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『Wandering Wonder Night 〜Feather Waltz〜 』
藤野 羽月1989


 ──もしも、たった一晩でも願いが叶うなら。
“あなた”は、何を願いますか?


「人がいっぱいいるよ、ソーレ、ルーナ」
 二頭のトナカイが引くそりの上から、星を散りばめた絨毯のような地上を見下ろしている少年がいた。
 今宵は聖なる夜。彼の『先輩』達が空を駆け巡り、世界中の子ども達に夢を届ける日。
 ──今日は、『彼ら』が、人と言葉を交わすことが許される、年に一度の特別な日。
 この日だけは何をしても──例えば少しくらい羽目を外してしまっても許される、彼らにとっては、そんな日。
 地上に生きる人々にとっては、さて、どのような日となるだろうか。
「ソーレ、ルーナ。──行こう」
 りん、と、小さな鈴の音が鳴り響く。トナカイ達はその声に応えるように、空を蹴って駆け出した。

 それは聖なる夜に紡がれた、ささやかな奇跡の物語。





 賑やかな空気が街中に溢れていた。華やかなオーナメントが飾られたツリーが、道行く人々の視線を一身に浴びて輝いている。今日ばかりは客引きの声もさほどなく、代わりに吟遊詩人の優しげな歌声が辺りを満たしていた。
 ホワイトクリスマスというのも神秘的なものだが、やはり晴れているに越したことはないと思う。
 時刻は、夕方と夜の境界線。夕焼けの色を覆うように宵闇の幕が下りてきている。
 夜空に瞬く一番星。すぐに無数の星達が散らばって、それだけで幻想的な夜を演出してくれるに違いない。
 聖夜の使者達も、そろそろ出立の準備を終えた頃だろうか。

「羽月さん、他に何か食べたい物はありますか?」
「リラさんが作ってくれるものなら、何でも。プレゼントは何がいいかな」
「……プレゼントは……羽月さん。羽月さんは?」
「聞かずとも。リラさんだな」
 つまりは共に過ごす時間の全てがプレゼントのようなものだと、そういうことだ。聞かずとも予想できた答えがあまりにもぴったりだったので、それがくすぐったくて羽月もリラも笑ってしまう。
 そんな他愛ない言葉を交わしながら、通りを行く。抱える荷物は多くはなくて、羽月が一人で持っても片手を空けられるほどの量。だから空いた片手はリラのそれと繋がれていて──吐く息は白くとも、互いを思う気持ちはあたたかい。
「その幸せを僕にも少し、分けてくれないかな」
 喧騒の間をすり抜けるように唐突に掛けられた声に、二人は立ち止まった。
 振り返ると、銀髪の少年がとても楽しそうに二人を見上げている。
「──というのは半分冗談。ねえ、お二人さん。この美しき聖なる夜に、一つ願いを叶えさせてくれない?」
「お願い、ですか?」
「そう。二人の願いを一つずつ、僕に叶えさせて欲しい。二人で一つなんて、せこい真似はしないよ。遠慮しないで?」
 羽月とリラは互いに顔を見合わせて、ほぼ同時に、少年へと視線を戻した。
「ところで、あなたは?」
「うん、僕? 僕はユークリッド。一言で言うと、サンタクロースの見習い。本物だよ?」
「未来のサンタさん?」
「そういうこと。ここは人が多いから空で待ってるけど、トナカイもちゃんといるよ。僕がやれるって判断できる願いなら、何でもいいよ。あ、でも、俗物的なものは駄目。夢のある願い事を希望」
 サンタクロースと聞いて想像できるような赤い服なども着ていない、どう見ても普通の少年にしか見えないが、言っていることはどうやら嘘ではないらしい。
 ならば、と、二人はしばし思案に耽る。

 浮かぶのは、愛しい人のための願い。
 最愛の人と、共に喜ぶことのできる何かを──

 リラは己の手のひらを見つめ、ぎゅっと握りしめてから、祈るように組み合わせた。
 そして、胸の上で重ねる。
「私のお願い……一日だけ、この身体を、完全な人間のものにしてもらうことは、できますか……?」
「……リラさん」
「おねえさん……?」
 確かめるように呼ばれる声に、リラはしっかりと頷いてみせる。
「羽月さんはそんなこと、気にせずにいてくれるし……私も、普段は考えないけど……叶うなら暖かい手で触れたり、それから……涙を流したりしてみたいんです。あ、悲しい涙じゃなくて……嬉しい涙を」
 そんなリラの言葉を聴きながら、羽月もまた、口を開いた。
 声を震わせて己の願いを口にした彼女のために願えること──真っ先に浮かんだそれに、迷いはなかった。
「では、私は……リラさんと私の、子を」
「ちょっと、お兄さんまで……!」
 それとなくさらりと告げられて、ユークリッドは羽月のその声を一瞬、魔法の書を紐解く鍵か何かと勘違いしてしまった。
 だって予想もしていなかった。決してありえないものでもなかったのに。
 それは途方もなく純粋な願い。続く言葉にその理由を知る。
「──昔、とある国から来た子どもを預かったことがある。親を待つ子と遊んだことも。だが『ふたり』の子どもは残念ながら、と言うところなので……別世界、別次元にいる二人の子でもいい」
 まだ見ぬ我が子に逢えるのならば。親としての愛情を、少しでも子ども達に伝えられるのならば。
「……ここは夢の国。夢だけが集う国をソーンと呼ぶのであれば、この手に抱きしめて僅かでも可愛がれると良いのだが」
 それが叶うのならば、叶えて欲しいと。叶えたくとも、容易に叶えられる願いではないからこそ。
「……っ、もう、二人して! そんなすごい願い事、僕が叶えてしまっていいわけ?」
 ユークリッドはばつが悪そうな顔をして、後ろ手に組んだ手を握ったり開いたりする。
 二人の願いは叶えるとか叶えられないとかそれ以前の問題で──その形にできない大きさに、トン、と足の裏で地面を叩いた。
「聞くまでもないだろうけど、後悔は、しない?」
 たった一夜限りの幻。終われば消えてしまう、文字通りの『夢』──
 永遠に手に入るものではない。それは永遠を約束するものでもない。現実だととらえるには、あまりにも儚い。
 それでも──
「叶えられるものなら何でも、叶えてくれるのだろう? 悔いたりなどしない。例え夢でも、後に残るものはある。形なくとも、確かな思いは残る。そう、思っているのだが」
 揃って頷く二人の笑顔に、ユークリッドももはや頷くしかなかった。

 だからせめて蕾がいつか綻ぶように。
 幸せの気持ちが花咲くように、煌く星に祈りを乗せる。





 物語の始まりは夜の訪れと共に。そんな言葉を土産として持たされて、二人はユークリッドと別れた。
 まだ日は沈んでいない。物語の始まりは告げられていない。辿る帰り道、気が逸るのも無理はない。
「家族でクリスマスパーティーをすることも、できるのかな。だとしたら……張り切って準備をしなくちゃ。プレゼントも……」
 リラの弾んだ声が不意に途切れた。羽月はその続きを探るようにリラの横顔を見やり、視線の先を辿る。
 窓の向こうにある光。家を出る前に、確かに消してきたはずの。
 あたたかな気配。互いに顔を見合わせて、頷く。自然と足が急いでしまうのは、止められそうになかった。

 ──そして、夜の訪れと共に物語は始まる。

「パパ、ママ、おかえりなさい!」
「おかえりなさい、お父さん、お母さんっ」
 扉を開けた途端に、ぱたぱたと駆けてきた二人の子どもが、羽月とリラに勢いよく抱きついた。
「わ……っ」
 そのやわらかな衝撃に、思わず声を上げたのはリラだ。
 羽月にそっくりな少年と、リラにそっくりな少女。まるで二人の幼少期を思い起こさせるような風貌でありながら、しかし、よく見ると瞳の色が入れ替わっている。黒髪にライラックの瞳の少年と、ライラックの髪にアイスブルーの瞳の少女──そんな二人だった。
「……お父さん?」
「……ママ?」
 突然の出来事にすぐに思考が追いついてこなくて首を傾げるけれど、それよりも早く身体が理解する。抱きしめる腕に力がこもる。
「そうだよ、パパ、ママ!」
「そうなの! お父さん、お母さん」
 二人の子どもは何もかもわかっているという風に頷いて、そして、強く抱きしめてくる両親の腕に心地良さそうに身を委ねていた。
「リラさん」
 妻の様子の変化にいち早く気づいて、その名を呼ぶ。リラの瞳がこちらを向いて──その瞳から『涙』がこぼれるのを確かに見た。
 とくん、と、聞こえたのは鼓動。いつも聴いているはずなのに、殊更強く感じられたそれは、命を運ぶ音。
 くず折れるようにしゃがみ込んだリラを見て、羽月も、子ども達も、その場にしゃがみ込む。
 少年がリラの右の頬にキスをして、少女が左の頬にキスをした。そして、羽月がリラと二人の子どもを、包み込むように抱きしめる。
 ──あたたかい。とても。
 それだけでも涙が泉のように溢れてきてしまって、リラは、涙と一緒に溢れてくる喜びを精一杯の笑顔に託した。


 二人の予定が四人になったところで、大変であるはずもない。喜びが、楽しみが、増えるだけだった。
 リラが台所に立ち、羽月はテーブルの準備を進める。
 昼に焼いたケーキのデコレーションをするのは、娘だ。彼女の身体には少し大きなリラのエプロンを身につけて、手や頬にたくさんの生クリームをつけながら、それでもとても楽しそうにケーキの飾り付けに勤しんでいる。
 家中に満ちる常よりも賑やかな空気に、猫達もさすがに気づいているようだった。通りすがる小さな、大きな手に喉を擽られてごろごろと鳴らしながらも、ソファの上から事の成り行きをじっと見ている。
 テーブルの上には控えめに微笑む花達が飾られ、その周りをキャンドルが囲む。まだ火は灯されない。
 用意された食器は四人分。大雑把にちぎられたレタスと真っ赤なミニトマトが皿の隅に並び、椅子に座った少年が、ボウルの中身──ポテトサラダと思しきものをぐるぐるとかき混ぜている。つまみ食いは見ないふりをする。
 子ども達の様子を見やりつつ、時折視線を重ねては、微笑む羽月とリラ。
 嬉し涙はまだ胸の内に。流れることを忘れ閉じ込められていた涙、それを押し出そうとこみ上げてくる思いさえ、ただただ、愛しい。

 予定よりやや遅れての夕食は、思いがけずささやかなクリスマスパーティーとなった。

「メリークリスマス」
「メリークリスマス!」
 弾む声とグラスが交わる音が重なる。ローストチキンにほうれん草とトマトのパスタ、ポテトサラダにひよこ豆のスープ、ドリンクは緑茶だったり紅茶だったり、ノンアルコールのシャンパンだったりするけれど──食卓にはとても豪華なクリスマスのディナーが並んだ。キャンドルに火が灯されて、子ども達の歓声が上がる。
「そうだ、何か、欲しいものはある?」
 肝心なことを聞き忘れていた。嬉しい気持ちを貰うだけ貰って、子ども達へのプレゼントを何にするのか、まだ決めていない。
 子ども達はもぐもぐと口を動かして噛み締めていた『お母さんの味』を、こくんと飲み込んでまばたきをした。
 それはまるではじめから、それしかないと決めていたかのように、それぞれの面影を残す照れくさそうな笑顔と共に。
「……わたしたちの」
「ぼくたちの」
 顔を見合わせて、声をそろえて。
「──名前」
 二人にしか用意できない、それも、世界に一つしかないプレゼントだった。
 扉に鍵が差し込まれ、回るように、不意に、羽月とリラの脳裏にそれぞれ一つずつ、“名前”が浮かんだ。
 今までまったく考えもしなかったと言っても過言ではない単語。なのに、やはりはじめからそうと決められていたかのように、その名前はすっと浮かび上がった。
 知っている。覚えている。そんな表現がふさわしいのかわからないけれど、それは与えたくても与えられなかったものだ。
「そう、今、お父さんとお母さんの心の中に、ぱっと浮かんだ名前。それが、わたしたちの名前……教えて?」

 二人は、そっと呼びかけた。
 愛しい我が子の名を。
 子ども達は与えられた名前を抱きしめるように、はにかむように、笑った。





 子ども達を間に挟んで、手を繋いで眠る。とても幻とは思えない、ぬくもりがそこにある。
 リラが紡いだ子守唄を、二人の子どもは知っていた。
 聴いたことがあると笑った。誰から?と聞いてみると、『お母さん』なんて答えるものだから、また胸がいっぱいになる。
 小さな、けれど確かに息づくぬくもりが愛しくて、とても気持ち良さそうにすやすやと眠る寝顔が可愛らしくて、羽月もリラも眠ってしまうのが惜しいと思っていた。微睡みはおろか、まばたきの一つでさえ惜しいと思えるほどの、言葉にできない喜びがあった。
 この夜が明けたら、二人は本来あるべき場所へと帰っていくのだろう。
 呼吸をするに似たほんの僅かな時間で、抱えきれない、数えきれないほどの思い出を残して。
「どんな夢を、見てるのかな」
「どうかな。優しくて、穏やかな夢だといい」
 少なくとも悪い夢ではなさそうだというのは、子ども達の寝顔から判断するしかないけれど。
「羽月さん」
「どうした? リラさん」
 羽月の手が伸びて、リラの目からこぼれる涙を掬う。
「私達、ちゃんと……お父さんとお母さん、できたかな」
「……ああ」
 その答えはわからない。
 けれど、穏やかに眠る二人の子を見つめる優しさに満ちた眼差しは、紛れもなく『お父さん』と『お母さん』のものだった。

 ──翌朝、羽月とリラが目を覚ますと、枕元に“プレゼント”が置かれていた。

 眠っている間に見た夢は覚えていない。
 悪夢でないと信じたのは、目覚めたときの気持ちがとても優しいものだったからだ。

 一夜の幻、儚き夢の宴。
 宴の後に残る思い出。形ある、確かな物。
 差出人の名前はなかったけれど、サンタクロースからのプレゼントだと、一目でわかった。
 それは大きなカンバスの上で、穏やかに微笑む“家族”の肖像。
 大好き、ありがとう──満面の笑みを浮かべる子ども達の声が、聴こえて来るようだった。

 例えば舞い降りた雪が溶けて消えて空に還ってもなお、その美しさを人々の心に刻み込むように。
 鮮やかな夢は決して色褪せることなく、いつまでも、いつまでも、輝き続ける。



Fin.


★☆★ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ☆★

整理番号:1989
藤野 羽月 * 男性 * 17歳(実年齢17歳) * 傀儡師

整理番号:1879
リラ・サファト * 女性 * 16歳(実年齢20歳) * 家事?

NPC
ユークリッド * 男性 * 10歳(実年齢15歳)* サンタクロース見習い


■□■ ライター通信 □■

いつもお世話になっております、そしてまた今回もご夫婦でのご参加ありがとうございました。
お二人のお願い事、とても優しくて、あたたかくて、素敵でした。拝見した瞬間にじーんときてしまいました。
書かせて頂けてとても光栄でした。
聖なる夜のささやかな物語、お納め頂ければ幸いです。
それでは、またお逢いする機会に恵まれましたら、どうぞ宜しくお願い致します。
クリスマス・聖なる夜の物語2006 -
羽鳥日陽子 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2006年12月18日

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