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『『天国までお猪口一杯』 』
妙円寺・しえん6833)&碧摩・蓮(NPCA009)


 本当に聴いているだけで恨みの情念による呪いをかけられそうな声が携帯電話から流れ出ている………。
 ―――怨みま〜すぅ♪
 もちろんそれは浮気のばれた旦那の妻によって折られた携帯電話とか、
 ものぐさな人間がちらかった部屋の何処に置いておいたのかわからなくなって、それで探していたら本の下にあったそれをうっかりと知らずに踏んでべきりぃと折ってしまった携帯電話とか、
 警察に捕まりそうになったダフ屋の兄ちゃんが証拠隠滅の為に折った携帯電話とか、
 ―――など等な携帯電話による人間への復讐開始を報せる開戦の放歌、という訳ではもちろん無く、ただ単にその携帯電話の着信音の設定がそうされている、というただそれだけの事で。
 つまりかかってこないで欲しいなー、
 っていうか、かけてくるな!
 や、もう本当に縁を切りたいんです。お願いします。もう本当に許してください!
 ―――的な人間からかかってきた場合に着信音だけでわかるようにされていると、そういう訳である。
 携帯電話という電話の癖に下手なパソコンよりも高性能な科学の結晶は、着信音と言えども本当に綺麗な音を発していた。
 ああ、マジ呪われそう!
 そんな着ウタを設定された人物はよっぽど嫌われているのだろう。
 とは言え、ならば着信拒否設定にその電話番号を設定しておけばいいものを、そういう事はしないのだから、そこら辺はこの携帯電話の持ち主の人の良さなのだろうか?
 が、それでも本当に呪われそうなこの着信音を延々と流し続ける携帯電話を見る彼女の目はまるで自分の父親の痴漢現場を目撃してしまった思春期真っ盛りの女子高生のような目だった。
 や、彼女が携帯電話に向けたのはそんな凍えるような冷たい目だけでは無い。お猪口を持つ右手はそのまま口元で固定したままで、左手で袈裟からコルトガバメントを抜き払い、その銃口を何を思ったのか携帯電話に照準したのだ。
 いや、待て。
 まさか、それはそういう事なのだろうか?
 本当に………携帯電話を…………?
「おんしゃ、まっことめったね」
 そう言う彼女の艶かしい光沢を持つ美しい黒髪に縁取られた美貌に浮かんだのは次の獲物を見つけた連続快楽殺人の犯人そっくりのとても嬉しそうな笑みだった。
 そしてBANG♪
 コルトガバメントは不吉な着信音という歌を歌い続けていた憐れな携帯電話のためにレクイエムを捧げるように発射音を奏でた。
 ならば香り良い美酒の芳香が満ちていた部屋の空気に今また滲む様に広がった紫煙の匂いは線香代わりと取れるだろうか?
「往生しぃ」
 彼女は憐れな携帯電話の為に合掌し、コルトガバメントを袈裟に戻すと、口の直ぐ前で止めていた右手を動かしてお猪口の中の酒を飲み干した。
 うん、美味い♪
 黒髪に縁取られた美貌に浮かんでいた笑みが同じ笑みでも凍えつくような笑みから、思わず見ているこちらがとろけるような美人に相応しい笑みへと変わった。
 と、彼女の座る座布団の隣に置かれていた違う携帯電話が賛美歌を歌いだした。賛美歌。主に捧げられる歌。
 それが線香の匂いが染み付いた部屋に朗々と流れる。
 誇るように。
 祈るように。
 酒を飲みながら聴くそれのなんと美しい事か。
 そう言えばもう直にクリスマス。
 今年のクリスマスは教会にゴスペルでも聴きに行こうか?
 美しい賛美歌に魂を触れさせればそれで神のご寵愛を受けてあの悪夢のような縁も切れるかもしれない。
 ああ、そうだ。それで大晦日には108の鐘を鳴らせばもうそれで完全に彼女との悪縁も切れて大万歳!!!
 それは浮かべる笑みもおばあちゃんにお小遣いを差し出された孫みたいな笑みに変わるというもの。
 くぃ、と、もういっぱい美味しいお酒を舌の上で転がすように楽しんでから喉に流し、唇と喉を湿らせて彼女、妙円寺しえんは携帯電話に出た。
 ここで説明しておこう。
 この携帯電話は先日橋の修理をチャイナ服で済ませたその直ぐ後、あの疫病神の店を出たその足で携帯電話のショップに入って、買った物だ。もちろん、携帯電話の番号が携帯電話の会社を変えても使える様になっていて、お店のお姉さんも無料の営業スマイルでしえんにそう説明してくれたが、それを無為にしてわざわざ新規の電話番号つきで仕入れてきた物である。電話番号もごくごく親しい者しか知らない。
 もちろん、今年最強最凶最悪災厄の悪縁、切りたい人物NO1の碧摩蓮はこの携帯電話の電話番号を知らない!!!
 今頃は先ほど撃ち壊した携帯電話の電話番号に電話しまくっている事だろう。ご苦労様。ご愁傷様。また他の憐れな子羊でも捕まえてください、蓮さん。
 そんな事を想いながら通話ボタンを押した携帯電話を耳に当てた。
『知ってるかい? 他の携帯会社に新しく契約し直しても電話番号はそのまま使えるんだよ? 番号ポータビリティって言うのさ』
「…………おんしゃ、何で知っちゅうが!?」
 すぐさま突っ込んでいた。
 まさしく自分で自分の幽霊でも見たような気分だ。
 せっかくの美人さんの顔なのにしえんは本当に口をあんぐりと開けていた。
 携帯電話の向こうからは人の悪そうな笑い声が聞こえてくる。
 本当に人が悪そう。
『それはあんた、企業秘密だよ。秘密』
「いや、秘密がやないろう」
 そう言うしえんの額には血管が浮かんでいた。ぴくぴくとしている。
 そりゃあ、しえんだって過去の経験に基づけば他人の携帯電話の電話番号を調べる方法の一つや二つは直ぐに言える。
 世は奇麗事ばかりじゃない。個人情報だって物騒な話だが立派な商品として需要と供給の場があるのだ。
 しえんの唇が声は無しに何事かを呟いた。
 読唇術で読めば彼女は確かに、『情報売った奴、見つけ出して殺す』、と呟いていた。
 べきぃ、と携帯電話が嫌な軋みをあげる。
 せっかく携帯電話の電話番号もメアドだって変えたのに思いっきり意味が無いじゃないか!!! くそぉ!!!
 しえんは糸が切れたように仰向けに倒れた。
 畳の上に転がる。い草の良い香りが怒りに高ぶった精神に心地良い、訳が無い。それでこの怒り、収まるものか!!!
 この悪縁、本当にどうしたら切れるのだろう?
 しえんがそんな事を本気で考えていると、携帯電話の向こうで勝手に蓮が何やら話を進めていた。
『じゃあ、そういう事で悪いけど来ておくれよ』
 そのままがちゃりと切られそうな気配が携帯電話越しに感じられてしえんは腹筋だけで飛び起きた。
「ちぃと待って、あんた!!! 何勝手に決めてるんかぁー!!!」
『何勝手に、って、あたしはちゃんと1秒待ったよ?』
 何だ、そのあたしはすごくあなたに融通を利かせてあげたでしょう? と言わんばかりの声は! たかが1秒の猶予をそんなにも恩に着せないで欲しい。
 しかもこの女、有ろう事か、携帯電話の向こうで何かにつけて反抗して文句ばかりをつける思春期で反抗期な娘に応対する余裕の有る優しい慈母のような感じで微笑ましそうなため息を吐きやがった!!!
 ぬぬぬぬぬぬぬ、と口を引き結んで何かを言ってやりたい気分になるがしかし、それで何かを言ってやってもさらりと聞き流すに決まっているのだ、この女は。
 ならばこのまま携帯電話の通話を切ってしまえば………
 しえんの親指が携帯電話の通話を切るボタンへと伸びる。
 が、
『だからね、黄金の蜂蜜を取りに来て欲しいんだよ。黄金の蜂蜜。毒だと言っても雲水たちに狙われるから預かっておいてくれ、って前のご住職さんがあたしに預けてね。でも亡くなったのならいつまでもここに置いておく訳にもいかないから取りに来て欲しいんだよ』
 まるで蛍にこちらには甘い甘い砂糖水があるからおいで、と言っているような声で蓮は言った。
 無論、しえんの親指が止まる。
 そして一旦耳から離されていた携帯電話が耳へと戻される。
 それに何の抵抗も感じなかった訳じゃない。
 さも言い聞かせるように言った蓮の口調から黄金の蜂蜜という名刺を出せば自分がほいほいと店にやってくるとこの女は確信している、というのはありありと感じられた。ならばここは矜持を示すためにもわたくしは忙しいので、と携帯電話を無碍に切ってやりたいと思うのが通り。
 しかし、そんな彼女の矜持をも流してしまうほどに黄金の蜂蜜はどろりとしえんの心の中に入ってきて、甘く甘く心に絡み付いてしまった。
 ………悔しい。
「今から取りに行きます」
 そう口にした転瞬、しえんが携帯電話を握り潰したのは携帯電話の向こうでくすりと笑った蓮の声が聴こえたからだ。
 では、やっぱり考え直して最大級の嫌がらせとしてアンティークショップ・レンに行かないかと訊かれれば、それはそれで逃げたり、拗ねてへそを曲げた様に思われそうで、もの凄く不服。
 結局、話を聞いてしまった以上は行かねばならないのだ。
 ………ちくしょう。
 ぱたん、と仰向けに倒れたしえんのその振動が天井裏まで伝わり、そこに居たネズミがびっくりとしたのであろうか、天井裏の方で物音がした。
 しかしいつまでもこうしている訳にも行かない。
 先ほども言った通りに逃げたと思われるのは癪だ。
 しょうがなく立ち上がって、身づくろいして、しえんはアンティークショップ・レンへと出かけた。
 だけど当然の如くその足取りは重い。
 これまで彼女の店に行き良い目に遭った事など一度も無い。張子の虎に喰われそうになったり、気持ちの悪い化け物に見初められて手篭めになりかけたり、と………。
 あー、やだなー。
 今日はどんな事があるんだろう?
 いっそ開き直って清々しいまでに今日はどんな事があるんだろう? って、学校に行き始めの子どものように思えば少しは楽しくなって、足取りも軽くなるだろうか?
 歩きながら脳内でそんな自分を想像してみる。
 ………ダメダ。トテモソンナキョウチニハタッセラレナイ。
 おそらくそれぐらいなら悟りの境地に達する事の方が楽ちんのはずだ。
「ああ、何でわたくし、こんなにも不幸なんでございましょう?」
 天を振り仰ぎ、そこに居るであろう神と呼ばれる全ての存在に向かってしえんは愚痴りたい気持ちでいっぱいになった。
 や、空を見上げながらぐちぐちと愚痴っている。
 そんな時だった、
『おいていけー。おいていけー。おいていけー。住職の残した黄金の蜂蜜、おいていけー』
 という声が聴こえてきたのは。
 ふと声がする方を見ると、道祖神が何やら戯けた事を口走っている。
 あー、なるほど、やっぱり今回もロクな事が無くって、しかもそれは始まっちゃってるか、と、しえんはげんなりとため息を吐いた。
「ほんと、どこでわたくし、ぼたんを掛け間違えたのでしょう?」
 しんみりと言った後にしえんは、四次元袈裟から牡丹餅を出した。それは一ヶ月前に檀家のおばあちゃんから貰ったモノで、いそいそと一個頬張って美味しくよばれようとしたのだが、最後の一口の時に運悪く牡丹餅に張り付いていたアルミホイルを噛んでしまって、悶えてしまったので、もう食べる気も失せて、だったら雲水たちにもあげれば良いのに、それはもったいない気がして、気分が治ったら食べようと袈裟に入れておいたらすっかりとそのまま忘れていた物である。
 果たして、四次元袈裟というものに入れられていた牡丹餅は表面上は作ったばかりの瑞々しさを未だに所持していたが、実際はどうなのだろうか?
 見た目通り、四次元という空間の効果能力で、時間など無かったものとして牡丹餅は一ヶ月と言う時間を無しにしているのか、
 それともそれはあくまで表面上だけの話で、食したら最後、食中毒で病院直行になるのか、
 さあ、どちらだ?
 と、しかししえんはそれを自分の口には運ばず、全てを道祖神に差し出した。
「住職の残した黄金の蜂蜜はこれから取りに行くので、わたくしが戻ってくるまでの間、この牡丹餅を食してお待ちください。エィメン」
 そう口にして、そしてまた彼女は何やら唾を飲み込むような音を出した道祖神には突っ込まずに天上を振り仰ぎ、ぶちぶちと愚痴を言いながら歩いていった。
 だから彼女は道祖神に毛もじゃな手が生えて、それが牡丹餅を取って、口に運んで、もしゃもしゃと食べ始めたなどとは知らなかった。



 +++


 相変わらず国も時代も全部入り乱れてのカオス的な光景は健在だった。
 アンティークショップ・レン。
 古い物特有の匂いが鼻腔にこびり付くようだ。
 古い物には当然の事ながら時代というモノが有る。
 その時代の分だけ人と共有した時間が有り、
 その時間がまた人の想いを物に込めさせる。
 だからアンティークの品、全部全てがそうではないが品によっては人の想いが取り付いていたり、九十九神化しているモノがあり、それが度々怪異現象を起こす。
 美術館に幽霊が出る、というのは実はよく知られた話なのだ。
 そして、そういう曰くのありそうな品ばかりを集めて売っているのがここなのだ。
 ならばそれを承知で集めているのであろうに、というかそういうのを承知で集めているのならそれはそういうのも商品の付加価値として認めているのであろうに彼女は頻繁にしえんを呼び出しては除霊作業をさせる。
 しかもこちらの都合などお構い無しで、まさしく王女様的な感じで。。。。。
 そんなこの店、アンティークショップ・レンのオーナー、碧摩蓮は今日も俺様的な存在で鷹揚に微笑んでいる。
 きっとパンが無ければお菓子をべればいい、とうっかりと本音を漏らして殺された女王や実は九尾の狐だった、と言われる女王もこんな顔で人々に接していたに違いない。絶対に。
 ああ、本当にどこでわたくしはボタンを掛け間違えたのでしょう?
 つい最近二夜連続で放送された某ドラマの原作本、40年前に書かれたという小説のテーマである原罪、それが自分にも重く圧し掛かってきているのであろうか?
 眩暈を感じた。
 出家したのに!!!
 仏の下でこんなにもわたくしは住職として頑張っているのに!!!
 檀家の人々の為に日々永平寺から送られてくる刺客と戦っているのに!!!
 何で???
 ああ、神様仏様何でですか? 
 これはどのような試練なのですか?
 神様は試練は人を選んで与えると言う。
 ならばしえんは神に切々と訴えたかった。それはあなたの見込み違いだと。
 ああ、ドンパチ生活とは縁を切って、ただ静かに平和に暮らしたかっただけなのに。
 あとどれだけの試練を乗り越えれば、縁側で膝に猫を置いて平和に静かに美味しくお茶を啜れる日が来るのだろう?
 ああ、わたくしは刻の涙を見た。
「どうしたんだい?」
「いえ、何でも。それよりもとっとと住職の黄金の蜂蜜をお渡しください。それを頂いたらわたくしは颯爽と軽快な足取りで蝶が舞う様にスキップして帰らせて頂きますから」
「連れないねー。お茶もお菓子もあるんだよ?」
「いえ、わたくし、真面目な寺の住職ですので、早く寺に帰って、午後の勤めをせねばならないのです」
 敬虔な仏教徒の真面目で誠実な顔でしえんはそう言った。
 彼女のかもし出す雰囲気は仏像の作り出す静謐な空気の気配さえ感じられる。
「それはまた何とも殊勝な事だねー。今頃亡くなった住職も草葉の陰で泣いてるよ」
「はい。本当にあの方にはわたくしの姿をいつも見ていて頂きたいものです」
 ―――特にあんたのせいで苦労する時は!!!
 一番言ってやりたいその言葉をここで口にすればまた何を言ってくるのかわからないので、それは言わずに済ませておく。
 世の中言わずが華、沈黙は金だ。
 そんなこんなで意外な事に蓮はあっさりと返してくれた。絶対にせっかく来たのだから何かしていってくれとまた無理難題を言われると思っていたのに。
 という事はこの黄金の蜂蜜がまたトラブルの元である可能性が大だ。
 あー、もう、どうしよう?
 捨てちゃおうかなー。
 とか想いながらあの道祖神があった場所を通るがしかし、そこに道祖神はもう無かった。
「ふむ。やっぱり、この四次元袈裟と言えども賞味期限&消費期限は絶対ですか」
 口元に手を当ててしえんはふむと頷いた。
 要するにこの女、あの道祖神が偽者だと看破していて、それでもって実験台にしやがった、という事だ。
 小さくため息を吐いて、道端に転がっている食べかけの牡丹餅の匂いをかいでいる野良犬に蓮にもらったケーキを与え、牡丹餅はケーキを包んでいたサランラップに包んで、袈裟の中に入れておいた。


 さてさて、それを電信柱の陰から見ていたモノがあった。何か腹を下すような腐った物でも食べたのか頬がげっそりと痩せこけたそいつはようやく親の敵を見つけたような顔をして、しえんの華奢な後ろ姿を眺めていた。



 +++


「ああ、神様仏様、無事に帰って来られました」
 この宗教がちゃんぽんな国の民らしくしえんは有りたっけの神に両手を合わせて無事にあの魔の巣窟であり、そこの女王である碧摩蓮の下から帰ってこられたお礼を口にした。
 そして彼女は彼女なりのお勤めを果たすと、いそいそと四次元袈裟から壷を取り出すのだ。
 その壷は少し優雅さに欠けるデザインのモノだがしかし温かみは感じられた。
 何だかこう、お母さんの手、というような感じだ。
 そんな事を想いながらしえんが壷の蓋を開けると、壷の中から柄も言えぬ芳香が香ってきた。
 匂いをかいだだけで喉がごくりと鳴る。
 胸を躍らせながら中を覗くとその中には黄金色の液体が並々と入っていて、そしてとても香り良い匂いは間違いなくその液体が匂いの素だった。
 すらりと長く形の良い、精緻な作りの右手の人差し指を入れてみる。
 そして童心に返ったような想いを感じながらその右手の人差し指をしゃぶってみた。
「わわわ、すごく美味しい!!! しかもこれは上質の蜂蜜酒ですわ!!!」
 そう。亡くなった住職が預けていた蜂蜜は時間の経過と共に発酵して上質の蜂蜜酒となったのだ。これは壷おばあさんや蜂蜜の精霊もびっくりなまさに偶然の賜物だろう。
「ああ、神様仏様、わたくしをちゃんと見ていてくださったのですね」
 しえんはまさしく神の奇跡を見た。
 きっとこの26年間の人生で今が一番神様を信じている時だろう。
 そして早速彼女はお猪口をお台所で洗って、それに蜂蜜酒を注いだ。まずは冷でいっぱい。
 上質の香り良い蜂蜜酒の匂いがまず鼻腔をくすぐり、しえんの脳内で快楽を感じさせるホルモンを異常分泌させる。
 そしてそれを口に入れ、舌を撫で、喉内を優しく愛撫し、胃袋に向かってそっと指先で淫らに妖艶に愛しい愛人の背を指先で撫でるように食道を流れていったそれは、確かに人間が死ぬ時に、脳内で死を怖がらないように分泌されるホルモンと同じホルモンを分泌させた。
 そう、それこそが人々によく言われる三途の川の辺は綺麗なお花畑で、川の向こうで大好きだったおばあちゃんがおいでおいでをしていた、とかいう幻覚を見せるモノの正体である、と科学ではされているが、
 しかし実際にはそれこそが人の魂を肉体から強制的に剥離させるモノで、
 それでどうなったかと言えば、
「あら、わたくし、いつ、お花畑に?」
 と、しえんを一瞬で天国の花園に送り込んでいた。
 そこでは可愛らしい妖精たちがハープを奏でながら楽しそうに歌を歌っていた。
 さらには妖精に恋をした男たちがその奏でる音色に合わせて踊りを踊っていた。
「あら、まあ、あなた、いったい何時からここに?」
 にこにことひとりのかわいらしい妖精がそう言いながら背中の羽根をパタパタさせてこちらにやって来る。
 あー、えっと、わたくし、何をしていたのかしら?
 と、考えていたしえんは、取り合えずその思考を止めて、目の前に飛んできた妖精に小首を傾げて訊ねた。
「あの、ここはどちらでございますか?」
 そんな事を口にした彼女に妖精が哀しげな、しえんを憐れむような笑みを浮かべたのは、きっと事故か何かで突然命を絶たれた彼女がまだ何も自分の身に起こった事を理解できていない事の現われなのだろうとその言葉を受け取ったからである。
 実際にはそれは正しく、しえんは未だに自分が天国に居るだなんて知らない。
 妖精はそんな笑みを浮かべたまましえんの頬にかかる黒髪を優しい母親が幼い娘を慈しんでそうするようにそっと掻きあげてやりながら優しく教えてやった。
「ご愁傷様です。ここは天国です。あなたは亡くなったんですよ♪ 先ほどヒゲ面のおやじからここに入るための交通許可書をいただいたでしょう?」
 などと強制的にここへと飛ばされて来たしえんに言ったのだから、しえんは驚いた。
「何ぞて!?」
 思わず京都弁で何だって? と、言ってしまった。
「ですからあなたは亡くなって、この天国へとやって来たのです。ちゃんと先ほど裁きの館で前世での裁きを受けて、この天国へのパスポートをいただいたでしょう?」
「本気でゆうてるの?」
 今度は富山弁。
 本格的にしえんさん、パニくってます。
 や、でもいきなり裸に近い格好をして、背中に七色の羽根を生やした女にそんな事を言われてパニくらない訳が無い。
 しかもここへは無許可で入っているし。
 それを賢しくもしえんは一瞬で理解した。
 そして長年この天国で現世で苦しみながらも良き人をやってきて、その善行を認められて天国に招かれた人間を見てきた妖精はしえんの動揺振りとか何かを見ながらこれは何か妖しいな? と、女の第六感、否、セブンセンシズをも超越したまさしく天国に居る者に相応しく第八識 阿頼耶識によって何かを感じたのだ。
 そうして彼女はそぉ〜〜〜っと携帯電話を取り出しどこかけにかけだした。
 ――――それを見て、しえんの脳内でキュピーンと電流が走った。
 それもまた阿頼耶識だ。
 阿頼耶識とは仏教の究極の境地。
 仏教に身を置く妙円寺しえんもまたその阿頼耶識を使えたとしてもおかしくは無い、
 そしてまた彼女はつい最近まで血で血を洗う世界に身を置いていたのだ。そんな世界で死線をかいぐぐって今日まで生き残った彼女だ。故に自分の身に降りかかるであろう脅威には鼻が利く。
 そんな超感覚が彼女に訴えかけるのだ。この妖精に電話をかけさせてはいけない。
 しえんの両手が袈裟に伸びる。
 そこから抜き払われる二丁のコルトガバメント。
 その銃口を妖精に照準する。
 がしゃりと奏でられた無機質な音色はひょっとしたら憐れな子羊が神へと捧げる祈りだったのかもしれない。
 ああ、妙円寺しえんはここ天国において、
「往生してつかぁさい!!!」
 トリガーを引いた。
 二丁の拳銃は弾丸という死神を吐き出し、
 吐き出された死神がその鋭きあぎとで片っ端から妖精たちが取り出した携帯電話をただのゴミ屑へと換えていく。
 そして硝煙を立ち上らせる銃口が下ろされた時、花の香り良い匂いに包まれた天国には硝煙の香りが満ち満ちていた。
 逃げ惑う妖精たちが散らせた花びらはまるで降るように落ちてきている。静かに静かに。
 動く者が居なくなったから、だから花びらの雨は静かに振り出したのだ。
 その花びらの雨に打たれながらしえんは、ひとり、立っていた。
「ああ、やっぱり、おまえさんか、しえん」
 背にかけられたその声はどこか懐かしい響きを持っていた。それもそのはずだ。
「まあ、先代のご住職さん。お久しぶりです。ええ、現在の住職、妙円寺しえんです。ああ、どうしてでしょう? 銃口が上がっていきます。ものすごーくトリガーを引きたいですわ。まるで綺麗な花を摘むような気軽さで。ゴキブリに殺虫剤を吹きかける様に何の躊躇いも無しに引けますよ。ねえ、何でだと想います?」
 小さく首を傾げて、さらり、と前髪を揺れさせて、彼女は微笑む。
 本当にすごぉーく嬉しそうに、笑う♪
「ねえ、知っていらっしゃいますか、前ご住職様? あなたがものすごーく気軽にあの人にわたくしを紹介してくださいましたから、今わたくしがどれだけ苦労しているのかを。ほんとーぉにもう、ものすごくーく苦労しているんですよ、前ご住職様(ハートマーク)」
 さすがに彼女の笑顔が尋常ならざるモノで構成されている事を前住職も感じ取ったようだ。
 ああ、わし、間違いなく殺される………
「え、あ、ちょ、ちょっと待って。話し合いをしましょう」
「聴く耳持ちやーせん」
 笑顔でそう言いながらしえんはものすごい至福の瞬間のように二丁同時にトリガーを引こうとして、
 しかしそこで運良くというか、運悪くというか、花びらの雨の最後の一枚が静かに舞い落ちたのと同時に彼女を天国に飛ばした黄金の蜂蜜酒の効力が切れた。
 ―――そう、切れてしまった。
「んな、何で………そんな」
 まるで鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をして、そうして彼女は消えていく足を見た。
 いや、足なんか飾りだ、ってあの赤い人だって言ってたじゃないか!
 まだ両腕はあるよ!!!
 最後の最後まで諦めずに住職を撃とうとして、しかし、もうその時には住職は居なくって、代わりにそこには立て看板があって、それには、あの黄金の蜂蜜の壷は実は国宝級の品で、怪盗に狙われています。がんばって守ってください。代わりといっては何ですが、その壷の中の蜂蜜は全部差し上げます。ちゃぉ♪
 がばり、と、脱力したものを感じて、しえんはその場に力尽きて崩れるように消えた。



 天国からしえんの姿が消えると共に、
 現世で仮死状態にあったしえんは息を吹き返した。
 がばり、と起き上がると、げっそりと頬が痩せこけた観音様がそこに居た。しかも黄金の蜂蜜酒が入った壷を盗もうとしている。
 そんな観音様にしえんはコルトガバメントの銃口を向けた。
 もはやそれに何の躊躇いも無い。
 何故なら天国で銃を乱射してきたのだから。
 にこり、としえんは微笑む。
「何しゆうが?」
 まさしくタイミングが悪いとはこいつの事だ。
 拳銃が弾丸を容赦も躊躇いも無く吐き出した。
 装填されている弾丸全てを彼女は拳銃に吐き出させた。
 そしてその弾丸に観音様はワルツを踊る。
「ま、待て、僕は観音様だぞー!!! 仏に仕える者がいいのかー!!!」
 そんな子ども染みた訴えにしかし意外な事にしえんは拳銃を降ろした。
 そして彼女は言うのだ。
「ほほう、ならば観音様が何故故にわたくしの黄金の蜂蜜酒を盗むと言うのでしょう?」
「そ、それはだなー、えっと、あ、そうだ!!! おまえのモノは僕様のモノ。僕様のモノは僕様のモノだからだー!!!」
 というようなまさしく子どもの戯言にしかし、ここでもやはり意外な事に彼女はぱちん、と手を打った。
「なるほど、それは確かにそうです。わたくしは仏様にこの身を捧げ、仏道に入った身。ならばわたくしのモノは全て仏様のモノ。ですが、昨今色々と物騒です。つい先ほども何と極楽浄土で乱闘騒ぎがあったとか。無論、それを知っておいでですよね?」
「も、もちろんだとも」
 しえんは観音様のその言葉にこくりと頷く。
「では、そうとは言ってもこのわたくしにあなた様がちゃんとした観音様である証拠を見せて欲しいのです」
「ふむ。何だ、言ってみよ」
 ものすごく偉そうに言う観音様にしえんは、
「はい。では、この壷。この壷にお化けください。実はこの壷に入れておいたから、ただの蜂蜜も黄金の蜂蜜酒となったのでございます。この壷にはそれだけの力があるのです。もしもあなた様が正真正銘の観音様ならばそんなの朝飯前でございましょ?」
「ふむ。よかろう。では、しえんよ、おまえは僕が良いと言うまで目を瞑ってろ」
「はい」
 と、目を瞑ったその転瞬後には観音様はそっくりそのまま壷に変わっている。
 それをしえんはものすごく褒めて、
「はい。ですが、これではまだ信じられません。その能力も完全に写し取っているかを見極めたいので、水を入れさせてください。その水をお酒に変えて下さい」
 と言い、そうして彼女は壷に水を入れた。ちょうど黄金の蜂蜜酒と同じ分量だけ。
「では、明日の朝まであなた様にはここに居てもらいます。そして朝になったら、あなた様の中の水がお酒に変わっているかを調べさせていただきますね」



【ending】


 金一封の入った封筒を懐に入れて軽い足取りで警察署から出てきた幸せいっぱいなしえんの顔がものすごーく嫌そうな表情に素直に変わったのは、警察署の門の前で気取らない気安さで手を上げてきた人物が事もあろうに碧摩蓮であったからだ。
 せっかく携帯電話もコネを使って海外経由でどのような方法を使おうとも番号を調べる事ができない物に変えて、完全に縁が切れたと思ったのに、わざわざこうしてストーキングされたら意味が無くなってしまうじゃないか!
「なんだい、そんな嬉しそうな顔をして? そんなにあたしとかの怪盗を捕まえた喜びを分かち合いたいのかい?」
 とても嬉しそうに蓮は何やら戯言をほざいているが、この今自分が浮かべている表情が本当にそう見えているのならしえんは彼女に目医者を勧めるし、そして、そのまま二度と自分の目の前に出てこないで欲しい。
 そんな感情を抱いた生暖かい笑みと眼差しでしえんは蓮に訊いた。
「それで、いったい如何なる理由でストーキングを?」
 偶然たまたま通りがかったなどとは絶対に言わせない。
「おや、理由が要るのかい? 武勲をあげた親友を待つのに」
 え? 
 あ、ちょっと待って?
 おい、今、この女、ものすげー不穏当な発言しやがりませんでしたか? 誰が親友ですって?
「そんな感動しないの」
 今なら笑顔でこの女、殺せる。
「それで、本当のところは?」
「ん。武勇伝を聞こうかと思って。どうやってあのうざい怪盗を捕まえたんだい?」
 それを聞かせたら二度とわたくしの前に現れないと誓ってくれるのならいくらでもお聞かせしましょう。
 ―――とは流石に言えず、
「いえね、タヌキが黄金の蜂蜜酒を狙っていたんですよ」
 そう。あの時天井から聴こえてきた物音はタヌキだったのだ。
 タヌキが寺に住み着いて、夜な夜な台所に降りてきては食料を食べて困ると雲水たちがぼやいていた。
 そのタヌキが道祖神やら観音やら壷に化けて、
 そのタヌキが化けた壷をまんまと怪盗が盗もうとしたのだ。
 そしてしえんの思惑通りにタヌキと怪盗は相打ちとなった。
 それでしえんはタヌキと相打ちになった怪盗を警察に引き渡した、とそういう事だ。
 別にしえん自ら怪盗の相手をしてやっても良かったけど、
「何であんた自らが怪盗の相手をしてやらなかったのさ? そういうの好きなんだろう?」
「ええ、好きですよ。好きですけど、でもわたくしが怪盗の相手をするというのは、それはわたくしに壷を渡したあなたの計算通りになるという事で、それが癪に障ったのと、後は圧倒的に面倒臭かった、というのが理由ですよ」
 ―――とは、親切に説明せずに、ただ、
「ええ、それは秘密ですよ」
 と、しえんはにこりと微笑みながら蓮に言ってやった。
 なんせこれからもおそらくはどんなに切りたくっても切れない縁でこの女と付き合っていく事になって、その度に色々としんどい目に遭わされるのだから、これぐらいは許されるはずだ、
 っていうか、足りないぐらいだ。
 だから、そう、
「ええ、それは秘密ですとも」
 しえんは意識して蓮に蟲惑的に微笑んでやった。


 →closed

PCシチュエーションノベル(シングル) -
草摩一護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年12月06日

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