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『神父と尼僧〜凄惨な聖餐式を 』
シュライン・エマ0086

★序 〜事の起こり。

 祈りを捧げる姿がある。跪き、両手を合わせしかと組み。静謐な聖堂。中央奥の磔に架けられた姿に向かい。黒の長衣。立てられた襟――長身の神父らしき美丈夫。ただ、その傍らには――唐突に血と脂に塗れた大鎌が置かれている。
 聖堂の中。神父の後ろを見渡せばそれは何も唐突ではなかった。ぶちまけられた『濃い色の葡萄酒』に染められる中、切り刻まれた『大小様々の不揃いな聖餅』が浮いている。
 そんな凄惨な状況の中神父だけが一人、何事も無かったようにただ黙して祈りを捧げている。靴の裏が服の裾が『葡萄酒』に浸かるのも気にせずに。
 扉の外。清楚な姿が現れる。穏やかな笑みを唇に刷いた、黒の修道服に身を包んだ尼僧――但し、その細い片手には似合わぬ無骨な機関銃、もう片方の手にはぴくりとも動かない『大柄で無骨な子羊』が『一人』引き摺られている。どうやら彼女が独力で神の家まで『連れてきた』ようで。
 何程の事でも無いと言いたげに、尼僧は引き摺ってきた『子羊』を予備動作無しであっさり聖堂内に放り投げる。
 どしゃり、べちゃり、と。
 重苦しく似つかわしくない音が聖堂内に響き渡る。
 それでも神父は振り返りもせず、十字を切り祈りを終えると――恍惚と神の御子を見上げたままゆっくりと立ち上がる。
「…これですべて救えたな」
「ええ。この村の人々は、『誰一人余さず救うことが出来ました』」

「わたくしたちに出来ること」
「それはより多くの人を神の御許へ送ること」
「そしてせめて審判の日まで――是非にも安寧な日々を送って欲しいとわたくしたちはそう望みます」
「私たちはその為に聖餐式を開こう」
「御子の生誕その日の祝辞に」
「盛大で凄惨な聖餐式を」

 神父は尼僧を――聖堂内の惨状を、振り返る。
 慈愛に満ちた微笑みを湛え、神に捧げられた『子羊たち』を抱くように何も持たぬ両手を伸ばす。

 ――『さぁ取るが良い、この聖餅は――私の肉』。

 尼僧は神父に微笑み掛ける。躊躇い無く聖堂内に足を踏み入れる。
 似合わぬ機関銃を軽々と肩に下げ。神父と同じく目の前のすべてを受け入れるよう両手を伸ばす。

 ――『この葡萄酒は――多くの人の為に流される契約の血』。

 そして二人、優しく笑い合う。
 続けられる声が重なる。

 ――『父と子と精霊の御名に於いて――神の御名が称えられますように』。



 神父は死神の如き大鎌を、尼僧は無骨な機関銃を手に、小さな神の家を後にする。

 ――…さぁ、次に導かれし場所へ神聖なる救いを施しに行きましょう。



★その日の始まり。(@現実世界、2006年日本国東京都内某所、仕事帰りと買物帰り)

 仕事場である都立図書館を後にしてすぐ。
 長身にパンツスーツが映える中性的な印象の彼女――綾和泉汐耶は、冷え込んできているなぁと思い、取り敢えず空を見上げてみる。空は黒く、と言うか地上の星の光を受けて靄がかった濃い灰色で――つまりはもう日はとっくに落ちて暗くなっている。そして満天の星の方は全然見えない――暗い夜色の中にあまり青味が感じられない事からして、ひょっとすると雲も出ているのかもしれない。
 そんな風に何となく空を確認する中、ふと気が付けばクリスマスらしい音楽が勝手に耳に入ってくる。もうそんな時期だったっけと思う。師走――師も走る程忙しい。だから残業なのだろうか――いや、『だから』とそこに理由が求められる残業でもないか。要申請特別閲覧図書蔵書に編入予定の新しく入荷されたその筋な書物封印作業に追われた結果が今日の残業。少々疲れた。…早く帰って休もうと思う。
 思いながら、彼女はいつも通りに街の喧騒の中に混じって行く。
 何処かで夕食用の買物でもして、帰路に着く。
 …その予定、なのだが。

 一方、御機嫌そうに鼻歌混じりで賑やかな通りをさくさくと歩いている姿がある。
 中性的な容貌で長身、青い瞳に黒髪を持つ――と言う部分は汐耶と同じだが、この彼女の場合は汐耶とは違い髪が長い。それと青味がかったレンズの遠視用眼鏡を首から眼鏡吊りで下げているのも大きな違いになるか。先程の汐耶の場合は常から銀縁眼鏡を掛けているが実は伊達、この彼女――シュライン・エマの場合は普段は眼鏡を掛けていないが時折本当に必要になる時があるのだから、その辺については何となく逆である。
 シュラインの場合取り敢えず、普段活動するには眼鏡をあまり掛けていない。
 例えば、持参している買物用トートバッグにどっさり中身を詰め込んだ買物帰りになる今も、彼女にとって眼鏡を掛ける必要はない――普段ただ歩いている分には必要無い。
 本日買物目的の品物については何とかコンプリート。即ち買物用トートバッグの中身はクリスマス用品、その装飾及び御馳走の用意――と言える品物で溢れているのだが、一部品物に関して探すのに少々時間が掛かり遅くなって――気が付けば日が落ち暗くなってしまった。なので今は少々歩く足を早め帰路――と言うか草間興信所への道、を急いでもいる。
 周囲のクリスマス一色なお祭りムードと何処からともなく流れるBGMにつられて鼻歌も出てしまっているが、それでも急がなければと言う事に変わりはないので。
 …そう、急いでいるのだ。
 そして――別に特別に何かに追われている訳でもないのに、何となく、焦燥感が胸にあったりもする。
 何故かは判然としないけれど。

 …草間興信所調査員の勘であろうか。
 だったら何だか不吉だったりするのだが。



 と、汐耶とシュラインの二人がそれぞれ違った場所で違った理由でクリスマス一色な街中を歩いている、そんな折。

 唐突に。
 原因不明の破壊音が轟いた。
 ついでに言えば何処からその音がしたのか、音の源は『何か』どころか『何処か』も不明。ただ、二人のどちらから見ても然程遠くなかった――端的に言って近かった、と言うのがやたらと不安材料になるような音。よくよく考えてみれば記憶にあるような音の気もするが、少なくともこんな街中ど真ん中で聞くような音ではないと思い無意識下で否定され余計に何の音だかわからない。
 いや、信じたくないだけで、わかってはいるのだろう。これはガラスが看板が壁が砕かれ壊される時の音と。それから――悲鳴と思しき切羽詰まった声がその後にたくさん続いている事も。
 二人とも――汐耶もシュラインも、こう見えてこの手の音は聞き覚えがある。
 …何だかんだで荒事関係、結構近くに多いので。

 続いて、これまた唐突な音楽がすぐ近くから響き渡る。
 何事かと思うが――どうやら自分の持つ携帯の着信音。
 ――…但し、『設定した記憶が無い曲』で。いやそれどころか――『設定どころかこんな曲をダウンロードした覚えすらない』。
 汐耶とシュライン、それぞれ自分の携帯から着信の証として流れていた音楽――歌は、男女混声合唱の讃美歌。伴奏無し。アカペラ。
 思わず沈黙。
 それから、携帯の着信が誰からの番号か確認し、それがよく知っている知り合いの番号である事を確認してから――通話に出る。

 …汐耶は、真咲誠名からの電話に。
 …シュラインは、セレスティ・カーニンガムからの電話に。

 それは計らずも――汐耶もシュラインも、どちらもほぼ同時にした事で。
 この二人、決して一緒に居る訳ではないのだが――殆ど同時に殆ど同じ状況下に置かれていた。…仕事帰りと買物帰り。その帰路の途中、近場で唐突な非日常の音を聞く。そして何故か自分の携帯から奏でられる聞き憶えの無い着信音に、憶えのある馴染みの番号の着信。

 ――…通話を受けたその瞬間、必然的にぶちりと断ち切られた着信音仕様の讃美歌が――やけに不吉に感じられた。



★残酷物語。

(――――――『儀式』は途中で止めてはならないモノです。

 それはどのような性質のモノであレ、同じコト。
 理由はともかく、これだけの血が流レれば――そして祈りを捧げる存在があれバ――何か予想外の存在が出現するカモしれませんしネ。
 それこそ、おわすべきトコロに御還り頂かネバならぬようナ。

 私はこの『儀式』ノ顛末を是非、この足で追イ、この目で見届けたイと思いまス。
 ずっとずっと追い続ケ、私の知らヌこの『儀式』の顛末ヲ――そこに秘されタ『知識』の端緒ヲ、手に入れたいと思いまス。

 血塗られタ『儀式』はまだ途中も途中。
 イエ、途中どころか…ここから始まると言うべきなのカモ、しれまセン。

 私の存在すル『ここ』だけでは無ク、数多の世界の――――――『今この瞬間』ニ)



「…いきなり襲い掛かってくるとは、どう言った事情なのでしょうか」

 20XX年ブラジル、セフィロトの塔第一階層都市マルクトの――大小様々形も定かでは無いような店舗が建物のそこここに立ち並ぶ道に繋がる、とある広めの路地。
 唐突に大鎌振り上げ自分へと襲い掛かって来た神父に向け、トキノ・アイビスは静かに理由を問い掛けている。
 神父の斬撃を紙一重で避けた後。日本刀型高周波ブレードの柄にそっと手を掛けたまま――口調はいつも通り礼儀正しくはっきりと。トキノのその口調は普段通り静かではあるが――肝心の当人の機嫌はと言うと最低ラインに近い方。研究所の子供たちに頼まれての買い出し――の邪魔をされた時点でトキノの機嫌は急降下、今発したこの問いの返答次第で更に悪化の余地ありと言ったところ。
 一応この地でビジターなんぞと言うやくざな稼業にも手を出している以上、恨まれる覚えや襲われる覚えは皆無ではない。いやこれと言った理由無く殆ど問答無用で襲ってくる連中だって、タクトニムに限定されず少なからず居るもので。
 だからまず、直接相手に――神父に襲撃の理由を訊いてみた訳でもある。
 それで対応が幾らか変わる。まだ変えられる余地がある。まぁ、なるべくなら無視して通り過ぎたいと言うのが本音だが、それで後ろから襲い掛かられてしまっては本末転倒もいいところ。
 だから、どうするかは相手がここでどんな反応を返してくるかで、決まる。

 と。
 神父の返答が、聞こえた。
 どうやら話くらいは出来るらしい。

「――…神の御名に於いて、貴方に救いを施しに参りました。
 どうぞ神からのお恵みを、その身を以ってお受け取り下さい」

 …但し、話の内容が通じるかどうかは、別の問題らしい。
 当然のように歌われた電波な答えを聞くなり、トキノの中で機嫌が更に急降下する。…タイミングの悪い時に厄介なのに絡まれてしまった。思いつつ嘆息したところで――再び神父が動き出す。立ってこちらに礼を取っていた筈の態勢から、滑るようにこちらへと向かってくる。地面を蹴っている。大鎌の位置が変わる。再び三日月状の刃が風を切っている。
 その動きの過程をサイバーアイで認識しつつ、トキノは戦闘回避を諦めた。
 仕方あるまい。これ以上は時間が勿体無い。

 …買い出しへの道は自分で切り開く。



 緑猫に先導されたやる気のなさそうな男――ケヴィン・フォレストと、
 人間社会に復帰しつつある純真無垢な野生の少女――千獣。

 聖獣界ソーンユニコーン地方、聖都エルザード中心通りになるアルマ通り。クリスマスの喧騒で賑やかなその道でこの二人がすれ違った――すれ違おうとした、直後の事。
 妙に軽い、何か硬くて小さい物がぱらぱらと降ってくるような――それにしては妙に小刻みな――音が連続してアルマ通りに響き渡った。頭に危険信号が鳴り響く。…音の源が何処かを確認せよ。場所自体はどうも近い。何処だろう――そもそも何の音だろうとケヴィンの青頭がきょろきょろと辺りを見渡す。と、唐突にケヴィンの身体に重みが掛かって来た――近くに居た人が倒れて来た。何だ? 思いつつ面倒ながらも取り敢えずその人の身体を抱き止めるが――途端、予期せぬぬるりとした感触が手に触れた。
 同刻。
 ――これまたすぐ側で――凄い、声がした。

「ああああああああああぁぁぁああぁっ!!! が、ア、ぁアああアぁァァあああっッッッッ!!!!!」

 …耳を劈く女の子の声。
 初めはそう聞こえた。
 だが途中でケヴィンは、そう思った自分に自信が無くなった。
 初めは何かの悲鳴だと思った、けれどそれにしては何処か違和感があり。何故ならその声は途中から、幾つも幾つも重なるように聞こえたから。
 何故か少女では――女では、それどころか人では有り得ないような声まで、複数重なっていた。
 ――…それはたった今すれ違うところだった、身体中に呪符を貼り付けている少女が発した、声。

 すぐ側で、人がばたばたと倒れている。
 そこはかとなく、火薬臭。
 赤い色が散らばっている。
 ケヴィンの手に触れたぬるりとしたものの正体。
 血。
 気が付けば周囲に立っている人が殆ど居ない。倒れているか逃げている。一定の空間を置き少し離れた向こう側、黒衣の女性が無骨な鉄の塊を軽々と携え佇んでいる。服の形を見れば、西洋系某一神教に於ける尼僧の衣裳に近いようで。
 彼女の持っているその鉄の塊――機関銃が、この場所で。
 乱射されたのだと。
 すぐに気付ける者は、居なかった。
 …この世界の者は銃器とあまり馴染みがない。
 だから、気付けず。
 ただ漠然と危険とは思っても、一瞬にしてその場の人々が血を流し倒れている意味は、身体中に細かい穴が穿たれている意味は何なのか――咄嗟に、わからない。
 だから――悲鳴らしい悲鳴も、打てば響くようには聞こえない。
 今更、何処からとも無く聞こえて来たりする。

 ケヴィンのすぐ側、凄い叫びを上げた少女――千獣もその場でくずおれるように座り込んでいる。だが彼女は撃たれた様子は無く、傷付いてはいないようで――どうやらケヴィンとは反対側、すぐ横に立っていた旅人らしい風体の男が計らずも彼女の盾になっていたようだった。穴だらけになって千獣に寄りかかるよう倒れ込んでいる。千獣は怯えるように――否、それどころか瘧にでも罹ったように、何処か尋常でない震え方をしていて、自分に倒れ込んできている死体を気にする余裕すらない。そう見えた。
 …大丈夫だろうか。さすがに気になり、ケヴィンは千獣を気遣うよう目を向ける。
 千獣は震えたまま、立ち上がれない。

 …うるさい。頭の中、身体の中、全部。
 怖い。
 血の臭い。
 こわい。

 嫌だ。

 今。
 何をした――。
 ――何ヲシタ。

 シズカニシズカニウゴカズニ、
 微笑ンデ、ソノママデ、
 カンタンニ、殺シテノケタ
 ニンゲン、笑ウ、威嚇デハ、ナイ

 ナノニ

 殺シタ
 カンタンニ
 簡単ニ

 ソレガ、ニンゲン?

 鉛ノカタマリ
 鉄ノカタマリ
 火薬ガ火ヲ噴キ、全テ、屠ル

 痛イ
 死ヌ
 嫌ダ

 鉄ハ嫌イ
 火モ嫌イ

 アノ鉄のカタマリ――殺ス為ダケノ道具
 人間ハソレヲ使ウ
 ソレヲ使イ獣ヲ殺ス

 ――敵ダ
 敵
 敵敵敵敵敵テキ敵敵テキテキテキ敵敵

 殺サレル
 喰ワレル
 喰ワレル

 喰ワレル――前ニ喰ウ
 殺ス
 嫌だ。
 黙レ
 私、殺さない。
 ダマレ
 逃げる。
 黙レ黙レ黙レ黙レ黙黙黙
 嫌。
 助けテ…。
 …嫌ジャナイ
 助ケル
 自分助ケル
 戦ウ
 殺ス

 殺ス。

 駄目押しのように、風が舞う。
 血の臭いが流されて来て、鼻に付く。

 優しい優しい慈愛に満ちた瞳が、ぺたりと座り込む千獣を見詰めている。
 そんな優しい優しい目が、たった今数多の人を殺した尼僧の目。

 容易く越えた最後の一線。
 千獣の中で何か大切なものが、ぷちりと切れた。

 屍に囲まれへたり込む千獣の身体から。
 ――…呪符がたくさん、千切れて落ちていた。

 頭からも。
 腕からも。
 足からも。

 …たくさん。

 千獣が――否、千獣の中の数多の獣が、『己が身体』を何度も何度も掻き毟り――獣を封じる為の大事な大事な呪符を、何枚も引き裂き、掻き剥がしていた。
 まるで余計な殻を脱ごうと――破り捨てようとするように。



(――――――その時、あろう事かソノ場所で…『獣』は目覚めてしまったようなのでス。
 アレだけの呪符で封じておくのナラ、外からの刺激がどうあろうと本来そう簡単に身体の主の支配ヲ離れてしまうモノでもナイと思うのですがネ。
 そうですね。コレも今回の件ノ…目に見えない部分カラの影響なのかも知れませン。そう推察出来まスか。

 …にしても、興味深イ。

 どうやラ、これは祈りヲ捧げル聖なる賓人たちを中心としテ。
 数多ノ世界に渡り、数多の人の前デ――通常では到底有り得なイ事が、起きているようなのでス。
 未来も過去も、表も裏も――時空どころか次元も問わズ。
 私の今居るコノ場でも、感じられて来る素敵な気配があるのですヨ。
 全く。両掌の魔法陣ガ疼きマス。

 ええ。
 楽しみですネ――――――本当ニ)



 …20XX年ブラジル、セフィロトの塔第一階層、都市マルクト。
 目的の店に至る路地。
 その邪魔をする――冗談のように優しそうな貌をしている大鎌持った黒衣の神父。
 心を決めたトキノは日本刀型のブレードを抜き打ち様に高周波をON、大鎌振り上げ肉迫する神父の三日月型の刃の下を掻い潜り、柄もしくは腕を斬る形に打とうと考える。生半可では意味が無い相手と見た。…生身でありエスパーでもないようなのに、持っているその膂力と速さは、侮れない。
 なるべくなら気に食わぬ相手に対し本気で向かいたくは無いが、先に切っ先を向けて来たのは向こう――そして折角抜刀するのならそのまま早いところ片付け、本来の用事に戻りたいと言うのも本心で。
 どちらを優先するかと言えば、今のトキノで最重要なのは時間短縮。
 …と言うか最重要なのは研究所の子供たち。
 そうなればする事は決まっている。

 手前勝手な考えに他人を付き合わせるのもいいかげんになさい。
 私は神の恵みも施しも要りません。欲しがっている人を選んでやりなさい。

 そう告げるつもりで――神父へ向けての抜刀を、実行する。
 …常人では知覚不可能なレベルの、スピードで。



 …聖獣界ソーンユニコーン地方、聖都エルザード中心通りになるアルマ通り。
 クリスマス故に賑やかだったその通りは、ほんの数瞬の出来事で――血塗られた惨劇の舞台に様変わりしていた。赤色はクリスマスには欠かせない色、だからと言ってこの赤の量は――多過ぎる。
 累々たる屍がそこにある。先程までその道を歩いていた人々。折り重なってそこにある。むっとする血の臭い。怪我人が呻き声を上げている。悲鳴が聞こえる。
 そして幾つかの怒号と共につい今し方、能力故か偶然か生き延びた者の内数名が尼僧に反撃を試みていたのだが――今度は機関銃が火を噴くまでも無く、その機関銃と言う鉄の塊で、尼僧の体形から考えるなら有り得ないような距離を殴り飛ばされていた者が居た。聞きたくないような重苦しい音を立て地表に激突している。反撃を試みたのは剣のみならず、魔法的な能力を用い反撃を試みる冒険者と思しき者もいる――だが、何事か唱え魔法発動が実行される前に、今度は大鎌を持った黒衣の男――神父が何処からとも無く現れ、呪文詠唱の余裕を与えず即その冒険者の命を刈り取っていた。武器を持つ腕が、頭が乗るその首が重く鋭い三日月型の刃であっさりと切断されている。一拍置いてまた、血塗られる。

 …どうやら、ただの相手では無いらしい。

 それら様子を見ていたケヴィンの手の中にも、いつの間にやら背負っていた筈の剣が鞘から抜かれ構えられている。…立っている位置が少しズレていたら、そこに居た通りすがりの人が居なかったら自分が殺されていた。これ程の人出の中で何を考えているのか迷惑千万な。
 どんな理由があろうとこんな輩には容赦の必要はなし。殆ど考える事も無くケヴィンはさくりとそう判断。ひたすらやる気がなさそうに見える男だが――どうやら内面の方はそうでも無いらしい。いつの間にか抜いていた剣を頼み、攻撃を仕掛けている冒険者連中の動きを考えつつ何とか尼僧と神父のどちらかにまずは一太刀浴びせてやろうと思ったのだが――それより前に。

 すぐ側でゆらめくとんでもない気配の方に、どうしても気が行っていた。
 その主は――少女。呪符を引き剥がしていた、千獣。
 否、その中の――獣。
 ケヴィンにはそこまではわからないが、突然狂ったように己が身体を掻き毟っていた姿は――心配と言う意味だけで無くとも、どうしても――放っておけず。無視出来ず。
 …この彼女と言う存在を頭に叩き込んでおかないと、きっと大変な事になる。
 何か得体の知れない危険信号が頭に鳴り響いているが、それで何が起きるかほんの数瞬後の事すら予測が付けられない。
 いったい、何か。

 …思ったところで。

 唐突に。
 急激な、風が吹いた。
 少女の居た場所から。
 ざ、と。
 何処から湧いたのかと思うような、剛毛に包まれた巨獣の――腕。
 並の獣では有り得ないだろう異様な長さのそれが無造作に凄まじい勢いで突き出され――いつの間に達していたのか尼僧の顔をその大きな鋭い爪を持つ掌で包むように掴み。
 そのまま。
 勢いを、殺さず。
 獲物が反応する事を、許さず。

 いつの間にか少女の身体も、殆ど映画のコマ落としのような勢いで、巨獣の腕に付いて行っている――その獣の片腕は、少女の――千獣の肩から生えていて。彼女の足もまた、膝の辺りから獣の如きバネのある踵の無い形の足になり――その足で地面を踏み込み尼僧に躍りかかっている。

 その時の千獣の貌には、先程まだ何も起きていない時に見た、すれ違うその時に見た――頼りなげな少女の面影は、無い。獲物を見付けた飢えた獣の如く、紅い目が爛々と輝き、期待と歓喜に満ちていた。

 ケヴィンはそんな千獣に目をやってから――もうひとり、ずっと視界の隅に置いておいた神父の方を追う事に決める。尼僧の方は放っておいていい――と言うかそちらで自分がやる必要は無さそうだ。むしろ下手に手を出したら巻き添え食って自分がヤバい事になるとしか思えない。
 今の千獣の一撃――今の一瞬でまたも周囲の空気ががらりと変わっている。

 ――…尼僧の頭を掴み、その勢いのまま彼女を一番近くにあった店の壁に叩き付けた、獣は。
 その言葉を聞く者も求めず、ただ、千獣の中で覚えた言葉で連ねた自分の思いを――繰り返し、発している。

「…オレ、喰ウ。ゼンブ。敵――喰イ殺ス」



(――――――ソシテここからガ、『彼ら二人』が目指す血塗られた聖餐式の…本当ノ始まりだったのデショウ)



 …現実世界、2006年日本国東京都、都会の雑踏。
 綾和泉汐耶は携帯に掛かって来た電話を受けていた。…設定どころかダウンロードすらした記憶が無い讃美歌の着信音を必然的に切断したところで、何だか得体の知れない寒気がしたのは気のせいか否か。
 取り直して電話の内容に耳を傾ける。相手は真咲誠名。何事かと思えば――綾和泉の姐さんの仕事場に近い方で大鎌持った神父と機関銃持った尼僧による無差別殺人が起きてる可能性あるんだが大丈夫か、と来た。

 …ああ、それで。

 案外冷静に納得してしまう。先程の非日常の音の正体、それと変な着信音の意味――これの理屈はわからないが何となく。自分の中の嫌な予感。今この時点では大丈夫ですけど後の事を考えるとあんまり大丈夫じゃなさそうな気配がひしひしと感じられます。そう返してから、何処からそんな事態を客観的に把握した話が出て来たのかも訊いてみる――総帥様がさっき俺と電話してる最中、偶然ネットのニュースで見付けて来て――特に最新の現場が知り合いが馴染みのある方面だったから心配になって手分けして電話掛けてみたとこ、と誠名から帰って来る。
 ところで知り合いが馴染みのある方面――て事はシュラインさんとか零ちゃんも時間的にこっちに居る可能性あるかもしれませんねとすぐ汐耶。そうそう、草間さんちの女性陣が買物行く方面もだいたいそっちだろ、と誠名。だから今総帥様の方は取り敢えずエマさんの方に掛けてみてるんだが。こう言っちゃ何だが、零さんよりエマさんの方がこの手の事態にゃ色々と危険度高いだろうから――そっち先にしてる筈。まぁひょっとしたら一緒に居るかもしれないしな。…そうですね。何なら私もちょっと探してみましょうか。…無理すんなよ? 勿論無理する気はないですが。こちらに居るかどうかも今の時点でははっきりしない訳ですし。ただ、もしもの際には私の方がこういった事態には対処し易い能力持ってますから。
 そう電話口の誠名に告げた時点で――汐耶は既に目でシュラインを探している。
 と。
 視界の隅に、見覚えのある人物が歩いている。
 それは偶然か必然か――汐耶は携帯を見ているシュラインの姿を、見付けていた。
 人一人当ても無く見付けるなんて難し過ぎる筈の、こんな都会の雑踏の中で。



 シュライン・エマはセレスティから掛かって来た電話を切っている。
 そして、電話口で言った通り――セレスティから知らされた危ない方々に遭遇しないで逃げ切る為に集中しようと――前を見た。

 と。

 何か短冊状の薄い紙が先行してひらりと飛んで来た。ある程度までは結構鋭い軌跡を描いていたかと思うと、力尽きて風に乗り、儚く揺れて落ちようとしている。
 かと思うと次の瞬間、視界に何か黒いモノがばっと入り込んできた。音がした。人の音。知り合いの放つ音ではないとすぐに判別。だからと言って何も安心材料にはならない。…いや、むしろ?
 シュラインの前方、短冊状の紙――符術に使う符らしき紙に続き、横の道から着地して来た影の正体は翻る黒の長衣――神父服を纏う男。彼は何故か細長い棒を――死神の如き大鎌を持っており、来た方向――横の道を振り返る。その過程で――神父はちらとシュラインの事も確かに見た。が、それより先に元来た道の何者かへと勢い良く大鎌を振り下ろしている。躊躇いの一切無い動き。がん、と看板か壁か何かに刃がぶつかる重低音。一拍置いて、再び大鎌の刃が持ち上がる。…あの刃の下に居たらどうなる? 想像したら背筋が凍る。
 …振り下ろした大鎌を引き、身体を起こした神父の視線が――こちらを向く。
 こんな状況で見るには狂気染みて感じる程、透き通った慈愛に満ちた優しそうな目で。
 静かに、微笑んで見せてくる。

 えーっと。
 …なんだコレ。
 こう、ヤバイ感じがひしひしと。

 思ったところでシュラインは反射的にくるりと踵を返していた。…論理的に考える余裕は無く、殆ど直感的な領域でセレスティから伝えられた危ない人と言うのはコイツだと確信。途端、間近でバチリと音がする――先行して飛んで来ていた符から、神父がシュラインへと振るっていた刃を遮る形に強力な結界のようなものが出来ていた。…いつの間に振り上げられたのか――いやいつの間にそこまで近付いていたのかさえわからなかった程の速さで神父がすぐ背後に居る。シュラインに斬撃を繰り出していた大鎌の刃が、その時点で止められている。
 大丈夫ですか! 異口同音に声が飛んでくる。それぞれ別の場所――シュラインが元来た道の先からは綾和泉汐耶、神父が飛び出して来た方向の横道からは弓削森羅の声が。続いて両方の姿が追い付いて来る。
 うわこの符で作れる結界ってこーゆーんだったっけ、とガチで止められている神父の大鎌の様子を見、目を丸くする森羅。そこに、この符はキミの? と汐耶の声が掛けられる。ちょうど良いところに結界用の符があったから封印の媒体に使わせてもらったわ、とあっさり続けられ、ああそれでかと森羅も一応納得。…何事か詳しいところはわからないにしろ、今この符がいい方向で役に立ったのならそれでいい。…汐耶さん、弓削君、とシュラインも何処か茫然としたまま名を呼んでいる。
 彼女は今まさに絶体絶命のところを、二人に助けられた訳で。

 だが。
 それで神父の腕の動きが、完全に止まっていない。
 よくよく見れば、大鎌の刃も――じりじりと少しずつ動いているような気が…?

「…汐耶さん、封印、したのよね…?」
「プラス俺の結界符の効果も一応ある筈なんですが。…そう言えば今年のクリスマスって仏滅だったっスよね」
「…このタイミングでそういう縁起が悪いとされる事わざわざ思い出さなくても」

 この寒いのに冷汗混じりになりつつ、三人それぞれ、顔を見合わせる。
 …それから一拍置いて、後。

 バチリ。
 ざくり。

 大鎌が。
 刃の軌跡を止めている符を――そこにこめられていた力ごと、断ち切っていた。

 封じた筈の神父の大鎌が再度動き出したと見たところで――とにかく逃げろとばかりに三人共に逃げる事を考える。が、それと殆ど同時に、地を震わすような轟音。周囲が昼間以上の烈光に包まれる――どう考えても自然現象では有り得ないような雷がすぐ近くでガンガン落ちまくっている。

 …何事。



 …深紅のゴシックドレスがくるくる回る。軽やかにステップ&ターン。動きに合わせ、凝った模様の黒いレースが――ごてごてと付いた装飾の陰影が光に映える。
 そこだけ見るなら、可愛らしいリトル・レディ――ウラ・フレンツヒェンのダンスが繰り広げられているだけなのだが…。彼女を照らすスポットライトが――その強い『光』は何処から来ているのかが問題で。

 …全部、雷撃。

 彼女のターンもステップも、雷を喚ぶ為の魔術的所作に過ぎない。
 先程森羅を見送った後、ウラはクヒヒヒヒ、ッヒャヒ、カ、ヒと普段にも増し息苦しそうな狂的な笑い声を上げつつ、即座に尼僧の足許に雷撃を落としていた。尼僧は視力が利かないながらもその気配を察したか、息を呑み飛び退っている――が、飛び退ったそこの足許、ちょうど当たらない際どい位置を狙い、また雷撃。
 ウラは一頻り笑った後、唐突に真顔に戻る。挑むような爛々と輝く瞳が尼僧に向けられる――尼僧の視力が少し戻ったかと見るが最早関係無し。おまえにあたしを扱い切れるワケ無いだろッと乱暴に吐き捨て、ついでとばかりに再び雷撃一発。けれど直接尼僧のその身には落とさない――そんなにあっさり致命傷など与えてやるか。
 神の御許へ。…あたしにそう言うって事は死にたいってコトねとウラの中では強制変換。先程までは――自分をお姫様の如く助けようとした森羅が居り、そいつに良い意味で調子を狂わされていた為まだ自制が効いていたのだが――その森羅が居なくなれば彼女を抑えるものはもう何も無い。踊れ踊れさぁ踊りな、と煽りつつ、ウラは己で喚んだ雷撃を――弄ぶよう尼僧の足許直接当たらぬ場所へと何度も落とす。何度も、何度も。
「…っ」
「さァ信じる心で死の恐怖は無いンだろ、ひざまずけ! 恍惚と悦楽の深遠を見せてやるよ!!!」
「く…」
 ウラの連撃に翻弄され、言葉通りよろめき踊る尼僧の姿。足が縺れて、地面に手を付く事もしばしば。無骨な機関銃が杖代わりになる事まである。雷撃をぎりぎりで避けているその表情に余裕が無くなってきたのを見、ウラの口端がにっこりと吊り上がる。
 やがて、跪けとの言葉通りに尼僧の膝が崩れて動きが止まる。そこにすかさず――今度は直撃するよう、ウラは雷撃を尼僧が膝を落としたそこへと叩き込んだ。
 一際強い轟音と烈光が場に満ちる。
 ウラは満足そうに高笑い。
「――…おぉ、葡萄酒をそこなうことなかれッ!」
 ヒハハハハハハハハハハハッ

 と。
 今の雷が直撃したのだろう布が肉が焼ける臭い、焦げる臭いが確かにし始めた――そこで。

 パラララララララララララララ

 何か硬い小さな物が降って来るような軽く小刻みな連続音が――辺りに唐突に、響き渡った。



 多分ウラだ、と言う森羅の呟きで、光の――雷の原因は何なのか――誰なのか、シュラインも汐耶もすぐに察した。…先程偶然遭遇した森羅以外の皆もウラと言う彼女と一応の面識はある。エキセントリックなリトル・レディ。結構酷い事をさくっと言ってくれたり自分勝手だったり興奮すると乱暴だったりするが、何処か憎めない小悪魔的なその少女。彼女が今機関銃持ってる尼僧と共に残っていると聞き反射的に心配するが――同時に周囲の昼間以上の明るさ振りもある為、取り敢えず大丈夫だろうとは三人ともすぐ思う。
 神父も予期せぬ烈光にやや不思議そうな貌をしていたが、そこから立ち直るのは案外早い。自由になった大鎌の柄を確かめるよう握り直し、再び先程同様の不気味なくらい優しい表情に戻ったかと思うと、そのままで三人を見詰め――行動の方では身体を沈めつつ思い切り大鎌を振り被る。
 と。

 パラララララララララララララ

 軽いけれど異様に気になる音が、森羅が来た方向――現在はウラと尼僧が居るだろう方向から、連続した。
 その冗談のように軽い音の正体は――機関銃の連射音。



 その瞬間。
 何が起きたのかウラにはわからなかった。軽い音がした。それはわかった――けれどそれが何か重要な音だとは思えず反応が遅れた。気が付いた時には足に熱湯が飛び散ったような熱さと衝撃が連続し、次の瞬間には――何だか覚えのある気がする上質な黒の布地で織られたスーツを纏う男の腕の中に何故か居た。
 その顔立ちにも、鼻の上に乗っている丸眼鏡にもピアスだらけの耳にも覚えがある。
 但しこの相手――心持ち、覚えのある相手より年上っぽい印象があり。更には他諸々の要素から――自分の良く知る相手と同じ人物でもあるのだろうが…同時に別人でもあると言う事は、すぐわかった。
「…失礼、お嬢サマ」
「…。あら御機嫌よう。ってちょっと。…痛い痛い痛いわよなにこれおまえのせい!?」
「いえ。そのおみ足の御怪我に関しましてハ、先程の尼僧がお持ちの機関銃で…撃たれてしまっていタようですヨ?」
 出来る限り早くこちらに庇ったつもりだったのデスが、無傷とは行きませんでしたネ。
「…ってあのアマあれでまだ生きてやがったのか!? …じゃあおまえもさっきのボケなすと同じであたしを助けてくれたって事になるのね?」
「…ボケなすと呼ばれるのハ頂ケませンが、それ以外についテは概ね当たりでスよ。あちラの女性がお持ちの封印能力を以っテ、機関銃の無差別銃撃を止めて下さったので助けに入る事が出来ましタ」
 言って、黒衣の男――ウラの知らないデリク・オーロフは、咄嗟に飛び込んでいた物影から、ウラに見えるよう汐耶の姿を視線で示す。その前には煤だらけでぷすぷすとところどころから煙まで噴いている尼僧が――ゆらりと立っている。もうそこから銃弾を発射できないのに――機関銃は、持ったまま。
 相変わらずの貼り付いたような慈愛の湛えられた笑みを浮かべ、尼僧は汐耶と対峙している。
 その姿を見て、ウラ、思わずぽつり。
「…ひょっとしてあれ、何か薬キメてるのかしら?」
 だったら律儀に付き合ってるあたしたちの方が莫迦みたいじゃない。
「うーン、私はそういう俗っぽイ理由じゃないと思うンですけどネェ…」
 苦笑しつつ、デリクは片手を――その掌に定着している魔法陣をウラの足の傷に向ける。その時喚び出されていたのは小さな魔。但しその魔がぺろぺろとウラの傷を舐め出すと、深手であった筈の銃撃されたその傷はあっさり消えていく。
 ウラはきょとんと目を瞬かせた。
「あら、ありがとう」
「ドウ致しマシテ」
 にっこりと。
 ウラに向けデリクが微笑を返したそこで、汐耶と尼僧――対峙する二人の間から、がん、と重苦しい音が鳴り響く。



 …機関銃と大鎌ではどちらの方がマシか。
 シュラインに森羅に汐耶。三人の間に生まれた究極の選択肢――しかも選択してられる時間制限も究極的に短い。目の前で振り被られている神父の大鎌も当然大問題だが、今のタイミングで機関銃の音を聞いてしまっては――それから先程までのような雷の光が無くなってしまえば、ウラの事も本気で心配になる。
 まずはシュラインが買物袋をぎゅっと抱き締め、大鎌の神父から逃げる事を選択。とは言えただ逃亡と言うより、神父を自分に引き付ける事を選んだような逃げ方。遭遇してすぐ踵を返した方向、即ち元来た道に向かい走り出す――走る最中、シュラインは買物袋の中にそっと手を入れ中身を探っている――使えそうなものが、ある。
 次の選択は森羅と汐耶がほぼ同時。森羅は元々ウラに神父の相手を任されたと言う事情がある。それに加え――持ち合わせた結界符が機関銃に効くかわからないと言う事情もある。…実戦で実験なんてゴメンである。更に言うなら目の前でシュラインが決断したところで――シュラインが逃げる事を逸早く察したか、神父がそちらを狙っている事を直感したからかもしれない。後は勝手に身体が動いていた。森羅は低い位置に身体を沈め――大鎌を振り上げた神父の懐に入り込み、そのまま肘打ちで喉を狙っている。
 汐耶は殆ど森羅と反対に動いていた。理由も殆どそのまま逆。森羅がウラと遇っていた事からして、今の森羅の動き方からして――事前に二手に分かれて対処していたのだろう事の察しは付く。となればその時点で自分は向こうに行くべきかと思う。そもそも今神父に封印が破られた事からして――封印するにも、より慣れたやり方に近い方がまだ効力に自信が持てる。…例えば人がその手で直接振るう大鎌より、中に絡繰のある機関銃の方が、威力を無効にする為に何をどう封じるべきか考え易い――以前した事のある拳銃の機能封印の応用で、有効に能力が展開し易いと言えそうだから。
 神父が森羅の攻撃に意識が向いたそのタイミング、汐耶は神父の背後へとすり抜ける。そしてそのまま、森羅と神父が走って来た方――ウラと尼僧が居るだろう方へと走り出した。

 殆ど咄嗟の判断でウラと尼僧が居るだろうこちらに来た汐耶が――その場の様子を伺うと。
 尼僧の死体が転がったままコンクリの路上で煙に包まれがたがたと跳ねていた――否、よくよく見たら倒れたそのままで尼僧が機関銃を撃ちっぱなしにしているところだった。目的不明の乱射、その反動でがたがた変な動きで身体が跳ねているように見える。カート排出・マズルフラッシュで煙を吐いているように見える。死体と見えたのは雷が直撃したようにところどころ黒焦げになっていたから。けれど指は確りトリガーに掛かって、銃本体もその手で確りコントロールしているのが遠目でわかる。
 ウラの姿を見付ける。少し離れた位置で眉を顰めて首を傾げている。他にも人影がある事に気付いた。汐耶よりウラに近い方になる物影。…確かウラの保護者と言うか先生と言うかそんな立場になる男――そう思ったのだが、何処か違和感も感じる姿で。…何と言うか少し、年嵩に見えるのだろうか? ともあれ、だったら彼女の事は何とかするだろう、大丈夫だろうと少し落ち着いた。
 それでも取り敢えず汐耶は来た手前、尼僧の機関銃の封印を試みる。銃本体の形、今見えた指先、機構、トリガーの動き方とカートの排出されるタイミング、位置。以前見た本の中から同じ物を探す――この形の機関銃の機構の連動の仕方を記憶の中から引っ張り出す。そしてその動きを固める形に――封印能力を展開した。
 途端。
 ウラの近くに居た人影――デリクから、礼を言うように真っ直ぐ微笑みが向けられた。汐耶は今来たところだと言うのにデリクは当然のようにその存在に気付いている。それからデリクはおもむろに物影から飛び出すと、横っ飛びに引っ手繰るようウラを連れ抱き留め、再び物影へと転がり込んでいる。
 汐耶はウラの立っていた場所に血痕がある事に気付く。あの乱射で撃たれたのか――思うがあまり量が多くない事や保護者さんらしき人が居る事からしてその件はそちらに任せ、まずは尼僧の状態を確認するのを先にする。あの状態で銃を撃っているのなら、銃を封じたとしても注意してし過ぎと言う事はない。動かないからと言って死んでいるとも限らない――思い、用心しながら近付く。
 尼僧がかきんかきんと何度かトリガーを試す音が響く。が、すぐに無駄だと思ったのか止めると――今度はその機関銃を杖代わりにし、あっさりと身体を起こし――その場にゆらりと立ち上がった。
 表情は、そんな状態にありながらも相変わらず先程の神父と同じ。
 ただ、その表情のまま。
 今度は尼僧は機関銃を軽々と振り上げると――汐耶を見、汐耶へと向けていきなり振り下ろした。がん。重苦しい音がする。機関銃と言う重い鉄の塊が何の躊躇いも容赦も無く力任せに叩き付けられ壁にぶつかった音。汐耶はぎりぎり紙一重で避けている。機関銃が振り下ろされた先は壁。みし、とその壁が陥没し、罅が入る――あろう事か機関銃が壁に減り込んでいる。
 さすがに肝が冷えた。ちょっと待て。これはアリなのか。思わずそんな言葉が脳裏に浮かぶが口に出して意味があるとも思えない。…尼僧の手で壁から軽々機関銃が引き抜かれる。壁からみしりと嫌な音がした。鉄筋コンクリートと思しきその壁が、陥没し罅が入った部分からぼろりと崩れる。それを気にする間もなく再び機関銃が勢いを付け振り上げられている。…さぁ、恐れる事はありません。恍惚とした狂気の声を掛け声に、そのまま先程の打撃を紙一重で避けた汐耶に近付き、再び機関銃を叩き付けようとする。
 …ひょっとするとこの尼僧、機関銃を持っているから危ないと言うより彼女自身が持つ怪力の方が実は余程危ないのでは無いか。そんな気さえして来た。いや今の汐耶にはそれ程冷静に考えている間がない。身に付けた体捌きに頼り何とか避けてはいるが、それでも一応それなりに鍛えていたから辛うじて避けられた、それだけの事になる。
 尼僧のデタラメな怪力と体力に対抗出来る程、汐耶は化物ではない。幾らそれなりの体術を身に付けていようと、それ程長くは――続かない。
 それは暫くは、持ち堪えた。
 が。
 ほんの僅か避けるのが遅れた、そこ。
 鉄の塊が汐耶のこめかみに、掠るように強打する。

 瞬間、視界と意識が暗転した。



 シュラインは走り出すとなるべく障害物の多い場所を選び、隙間を縫うように移動を始めた。大鎌を振り回すのにはその方が不利だし、そうなれば武器らしい武器の無い――小回りの利く弓削君の方が有利に立ち回れるかも知れない、と言う頭もある。…ついでにちょっとした仕込みもしてみた。装飾用に用意したワイヤーの先に輪を作り、足許高さ辺り――看板の台の取っ掛かりに引っ掛けそのまま切らずに伸ばして持つ。障害物――足許に立つ看板やらゴミ箱やらの上部角、大鎌が振り回されたならくっ付きそうな場所に瞬間接着剤を塗ってみる。…勢いつけて大鎌がぶつかれば、運が良ければ取り辛くなるかも。そんなちょっとした希望を持ってみる。
 取り敢えず今の究極的に短期で決定しなければならない選択肢を選んだ結果、森羅がシュライン同様こちらに来、汐耶がウラの様子を見に行ったのは――先程ちらと振り返った時に承知。森羅が繰り出していた肘打ちも狙い通り神父の喉に減り込んでいたように見えたのだが――その衝撃で一旦神父の動きが止まったものの、神父は一拍置いてすぐ顔を上げている。様子を見るよう自分の喉を何度か撫でている。
 森羅の目には――いや誰が見ても今ので喉は潰れていると思うのだが。なのに神父は何度か喉を撫でると、それっきり気にせずあっさり立ち直って目の前の森羅に目をやっていた。別に怒りの色はない。神父の顔に浮かべられているのは相変わらずのただ、優しげな微笑。

 げ。
 …効いてないのかよ。

「弓削君こっち!」
 シュラインの鋭い声が森羅を我に帰らせる。弾かれるように森羅は地面を蹴る。その声を追い走り出す。その途中でも大通りに出られる方向の道に結界符をいちいちぺたり。転げるように何とかシュラインの姿に追い付いたところで急停止――神父もすぐに二人の姿を認め、追い掛けて来る。思ったところで――森羅の後方、足許にシュラインが球状オーナメントをぽいぽい投げ転がしていた。それからシュラインは立ち上がりまた何かをしたと思うと――ざ、と森羅の横、中空を真っ直ぐ火が迅った。アルコールと金属が燃える匂いがぷんと鼻に届く。殆ど同時にシュラインの手が森羅に伸びて来る。ぐいと手を引かれ、また移動――今度は神父はすぐに付いてこない。
 今の火はシュラインが仕込んだ極細ワイヤーに迅らせたもの。先程から地面に落としつつ伸ばして持っていたそれを、ある程度障害物を縫いつつ進んで後、また輪を作成。森羅が仕込みに巻き込まれない位置にまで追い付いて来た事を確認してから、球状オーナメントを足許に邪魔になるよう投げ転がし――持っていたワイヤーを引きぴんと張るよう近くの頃合の場所に引っ掛ける。そこに惜しげもなくお酒をぶち撒いて――点火。
 …その結果、今シュラインと森羅の背後で繰り広げられている惨状がある。障害物がところどころ倒れたり燃えている。張り詰められたワイヤーが熱を持つ。ころころ転がる球状オーナメントが足を運ぶのに邪魔になる。だからすぐ付いて来れない。
 まぁそうは言っても、時間稼ぎに過ぎないのだが。

「…次どうしよっか」
「そーですね…。…何だか符も拳も効いてるのかどうか微妙っすし。刀でもあればまだ違うんだけど…いつも持ち歩いてないからなぁ」
「そうねぇ…やっぱり刀は無いみたい」
「…ってシュライン姐さん、クリスマス準備と思しき買物袋に刀が入ってるとはどうしても思えないんすけど。状況的にも大きさ的にも」
「…。…そうね。ごめんやっぱり私もちょっと気が動転してるのかも」
「んにゃこの状況で少しも動転しない奴の方が怖いですけどね。例えばあの神父とか」
「それもそうだけど。刀はともかく他に何か使えそうな物は…あった」
 と、シュラインが取り出したのはガスコンロ用ボンベ。
「おお」
「あと彼らの姿からして、讃美歌とかパイプオルガンの音色に反応して動き鈍ったりしないかな…って」
「…ってそれは…余計やる気満々になっちゃったりする可能性は」
「…う。…無理かなぁ」

 と。
 移動しながらもそこまで話していたところで。
 シュラインの耳に再び近付いて来ている音が聞こえた。神父の足音――そろそろ覚えてしまった。いや、音を覚えなくともこの嫌な予感はすぐに来る。聴覚が特に優れている訳でない森羅も、シュラインとほぼ同時に気付いていた。
 最早理屈を考えている暇も無いが、時間稼ぎももう意味が無いと感じるくらい既に神父が近くに居る事には気付いている。ち、と舌打ちつつ森羅はシュラインを庇う形に先に神父の前に出た。三日月型の刃が薙がれる――もう神父のその大鎌の切っ先が届く位置関係に居る。森羅は態勢を低くして避ける。が、懐に飛び込めても徒手空拳の打撃では到底効く気がしない――そうなると。
 先程シュラインが持っていたガスコンロ用ボンベの件が森羅の頭に過ぎる。再び神父からの攻撃が来る。森羅はちらりとシュラインを見る。それでわかってくれるか――今度はその攻撃を横っ飛びに派手に避け、そのまま前転、自ら地面に転がろうとする。
 ――…神父の攻撃が来る真正面、森羅の意図を察したシュラインの手で、ガスコンロ用ボンベが投擲され飛んで来ていた。シュラインはすぐに耳を押さえ後ろを向いてしゃがみ込んでいる。神父の攻撃が来る真正面、ちょうど、当たる。重く鋭い三日月状の刃が缶に対して垂直に。かち合う。勢い良く叩き付けられる――途端。
 ボン、と神父の正面で小さな爆発が起きた。時差無く続いて起きる爆風。
 すぐに止む。
 爆心が近過ぎ、吹っ飛ばされ倒れている神父。
 やったか。思いつつもさっきの打撃ほぼ無効の件がある為――森羅は警戒したままで様子を見る。僅かな間。神父は大鎌を取り落としている。柄から手を離している。大鎌は神父から少し離れた位置に落ちている。森羅が転がった位置に近い方。少し伸ばせば足がちょうど届く。蹴れる。ならば神父の手にすぐ戻らないよう、大鎌の柄の石突を器用に蹴り飛ばしておく――ひとまず蹴り飛ばそうとする、が。
 その直前。

 いつの間に移動していたのか――神父の腕が大鎌を蹴ろうと勢いの付いた森羅の足首を、万力のようなとんでもない力で掴み、止めていた。
 …引き剥がせない。
 森羅の右足首を掴んだまま、神父は取り落とした大鎌の柄を――もう片方の腕で掴み軽々と取り上げ、そのまま見せ付けるよう上へと振り上げる。
 そして森羅を見、また――状況無視の慈愛に満ちた微笑みを。

 …ヤバい。ヤバいヤバいヤバいって。
 て言うか足――下半身取られたら動きようが…っ。

 絶体絶命。
 瞬間的にその四文字を覚悟し目を閉じた、そこで。

 森羅もシュラインも全然予期していなかった方向から、神父のものではない鋭い斬撃が飛んで来た。



 視認できたのは森羅を狙い振り上げられた大鎌の切っ先の角度がズレた時。込められた力の方向が変わっている――咄嗟に後方からの斬撃を抑える形に、神父は大鎌を振るう力を込め直している。森羅の足首を掴む力が緩んだ。すかさず森羅は足を引っこ抜き、逃げて間合いを取っている。…今のは、誰が?
 神父の背後、大鎌の柄とかち合っていたのは西洋剣――使い込まれた傷だらけの片手剣。その柄を握っていたのは二十歳そこらの青年。但し、軽装は軽装でも何処か…その辺を歩いていると考えるには違和感がある。そこはかと無く時代がかって見える姿、とでも言えば良いのか。髪の色はくすんだ青、と自然では有り得ないような色の筈なのだが――彼の場合は恐らくその色で地毛なのだろう自然な色にも見え。顔立ちを見ても何人なのだか人種の系統すらいまいち掴めない、無表情な男。
 その男――ケヴィン・フォレストは片手剣を大鎌の柄とかち合わせたまま、膠着したそこでもう一本背から剣を引き抜いた――否、二本目のそれは剣ではなくその剣が納まっていたと思しき、鞘。それを当然のように振るい、鞘を装着していたストラップからの引き抜き様に神父の肩口へと叩き込む。直撃。めきりと骨でもイッたような音がする。膝を突いた状態――立ち上がりきっていなかった神父の身体が、そのまま傾ぐ。無造作に見えるが強烈な一撃。
 突然現れそれを為したケヴィンは、すぐさま一足飛びに後退して神父から再び間合いを取っていた。…殆ど直感の領域。何もなければ今の場合、相手を本気で倒すにはここから容赦なく斬撃を叩き込むべきで――試合でもなければそれが定石。だが、今はマズいと思った。
 直後、思った通り――神父の向こう側、目の前に唐突に赤と黒で彩られた影が現れた。いったい何処からいつの間に。わからなくとも見える通りの事を信じるしかなく。深く沈む和装のような深紅のスーツにばらりと舞う長い黒髪――その先端だけが何故か白くなっている男。日本刀――その形の高周波ブレード――の柄を握る手の肌色は黒く、ぎりぎり視認できる程度の速さで神父へと斬撃を打ち放っていた。
 が、それを神父の方も受けている――と言うより、神父の方も路面に膝を突いたその態勢のままでその男――トキノ・アイビスに向けて当然のようにその大鎌の刃を、その凄まじい膂力を込めた力尽くで叩き付けており。…ちょっと待て。今し方のケヴィンの打撃で確実に神父の肩はイッている筈。例え大鎌を持つ主軸の側の肩は無傷と言えど、さっきの今でいきなりそんな力が込められるか?
 その瞬間を見ていた者は皆そう思うが、戦闘特化のオールサイバーであるトキノの持つ刀の刃と神父の大鎌の刃が――まるで互角の形で、がちりと切り結んでいるのも間違いは無く。ぎりぎりとそのまま対峙、鎬を削る。
 が――それから殆ど時を置かず、こんなところで時間を食っている場合ではない、とばかりにトキノの方から刃を弾き後方へと飛び退った。それから事態をより早く片付ける為の別の方法を考える――つもりだったが、飛び退った時点でトキノは訝しげに目を細めた。

 …何処だ? ここは。

 それは今のトキノ同様、一時後退していたケヴィンの頭の中に浮かんでいた疑問と全く同じで。
 ケヴィンの場合、今、手足が獣化した少女?が尼僧を瞬殺したのを見――他の冒険者たちの攻撃を遮らないように気を付けつつ大鎌の神父の方をやろうと出ただけ、の筈であり、トキノの場合、電波な答えと共に問答無用で襲い掛かって来た神父の大鎌でのその攻撃を――大切な頼まれ事であるクリスマスの買い出しを無事済ませる事を最優先に、仕方無いながらもとっとと片付けるべく受けたところ、の筈だったのだが。
 ケヴィンもトキノも、神父に斬撃を仕掛けた――そこから一旦退き周囲を確認する余裕を作ったその瞬間から決定的な疑問を感じる。景色が違う。空気が違う。…こんな場所は見た事がない。少なくとも、たった今まで居た筈の場所ではない。
 ただ何故か、切っ先を向けている相手だけはどうやら同じままなのだが。

 と。
 一旦他に気を取られていた、そこで。
 たった今攻撃を弾かれた相手――トキノを狙い、再び神父が襲い来る。他に気を取られた――そうは言っても回避能力重視のカスタムになっている己のサイバーボディ。トキノにしてみれば隙と言う意味では本来大した問題は無い。だが、そのトキノを庇う形に――今度は森羅が出て打ち掛かっていた。
 ただ、素手では無い。

 ――…彼はトキノの持つ日本刀型高周波ブレードを、いつの間にやら一本借りていた。



(――――――どうやら、少し風向きが変わって参りましたネ。

 聖なる賓人タチの一方的な状況では無くなってきたようでス。
 ええ。それハまだまだ止まりそうも無いですガ、それでも…コノ先、が見えてきたようナ気ハしませンか?

『儀式』はまだまだ滞り無ク続行されるのでス――――――)



 汐耶の意識が――暗転。
 …した、後。

 尼僧がもう一度汐耶に向け機関銃を振り上げ――振り下ろす前に、苛ついたように指を鳴らす小さな音がデリクの腕の中から響く。直後、尼僧の足許に再び雷が落ちた。飛び退く尼僧。躊躇無くデリクの腕の中から飛び出したウラが、何あたしの居ないところで勝手に生き返って好き勝手やってンだこの雌豚、と口汚く罵り、先程のように再び雷撃を重ねだす。はあはあと息が荒くなってきている――ウラが雷撃を喚ぶには精神集中も必要になる。そろそろ、撃ち過ぎ――なのかも知れない。
 それでもデリクは物影から出て来ようとはしない。腕の中から飛び出したウラを追う事もせず、壁に背を預けたまま――黙して変わらず様子を窺っている。
 ――…異界の魂をその身に持ツ少女。
 ソレでも限界ハこの辺りになるものなのでショウカ。本人に確かめたなら酷く悔しがりそうな気がしますケド…。カラダがまだ幼いからト言うのモあるかもしれませんネ? まだ体力が足りなイ、器トシテ未熟、その可能性…。
 …ん。少々場の気配が変わりましたネ。さァ、次は何を私に見せてくれるノでしょウ。
 あの女性は。

 デリクがそう思ったのと同じ頃、壁際に寄り掛かるよう崩れ落ちていた汐耶の目がぱちりと開く。それまで一分と経っていない――ただ意識が戻ったと言うには少々唐突な感がある目の開き方。痛そうに顔を歪めると、先程機関銃本体が鈍器として掠められた自分のこめかみ辺りをそっと撫でてみている。…痛いと言うより感覚が無い。眼鏡のフレームが曲がっているのに気付く。レンズの位置が変だ。見難い。邪魔だ。…それにこれじゃ『汐耶』が後で痛がる。思いながら剥ぎ取り、フレームの曲がった銀縁眼鏡を躊躇い無く放り出す。
 ウラが雷撃で尼僧を攻撃しているのを見る。撃たれたかと思っていたら元気に飛び跳ねている。怪我はない。が、息が荒く少し疲労の色も見える。まあどうでも良いのだけれど――…結果的に『汐耶』を守った事は評価しても良いか。…あの子の性格を考えると、まぁ偶然なんだろうけど。
 …それより、あの尼僧にはとっとと『お礼』しないとね。
 あっさりそう決めるなり、汐耶――?――はウラと対峙している尼僧を見た。周囲の様子を確認する――ウラも彼女の視界には入るが、意識には入らない。ほぼ無視。元々、在るものと思わない。
 そして、無造作に尼僧の居る空間自体に封印能力を展開、発動した。それだけの空間にあるべき分子原子電子量子。化学式で見える組成。人体一個分に必要なそれら。機関銃の――鉄の鉛の金属の火薬のそれら。それだけの空間にある空気自体のそれら。
 その活動を、存在を。全部、封じる。
 …『汐耶』を気絶させるなんて――殴るなんて、許さない。

 ――…殴られ気絶しタ――ソレだけで終わってしまう方では無いと…まだ裏がありそうな方とお見受けしたノデ、先程私は手を出さなかったのデスが。
 彼女はどうやら、本来ノ人格と、もう一つ別の人格を持っているようデス。
 そのもう一つの人格の力は、どうヤラ、予想以上ナノかもしれませン。イエ、もう一つの人格の力、と言うより――こちらの人格の場合、理性的な抑止力が消えてイル、と言う事なのかも知れませんネ? 持つ力自体は変わらない、けれど普段の人格ではここまでは使わなイ…。何か、反動があるのカモしれませン。ソレとも良心の問題でショウか。…私にとっては、縁遠い言葉なのデスがネ。

 対象も強弱も範囲も選ばヌ封印能力。
 どういった原理で働く力であるノか非常に興味がありまス。
 …こんな機会でもなけれバ、見る事が出来そうに無いのは残念でスけどネ。



 森羅が絶体絶命だったところ、唐突にそこに現れ偶然?にも助ける形になっていたケヴィンとトキノ。
 少し離れた場所に居るシュラインにも、彼らが何処から現れたのはよくわからなかった。寸前までガスコンロ用ボンベの爆発から身を避ける為目を閉じ耳を塞ぎしゃがんでいたから余計にだったかもしれない。つまりは彼ら二人が現れる寸前まで耳を塞ぎ極力音を聴かないようにしていた訳で、彼らの音がいつからそこにあったのか、シュラインは確認していなかった。ただ、神父の味方では無さそうなのは、勿怪の幸いで。
 …この二人、そこはかとなくある違和感からして何となく…異世界の人間である気がするのだけれど。

 思っているそこで、また着信音が鳴り響く。聞き覚えのある着信音。とは言え断じて自分で設定したものでは無い。ダウンロードもしていない。けれどその着信音――讃美歌が鳴っているのはシュライン自身の携帯で。
 即座に取る。
 相手はセレスティ。真っ先に今日のこの事態――大鎌を持つ神父の事を教えてくれた相手。無事ですかと出て早々問われる。ええ一応。シュラインは端的にそれだけ答える。その答えを聞き、セレスティは今近くまで来ていますと言って来るが――途端、話を断ち切るようにがしゃがっと凄い音がした。
 それっきり、通話が切れる。
 ――…今の音は、何だ。
 通話相手のセレスティが話していたのは恐らく話す言葉の反響からして少し広めな自動車内――恐らくは彼の所有する車の中。そこに、そんな場所では有り得ないとんでもない風圧の音。異音。そして、突然通話が切られる――普通に切った訳では無く、携帯自体が壊れたのではと思えるような音が、通話が切れる直前に?

「――…セレスさん、返事して下さいセレスさんっ、セレスさん!?」

 予想は付くが信じたくない。
 だからシュラインは一所懸命携帯に呼びかけ続ける。切れているのはわかっても、諦めたくは無く。
 けれどどうしても――答えはない。



 …その時何が起きていたのか。セレスティが居たのはシュラインの察した通り彼自身が所有する自家用の車の中。自家用と言ってもリンスター財閥総帥なセレスティの自家用車――ロールスロイスのロングボディシルバーセラフともなれば車内は相当広いもの。部屋が走っていると思って間違いない。外観も名前通り美しい色彩を放つ超高級車。そんな車に乗って、セレスティは街頭の地域に入る直前に当たる大通りの隅に停車しシュラインに再度電話を掛けていた。中が見えないようスモークが貼ってあるガラスの内側から、外の様子をじっと窺いつつ。

 一方、まだそこから見えないくらい離れた位置。
 車道の、真ん中に。
 ちょこりと一人の赤い少女が――否、少女と言うにはその手足にそれぞれ違った獣の手足を取って付けたように異様なのだが――いつからか座り込んでいた。とろんと溶けたような瞳で、ぺろりと獣の腕の――爪を舐めている。その爪は赤い。爪自体が赤いのではなく――血に塗れて、赤い。
 身体も、同じ。
 赤い色は――血。
 ぺろりぺろりと、毛繕いでもするように。
 手足を、爪を舐めている。
 ここは――車道の真ん中である。
 なのにこの時期この時間、車が通らない。
 通れない。
 鉄屑、だらけで。
 その鉄屑は、破壊された車の残骸。
 まるで巨大な獣の爪で柔らかいケーキか何かのように引き裂かれた形に見える、車の残骸。
 見渡せば爆発炎上したものまで、ある。
 夥しい量の血が流れ出ているものまで、ある。

 少し後。
 獣の四肢を持つ赤い少女はぺたりぺたりと赤い足跡を付けつつ歩いていた。
 空を見上げる。
 暗い暗い。
 夜の空に。
 白い光――雷が狭い範囲で連続して落ちているのが見えた。

 キレイダナァ。
 キレイナモノ、モット見ル。
 アッチ。
 光ル。
 行ク。
 血ノ匂イ、タクサンタクサン、スル。
 モット喰イタイ、モット。
 オレモ。
 我モ。
 欲シイ。
 テキ、何処行ッタ。
 速ク、奴、喰ウ。
 鉄ノ塊、邪魔。

 赤い少女が向かう先。白銀に輝く車が視界に入る――赤い少女はその車に目を止める。今の光と同じ綺麗な色。キレイダナァとじっと見て。それでもそれは鉄の塊。敵、探ス、ソノ為――邪魔ナ物。
 …キレイ、デモ、イラナイ、生キル為。
 赤い少女の腕から生えた巨獣の腕が、その白銀の車を横薙ぎに引き裂く。天井が飛び、あっさりと原型を無くす。
 残骸の隙間。
 シートから、路面に赤い流れがつぅと滴り落ちていた。
 それも気にせず、赤い少女はぽつりと呟く。

 …敵、何処行ッタ?



 すぐ、だった。
 赤い塊が圧縮され潰されるような姿を最後に残し、尼僧はその場からあっさり消滅していた。

 …その、過程。
 問答無用で周囲の空間ごと尼僧の存在自体を完全に封印した気絶後バージョンの汐耶。巻き込まれる者も気にしないその仕業。事実巻き添えを食いそうになったウラは、何するのよ殺す気かそれにあのアマ横取りしやがって、とそんな汐耶に全力で抗議する。抗議。そうは言っても抗議しているのがウラ・フレンツヒェンと言うその少女。次第に怒りが高まり興奮し、汐耶を口汚く罵るようになっている。汐耶は――普段の汐耶と知識や記憶は共有している為ウラと言うこの少女がどういう人物かも知っており、ある程度までは聞き流していたが――何か言ったらどうなんだ! と腕が掴まれた時に、やっぱり方針を変える事にした。

 口角泡を飛ばしつつ、ぐいとウラが汐耶の腕を掴む。
 ウラに掴まれたその部分から、異様な感触が汐耶を襲った。
 ふと見ればウラに掴まれたそこが、びきりと音を立て金属と化している。その範囲が、徐々に広がる。半分無意識のようなその仕業。爛々と怒りに燃えるウラの目が汐耶を見上げている。
 反対に、汐耶は冷たい目でウラを見下ろしている。…彼女の場合『封印』を施すのに手順は要らない。普段の汐耶で無いのなら、それは尚更――禁忌の思いは何処にも無く。
 いつでも。今の尼僧のように?



 少し、驚いた。
 森羅がトキノのブレードを構えていた事。それはトキノは――気付かなかった訳ではない。抜いていなかった方の日本刀型ブレードを森羅がスリのような手並みで勝手に鞘から引き抜きに掛かり――実はその時点で少々むっとはしたのだが、同時に手刀で拝まれつつ済まなそうな貌で目礼された為、何となくそのまま見送ってしまった。
 …その結果が、森羅がトキノを庇う形で神父の前に出ると言う行動に繋がっている。代わりにやってくれると言うのか。そうなればあまりやる気が無かった――気に入らない相手に本気で立ち向かいたくない――トキノとしては有り難い。刀を勝手に使われた事は少々引っ掛かるが…こう出る為だったのならば、渋々ながらまぁよしとする。今の間で、普通に真っ当に刀を借りる為の断りを入れている余裕はどう考えても無かっただろうから。
 トキノは神父を挟んだ向こう側にいるケヴィンの姿も確認。それら立ち位置や持つ武器を考え合わせ――援護に徹する事にする。
 森羅が前に出たところで神父の意識は森羅の方に移っている。かち合うブレードの刃と大鎌の刃――今までの経過からして真っ向から力尽くでは敵わないと見たか、森羅は相手の力を逃がすように上手くいなし、すぐさま攻撃に転じる。今とは別方向から神父へとブレードの刃を打ちつける。
 が、手応えは無い。神父はその斬撃を避けている。隙。ケヴィンの側から見ればそう見えるものが、神父に出来た。けれど――ケヴィンは動かなかった。
 動けなかった。

 何処か異様な気配が近付いている。
 気が付けば、血の匂いが辺りに立ち込めている。

 …シュラインが壁に背中を貼り付けるようにして固まっている。トキノの視線もそちらに行っている。ケヴィンは神父の事を考えるより先に本能的にこちらの方を避けていた。…こんなところで再会か。思いながら異様な気配の――そして血の匂いの源だろう赤い半獣の少女――千獣を見る。
 四肢にそれぞれ違った獣の手足を生やしたその赤い少女は、ぺたりぺたりとゆっくり歩いて来ている。
 その後方に、血を引き摺る足跡を残し。
 自分を避け、固まる相手には今はまだ興味が向かない。
 獣が見ているのは、ただ――神父。

 …取リ逃ガシタ敵、見付ケタ。

 呟いた、刹那。
 それぞれ違った獣の四肢を持つ赤い少女は、異様な体捌きと速さを以って神父の肩に躍りかかる。その爪でぐっと身体を押さえる。爪が食い込む程に。肉を握り潰す程に。そして人間の少女そのままの可愛らしい顔立ちに似合わぬ唐突に大きな牙を生やしたその顎で――勢いを付け直接頭部に喰らいつき、そのまま力をこめた。



 …神父が文字通り生きながら喰い殺された、直後。
 神父に攻撃を透かされた森羅はそのまま動けなくなる。自分の攻撃を避けた神父が半獣の少女にいきなり喰われた。目の前で起きた事、ヤバいと思いつつも身体が思うように動かない。赤い少女の紅い目が森羅を見る――合わせたくないのに赤い少女と目が合ってしまう。途端、森羅の腹に凄まじい衝撃が来た――貫き手の形を取った巨獣の腕にただ真っ直ぐ突き飛ばされていた。
 森羅が突き飛ばされたその先は鉄筋コンクリートの壁、そして強かそこに打ち付けられた身体からは――力が抜けぐったりと巨獣の腕に全体重を任せているような形になる。さすがにマズいと思いすぐさまケヴィンとトキノが出、ケヴィンはその巨獣の腕を切断、トキノはその身の軽さを活かして壁に突き飛ばされていた森羅の身体を救い出す――が、シュラインとケヴィンの視線での期待に、トキノは緩く頭を振るのみで。
 赤い少女が吼える。腕が切られた痛みと怒りか。赤い目を爛々と輝かせ、腕を切ったケヴィンへと狙いを定め瞬時に肉迫する。振り上げられた鋭い爪具えた腕。その爪でケヴィンの胸部がざくりと深く切り裂かれた。受けている間も避ける間も無い――まるで獣の如き速さで。いや、獣そのものなのか。
 ケヴィンの足許が覚束無くなる。よろける。そのままで足の力が抜けてしまう。もう動けないか――どうする。諦めるか。足どころか他の場所にも力が入らない。項垂れる視界に獣の足が見える。途端――ババババババ、と何かやわらかいものに細かくて硬いものが連続してぶつかる音がして――視界に入る獣の足が、不自然にがくがくと傾いだ、ようだった。

 …惨劇後の大通り、白銀色の超高級車の残骸の中。
 ぎりと握られた繊細な白い――けれど男性のものである指先がある。身体的なショックでどうしようもなく震えながらも、そこにはまだ意志が見える。空には厚い雲。水蒸気の塊。体内を流れるものと考えなくとも、水は今日はそこかしこにある。
 車ごと中に乗っている私たちをも破壊した半獣の赤い少女。その時点で皮肉な事に彼女の狂乱の理由が読み取れた――彼女の腕が私の半身を抉り切って行ったから――直に触れたから。あの狂信者二人に煽られて、壊された理性。…その可能性も考えておいて然るべきでしたか、私とした事がと唇に浮かぶのは自嘲の笑み。
 ならばせめて守ろうと思った人くらい守り抜かなければ。その為に中空を漂う水を水霊使いの能力を以って数多の小石のように変化させる――尼僧の持っていたあの機関銃から発される銃弾のように加速度を付けてこれを打ち出しましょう。その清らかな牙を以ってキミの事を止めましょう。
 元の優しく純粋なキミの姿に戻れますように。

 人魚の身とてさすがに冷え過ぎては少々辛い。
 セレスティは静かに黒い空を見上げる。まだ何も、落ちては来ないか。

 今日は冷え込んでいるから、雪になる可能性が高いと見える。
 ホワイトクリスマスは、この――血の狂宴を宥めてくれますか。



(――――――供物は数多、捧げられましタ。

 ソロソロ目醒める頃合でショウ――――――)



 遠隔操作でセレスティの作り出した水の銃撃の連射によって。
 がくがくと不自然に身体を傾がせていたのは――半獣の赤い少女。
 その身に棲まう数多の獣の意志に支配された、千獣の身体。

 ア。
 ガ、ア…?

 己に突如生まれた灼熱の痛みの正体がわからない。
 水。
 銃の弾みたいに、撃ち出された。
 獣にはそう、理解が出来ない。

 赤い少女の動きが一時、鈍る。
 それはとてもとても僅かな時間。
 けれどそれだけで、充分で。

 滑るように悠然と歩いてくる華やかな黒衣の男の姿。
 ブーツの音が、かつりと響く。

 腰を抜かしてへたり込んでいるシュラインや、森羅の亡骸をゆっくりと下ろして寝かせているトキノを余所に。
 男――デリクは半獣の赤い少女の前で立ち止まり、場違いなまでににっこりと微笑んだ。
 敵意も何も、無い姿。
 それでいて――微塵も隙の無い姿。

 無造作にデリクの手が伸ばされる。
 彼の掌、そこに浮かぶ魔法陣が――赤い獣が見た最後の記憶。



★幕 〜夢の終わり。

 千獣がはっと気付いたのは――見覚えのある深い深い森の中。
 普段眠り込んでいる事が多い、高い高い木の枝の上。くるりと丸くなり、落ちない。本人に自覚は無いが、他から見れば何故これで眠れるかと思える程器用な寝方と言える寝方。普段眠っている姿。…そう、普段通りの千獣の姿。
 …今居るのは、別に、見た事もない硬い灰色の地面の上じゃない。
 …今居るのは、別に、エルザードのアルマ通りでもない。
 自分の身体も、血塗れじゃない。
 呪符もちゃんと付いてる。
 殺してないよね。
 誰も。
 思わず自分の身体を抱き締める。
 縋るように腕を押さえる。
 …ここから私の『獣』が起きてた。
『獣』が私になってた。
 殺してた。
 色んな人を。
 今のは――夢、だよね。

 私は、私だよね。

 思わずぶるりと、震える。
 それは、寒いから――では無く?

 否。

 視界に、はらりと白いものが落ちてくる。
 冷たい白が、降って来る。
 雪。

 しんしんと。
 己に――己の中の獣に怯える千獣を宥めるように、降って来る、やわらかい白の雪。

 雪。
 降る。
 寒いから。

 寒いから――震えてた。
 怖いからじゃない。
 赤くない。
 白い。
 冷たい。
 雪。
 ここに居るのは私だ。
『獣』じゃない。
 私の中の『獣』は起きない。

 ――…だから、大丈夫。
 今は、安らいでいて、いい。



「…」

 トキノ・アイビスは目的の店の前、目的の品――クリスマスツリーの飾り等――がごっそり詰まった紙袋を両手に店の入口を出る形で立っていた。

 …。
 …何故?
 …ブレードを抜いたのも少年にブレードを貸したのも目の前で数人、死んだのも。
 白昼夢だったとでも言う訳か。
 それとも私の身体機能の方で何らかのバグが起きていたとでも言うのか?
 いや、脳味噌までは機械化していなかった筈だが。無論、脳が生身だからと言ってその手の幻覚を見そうな薬もやった記憶は無い。ならば何なんだ。自問自答してもわからない。そもそもあの場所は何だったんだ。都会風ではあったがマナウスとも様子が違った。いやそれ以前に、あの神父は何者だったのか。少女と複数の獣が混じったような『あれ』は何だったのか。
 腰に差しているブレードを確かめる。二本ある。先程の少年に貸したままではない。今現在きちんと鞘に納刀されているブレードの様子を見ると――何だか本日は抜いたような気がしない。服の袖を見る。少しも切れていない。他の場所にも血も埃も付いている様子は無い。それは確かに、喜ばしい事なのだが…。

 何故?
 本気で疑問に思う。

 だが、今更悩んでいても仕方が無い。
 何も煩わされる事が無くなったのなら、それで良しとするべきで。
 用事もいつの間にやら済んでいる――何故か自分で気付かぬ間に済ませていたらしい事だし。

 帰ろう。

 …今はもう誰にも邪魔されず、子供たちの待っている研究所に帰れるのだから。



 …ケヴィン・フォレストは黒山羊亭のカウンターに突っ伏していた。
 そして気が付くなり素朴な疑問。
 自分は何故ここに居るのだろうか。

 …自分は確かアルマ通りを歩いていた気がするのだが。そしてアルマ通りですれ違った少女の腕がいきなり化け物みたいになったかと思うと、唐突に性格まで狂暴化した感じで。びくびくしながらも尼僧を瞬殺したその子の邪魔にならないように大鎌持った神父の方を何とかしようとしたら――唐突に見覚えの無い変な場所に出て? そこでも何だか成り行きで見知らぬ連中と共闘する羽目になっていたような。…て言うかあの場所は何処。…ひょっとしてソーンじゃなく異世界だったのか?
 なのに何故今自分が居るのはベルファ通りの黒山羊亭。
 いやそれ以前に自分は瀕死の大怪我をしてはいなかったか?
 変な場所に出て暫く戦った後、いきなり何処からか現れた――半獣のさっきの子に殺され掛けて。
 思い、茫洋と自分の身を確かめる。
 何処も痛くない――酒のせいって事もあるか? いや元々、特に怪我してはいなさそうな。
 変な匂いもしないし。
 ここでするのは主に酒と食い物の匂いばかり。
 ふと億劫げに頭を起こす。
 カウンターの隅に小さな可愛らしいクリスマスツリーが置かれている。ちかちか控え目に瞬いているイルミネーションには感心。よくこんなにこまめに瞬けるものだ。どうでもいい感想が頭に浮かぶ。
 あら起きた? とエスメラルダが声を掛けてくる。
 水を入れたグラスまで何も言わない内に出してくれた。そして「出してくれた」とそんな気になる以上、自分は既に酒は入っており、更にひと眠りはしているところの筈。
 …間違いない。紛う事無き来慣れた黒山羊亭だ。

 となると余計に何が何だかよくわからん。

「…」
「どうかしたの? ケヴィン?」
「………………悪酔い、したかな」
「?」
「…」

 全部、夢か?
 そう纏めておくべきか?

 面倒臭いから誰か決めてくれ。



 …安心出来る呼ぶ声が聞こえる。
 ゆさゆさと揺すられる。
 どうした、と再度呼び掛けられる。

 武彦さんの声。

 そこでぱちりと目を開け覚醒した瞬間。
 シュライン・エマは、むきゃーと飛び起きた。

 …その声は草間興信所中に響き渡る。
 目の前にはびっくりしたような武彦の顔。だがそれも意に介さずシュラインは目の前に居た武彦にしがみ付き、きゃーきゃーきゃーと動転したまま即訴え。…たった今見ていた夢の件。クリスマス準備の買物帰り、突然現れた人外レベルの殺人鬼な神父と尼僧の二人組。彼らの襲撃のみならず化物染みた半獣の少女が出てきたり、いつもここに来る皆の内何人かも殺されてたりと滅茶苦茶で。その上やけにリアルな感触のある夢で、自分もいつ死ぬかと思い不安で不安で堪らなく。
 そこまで聞くと、確かにちょっと転寝してるだけにしてはやけに魘されてるとは思ったがと武彦は溜息。宥めるよう、よしよしとシュラインの背中を撫でている。
 が。
 そこで。
 …ぞろぞろとその部屋――草間興信所の奥の部屋に、来訪していた人々が顔を出して来た。
 そして中の様子を見て、それぞれ一言。

「…おやおや、草間さんそれはまずいでしょう」
 ――くすりと悪戯っぽく笑っている、セレスティ・カーニンガム。
「…はー、ついに草間さんが狼になったんスかー」
 ――使用前のクラッカーをくるくる回して遊んでいる、弓削森羅。
「あらいやだ今日はこんなに人が居るのに草間もスミに置けないわね☆」
 ――サンタクロースなとんがり帽子を被り、口許押さえてクヒクヒ笑っている、ウラ・フレンツヒェン。
「シュラインさんを起こして来るだけ、じゃなかったんですか?」
 ――くい、とわざとらしく銀縁眼鏡を指で上げて見せつつ、綾和泉汐耶。

 …。

 武彦さんには悪いが誤解はさて置き。

 …そこに居たのは、シュラインさんの夢の中に登場していた方々で。
 ついでに言えば各自の服装も夢の中とまるっきり同じ――サンタクロースなとんがり帽子を除いてだが。
 皆の顔を声を音を確認して、シュラインは思わず凍り付く。

 ――…本当に、夢、だったのよね?



 誰からも見えないその場所で。
 指を絡め、す、と寄り添う殆ど原型を留めていない赤い男女の人影二つ。
 コレで全てが終わりましたね、と優しい優しい慈愛に満ちた微笑みが浮かぶ。
 二人はお互い、顔を間近に寄せて睦言のように囁き合う。

「今宵わたくしたちは聖餐式を開きました」
「盛大で凄惨な聖餐式を」
「無事、滞り無く済ますことが出来ました」
「数多なる子羊たちを救うことが出来ました。隣人も異教徒も。別け隔てなく主の憐れみは向けられる」
「わたくしたちはその嚆矢を放つことが出来ました」
「厭う事無くその血を肉を、分け与えよと」

 ざ、と男の末期の力で――それにしては凄まじい威力と殺意を伴って振り上げられる血脂に塗れた凶刃。
 同様、女の細腕でぐいと突き付けられた傷だらけの無骨な機関銃の銃口。この期に及んでもまだぴくりともブレる気配の無い、それ。
 お互いのその凶器と凪の如く静か過ぎる殺意の先にあるのは。
 …お互い、でしかなく。

 赤い人影二つの唇が、同じ調子で同時に開く。

「「――…神の御子の生誕を、我らの彼らの流れたこの血で、祝いましょう」」

 直後。

 大鎌が赤い女の首に振り下ろされる。
 機関銃が赤い男の胸に連続で火を噴いている。

 これでもう、彼らの手に大鎌も機関銃も――必要は、無い。



『黒い根』の蔓延る街の中で。
 皮肉めいた笑みが、華やかな青年――デリク・オーロフの唇に浮かぶ。

 さァ、本当に夢だったのでしょうかネ、と。

 呟く彼の掌の中。
 ごく自然に、緩くたわめられたそこにある――定着している魔法陣が、ぼう、と満足そうに光っている。


 ――…何度も何度も塗り込めたとてもとても濃い血の匂いが、僅かな間、漂った気が、した。
 デリクの掌のその、光から。



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
★   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ★
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 ★出身ゲーム世界
 整理番号/PC名
 性別/年齢/職業orクラス

 ★東京怪談 Second Revolution
 1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)
 女/23歳/都立図書館司書

 ★東京怪談 The Another Edge
 0029/デリク・オーロフ
 男/35歳/魔術師

 ★東京怪談 Second Revolution
 3427/ウラ・フレンツヒェン
 女/14歳/魔術師見習にして助手

 ★東京怪談 Second Revolution
 6608/弓削・森羅(ゆげ・しんら)
 男/16歳/高校生

 ★PSYCHO MASTERS ANOTHER REPORT
 0289/トキノ・アイビス
 男/99歳/オールサイバー

 ★東京怪談 Second Revolution
 0086/シュライン・エマ
 女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

 ★聖獣界ソーン
 3087/千獣(せんじゅ)
 女/17歳(実年齢999歳)/獣使い

 ★東京怪談 Second Revolution
 1883/セレスティ・カーニンガム
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

 ★聖獣界ソーン
 3425/ケヴィン・フォレスト
 男/23歳(実年齢21歳)/賞金稼ぎ

※記載は各ゲーム毎、発注順になっております。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

※この物語は各ゲーム内現実から見ても更にフィクションなので&御希望がありましたので夢オチ?(やや微妙ですが)になってます。
「東京怪談 Second Revolution(&「東京怪談 The Another Edge」)」
「PSYCHO MASTERS ANOTHER REPORT」
「聖獣界ソーン」
 …等々の各ゲーム内に於ける実在の人名、団体、出来事等、各ゲーム内現実とは一切関係ありません。

 今回は聖夜の悪夢にお付き合い頂き有難う御座いました。
クリスマス・聖なる夜の物語2006 -
深海残月 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年12月25日

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