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『JUMP! 』
八重咲・マミ2869)&松田・真赤(2849)&(登場しない)


 刻一刻と重大発表の時が迫っている。しかし今となっては、ただじっとそれを待つだけ。彼女は用意された控え室にこもっていた。テレビや写真などでは絶対に見れないであろう神妙な表情からはさまざまな感情がにじみ出ている。それは悲壮感や安心感などが交じり合った、なんとも表現するには難しい顔つきだ。でも気持ちは常に前を向いている。その凛とした眼差しと同じく……そして彼女はいずれ呼び出される。「真赤、出番だ」と。


 スティルインラヴのメンバーは皆、すでに発表される内容を知っている。いや、逆に『これを知らない方がおかしい』と表現するのが正しい。同級生でありリーダーであり、さらにはメインヴォーカルである真赤が病気を再発させてしまった。その名は「声帯結節」……一度はこれを克服した彼女に対し、神はなんと酷い仕打ちをするのか。キザったらしい顔をした人気俳優が「人生は筋書きのないドラマなのさ」なんてテレビの中で言っていたが、まさか身内にそんな不幸が降りかかるなんて、いったい誰が予想できる?

 突然の出来事だった。マネージャーを交えたミーティングでスタジオに集まったあの日、真赤は「自分のイメージする次回作はこれ!」とばかりに満面の笑みで立ち上がり、その旋律を披露しようとした。いつものように誰もが「やれやれ」といった表情で歌い出しを聞いた刹那、全員の顔が一瞬にして青ざめる。まったく声が出なかったのならまだいい。音程がメチャクチャだったらもっと安心した。この手の冗談は一切しない真赤だが、それでもまだ困った表情を浮かべながら笑えたかもしれない。ところが彼女の声が伸びたのは一瞬だけで、あとは取り繕うこともできないほど無残に途切れてしまった。以前にもメンバーは同じ状況を体験している。思い出したくもないあの瞬間が再びまぶたの奥で、そして今まさに目前で蘇ったのだ。たったひとり、マミを除いては。
 彼女たちの記憶を巻き戻すかのように、プロダクションの決定が下された。真赤が完全に回復するまで長期休養、代わりにメインヴォーカルはマミが務める。当然の結論だ。何もかもが昔と同じ……ただひとつだけ違うことはマミの立場である。昔はスティルインラブに加入する身分だったが、のちに真赤が復帰してもそのままバンドに残留した経緯があった。今回はメンバーのひとりとして、この事実を受け止めなければならない。彼女は『その瞬間』を初めて目の当たりにする数少ないひとりであった。


 記者発表の一週間前……まだ主治医から声を出すことを許可されていた頃だ。ふたりはスタジオの壁に身体を預けながらぼーっとたたずんでいた。お互いに何を言い出すわけでもない、どちらかが話を切り出すわけでもない。ただ黙って、スタジオの空気や雰囲気に触れていた。
 今の真赤とマミの間には感覚的な溝がある。その耳から聞こえる音も声も、まったく同じはずなのに。真赤の病気は声に異常をきたすものだ。しかしいつもは騒がしいとさえ思わせるスタジオでさえも、まるで静けさを描いたかのような風景に見えてしまう。そう感じてしまった彼女は自嘲的に笑った。

 「明るいのだけがとりえ、なんだけどなぁ……」
 「なんだ。おまえ、来週のラジオ聞いたのか?」
 「後でひとりで黙って聞くのは辛いだろうって、スタッフの人が収録ほやほやのを聞かせてくれた」
 「おまえもおまえなら、スタッフもスタッフだよな。よりによっておまえの誉め言葉が出た回なんか聞かせなくてもいいのに……いろんな意味で」

 マミは明らかに「図に乗るから」と言いそうな表情で笑っていたが、今からそれを聞いたところで真赤のテンションが上がるわけがない。むしろこれからは落ちていく一方だ。ゴールを知らされずにマラソンする選手がどこにいるか。

 「パフォーマンス一本に絞るからって言えばよかったかな……?」
 「お医者さんは賢いよな。一度会っただけでおまえの考えなんかお見通しだからな」
 「前と同じ先生だよ? マミ、そんなことも忘れたの?」
 「真赤こそさ……その時のこっちの立場ってもんを理解してないのか?」

 バンド結成時からいたわけではないマミが代役に抜擢された経緯を真赤はよく知らない。当たり前だ、彼女はそれどころではなかったから。歌えない苦しみから心まで折れそうになったあの頃、今の話し相手がどんな気持ちでバンドに合流したのかなんてわかるはずがない。しばし沈黙する彼女。マミは気まずい雰囲気を察したのか、あえて話題を変えた。おそらく話が湿っぽくなるのを避けたのだろう。

 「早く治せよ。使いっぱしりがいなくなると不便だ」
 「マミはさ。今はみんなとすっかりなじんでるんだから、私のことは気にせずになーんでもすればいいじゃん」
 「ここだけの話だけどさ。5人の時のスティルって……あんまりっていうか、今ほど輝いてないな。私が出てるのも含めて。プロモーションビデオとか見ても、こうピンと来ないって感じかな?」

 その言葉に思わず真赤は息を飲んだ。真赤が復帰してからの6人体制こそが『真のスティルインラヴ』と位置付けるファンが多くいるという話をどこかで聞いたことがある。実際にその頃から歌詞にも旋律にも、何かしら彩りが増したような気がした。その後の活躍はこの場で語るまでもないだろう。必ずしもシングルやアルバムの売り上げや一般的に言われる意味での人気がバンド全体の満足度を指し示しているわけではない。けれども何かが変わったのはここだと言える気がする……真赤はそう考えた。それと同時にある映像が思い浮かんだ。

 「私がいない時って、マミはずいぶんみんなとケンカしたんじゃない?」
 「い、今はやってないからいいだろ?!」
 「あはは、ちょっと元気出たかも。昔のマミを想像したらさ……なーんかいろいろと、ね」
 「うっ……人の苦労を素直に笑えるんだったらさ! 自分の病気も笑い飛ばせよなっ!」

 時間とは不思議なものだ。知らぬ間に培われたふたりの絆が自然と言葉になって出てくるようになるのだから。それはまるで吟遊詩人の奏でる調べのようだ。時に心地よく、時に染み入るくらいじんわりと暖かい。
 ふと、真赤が「ありがとう」とつぶやいた。その何気なさがむずがゆかったのか、マミは彼女からトレードマークの赤いジャケットを無理やり脱がせる。もちろんサイズが合うはずもない。だが、今はそんなことなんて関係ない。それに袖を通すと、マイクスタンドまで歩み寄る。マミの張りのある声がスピーカーから響いた。

 「これで6人だ。いつも6人。便利だろ、このアイデア。だからおまえが帰ってくるまで、これは預かっておく!」
 「ああ、チャック壊さないでよ〜! なんだったら事務所にマミ専用の作ってもらって! ね、お願い!」
 「おまえに言われなくても作ってもらう。でも、これは返さない。どーせこんなの見てたら、ろくなこと考えないだろうし。真赤はこっちでも着てろ。交換だ。まだこっちの方が似合うだろ」
 「ま、たまにはこっちもいいかな……でも、これは一度しか着ない。次はそれを着てるから」
 「あ。別に私はアルバムが3枚出たくらいに復帰でも構わな」
 「すぐにサックス吹かせてあげるからね〜」

 減らず口を叩くふたりはしばらくその場から離れようとしなかった。もしかしたら、マミは離れられなかったのかもしれない。同じヴォーカリストとしてこの苦しみは理解できるから。あの時にはできなかったことを、今、思う存分楽しんでいるのかもしれない。ひとりではできない、何かを。


 そして、その時がやってきた。真赤を呼びに来たのはマミである。もちろん彼女はあの時に奪ったジャケットを着ていた。今の真赤は声を出せない。不遇のヴォーカルは親友にジャンプして見せた。パフォーマンスの時によくする、あの飛び跳ねっぷりを。だが、マミは静かにゆっくりと目を閉じた。彼女は心の奥に宙を舞う姿を焼きつけるために……
 真赤の着地点はここなんかじゃない。こんな寂しい床の上じゃない。もっとド派手な、あいつが大好きな場所がある。その時まで彼女は飛び続ける。それは大きく大きく、そして果てしなく高く飛んだジャンプ。初めて緑色のジャケットを着て飛んだ、もしかしたら一生に一度だけの大きな大きなジャンプ。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
市川智彦 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年12月26日

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