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『朋友茶話 』
藤宮・永6638)&綜月漣(NPC3832)



 藤宮永の元へ一通の手紙が届いたのは、十二月も暮れに差し掛かった頃だった。
 何気なくのぞいた自宅郵便受けの中に、それはあった。
 何の変哲も無い真白の封筒。そこにさりげなく川の流れる様子が描きつけてある。プリントされたものではなく、おそらくは差出人自らが描いたものだろう。
 今時風情のあることをするなと感じ入りながら、差出人を確認するべく永が封筒を裏返すと、そこには「綜月漣」の名が、半ば乱雑とも言える文字で書き記されていた。
「……なんでまた、手紙なんやろか」
 今の時世、電話の一本でも掛けてくれればそれで済むだろうに、わざわざ手紙を書いてくるあたりが漣らしい。
 年の瀬という事もあって、いらぬ遠慮から手紙という手段をとったのだろうか。
 いずれにせよ、漣の文字を見る限り、時節の挨拶を綴っただけの内容ではないと容易に察しがついて、永はおもむろに封を切った。


『――少々厄介な仕事を引き受けてしまいまして、永君にご助力願いたく一筆書いた次第です。
 本来であれば僕の方からそちらへお伺いすべきなのですが、それも適わない状況にあります。もし永君さえ宜しければ、ご都合の良い時で構いませんので一度僕の自宅までお越しいただけませんか。
 詳細はその折にお話し致します。云々――』


 永は手紙を読み終えると、眉間に皴を寄せながら考え込んだ。
 漣が受けたというからには、恐らく絵に関する仕事なのだろう。それを自分に手伝って欲しいといわれたところで、絵と書とでは畑が違う。大体にして漣が手におえない程の仕事とはどんなものだろうか。
 考え出すと疑問が疑問を呼び、仕舞いには大仰な妄想が頭の中で繰り広げられてしまう。
 永は一旦思考を停止させると頭を振った。
「やめやめ。考えたところで埒があかんわ。行って話しを聞いた方が早いやろ」
 幸い今日は仕事の予定が入っていない。久しぶりにのんびりしようかと思っていたのだが、こんな手紙を貰ったまま自宅にいたのでは、気になって休むどころではない。
 永は、思い立ったが吉日とばかりに手紙を封筒の中へしまうと、漣の自宅へ赴くための仕度を始めた。


*


 永が漣の自宅の呼び鈴を押すと、程なくして玄関内から「はい」という漣の声が聞こえてきた。
 その声色に不機嫌な様子が伺えて、永は微かに驚きの表情を浮かべた。
 普段、誰にでものほほんとした態度で接する漣が、露骨に機嫌の悪さを出しているのだ。
「……藤宮ですが」
 一体何があったのだろうか、と疑問に思いながら永が名乗ると、程なくして玄関の引き戸が開かれ、中から漣が姿を現した。
「おや、永君じゃないですか。どうしたんです? 一体」
 人を呼びつけておいて開口一番の台詞がこれか、と永は思わず漣をどつきそうになるのを溜息で押し留める。
「それはこちらの台詞ですよ。手紙をよこしたのは漣さんの方でしょう」
 言いながら、永は送られてきた手紙をひらりと漣の目の前に差し出した。漣は白い封筒に描かれた川の絵に視線を向けると、漸く思い出したかのように「ああ」と呟いて軽く己の頭をかいた。
 やはりいつもの漣とは様子が違う。
 永は手紙をしまうと、怪訝そうに漣へ問いかけた。
「何かあったのですか? 随分とご機嫌が優れないようですが」
 永の言葉に漣は苦笑を零すと、
「……まぁ、現物を見ていただいた方が早いでしょう」
 言って、立ち話も何ですからお入りくださいと永を促す。
 永は頷いて、漣の自宅の敷居をまたいだ。


 昼の日差しが硝子窓から入り込んで、柔らかな光を廊下に落としている。
 すでに冬の様相を呈している中庭を眺めながら、永が漣の後について書斎へと続く廊下を歩いていると、不意に何処からか話し声が聞こえてきた。
 さては自分の他にも客人がいるのだろうか、と永は何の連絡もなしに訪ねた事を後悔した。
「先客がおられるようですね。今日お邪魔したのは失礼でしたでしょうか」
 その言葉に漣は首を横へ振りながら、むしろ大歓迎ですよ、と疲れたような笑顔を見せる。
「少し前から、御老人をお二人ほどお預かりしているのですが……これがまた口煩い方々でしてねぇ。昨日の晩などは何故か儒学問答につき合わされ、今日は寝不足ですよ」
 自嘲気味に呟く漣の言葉に、永は思わず苦笑する。どうやら漣の機嫌の悪さは、寝不足からくるものらしい。
「儒学問答とは、また殊勝なご趣味ですね」
「殊勝どころではないですよ。一日だけなら兎も角、毎晩のように話し相手をさせられるこちらの身にもなって下さい」
 さもうんざりしたように、ひらひらと片手を振って言葉を放つと、漣は書斎へと続く襖を開けて永をそこへ通した。

 六畳半程の広さだろうか。窓辺には大きな和机が置かれ、柱にはさりげなく季節の茶花が挿してある。
 漣が絵を描く為の部屋なのだろうが、画材で埋め尽くされているという事も無く、全てがすっきりと整えらた居心地の良さそうな部屋である。
 だが。
 その書斎から確かに人の声はするのだが、気配が無い。
 不思議に思って永が部屋を見渡していると、漣は和机の上に無造作に置かれた掛軸を指差した。
 紐を解かれ、半分だけ開かれた軸には、柳の下に坐を設け、楽しそうに碁をさしている二人の老人が描かれていた。水路沿いなのか、手前には川が流れている。
 風景や老人達の衣服からして、日本のものではないのだろう。
 細部まで計算されつくされた構図。筆の使い方からも、描き手は相当な力量の持ち主である事が見て取れる。
 永はその絵のあまりの出来栄えに感嘆の溜息を零した。
「随分と古い水墨画のようですが……素晴らしい品ですね」
「ええ。御依頼主が旅先で見つけられたものです。いわく付きと知って、遊び半分に購入なさった品らしいのですがねぇ」
 その言葉に、思わず永は漣へと向き直った。
「いわく付き、ですか?」
「喋るのですよ。絵の中のお二方が」
「……それはまた不可思議な」
 永は漣の口から出た言葉に思わず目をしばたたかせると、再び絵へと視線を落とした。
 一見しただけでは軸に飾られた古い水墨画としか映らないが、なるほどよく見ていると、老人達はあたかも絵の中で生きているかのように、碁をうちながら傍らに置いた茶を飲み、談笑をしている。二人の話す声は、紙を抜けてこちらの耳にまで届けられた。
「買ったは良いが、騒がしくて眠れない。絵は気に入っているので捨てるに捨てられず、どうにかならないかと頼まれましてねぇ」
 そこで一度溜息をついた後、再び漣は話を続ける。
「古い品には魂魄が宿りやすい。そこで絵に入り込んだ魂魄だけを別の軸に移しこもうとしたのですが、元の絵がいたくお気に召しているようで、一向に出ては下さらないのですよ」
「……その挙句が儒学問答ですか」
 事の次第をあらかた把握した永は、絵の中の老人達が漣の説得をさらりとかわし、難解な話題を持ち出して話を逸らそうとしている様子を想像して、思わず笑みを零した。
「笑い事ではありませんよ、永君」
「申し訳ありません。ですが漣さんを打ち負かした方々になど、そう滅多な事ではお目にかかれませんし」
 ひとしきり笑い終えると、永は不機嫌そうな漣の顔を見ながら楽しげに呟いた。
「それで、私は何をしたら宜しいのですか?」
 漣は立ち上がると、段違い棚に置かれた紙を一枚と硯箱とを手に取り、それを軸の横に置いた。
「元の絵には『欠け』がないのですよ。一つの世界が完成されてしまっている。これでは僕がどんな絵を描いたところで、彼らを別の場所へ惹き寄せる事など出来ません」
 永は、漣の言わんとするところを察して頷く。
「絵は無理でも文字ならばどうか、といったところでしょうか」
「……ひとつ頼まれては頂けませんか」
 漣の疲れきった物言いに、やはり笑いがこみ上げてくる。この様子では相当長い間、御老人達と押し問答をしていたのだろう。それを思うと、漣の依頼を拒否するのは流石に躊躇われた。
 何より、この先「自分の文字で絵の中の老人を別紙へ移動させる」などという愉快な仕事が舞い込んでくるとは思えない。
「構いませんが、高くつきますよ」
 覚悟はしています、という漣の言葉を笑顔で受け流すと、永はその場に座り、慣れた所作で墨を磨り始めた。


 品の良い墨の香が、書斎に満ちてゆく。
 永はその香を楽しみながらゆっくりと墨を磨り、どんな文字がこの絵に相応しいかを考えていた。
 軸の絵と、漣の用意した何も描かれていない真白の紙とを交互に眺める。
 御老人二人が入り込む為の隙間を作るには、文字が主体となってはならない。書き位置は右上が妥当と思われた。あとは彼等を如何に惹きつけ、如何に安住して頂くか――
 思案すればするほど、並大抵の事ではないと思う。
 永が軸の絵へと視線を走らせると、「退かせられるものならやってみろ」とでも言いたげに、老人達のほくそ笑んでいる姿が視界に入った。
 それを見て、永は微かに口元に笑みを浮かべると、次の瞬間には真顔になり、墨を含ませた筆を紙へと置いた。
 筆を紙へ乗せる一瞬の緊張。
 やり直しがきかないからこそ、その時己に出来る渾身の力を文字に託す。

『仁人之安宅也 義人之路也』

 墨を磨っていた時とは異なり、心に浮かんだ文字を一字一字、力を込めて勢い良く綴って行く。
 やがて最後の一文字を書き終えると、永は筆から力を抜いて硯箱へと置いた。


 書かれたばかりの艶やかな文字は、流麗で誰が見ても秀逸と呼ぶに相応しいものだった。
 永がその瞳に穏やかな色を湛えて己の綴った文字を眺めていると、それまで無言を通していた漣が不意に話しかけてきた。
「……孟子ですか?」
 永は漣の言葉に頷く。
「ええ。『仁』は儒教の徳目の一ですが、一字のみで捉えると『人』と『二』の会意。即ち人と人との間に通う親しみの意味を表します」
 絵の中の御老人方が仁者か否かは判然としないが、長年を共に過ごした知己であるならば、必ず「仁」の文字に惹かれる気がした。
 永のその狙いは正しく、老人達は束の間その文を眺めた後、一度顔を見合わせて頷きあうと、するりと元絵から抜け出して真白い紙へと移り込んだ。
 それを見た漣が、安堵の溜息を零しながら笑顔を見せる。
「二人の人間が支えあって『人』という某ドラマ教師の決め台詞ではありませんが、一人では成立しない感情、存在、そして文字も存在するのだと……時に思います」
「確かに。こちらの絵も、僕一人ではどうにも出来ませんでしたからねぇ」

 慈しみも情けも相手が存在してこそ。仁者も他者が「徳のある人物」だと認めてこそ、初めて仁者たりえる。
 そう考えると、今生の全てのものが共に支え合いながら、己という存在を成長させているように思えて、永は絵の中の老人達を見ながら満足のいった笑顔を浮かべたのだった。


*


「さて、報酬の件ですが」
 漣からの依頼をなし終えた後、永は漣へと向き直ると徐にそう呟いた。
 頭痛の種を取り除いてもらった漣は、「お手柔らかに願います」と苦笑しながら二の句を待つ。
 そんな漣に、永は楽しそうな笑顔を向けてこう言った。
「玉露を頂けませんか。その後で碁をさすのはいかがでしょう。こちらの御老人方のように」
 漣は予想だにしていなかった永の言葉に一驚するも、すぐにいつもののほほんとした表情に戻った。
「全く、永君は人を驚かせるのがお上手ですねぇ」
「いえ、漣さん程ではありませんよ」
 互いに告げた後で笑いあう。
 午後の穏やかな時間は、もう少し続きそうだった。



<了>

PCシチュエーションノベル(シングル) -
綾塚るい クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年01月09日

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