが…と、何気なく囲炉裏の方を振り向いた彼女は、思わず息を呑んだ。そこに横たわっている筈の青年が、居なかったのだ。慌てて辺りを見回して、今度は何時の間にか真後ろに立っていた彼を見て悲鳴を上げた。
「どっ…どうしてっ…ちゃんと白和えも…」
 彼は、ええ、と頷いて、ぽりぽりと頭をかいた。
「確かに少しだけ…。でもお酒と一緒にシビレタケを食べるのは、やっぱり気が進まなくて」
 人の良さそうな笑みを浮かべて言う青年を前に、彼女はごとん、と鉈を取り落とした。
「また、失敗なんですの…?」

「まあ、そう言う事になると思います」
 床に突き立った鉈に冷や汗をかきつつ、敦己は言った。途端に女が泣き崩れる。
「貴女、本当に山姥なんですね。…いや、この場合、山姫と言った方が良いかな」
「知って…」
「ええ。まさか、とは思ってましたが」
 山姥、山姫。どちらも山奥に住まう妖怪の名だ。旅人を誘い、食らう恐ろしい物の怪。敦己がこの家を訪ねたのは、勿論道に迷ったからなどでは無く、麓の村で奇妙な噂を聞いたからだ。山の中に奇妙な小屋が現れた。昼は見つからず、夜にしか見当たらない不思議な小屋で、そこには美女がたった一人で暮らしている。どこから来たのかはわからない。だが、現れたのは三月前の大嵐の後ではないかと、村人の一人は言った。
「関係あるかどうかはわからんが、この山には昔から、そういう伝説があるにはあってなあ。旅人を誘って、食っちまう女ってのが。確か、名のある坊さんだか修験者だかが、大きな岩に封じたとか…」
 話を聞いて岩のあった筈の場所に向かった敦己は、嵐で見事に崩れた崖と、真っ二つに割れた大岩を見つけた。それで、確かめてみようと思ったのだ。
「岩が割れて、法力が切れた。…それで、この世に出てきてしまったんですよね?」
 女が頷く。
「ですが…戒めを解かれ、喜べたのは束の間のことでした」
 封印されながらも、岩から漏れる微かな妖力を通じて、外界の様子をある程度は知っていたのだと彼女は言った。時は流れ、人々も世の中も変わってしまった事も、分かっていた、そのつもりだったのだと。だが、世の中の変化は予想の範疇を超えていたようだ。
「聞いてます。…黄昏時に村へ降りてきた美女、と言うのは、貴女ですよね?」
「はい。赤子を探して。弱くて柔らかくて、しかも栄養抜群ですから」
「…そ、そうですか。でも、見つからなかった」
 女は涙目で頷いた。理由は敦己にも良く分かる。この辺りは見事なまでの過疎地帯で、超高齢化のオマケ付きだ。赤子はさらわれなかったが、必死の形相で夕暮れの中を疾走する彼女を見て腰を抜かした老人が1人、病院に運ばれた。
「仕方が無いので、昔の通り旅人を待つ事にしました。岩の横を通る人々を、何度か見かけていましたから。…けれど、それも間違いでした…。やって来たのは身の丈二尺はありそうな大男が3人。茸も何も効かず、酒を飲んでは歌を歌い…」
 その話も聞いていた。登山者が3人、下山ルートを間違えて、尾根続きだったこの山に迷い込んだのだ。もう少しで捜索隊の出る騒ぎになるところだったが、翌朝ひょっこり麓の村に現れた彼らは、上機嫌でこう話した。
『親切な美女の家に泊めてもらった。料理は美味で酒は絶品。皆で一晩飲み明かした』
頑健な肉体と酒に対する無限のキャパシティを持った山男たちには、彼女の薬は全く効かなかったのだ。女は更に続けた。
「次に来たおばあさんたちは、料理を教えてくださいましたわ。それから、縁談を…。孫の嫁にって。お酒は一滴も飲みませんでしたし、料理は全て自前」
「眠らせる隙も無かったんですね」
「はい…。でもその次に来た男の子よりもずっとましでした。あの子と来たら、こんな地味な料理は食べられない、はんばーぐを出せ、なんて…。あんな侮辱は初めてでした!」
「酷い目に遭いましたね」
「ええ。やっとまともな人が来てくれたと思ったのに」
 恨めしそうに見上げる美女に、敦己はすみませんと頭を下げた。
「貴方は一体、何をしにいらしたのです?あの坊主のように、再び私を封じに来たのですか?…いえ、もういっそその方が良いかも知れませんが…。この山で、ただ生きていくすべすらもう、私には無いのですもの。そうですわ!封じて下さいな!今度は更に頑丈に!」
 すがるように言うのも無理も無い。長い眠りから目覚めてみれば、世の中はかつてとは全く変わっており、人間たちは彼女を恐れる事を忘れてしまった。元々大した妖力を持ち合わせてはいなかった彼女は、家を昼の光から隠すのが精一杯なのだと言うから、もしも人食いに成功したとしても、この世の中では遠からず人間たちに駆逐されるのがオチだ。だが…。
「あのですね。山姫さん。俺には貴女を封じる事は出来ませんが、一つ考えがあります。貴女が人食いを諦めてくれれば、の話ですが」
 敦己の提案に、しばらく悩んでいる様子だったが、女はやがて顔を上げて、頷いた。

 それから半年ほど経った頃。敦己はとある旅雑誌の小さなコーナーに一枚の写真を見つけた。幻の宿、山姫。敦己との約束を守った山姫は、今は不思議な宿の女将としてそこそこ楽しく暮らしているらしい。

<終わり>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
むささび クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年01月22日

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