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『vendetta 』
妙円寺・しえん6833)&碧摩・蓮(NPCA009)

 曹洞宗、荘厳寺。
 道元が開いた宗派は、当初名乗りを許さなかった。開祖が師事した中国の禅宗五家の名を借り、曹洞宗を名乗るようになったのは四代目にして漸くの事であった。
 只管打坐、ひたすらに修行に勤しむのみを仏の道とし、禅を悟りの手段としない黙照禅を特徴とするに、生涯を修行の道に捧げる。
 その厳しさは開門当時から変わらぬはずなのだが、その歴史の中で有り得ざるべき存在として、妙円寺しえんの名があった。
 現・荘厳寺住職を自称する彼女は、大本山からの再々の申し送りを無視してその座を明け渡すことなく、寺に居座り続けている。
 とはいえこのしえん、住職を名乗っていても、運営に口を出すわけでなく、規律にちゃちゃを入れる訳でもなく、住職、最高責任者としてすべきを全てうっちゃっていた。
 そう、まさしく、ただ居るだけ。
 居るだけならば飾りとして置いておけ、あのような風紀を乱す輩はとっとと追い出せ等、上は大本山から下は檀家まで、侃々諤々の遣り取りが、ふと思い出したように繰り返されているようだが、しえんを抱えている荘厳寺では様々な経験を重ねた末、触らぬ神に祟りなし、と仏道にあるまじき合い言葉を胸に、腫れ物の如くそっと放置している次第である。
 その結果が、五合庵という敷地の奥にひっそりと構えられた離れを、しえん一人に宛がうという隔離方式に到っていた。
 茶室に使えるようになっており、厠と簡単な水場を有した八畳一間の小さな作りだが、本来修行僧に与えられるのは、座禅を組むのに半畳布団を敷いて一畳の空間のみである……個室などでは当然無く、がらんと広大と僧堂に雑魚寝状態が普通である為、しえん一人にどれだけ手を焼いているかが伺える。
 その五合庵の障子がス、と静かに開いた。
 姿を見せたのは墨染めの衣に身を包んだしえんである。
 縁側に足袋を履いた足を下ろし、外気の冷たさに息が淡い白に染まる。
 ふ、と軽く吹くようにすれば棚引くように風に流れるが、すぐに藍色の空に散り消えた。
 秋口の静かな空気に、何処からともなく聞こえてくる読経の声が沁みていく。
 晩課諷経の刻、本日のの晩課如常の読誦は妙法蓮華経如来神力品であるようだ。目を閉じて耳を澄まし、しえんはついで鼻も動かした。
 晩課が終われば夕飯だ。今日のメニューはなんじゃらほい……という程に寺の食事は量が多い訳ではないのだが、一日の食事の中で最も品目の多い薬石が饗されるだけあって一日で一番の楽しみであるには違いない。
 庫裡の遠さに匂いを識別出来はしなかったが、しえんは期待を胸に夜空を仰いだ。
 見上げた杉の梢には物悲しげな顔をしたテルテル坊主が一つだけ下がり、そのすぐ脇に一際明るい星が宿っていた。
 秋の夜空で唯一の一等星、南のうお座のフォーマルハウトだ。
 星はまるでしえんを見つめるかのように、ひっそりと静かに瞬いている。
「やはうえ様……」
何故ヤハウェ。問い質す余人の不在をいい事に……否、仮に居たとして、且つどれだけ徳の高い識者であったとしても、しえんの認識を改めるには到らないであろう。
 それ程強固な信念で以て、彼女は彼女の信ずる道を行く。
 曹洞宗に在籍する必要性すらない程に。
 しえんは胸の前に手を組み、優しく彼女を見つめる輝きに、祈りの所作で頭を垂れた。どう見ても西洋式の礼である。
「やはうえ様……」
大切に囁く名に、胸の底から泉の如く湧き出でる、心からの祈りを続ける。
「あの女の店を焼いてください……」
姿は敬虔、声は貞順。然れどもしえんの真実の姿をその願いが表していた。
 あれもこれもどれもそれも。自分が様々な不遇に遭うのはひたすらあの女……アンティークショップ・レンの女店主、碧摩蓮の仕業に他ならないと、しえんは暗い瞋恚の炎を胸中に燃え上がらせる。
「懐石に肉が上らないのも、あの女の謀略に違いありません……ッ」
幾ら何でもそれは冤罪、と思われる不満まで蓮になすりつけ、しえんはばさりと僧衣の袖を払った。
「……夕餉までに。終わらせなければなりませんね」
障子を開け放ったまま踵を返し、室内に戻ろうとしてしえんは梢の星に微笑みかけた。
「やはうえ様、それでもわたくしくじけませんわ……だって女の子ですもの」
だけど涙は出ちゃう、とそっと目尻を指の背で拭う、その視線の先には赤々と……というより轟々と逆巻く炎を上げる護摩壇が。
 室内でそんだけ火を焚いてりゃ、煤だって飛ぶし目にも入るわ。と忠告すべきはテルテル坊主しか居ないが、惜しむらくはテルテル坊主にツッコミ機能は搭載されていない。
「この祈りはやはうえ様に捧げます……」
懐から取り出した数珠をジャッ! と鳴らし、しえんは護摩壇に向かうと掴んだ香を勢いよく火中に投じた。
 壇はまさしく南に向かい、三角形を形作った炉はその鋭角に星を指す……それはまさしく調伏の修法を示す、密教の祈祷だ。
 禅による修行を旨とする、曹洞宗の教えではない。
「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅぐあ ふぉまるはうと んがあ ぐあ なふるたぐん いあ くとぅぐあ……」
唱える呪文は密教の呪言でもない。
 ちゃんぽんにも、程がある。
 しかし、しえんにとって形式は関係なく、己の正義を貫き、その正しさを神の裁きに任せる事が出来るなら……ぶっちゃけ且つ法に触れても不能犯の扱いで罪に問われないのであれば、何でも良い。
「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅぐあ ふぉまるはうと んがあ ぐあ なふるたぐん いあ くとぅぐあ……」
比喩ではなく天井を焦がす炎に、室内の気温は上昇する一方、数珠を揉みしだいて祈りを捧げるしえんの額にもふつふつと汗が浮かぶ。
「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅぐあ ふぉまるはうと んがあ ぐあ なふるたぐん いあ くとぅぐあ……」
気温と共に、謎の呪文を唱えるしえんの声にも熱が入る。
 戸外の新鮮な酸素を得た護摩の炎はますます燃え盛り、天井を穂先で舐めて黒々と焦がし行く。
「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅぐあ ふぉまるはうと んがあ ぐあ なふるたぐん いあ くとぅぐあ……あの女ァヤサ、燃し尽くしたれぃ!」
ジャ! と感極まって数珠を突き出したしえんの祈りの声に呼応するかのように。
 フォーマルハウトが一層輝きを増し、視界を遮る護摩の炎すら透過して、しえんの目を射った。
「やはうえ様……ッ?!」
咄嗟に目元を手で覆い、しえんは苛烈な光から目を守りながら、突然の変化に驚きの声を上げた。
 光は衰えることなく強さを増し、それどころか跳ね、くるくると回るようにして幾つもの光り輝く球体を吐き出すように巨大化していく……正確には、しえんに向かって何か膨大な質量を有した熱が接近しつつあるのだ。
「あぁ……ッ! わたくしの祈りが通じたのですね……ッ!」
 ボッ、ボッと光球達が独特の音で以て大気に突入し、跳ね、踊るようにして全てを炎に包んでいく。
 しえんは離れを飛び出し、寺の山門の外へと駆け出した。
 其処には炎に包まれる街の姿。赤々と紅蓮に包むだけでは物足りず、光球が楽しげに跳ね回る先は、憎き碧摩蓮の店の場所ではあるまいか。
「まさしく心願成就……ッ!」
天文学的な被害である事など念頭にも置かず、しえんはただ己の祈りが、自らの正義を証明した喜びに打ち震えた。
「ありがとうございます、やはうえ様……!」
改めて己の神に祈りを捧げようと、しえんは南の方角に顔を向けた。
 其処には天を覆い尽くさんばかりの超巨大な火の玉が、真っ直ぐにしえんに向かって降下してくる所だった。
「や、やはうえ様……ッ?」
あまりの巨大さ、そして熱量にさしものしえんも後退る……寺の石段は既に足を置けぬ程に焼け、熱でじりじりと焦げ炎を上げる本堂に逃げようにも、場所がない。
「やはうえ様……ッ!」
信じる神は、必死の呼び掛けに答える事はなく。
 しえんは己の骨までが、一瞬で炭化し蒸発する音を聞いた。


 ……ような気がした。
「ご住職! 何をなさってお出ででしたか!」
頭から水を被せられた冷たさに目覚めたしえんは、周囲を固める僧形……それが同門の僧達だという事に気付いて、手にしたコルトガバメントをこっそりと袂に戻した。
「何……とは、何でしたでしょう?」
全く状況が掴めない。
 僧達は……元々衣は墨染めだからいいとして、煤や埃に汚れ、剃髪した頭に俄に髪が生えたように黒々としている。
「……ご覧なさい」
年配の僧が示す先を見て、しえんは声を失った。
 山門のみを残して本堂が……否、敷地内の全てが黒く焼け落ち、見るも無惨な姿を晒していた。
 勿論、しえんの起居する五合庵も。
「煙に気付いて離れに向かいましたら室内にてご住職が倒れ、中にはコレが……ッ」
多分、唯一焼け残ったであろう、それは七輪である……上の網には律儀に黒こげの秋刀魚が載せてある。
 それでしえんは全てを思い出した。
 夕食前、小腹が空いたついでに酒の肴にと、こっそり隠してあった秋刀魚を焼こうとしたのだ。煙が漏れてばれないよう、念入りに密閉した室内で。
 然るに、室内の酸素が欠乏し、一酸化炭素中毒を起こしかけたしえんが七輪を蹴飛ばして火を入れた炭が畳みに落ち……それが荘厳寺全焼の引き金になったのだと。
 察したしえんは呆然と、取り返しのつかないを見つめた。
 しえんが巻き起こす諸々の災難に慣れた僧侶達が、全員無事であったのがせめてもの幸いである。
 しかし彼等の怒りは簡単に収るものではない。恐怖でもって抑え込まれて不満と不安は、自称・住職の火の不始末で寺を無くすという事態に膨れあがり、しえんを見る目はどれも険しい。
 だが、しえんは自分を取り巻く事態に気付いてはいなかった。
 焼け跡を見つめ、声もなく……彼女は唐突にはらはらと涙を零したのだ。
 ぎょっ! と音がする程明確な驚きを示し、周囲の僧達は一気に引いてしえんとの距離を置いた。
「ごめんなさい……」
溢れる涙を拭おうともせず、震える声の謝罪がぶつけるべき怒りをしぼませる。
 しえんが初めて見せる反省の色に、罪を悔いている者に更なる糾弾を加えるのは人としてどーよ、という空気が、責任を押し付け合って目配せをしまくる僧達の動揺を更に煽った。
「……ごめん、なさい」
その場に手をついて深く、深く頭を下げるしえん……だが、彼女の眼中には僧侶達の事など一寸たりとて入っていなかった。
 瞳はひたすら、五合庵があった場所へと向けられる。
――ごめんなさい、健さん……。許してね、文ちゃん……。
しえんの胸を狂おしく締め付けるのは、火急の事態に助け出せなかった……天井裏に隠してあったお宝任侠ビデオに対する後悔ばかりであった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2007年01月04日

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