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『閑寂 』
物部・真言4441)&立藤(NPC3086)


 夜の闇に漂う華の気配を覚える毎に、
 枝葉を揺らし唄い流れる風の声音を聴く毎に、
 陽が昇り沈む摂理を算える毎に、
 ――胸に刻む。
 過ぎた季節に開く華の名を抱いたひとの声を。

 刻は宵の内、
 風は秘めやかに薫る。
 夜。
 四季は駆け足で過ぎていく。まして、秋の更けゆくのは殊更に速い。気が付けば、街は早くも冬の彩りで満たされている。
 陽が沈み、夜が来る。真言は、都心近くの、とある場所で目に留めた野原の中にいた。
 ススキと、名も知らぬ枯れた草花とがひっそりと風に吹かれているばかりの、他には何もない場所だ。時折思い出したように、どこからか華の気配が流れて来る。
 真言は野原の中にひとつばかり立っていた古木の下にいる。
 枝葉は朱く染まり、風があればはらはらと静かに舞を見せる。闇の中にあってもなおその朱がひらめくのは、天の真ん中でひらひらと揺れている望月のゆえだろうか。

 目を閉じて、風を聴く。華を聞く。
 枝葉の朱が櫻の姿をしたためた。
 形を成す事のない声を呟けば、それでさえもが朱と舞った。

 その時、ふ、と。
 枝葉を揺らす風の唄に織り混ざり、女の声音が華と咲いた。
 真言は咄嗟に目を開けて闇を見つめる。あるのはススキの姿ばかり。
 否、
 真言は、刹那短い声を落として、闇を呼んだ。
 ススキの中に、銀にひらめく狐の姿があったのだ。

「立藤」

 声はただ一言だけだったが、闇を寄せるには充分たるものだった。月に狐の陰影が映りこんでいる。それを呼ぶ真言の姿が映されている。
 月に映されていた狐の影は真言がほんの刹那瞬きをした後に姿を変えていた。それは女のものとなっていたのだ。
「立藤」
 真言が再びその名を呼ぶと、影の主はひっそりと視線を向けてよこし、そしてひどくやわらかな笑みを浮かべた。唇が緩やかに動く。だがその声はひどく小さく、ともすれば枝葉の揺れる音や風の音に消えていきそうだ。
 真言は静かに息を整える。片手で髪をかきまぜて歩みを進め、動揺を悟られないようにと息を押し込める。
 立藤もまた歩み出していた。ススキが乾いた音をたてて小さく揺れる。簪の鈴ばかりが夜を謡っている。
 ほどなくして、手を伸ばせば触れられるであろう近くまで歩み寄った立藤の前で足を止めた真言は、ふと、立藤の姿がかすかに薄らいでいるように見えるのに気がついた。艶やかな装束の袖が、白く細い首が、夜の黒に透けている。
「立藤、おまえ」
 言いかけて、しかし、口をつぐむ。
 立藤は自分の袖や足元をしげしげと確かめた後、困ったように笑って首をかしげた。
 風が吹いてススキが揺れる。天の中央では月がひらひらと震えている。
 ――ああ、そうか。
 真言は目を細めて小さくうなずいた。
 自分は、知らず、今まさに夢を見ているのかもしれない。あるいはススキ野に潜む狐に化かされているのかもしれない。現に、つい今しがた、銀色の狐を目にしたばかりなのだから。
 あるいはと考え付いて、真言はゆっくりとかぶりを振る。
 あるいは、立藤自身が、もしかしたら狐なのかもしれない。望月を受けて艶やかに跳ねる銀狐なのかもしれないのだ。
 そう考えて、真言はゆるゆると息を吐き出した。
 なんでもいい。
 狐であろうが、妖であろうが、――例えばそういった輩が真言の心を遊び、戯れに身を化かして見せているのだとしても。

 鈴の音が風の音に代わり野に響き始める。
 立藤の唇が再び何かを紡ぎ始めたのを知ると、真言は静かに目を伏せた。

(霜しきりに降るゆえに、霜降月と誤れり)

 立藤の唇は確かにそう紡ぎ、それを鈴の音がそっと形作る。
 真言は目を開けて立藤を見据え、うなずいた。
「ああ、もう、寒くなったな。もう冬がくる」
 応えた真言の言葉は立藤が紡いだそれに応じるものとしては決してふさわしいものではなかったが、しかし、立藤は嬉しそうに表情を綻ばせてうなずいた。
(夢路まで)
「寒くはないか、立藤」
(夜半の時雨の)
「俺の上着を貸してやれればいいんだが……おまえのその出で立ちに、俺のこの上着はおかしいか」
(慕ひきて)
「なあ、立藤」
(さむる枕に)
「……見事な朱だな」
(音まさるなり)
 鈴がチリリと風に震えた。

 そして、それきりふたりは押し黙り、古木を背にして月を仰いだ。
 月には真言と立藤との影が映りこんでいる。影は時折吹く風に揺らいでふつふつと消えては浮かんでいる。
 秋に染まった枝葉が、吹く風に誘われてか、はらりと舞った。

「……立藤」
 再び名を口にして、傍らで愉しそうに枝葉の散るのを見つめている女の顔に目を向ける。
「さっきおまえが唄っていたのは……あれは有名な唄なのか」

 ふと、立藤が動きを止めて真言の顔を見上げた。

「いや、俺も……あれが五七五七七のリズムだったのは分かったんだが。その……正直、唄なんかにはまだまだ疎くてな」
 続けて気恥ずかしげに述べた真言に、立藤は小さな笑みを浮かべる。
(新拾遺でありんすよ)
「とは言っても、唄の名だとか歌人だとかにも疎いんだが」
 ほぼ同時のタイミングだった。
 真言は気まずそうに押し黙り、立藤は愉しげに頬を緩める。
「……声が聴こえないな」
 しばしの沈黙の後に告げた言葉に、立藤もまた口をつぐむ。
「いや、声が聴こえないからどうだというわけではないんだが。……聴こえないだけで、でもおまえが何を言っているのかは、……なんとなく分かる」
 立藤が小さくうなずいた。
 真言もまた頬を緩めてかすかな笑みを滲ませ、そうして再び天を仰ぐ。
 相変わらずひらひらと揺れる望月ばかりがそこに架かってある。
「静かな夜だ」
 ふつりと落とした言葉だったが、しかし、立藤が同じように唇を動かしていたのを見て知ると、真言は片手をゆっくりと動かした後に、所在なさげにポケットの中へと突っ込んだ。


 夜の闇に漂う華の気配を覚える毎に、
 枝葉を揺らし唄い流れる風の声音を聴く毎に、
 陽が昇り沈む摂理を算える毎に、
 ――胸に刻む。
 過ぎた季節に開く華の名を抱いたひとの声を。

 それ以外には風の音ひとつ途絶えたススキ野の中に、鈴の音ばかりが鳴っている。




Thank you for an order.
Moreover, I am waiting for the day which can meet.

2006 November 21
MR
 
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2006年11月21日

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