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『この素晴らしき、小さな世界(後編) 』
松山・華蓮4016)&松山・華蓮(4016)&(登場しない)





 黒い布をかぶった人物に礼を言い、廃ビルを出た頃には外はすっかり薄暗くなっていた。
 陽は落ちて、街並には明かりが灯り始めている。行き交う人々も皆どこか足早だ。車のテールランプが赤い宝石のように数珠繋ぎになって信号を待っている。いつもと変わらない、街の光景。スクランブル交差点を渡りながら華蓮はその場でくるりとターンし、ビル群を見渡す。
 (さっき、ウチはこれを壊して回ったんや)
 もちろんあれはミニチュアの話であって、実際にこの街を壊したわけではない。しかしそう考えると先程の興奮がふつふつと甦るのだ。何も知らずに家路を急ぐ人々のいつもと変わらぬ顔を見るにつけ、暗い感情がじわじわと華蓮の内を侵食していく。
 ――ウチはおまえらをみぃんな殺してやったんやで。
 そっと口許に当てられた華蓮の手の下で、整った唇が笑みの形にかすかに持ち上がる。
 不意に、ざわ、というどよめきが華蓮の耳に届いた。つられて目を上げると通りに面した電器店に人だかりが出来ている。道行く人が次々と足を止め、ショーウインドウの前に黒山が形成されていくのだった。身長が高いとこういう時に得をするもので、横断歩道を渡り終えた華蓮は人だかりの最後列から軽く背伸びをするだけで様子を伺うことが出来た。
 「大変な事態が起こってしまいました。現場から中継です」
 ショーウインドウの中に陳列されたテレビが夕方のニュースを映し出しているのだった。画面の上端には「中継」と「緊急速報」の文字。ヘルメットをかぶったアナウンサーが画面の中で早口に喋っている。
 「私の後ろをご覧ください。山が大きく抉り取られています。抉られたというよりは潰されたという形容のほうが正しいかも知れません」
 アナウンサーは白い息を吐きながら自分の後方を指した。テレビを見守っていた人々の間にざわめきが広がる。
 場所は街の外れのようだ。爆音とともに空を舞うヘリコプター。消防や警察の赤いランプ。悲鳴と怒号、駆け足で行き交う救急隊の人間。そして、それらの後ろには、不自然な形に抉り取られた山が無言で聳えていた。まるで、山全体が何か巨大な物に真上から潰されたように――。
 「山崩れとは違うようだと消防士が語っています」
 ヘリコプターが起こす風に手元の資料をさらわれそうになりながらアナウンサーは懸命に喋っている。「崩れたというよりも、上から何か大きな物によって潰されたという印象を受けたそうです。しかしこれだけの山を潰すことができる物など存在するのでしょうか? 土砂に埋もれた住民も多くおり、現場では懸命な救命作業が続けられています。以上、現場からでした。スタジオにお返しします」
 映し出されているのは、間違いなく先程最初に壊したミニチュアと同じ山であった。奇妙は符合に華蓮はひゅっと音を立てて息を吸い込み、無意識のうちに胸に手を当てた。脈が少々速く、浅くなりつつあった。
 「あっ、ただいま緊急ニュースが入って来ました」
 中継からニューススタジオに切り替わった画面の中で女子アナが緊迫した声を上げる。「××区の区役所庁舎が突然崩れたそうです。原因は不明、多数の負傷者が出ていると――」
 アナウンサーの声を遮ったのは轟音、そして身が切れるほどのすさまじい突風であった。道路が寒天か何かのようにうねり、亀裂を生じていく。人々はトランポリン競技者のようにはね、そして固いアスファルトの上に叩きつけられる。立ち並ぶ店々のガラスが砕け散り、人々の上に降り注ぐ。反射的に街灯に捕まった華蓮の目の前で道路が裂け、子供が一人、クレバスに飲み込まれて行った。
 乱れた髪もそのままに目を上げた華蓮が目にしたのは、まさに信じられないものであった。
 それは黒い、巨大な柱だった。天からこの街に向かって突き刺された、超高層ビルなんか比べ物にならないほど巨大な、二本の、柱。わずかな曲線を描いて雲の遥か上に聳えるそれは――黒いストッキングを履いた、脚であった。
 見覚えのある曲線とストッキング、わずかに赤みがかった色に華蓮は息を呑む。続いてぬっと現れた髪の短い女の顔。
 間違いない。
 あれは――自分の、脚。
 自分自身だ。
 阿鼻叫喚の巷と化した街で、巨人が動き出した。潰されていく。ビルが、道路が、その上を行き交う人や車が、なすすべもなく巨人の脚によって潰されていく。密集した住宅地が爆発するように吹っ飛び、もうもうと土煙を上げる。轟音。破壊音。学校が、図書館が、幼稚園が、駅が、次々と潰されていく。巨人が優しく下ろした拳は電柱を真っ二つに砕き、巻き込まれた通行人と電線が巨人の手に絡みつく。巨人は不思議そうに電柱を持ち上げたが、人間が懸命にしがみついているのを見るとすぐに電柱を放した。落下した電柱に潰される人間の音はあまりの悲鳴と轟音にかき消されて華蓮の耳には届かない。不意に起こる突風。それは竜巻かと思ってしまうほどの威力で、電車が、車が、人が、北風にあおられた枯葉のように舞い上がり、そして叩きつけられる。まさに華蓮があのビルでしたのと同じように。華蓮があのビルの中でやった通りに、すべてが壊され、すべてが殺されていく。あそこでしたことが現実になっているとでもいうのか――?
 逃げなければ。本能的にそう考えた後で華蓮はその場に立ちすくむ。どこに逃げられるというのだろう? 逃げ場などあるのだろうか?
 瓦礫と化したアスファルトを踏みしだくキャタピラの音で華蓮ははっとする。振り返るとそこには迷彩色の戦車隊。指揮官の合図で猛烈な砲撃が始まる。華蓮は思わず耳をふさぎ、その場に座り込んだ。戦車隊の攻撃はそれほどすさまじかった。もうもうと上がる煙、硝煙のにおい。次々に転がる巨大な薬莢。しかし、戦車の砲弾をもってしても巨人のストッキングに傷をつけることすらかなわない。巨人が戦車隊の頭上に足を振りかざす。まるで力の差を見せ付けるように。戦車隊が退却を始めたと同時に巨人が足を振り下ろす。道路が波のようにうねり、ホットプレートの上のポップコーンのように戦車が跳ね、そして容赦なく叩きつけられて横転した。その振動でよろけた華蓮はなすすべもなく道路に倒れ込む。その拍子にひしゃげた信号機の柱に頭を打ち付けてしまったが、痛みは感じなかった。
 巨人が不意に笑い声を上げた。さも楽しそうに、弾けるように、腹を抱えんばかりの勢いで笑い始めた。それは笑い声というよりただの大音声であった。半ばヒステリックな甲高い笑い声が瓦礫の街にめちゃくちゃに跳ね返る。街全体を文字通り震わせるようなすさまじい笑い声だった。楽しくて楽しくてたまらない、これほど楽しいことはない、そんな笑い方であった。鼓膜が破れるほどのすさまじい笑い声だというのに、華蓮はその場にしりもちをついたままただ呆然として巨人を見上げることしかできなかった。華蓮の思考と気力はいまや完全に奪われていた。気が狂いそうなほど動揺している一方で、目の前で見せ付けられる圧倒的な力の差と一方的な殺戮を、ただぼんやりと眺めるしかなかった。
 「楽しそうですね」
 轟音と断末魔の中で、不意にその声だけがはっきりと華蓮の耳朶を打った。弾かれたように振り返ると、そこにはあの黒い布をかぶった背の高い人物がいつの間にか佇んでいた。
 「いやあ、本当に楽しそうだ」
 黒い人物はのんびりと額に手をかざして巨人を見上げる。その後でゆっくりと華蓮に顔を向けた。
 「でしょう? 華蓮さん」
 黒い布の下で、相手の唇がゆっくりと笑みの形に歪むのがはっきりと見て取れた。
 華蓮の全身の毛がざわっと音を立てて逆立った。
 「ええ加減にせえ!」
 華蓮はヒステリックに叫び、ほとんど無意識のうちに相手の胸倉に掴みかかっていた。しかし黒い人物は動揺した様子もなく、含み笑いを続けるだけだ。
 「これ全部あんたのせいやろ? やめさせ! 今すぐやめさせえ!」
 「できませんねえ」
 相手はゆっくりと首を傾け、まるで他人事のようにのんびりと答える。その後でくすくすと笑った。
 「これはすべて華蓮さんのしたこと。私はそのお手伝いをしただけ――」
 巨人の笑い声はやまない。揺れ続ける地面。吹き荒れる風。混ざり合った音の圧力は地面を震わせるほどすさまじい。二人の周りには瓦礫が降り注ぎ、遠くでは地鳴りのような轟音が続いている。人々の悲鳴はもはや呻き声に変わり、地獄を満たす怨嗟の声のように二人に這い寄ってくる。
 「思っていたのでしょう? 一度くらいめちゃくちゃに暴れてみたいと。私はそのお手伝いをして差し上げたまでですよ」
 その言葉で華蓮の頭に決定的に血が昇った。次の瞬間、何と叫んだのかは分からない。とにかく、言葉にならない憤りをこめた声と共に華蓮は黒い人物の顔を平手で打っていたのだった。
 からぁん、という乾いた金属音とともに何かがその場に落下する。黒い人物が落とした物らしい。
 華蓮は驚愕に目を見開いた。
 肥大した心臓が喉元までせり上がってくるような嫌な感覚。呼吸が浅く、速くなる。華蓮は固い唾を飲み下し、改めてその場に目を落とした。
 そこに落ちていたのは、よく見知ったツーポイントフレームの眼鏡であった。
 「なあ、か・れ・ん」
 黒い人物はさもおかしそうなくすくす笑いを続けながら、殊更にゆっくりと華蓮の名を呼んだ。
 「か・れ・ん。あんた、やってみたかったんやろ? いっぺんくらいめちゃくちゃに壊してやりたかったんやろ? ウチはあんたの望みを叶えてやっただけやで。そや、あんた日本全土のミニチュア作れ言うとったなあ。作ったろか、世界ぜーんぶのミニチュア。ぜーんぶあんたが壊してええんやで」
 黒い人物は黒い着衣を揺らしながら華蓮そっくりの喋り方でケラケラと笑う。華蓮の全身から音を立てて血の気が引いていく。黒い布の下に隠れる相手の顔を確認する勇気は、今の華蓮にはなかった。
 「……なんで」
 華蓮は力なくその場に座り込み、ぽつりと呟いた。「なんで、こんなことになるん」
 自分がしたことだなんて。ミニチュアだから壊しただけなのに。壊してよいと言われたから壊しただけだ、それのどこがいけない?
 また笑い声が降ってきた。巨人のものなのか、それとも目の前の黒い人物のものなのか、それは分からない。ただひとつ分かっているのは、この場から逃れることなどできないということだけ。もう、どうすることもできない。
 不意に、辺りが暗くなった。のろのろと顔を上げた華蓮の視界を覆っていたのは黒い足。そうやった。ああやって大笑いした後に、ミニチュアの上に倒れ込んでめちゃくちゃにしたったんや。華蓮はどこか覚めた頭で冷静にそんなことを考える。反対に体は恐怖に硬直しており、吹き降ろす暴風の中でただ恐怖に震えながら座り続けるしかない。
 巨人の体が華蓮目掛けてゆっくりと倒れ込んでくる。それはやけに鮮明で緩慢なスローモーションだった。死ぬ寸前には辺りの景色がスローに見えるというが、この瞬間がまさにそうなのだろうか。
 上から吹き降ろす風が強さを増す。視界がはっきりと巨人の足の形をとらえる。ストッキングのごくごく細かい網目まで、華蓮の目にははっきりと見えていた。
 あかんわ。
 そう呟くと同時に視界が真っ黒になり、華蓮は何も分からなくなった。



 開いた目に飛び込んできたのは晴れ渡った青空であった。
 反射的にその場にがばと跳ね起きると嫌な汗が全身を濡らしていることに気付く。眠っていたのだと悟るまでには少々の時間を要した。
 (夢、やったんか)
 体を起こしてぼんやりと辺りを見回す。目の前にはミニチュアの大都市が広がっていた。どうやら壊す前に眠ってしまったらしい。ミニチュアは綺麗なまま華蓮の目の前に広がっていた。山も、役所の庁舎も、駅も、道路も、高層ビル群も、どこも壊れてなどいない。
 だが、少々不自然だ。ビルの中だったはずなのに、なぜ屋外にいるのだろう?
 華蓮は立ち上がり、ゆっくりと周囲を見回した。
 どこまでも広がるミニチュアの街。数千分の一のこの街。どこまでも、どこまでも、どこまで行っても尽きないミニチュアの都市。
 さっき見たミニチュアはこれほど大きかっただろうか?
 この街だけを再現したミニチュアにしては大きすぎやしないか?
 もしかしたら、日本、いや、世界じゅうのミニチュアだとしたら――?
 ――好きに壊して構わないのですよ。
 聞き覚えのある声を耳にしたような気がして華蓮は振り返る。その場にはあの黒い人物の姿はなく、ただミニチュアの世界が広がるだけであった。
 もう一度ミニチュアを見渡す。
 抵抗もせず、自己主張もせず、精巧なミニチュアはただその場に無言で広がるだけだ。
 華蓮の喉がごくりと動く。
 (まさか……まさか、な)
 靴を脱いでミニチュアに上がることもその場を立ち去ることもできず、華蓮はその場に立ち尽くしていた。(了)


PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2007年01月05日

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