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『ずれる秋 』
セレスティ・カーニンガム1883)&モーリス・ラジアル(2318)&マリオン・バーガンディ(4164)&(登場しない)



 にぎやかな夏は静かに終わりを告げ、沈黙の季節が訪れていた。強い陽射しはなりをひそめ、しおらしい態度で地上を照らしている。樹と草花の緑も色褪せた。しかし、消えていく緑のかわりに、黄や橙があらわれている。樹によっては、すでに音もなく燃えているものもあった。赤と橙の、生命の炎の饗宴だ。
 秋は短い。風が燃えた葉をもてあそぶ。草花が眠りにつき、樹が寂しい肢体をさらして、近いうちに冬の到来を告げるだろう。
 淡い昼下がりの光の中、夏の間閉め切られていたテラス窓が開け放たれていた。日も短くなり、風も冷たくなってきているが、屋敷の主はその肌寒さをも楽しんでいるようだった。セレスティ・カーニンガム、彼がこの豪奢な屋敷と、広大な庭の持ち主である。
 19世紀生まれの椅子に腰かけ、セレスティは秋の庭を楽しんでいた。傍らのコーヒーテーブルに置かれた紅茶は、すっかり冷めてしまっている。ポットにはティーコゼーがかぶせられてはいるものの、秋風の前ではいささか力不足だった。しかし、セレスティは紅茶が冷めたことを知ってか知らずか、うっすらと笑って庭に顔を向けている。その目は伏せられていた。彼の視力は弱く、光を感ずる程度である。だが彼は、庭の変貌を確かに見つめていた。美しく燃え上がり、風に散っていく木々の炎を、彼はちゃんと記憶の中に焼きつけている。
 かそかそかさかさ、という風と葉の音を、セレスティは息さえ殺して聞いていた。
「モーリス」
 庭のほうを向いたまま、セレスティは呼びかける。
「今年の秋の庭も実に美しい。ご苦労さまでした」
「ありがとうございます。しかし……まだ、今年の仕事が終わったわけではありませんよ」
 苦笑いを浮かべながら、庭園の設計者があらわれた。モーリス・ラジアルだ。彼は広大な庭の設計と管理を一手に任されている。楽な仕事ではないが(彼が付け足したように、冬でも庭の手入れを怠ることは許されない)、やりがいのある仕事であったし、彼はセレスティの下で働くことに自分の存在価値を見出していた。手がけたものを気に入ってもらえるのは、素直に嬉しい。
 はにかむ子供のように小さく笑って、モーリスはティーコゼーがかぶせられたポットに触れた。紅茶は温かくあるべきだ――モーリスの力が、冷めてしまった紅茶を生まれたときの温度に戻した。
「……マリオンはどこに?」
「え?」
 不意に、わずかに振り向いたセレスティがモーリスに尋ねる。モーリスは面食らった。マリオン・バーガンディ――彼は、セレスティが所有する美術品の管理を担っており、モーリスにとっては後輩だ。だが、特別仲がいいというわけではないし、モーリスが常にマリオンのスケジュールを把握しているわけでもない。だいいち、部下の動きを最も正確に記憶しているのは、セレスティ本人に他ならないのだ。なぜそれを自分に尋ねるのか、とモーリスは訝った。
「わかりません。私は、今日はまだ一度も彼と会っていませんね」
「そうですか。……どうしたのでしょうか……」
 セレスティの顔にはっきりとした翳りがさし、モーリスは少し、驚いた。セレスティがマリオンの身を案じているのだ。よほどのことである。セレスティが人の心配をしない無情な男であるということではない――彼は、マリオンに絶対の信頼を寄せているはずなのだ。
「昨日落札した美術品を私に見せたいと、彼は、保管していた部屋までそれを取りに行きました。まだ戻ってこないのです……2時間も経ちました」
 モーリスが尋ねる前に、セレスティは不安になった理由を話した。
 マリオンは若干――いや、時には信じられないくらい――方向音痴で、カーニンガム邸の中や地下、広大な庭で迷子になることもある。だが、彼には特別な力があった。その能力を使えば、どんなに入り組んだ迷路に迷いこんでしまっても、すぐに望んだ場所に戻ることができるのだ。
 彼が行ったきり戻ってこないということは、たちどころに不安や心配へとつながる。モーリスはしかし、眉根を寄せた。主であるセレスティを心配させるとは何ごとだと、マリオンが疎ましく思ったのである。
「保管室を見てきましょう。彼のことだから、絵に見とれているのかもしれませんし」
「だといいのですが」
 セレスティは何もかも知っているのだろうか。まるで、そんな口ぶりだ。モーリスは一礼し、浮かない顔のセレスティを残して、マリオンを捜しに行った。


「ああ、これこれ。これなのです」
 マリオン・バーガンディの城は、美術品が詰まったこの保管室だ。リンスター財閥の富を象徴するものが整然と並び、マリオンの手入れや、屋敷の中に飾られる日を待っている。昨日オークションで落札したばかりの抽象画を手に取り、マリオンは『扉』を開けた。絵画のサイズは大きく、額縁も立派なもので、セレスティの待つ部屋まで歩いていくのが億劫だったからだ。彼は空間の裂け目から姿を消し――、
 ――空間の裂け目から姿をあらわす。
「早かったですね」
 庭を眺めていたセレスティが振り返り、マリオンに向かって微笑んだ。主の微笑を受けて、マリオンは屈託のない、満面の笑みを返す。
「これは作者不詳の絵画なのですが、美術界では『世界最古の抽象画』と言われているものなのです」
「それは素晴らしい。見せてください」
「どうぞ」
 マリオンは絵画を壁に立てかけ、
 ……驚いた。

 開け放たれたテラス窓の向こう側には庭がある。秋も半ばを過ぎようとしている……はずの、庭が、あるはずだった。そのはずが、広大な庭に広がっているのが、青や青緑の、歪んだ色彩だったのだ。まるで密林だった。しかも、見たことのない植物だ。色と蔓や蔦が絡み合い、三本足の猫のような生物がぶら下がって遊んでいる。

「え? ……え!?」
 マリオンは目をしばたく。まばたきをするたびに、庭の色彩は変わっているようにも見えた。
「モーリスは今ごろ、どこで何をしているのでしょうね……」
 抽象画を見つめるセレスティは、ぽつりとそう呟いた。
 そうだ、モーリス。マリオンは息を呑む。モーリスが庭の設計と管理を担当しているはずだ。しかし今のセレスティの口ぶりでは、まるでモーリス・ラジアルが現在はリンスター財閥のもとにいないかのよう。
「セレスティ様、それはどういう――」
 戸惑いながら、マリオンは異様な庭からセレスティに目を戻す。だがそこからも、彼が望んだ『日常』は消え失せていた。部屋に入ったときは逆光で気づかなかったのだろうか、
 セレスティ・カーニンガムの髪が血のように赤い。
「マリオン?」
 真紅のセレスティが、首を傾げた。その色彩でありながら、彼の声や仕種は、マリオンが知るセレスティそのままだ。その『ずれ』が、あまりにも不気味だった。
「マリオン、どうしました? 幽霊でも見ているような顔ですよ」
 自分が今見ているのは、幽霊よりもずっと恐ろしいものであるような気がする。マリオンは呆然としていた。自分は今どこにいるのだろう。
 どこに。
 ――あ!
 彼は気がついた。『扉』だ。いつも暮らしている次元とは、微妙にずれた位置に存在する別次元へ迷いこんでしまったのだろう。扉をつなげる次元を間違えたのだ。
 しかし、いくら多少方向音痴とはいえ、マリオンは今までジャンプ先を間違えたことなどない。間違えようもないのだ。彼の意思でこじ開け、つなげて、元に戻しているのだから――彼の意思が曲げられでもしない限り、ずれた次元に迷いこんでしまうことなど――
 抽象画が、パチリと音を立てて動いていた。
 世界最古の抽象画は、見る者が見なければ、単なる拙い平面構成にすぎないテンペラ画である。数百年の時を経てもなお、奇妙なほど色鮮やかな抽象画は、直線と円を組み合わせたパズルにも見えた。
 そのパズルのピースが、パチリパチリと動いている。
 ピースがずれるたびに、セレスティの髪の色と、庭の姿が変わっていく――ずれていく。
 ――元に戻らないと。この次元に、私が馴染んでしまう前に。
 赤や橙の髪のセレスティもいい。三本足の獣がたわむれる青い庭もいい。パズルがそう思えと命じてきているようだ。パチリと動いたピースの影から、マリオンがもといた次元の者ではない何かが顔をのぞかせる。
 テンペラ画が何かを呼んだのか、それともテンペラ画の中に何かが封じこめられていたのか。超次元の存在は意思も感情も持たず、ただマリオンを見つめているだけだった。セレスティはその無垢なる視線に気づいていない。この次元のセレスティは鈍感なのだろうか。
 抽象画は捨て置くことにした。自分とこの絵はとても相性が悪いらしい。落札したときに気づかなかった自分が悪い。マリオンは、『扉』を開けてそこから逃げた。べつの次元のセレスティが驚いていた。


「マリオン? マリオン、どこに行きましたか? セレスティ様がお呼びだというのに」


 開け放たれたテラス窓。窓の向こうの庭は橙。空から落ちる橙色の滝が、晩秋の訪れを告げている。植えこみも花も一切なく、不毛とも呼べる更地に、橙色の滝が落ちて、満ちていた。空から落ちる滝は、色づいた樹木の葉でできている。水はここに存在していない。
 そんな庭を眺めているのは、126世紀生まれの古い椅子。傍らでは、モーリス・ラジアルが氷のグラスに紅茶を注いでいた。
 違う、ここも違う。
 あの絵のせいだ――絵に宿った超次元の存在のせいだ。マリオン・バーガンディは、また違う次元に迷いこんでしまっていた。
 だが、目の前でのんびりと秋を楽しんでいるのは、モーリス・ラジアルである。
「モーリス!」
 マリオンが駆け寄り、飛びつくようにして腕を掴むと、モーリスは面食らったような表情を見せた。
「困ったことになったのです。あなたの力を借りたいのです」
「何でしょう」
「元に戻してほしいのです。次元を……、いや……」
 セレスティの赤い髪。異様な庭。そして目の前にいるモーリスもどこかが変だ。何かが違う。しかし……、しかし、この次元では、それが普通であり、正常なのだ。いま、この次元で異物と見なされるのは、マリオン・バーガンディただひとり。
「私を元に戻してください」
「おかしなことを言いますね」
 子供の理不尽なわがままを聞いたような、そんな笑みを浮かべて、モーリスは小首を傾げた。
「まあ、マリオンがそれを望むなら……」
 歪みを正しい姿に、あるべきものをあるべき姿に。モーリスにはその力がある。だが、モーリスの肩越しに壁を見たマリオンは、不安になった。あの抽象画が――神とも呼べる存在が、壁にかけられていたのだ。べつの次元に置き去りにしてきたはずの絵画だ。
 いや、この次元では、初めからそこに存在していたことになっているのかもしれない。だから、違う。マリオンがいるべき次元の、あの壁には、あの絵画がかかっていてはならないのだ。
 あの抽象画のせいだ。あれが自分を見つめているかぎり、あるべき次元には戻れない。
「マリオン? きみが望む、『元』の姿に戻しますよ」
「ち、ちょっと……待ってほしいのです」
「顔が真っ青ですよ。大丈夫ですか? ――セレスティ! マリオンに何か飲み物を」
 モーリスは手を叩き、その名を呼んだ。
 すぐに、呼ばれた男は奇妙な色水をたずさえ、部屋の中に入ってきた――それは、本来マリオンとモーリスが仕えているはずの男だった。銀の髪にほっそりとした身体つき。この次元では、彼がモーリスに使えているのか。バトラーの姿もなかなか様になっている。マリオンには、いま、そのギャップを楽しむ余裕はあまりなかった。彼らの立場がおかしいと感じられるうちに、元に戻りたい。
 マリオンは壁にかかっている抽象画に飛びついた。壁から引き剥がし、叩き壊した。テンペラのパズルのピースが散らばり、モーリスとセレスティが「あっ」と声を揃え、視線が額縁の中から飛び出した。
 超次元の存在は、マリオンを非難するでもなく、嘲笑うでもなく、解放され、次元の彼方へ――


「マリオン!」


 セレスティが立ち上がった。
 彼は足が悪い。それでも彼は、マリオンに駆け寄っていた。マリオン・バーガンディは、天井から降ってきて、見事に腰を打っていた。思わず呻くマリオンを見下ろし、モーリスがわざとらしく大きなため息をつく。
「やれやれ」
 窓は開いていた。窓の向こうの庭は、秋の宴の只中にある。紅葉のバランスまで考慮に入れられた絶妙な設計は、間違いなく、モーリス・ラジアルが手がけたものだ。マリオンが見慣れ、セレスティが愛でる庭。クライマックスを迎えた秋の饗宴。皮肉めいたモーリスの態度と、静かな中に優しさを湛えるセレスティ。
 何もかもが、マリオンにとって、元に戻っていた。
「とうとう次元の道に迷うようになりましたか。モーリスが、きみがつなげた道をあるべき道に整えてくれました。心配しましたよ」
「す、すみません。とんでもないものを落札してしまったのです」
「主人を心配させるとは、困った部下ですねえ」
 マリオンを助けたのはモーリスなのだが、彼はため息混じりにそう言い放った。マリオンはむっとしたが、何も言い返せなかった。セレスティは顔を上げ、柔らかい笑みをモーリスに向ける。
「なに、私は困っていませんよ、モーリス」
 たしなめられた子供のように、モーリスは肩をすくめた。
「……それで、マリオン。きみが落札したとんでもないものとは?」
「それは……」
 ある次元には置き去りにして、ある次元では叩き壊してしまったのです。
 そう言おうとしたマリオンは、台詞を喉につまらせた。
 超次元の存在の肖像画が、セレスティの後ろの壁に――




〈了〉
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2006年11月21日

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