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『頁の穴 』
城ヶ崎・由代2839)&書目・皆(6678)&河南・創士郎(NPC0342)

「ああ、やっと来られたんですか」
「すまないね、顔出しが遅くなってしまった。あけましておめでとう」
「おめでとうございます」
 読んでいた本を閉じて、書目皆は今年はじめて会うその常連――城ヶ崎由代を見つめ返した。
 その年、由代が『書目』を訪れたのは、年もあらたまって、三箇日を過ぎた頃のことだった。例年であれば、もっと早くやってくるのだが、今年の正月に限っては、三箇日をまるまる自宅で過ごしてしまったのである。そのてんまつについては、他にゆずるとして。
「でもよかった。ぎりぎり間に合いましたね」
「えっ」
「これをいただこうかな」
「あ、はい、ありがとうございます」
 皆は会話を中断して、客のほうへ向き直った。 
「おや。……失礼ですが、河南教授では?」
 由代は傍に立ったその男を見て思わず声を掛ける。振り向いた彫の深い、白人めいた容貌が、記憶の中の本の見返しの写真と同一だったので、やはりそうだと合点する。
「そうだけど」
「城ヶ崎由代と言います。魔術に――興味を持っている好事家のようなものですが、教授の『ストーンヘンジと魔女信仰』、大変、面白く読ませていただいたのですよ」
「ああ、そう。それはどうも」
 仕立てのよいスーツ姿の河南創士郎は、すこし驚いたように応える。
「教授も『書目』にはよく? あまりお見かけしたことがありませんでしたが」
「わりと最近、紹介してくれた人があって。……ヨーロッパの方面は、実際、疎いのだけど、ここはそちらのものもよく揃うので。『ストーンヘンジと魔女信仰』は――、だいぶ昔に書いたやつだし、あまりよくないよね。それであまりあっち方面、書かなくなったんだけど」
「とんでもない。ずっと続編が出ないかと思っていたのです。……あ、いけない。こんな立ち話をしていてよかったですか」
「別に。正月休みで暇だから」
「ならどこかでお茶でも飲みませんか。英国の魔女信仰についてですけど、僕は前から――」
「あの、城ヶ崎さん」
 皆が口を挟んだ。おいてけぼりにされてちょっと心外そうな面持ちで、次期店主は由代の袖を引く。
「あれを買いにいらしたんでしょう? こちらの方がひとつ買われて、残りは最後のひとつですよ。はやくお買い上げになっていただかないと売れてしまっても知りませんから」
「おお、それはいかん」
 由代は笑った。
 『書目』の店の一角に、いつもはない台が置かれていた。今はぽつんと、大きめの手提げの紙袋がひとつある切りだが、同じものを河南が持っている。これこそ、『書目』名物「新春・古書詰め合わせ福袋」で、由代が毎年これを楽しみに新年が明けるやいなやこの店にやってくる理由なのだった。
 今年はあいにく、出遅れたおかげで、最後の一個になってしまったようだ。
「ではまずこれを確保してからだな。残り物には福があるともいうし、迷わなくてすむだけこのほうがいいかもしれないな」
 福袋と言えば聞こえはよいは、その実、いつまで経っても売れない本の在庫処理である。それでも、値段以上の価値のある本が入っているのも本当で、普段、自分では選ばないような思わぬ古書との出会いが得られるからと常連には好評なのが、こういう店に来る連中はつくづく好事家なのだと思わせる。
「教授も買われたんでしょう? 品評会といきましょう」
 さっそく袋を開けている由代。いつになく声が弾んでいて、皆は、ああ本当にこのひとたちは本が好きなんだ、と思う。書店の人間として、それは面映いことでもあったし、皆自身、本好きには違いなかったからその気持ちはよくわかる。福袋は父が詰めたもので、何が入っているかは皆も知らない。彼も一緒になって、由代の獲物をのぞきこむのだった。
「どれどれ……これは漢籍のようだが――ああ、『山海経』か。これは一応、持ってたなぁ……、こっちはサドウスキィの『超自然の世界』。ふむ。……ん、これは月刊アトラス……?」
「ああ、20XX年4月号ね。これ、欠号になっているやつだよ。よく手に入ったなァ」
「そうなんですか。……最後にこれは――と」
 袋の底にあった、その黒い革の表紙にふれた瞬間――、暖房の効いた店内にあったというのに、まるでぞれがずっと冷凍庫に保存されてあったかと思うほどの冷たさを感じて、由代はぎくりとする。
「……」
 紙袋から取り出されると、その冷気が解放されたように……それだけで、店の気温が数度下がったような、そんな気さえして、河南と皆もいくぶんぎょっとした様子で、口をつぐんだ。
「これ……は?」
 皆は眼鏡の奥で目をしばたいた。
 なにか奇妙だ。
「相当、古そうな本だね」
 しげしげと、河南は、その本を眺め、表紙の上の文字を追った。
「『Revelations of GLAAKI』……なんて発音するんだろう――グル……グラッキ? グルァー……」
「『グラーキの黙示録』!」
 うたれたように、由代は叫んだ。
「バカな。しかもこれ……12巻? そんなはずがあるか……12巻だなんて、そんな」
「どうしました?」
 なにか妙な雲行きを察知して、皆が眉根を寄せた。
「皆くん、これ……」
 由代は一瞬、河南を一瞥すると、声を落として皆にささやいた。
「『地下』行きじゃないか」
「ええ? いくらなんでもそんなもの福袋に混ぜたりしませんよ。何かの間違いでは?」
「それ……珍しい本なの?」
「ええ、教授。19世紀の中ごろから後半にかけて、複数の著者によって書かれ、9巻までが、予約注文の形でごく少部数出版されたといいます。稀覯本には違いありませんが、なんというか、これはもっと……」
「それは『12巻』とあるけれど」
「ええ。9巻が発行されたあと、さらに3巻が追加で出されたという説もあるのです。単なる噂に過ぎないと思っていたのですが」
「じゃあ、それが最終巻というわけだ!」
 嬉しそうに河南は言ったが、由代は浮かない顔だ。
 そんなはずがない。仮にそれが現存したところで、だったらなおのこと、世に出回るべき書物ではないのだ。世の中には、そういう種類の本がある。そして『書目』は、そういった類の本を、ごく限られた常連だけが知る『地下』のフロアに封印するかのように所蔵しているのだったが――。
「たぶん、手違いだろう。皆くん、これは返すよ」
「おかしいなあ。『グラーキの黙示録』なら、9巻までなら確かに下にありますよ。でもこんなの……」
 首を捻りながら、実に無造作に、皆は由代から受取った本を開いた。
 『書目』の次期店主は、常人がふれることさえ避けるべき魔導書でも普通に扱うことができる。しかしそうであっても、このときは、いささか軽率であったといわねばなるまい。
「あ――?」
 開かれたページは――、もとはびっしりと、いかめしい活字が並んでいたのであろうが、今や無残な虫食いによって、ページの真ん中に大きな穴が開いていたのだった。
 いや、というよりも……
 まるでスパイ映画の、中に銃を隠したダミーの本のように、ごっそりとなかがくりぬかれたような状態だったのだ。
「……」
「いかん」
 由代は呻いた。
 ページに開いた穴には、銃など収まっていなかった。
 そのかわり、その穴はどこまでもどこまでも深く、底の見えない真っ暗な深淵へと繋がっていたのである。
 びょおお――、と、途方もない距離を吹き渡る風の音が響き、身を切るほどに冷たい風が、吹き出してきていた。そしてその風が、この世のものとは思えぬ悪臭をはらんでいるのを嗅いだとき、由代は皆の手から書物をはたきおとしていた。
「いけない……それは――、『繋がって』いる!」
「繋がる、って……どこへ!」
 ごぼぁ!と音を立てて、穴から灰色に濁った汚水があふれだす。それはあとからあとから、ごぼごぼと音を立てて吹き出し、『書目』の床を汚していった。
「決まってる。グラーキのもとへだ」

 水位はまたたく間にかれらの膝から腰、胸へと這い登ってくる。
 『書目』の、貴重な書物たちをも飲み込んだ水は、氷のように冷たい水だった。それも当然……、遠く、イングランドの、灰色の空の下の水なのだから。
「く、そ!」
 冷たい汚水の波を頭からかぶって、由代は彼にしては珍しい悪態をついた。いったいいかなる存在が仕掛けたものかわからないが――あるいかかの神性そのものかもしれないが――まんまと罠にかかってしまった。
「なんとか……なんとかならないんですか!」
 皆が波間に溺れそうになりながら叫んだ。次期店主は、それでもけなげに、大揺れの灰色の水面に浮きつ沈みつしている本の群れを書き集め、救おうとしているようだった。だがその姿は、文字通り藁にもすがる遭難者のようにも見える。
 河南教授も、なんとか立ち泳ぎで持ちこたえているようだが、いずれにせよ、このままではまずい。由代は思った。いずれ水位が天井に達したら、大量の本とともに水槽と化したこの『書目』の中で……
「……」
 いや。その心配はなかった。
 頭上に天井などはなく、ただ陰鬱な曇天が、どこまでも続いているだけだ。
 かれらは、果てのない水の中に、本とともにただよっていた。
 ここはどこだ。セヴァンの谷の湖か。それとも。由代は、せめて地球のどこかであることを祈った。
「あ、あれ……!」
 皆が指した方向を見て、由代は息を呑む。
 波間から、すっくと、一本の――巨大な『棘』が伸びてきていた。
 すぐにそれは二本になり、三本になり……水底から、その棘をそなえた何者かがあらわれようとしているのは明白であった。
「見るな! 見てはいけない」
 ふたりにそう叫びながらも、由代自身はその様子を凝視している。
「グラーキ――湖の住人……夢を用いて獲物をおびきよせるというが……」
 あるいはそれではあきたらず、疑似餌のような『本』を用いたというのだろうか。
 ごぼごぼと、水面が泡立つ。
 由代は知っている。あの『棘』に刺されたが最後、永遠に、かの神の従者として、この陰鬱な湖のほとりであれに仕えねばならぬ。青白い肌の、水死体のようなアンデッドの存在となり果ててしまうのだ。
「夢だ」
 由代のバリトンが、告げた。
「皆くん。河南教授。これは夢だ」
「え?」
「はい!?」
「正月ボケの……悪い夢なんだ!」
 彼の指が――《指揮者》の腕が、中空に、輝く紋様を描き出した。


「……あ」
 ページは、白紙だった。
 どこにも穴など開いていなければ、文字すら書かれていなかった。
 皆は、その白紙の本を手に、呆然と立っている。そして服も髪も――びしょ濡れだった。
「やれやれ」
 せっかくのスーツが台無しなのを見て、河南は肩をすくめる。
「なんて初夢だ」
 濡れねずみなのは、由代も例外ではなかった。
 そのかわり、『書目』の店内も、そこに収められている貴重な古書たちも、すべてが無事だった。暖房の効いた、古い本特有の匂いに満たされた店内で、かれら3人だけが、全身、水に濡れているのだった。
「着替えておいで」
 皆の手から白紙の本を取り上げて、由代が言った。
「ついでに……よければ、僕と教授にも服を貸してもらえるとありがたい」
「あ……、は、はい。たぶん、父のが……」
 床に濡れた足跡を残し、ばたばたと奥へと駆けていく皆を見送って、由代は白紙のページへ目を落とした。
 この本を服袋に忍ばせたのが誰であるにせよ、これはもう由代のものだ。
 『グラーキの黙示録』は、幾人ものオカルティストたちが共同で書き著したものである。その著者たちが、その後どうなったのかは誰も知らないし、知りたくもなかった。
 だが最初に9巻が書かれ、そのあと3巻が追加されたのは、つまるところ、この本は、常に誰かによって続きが書き続けられているということだ。
(次は僕だと――そういうことなのか)
 由代が寒気をおぼえたのは、水に濡れたせいだけではない。
 この白紙のページを埋めていくという責務への、それは戦慄だった。
 埋めてゆかねば……、またいつでも、ページには穴が開き、かの神の棘が彼を狙うだろう。
「なにが残り福だ。厄介なものがあたってしまった」
 ひとりごちる由代の横で、河南がひとつくしゃみをした。
 そして誰かが……そんなかれらを見てくすくすと笑ったような気がしたが、それは錯覚だったかもしれないし、あるいは、それは『書目』の本たちの声だったかもしれない。

(了)
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
リッキー2号 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年01月18日

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