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『ein paar 〜雪花の夜に〜 』
ベーレン・アウスレーゼ3342)&イルガチャフィ・コナ(3433)&(登場しない)


  ――どこか、遠い世界では一年が終わる少し前に聖人の誕生日を祝う習慣があるらしい。
 聖獣界にはそんな異世界の行事がいつの間にか浸透していて、それに倣って皆がどんちゃん騒ぐのだ。
「結局の所、楽しいことであれば何でもいいといったところでしょうね」
 かくいう自分も、楽しい事は大好きだ。
 その宴の席で振舞われるご馳走に目がないことも確かだ。
 寒空の中、アルマ通りもベルファ通りもこのお祭騒ぎに乗じて様々な店が昼夜問わず開いている。
 夜になっても煌々と明かりが燈り、いつにも増して城下は活気に溢れている。
「ベーレン!」
「あら、イル。 遅かったですわね」
「遅かったじゃないだろう、待ち合わせ場所にいないから探したんだぞ」
 フードファイターの血が騒ぐのか、こんな風に賑やかでしかもいたるところでご馳走が振舞われている中、それを見過ごすことなど到底出来なかったベーレン・アウスレーゼは、待ち合わせ場所の天使の広場からかなり移動していたことに今更ながら気づいた。
「…ったく、まぁいいさ。 そーゆーところもひっくるめてベーレンなんだしな」
 普段は常にベーレンに振り回され、弄り倒されているイルガチャフィ・コナだが、今日はいつもと少し違って見えた。
 苦笑というよりも仕方ないな、といった様子で軽く笑うイルに、ベーレンの頬がほのかに赤く染まる。
 しかしそれは暖色の明かりが多く燈る通りの中でイルに気づかれることはなかった。
「人が増えてきたな」
 イルはベーレンの手を引き、比較的空いている道へと移動する。
「…」
 今までこれといって意識したことはなかったが、やはりイルも男性なのだと、妙に実感してしまう。
 すっぽりと、彼の大きな手に包まれた自分の手。
 じんわりとその温もりが伝わってくる。
「子供じゃないんですからッ」
「子供じゃなくてもはぐれる時ははぐれるだろう? まぁ、俺達の場合外見からして目立つから人ごみでも見落とすことはないだろうがな」
 笑い混じりにそういうイルは、しっかりとベーレンの手を握ったまま放さない。
「(…なんでしょう。 今日はちょっとおかしいですわ…)」
 確かに彼とは恋人同士だ。
 しかし今宵は妙に彼を意識してしまう自分がいる。
 まるでそれが初めてのデートでもしているかのように。
 顔が熱い。
 半世紀近く生きているのに、この少女のような動揺っぷりはどうしたことだろう。
「(…ホントに、今日はなんだか変ですわ)」
「ベーレン」
「! はい?」
 少し声がひっくり返ってしまった。
 さすがにこれにはイルも首をかしげる。
「何ですの?」
 イルが上を指差し、ほら、と言う。
 言われるままに空を見上げると、夜の帳の間から、チラチラと雪が舞い散ってくるではないか。
「まぁ…」
 それはさながら雪の花。
「行こう」
「え? 上へ?」
 イルが翼を広げ、空へと舞い上がる。
 誘われるままにベーレンも翼を広げた。


  寒い寒い雲の上。
 冴え渡る星空と白い月、月明かりに照らされた雲海。
 肌を刺すような寒さはさすがに応えるが、それでもこの光景は美しかった。
 白い吐息が視界を包む。
「寒いけど…綺麗ですわね」
 何処までも続く空と雲を優しい光が照らし、風で流れる雲は光り輝く漣のようにベーレンの瞳にその姿を映し出す。
 ピンと張りつめた空気。
 それゆえ空は何処までも透きとおり、月の光に圧されながらも遠くで光り輝く星達が鮮明で美しい。
「―――本当に…綺麗…」
 月明かりに照らされたベーレンの髪。
 上空の風にたなびく細く蒼い絹糸。
 イルはその一房に触れ、指に絡める。
「……イル――?」
 月と雲海に目を奪われていたベーレンは軽く引かれた髪に視線を流し、その先にいたイルを見てまた、どきりと胸が高鳴る。
「イ、イル…?」
「ベーレン――…」
 彼の手からするりと自分の髪が滑り落ちる。
 そして次の瞬間、今まで髪に触れていた手は頬にそっと触れ、彼の鮮やかな珊瑚色の瞳が近づいてくる。
「…ぁ……」
「黙って」
 言われなくても、既にそれ以上の句を次げなかった。
 肌を刺すような冷たい風が吹きつける空の上で、触れられている部分がひどく熱い。
 軽く触れただけの唇はより深く繋がりを求め、互いの体を引き寄せる。
 背中に回された彼の手のひらは大きく、たくましいその腕の中にすっぽりと収まっている自分が、女だと改めて意識させられる。
 肩と腰が熱い。
 離れることを惜しむように、よりきつく抱きしめられることで更に息が苦しくなった。
「………イ、ル……ッ」
 僅かな隙に発せられた途切れ途切れの声は静止の言葉の欠片。
「―――もう少し…」
 荒い吐息混じりに呟いたその言葉は、不思議と子供の我侭のように聞こえた。
 離してしまえば遠のいて、二度と掴めなくなるのではないか。
 二度と抱きしめられないのではないか。
 そう思うとつい腕に力が入ってしまう。
「――――…」
 イルの腕の中に閉じ込められていた腕を横に広げ、互いの心臓が更に距離を縮める。
 抱きしめられるきつさを返すように、彼の背中に腕を回し、伸びてしまうのではないかというぐらい強く衣服を掴む。
 誰も見てないとはいえ、気恥ずかしさは拭いきれないが、それでも離れたくない気持ちはベーレンとて一緒だ。
 しかし、それでも二人には互いの国が、世界がある。
 聖獣界にたどり着く前に、生を受けて育った場所がある。
 ベーレンとイルはこの聖獣界で出会い、やがて恋に堕ちた。
 それでも互いに立場を忘れているわけではない。
 ベーレンはサイレンという国の王女。
 イルはこちらの世界に攻め入る為の情報収集役を仰せつかった斥候。
 互いにもといた世界が違う。
 身分も、立場も、姿も、生きる世界さえも。
 いつか突然訪れるであろう自分の世界へ戻る日の事を思うと、遣る瀬無い想いが胸を占める。
「(……ずっと―――…一緒にいられればいいのに…)」
 口に出さずともその想いは二人とも同じで、しかしその言葉を口にして時間に限りがあることを再認識したくない。
 いつか訪れるその期限まで、何も知らずただこれまでのように過ごしていきたい。
 可能な限り相手の傍にいたい。

 愛しいこの人と共に―――



  それから、どれほどの間互いの鼓動を肌で感じていただろう。
 よりいっそう空気が冷え、末端の動きが僅かに鈍い。
「―――そろそろ戻ろうか?」
「…そうですわね」
 重ねていた唇が風を受け、やけに冷たく感じる。
 だがそれさえも二人にとっては気恥ずかしい名残。
 互いの頬が僅かに赤く染まり、無言のまま雲の狭間を通り抜け、やがて分厚い雲を抜ければ、眼下に広がるエルザード城の城下町の明かり。
「お」
「あら素敵」
 温かな暖色の光が無数に点在する城下は僅かな時間の間に白銀のヴェールを纏い、それらが明かりを反射してより柔らかな光となって揺らめいている。
 雪が積もりだした為か、沢山出ていた露店は屋根の下へ移動し、店の軒先につるされたランプの明かりと建物の中から聞こえる笑い声がそれまでの騒ぎの余韻を残している。
 人気のなくなった天使の広場に降り立った二人は、上空より僅かに温かい地上から雪花舞い散る夜空を見上げ、少しの間その光景を見つめていた。
 無言のままに繋がれた互いの手は冷たかったが、それでも少しずつ温かみを増していく。
「―――せっかくですし、宿へ戻ってホットワインでも飲みません?」
「…あのな…」
 そんな誘いをかけても、彼が乗ってこないことぐらいわかっている。 イルとてからかわれているとすぐにわかった。
 彼は超がつくほどの下戸なのだ。
 呑めばすぐにヘロヘロになってつぶれてしまうのである。
「冗談ですわ。 代わりに温かいお茶を出しますから」
 そう言ってベーレンはにっこりと微笑んで繋いだ手の上にもう片方の手を重ねた。
「上はとても寒かったですし、これから人のいない部屋に戻っても体が冷えきっててすぐには寝付けないでしょう? 少しぐらい温まっていったらいかが? ………それに―――」
「それに?」
 鸚鵡返しに問われた言葉に、自分で口にした台詞の続きを言おうとしてベーレンの頬が染まる。
 そして軽く背伸びして彼の耳元で囁く。
「―――もう少し、傍にいて」
 もう少しだけ、雲海の上での余韻に浸らせて。
 もう少しだけ、傍にいて抱きしめて。
 恥ずかしそうに呟くベーレンに、イルは柔らかな笑みをうかべ、わかったと言いながら彼女の肩を抱く。
「イ、イル!」
「いーだろ、どうせもうこの寒さの中道端に人なんて出てないって。 宿までぐらい…いいだろ?」
 そんなことを言いつつ、やってる本人が照れているのだから世話ない。
 イルの赤らんだ顔を見て、ベーレンは思わず噴出してしまった。
「了解です。 宿に着くまですこぉーし、暖めてくださいな」
 笑いまじりの声にイルの顔は更に赤くなる。


 結局、最後の最後でベーレンの方が一枚上手だったようだ。



―了―
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聖獣界ソーン
2006年11月27日

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