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『November 11. ―前篇― 』
菊坂・静5566)&一ノ瀬・奈々子(NPC2601)



 11月にもう突入した。
 朝方は冷え込むようになり、起きるのが辛い。
 そんな11月、菊坂静は一人で過ごしたくない日があった。
 静の誕生日――11日だ。
 憶え易い誕生日だと思う。だが、静にとってはあまりいい思い出のない日だ。
 自分が生まれたことを悔やみ、暗くなってしまうことが多かった。
 ただ年を重ねるだけの日だったのだが、今年は違う。
 地下鉄の駅の階段を上がる静は、ふと思った。
(……欠月さんに、今日言ってみようかな)
 学校が少し早めに終わって、静は欠月の入院する病院に向かっている最中だった。
(もうすぐ誕生日ですって……。一人は嫌だから一緒に居てもいいですかって……)
 あ、でも迷惑だったら……。
 小さく思う静は嬉しそうに顔をほころばせる。
 欠月はきっと、「いいよ」って言ってくれるはずだ。
 静の横を慌てて駆け上がるサラリーマンや学生。出口から見える空は灰色。朝から雨が降っていたのでここまで来ると外からの寒い風が肌に当たる。
(……この時間、ほんと学生が多いなぁ)
 帰宅時間なので仕方ないのかもしれないけれど。
(雨で階段が濡れてるから、足を滑らせないようにしないと)
 そう思った矢先、
「きゃあっ」
 上のほうから悲鳴が聞こえ、静は怪訝そうにして顔をあげる。
 人の雪崩だ、と妙なことを思ったのは一瞬で、静の視界はあっという間に人の波で占められた。



 病室でテレビを観ていた欠月は嘆息する。
(なんだか目新しいものがないなぁ……)
 知識を吸収することに一番の歓びを感じる欠月はリモコンでチャンネルを変えていく。
 欠月がこの病室でしていることといえば、本を読むことと、テレビを観ることくらいだ。
(パソコンもな……。買ってもいいんだが、活用するのも……)
 欠月の手が止まる。
 彼の視線が窓のほうへ向き、耳を澄ました。
(……騒がしいな。そういえば、さっき救急車が出ていたが……なんか事故でもあったのか?)
 野次馬をする気はないので欠月はベッドから動かなかった。
 その時だ。ニュース番組で女性アナウンサーが新しい原稿を受け取っていた。
<えー、今入ったばかりの情報ですが……>
 アナウンサーが知らせる内容は、地下鉄の駅で将棋倒しの事故があったとのことだった。原因は、雨で足を滑らせたか……それとも誰かが偶発的に階段から落ちたかはっきりしないとアナウンサーは告げる。
「…………ここから近いな」
 頭の中で地図を描き、欠月は頬杖をつく。
 事故が起きたのは夕方。ちょうど学生の帰宅ラッシュ。
<この事故により、重軽傷者……>
「……そりゃ、下のほうに居たら巻き込まれるだろうな。あと、小柄な人は上に乗っかられたら圧迫されて窒息しちゃうだろうし」
 ふーんと眺めていた欠月は、先ほどの騒がしさの原因がわかった。
(ああ……なるほど)
 その事故で怪我をした者がこの病院に運び込まれたのだ。
 欠月の居る個室は廊下の一番端。あまり人が近寄らない場所だ。そこからでも、外の慌しさはわかる。欠月の耳には、駆け回るナースの独特の足音が絶えず聞こえていたのだから。
「…………事故ねぇ」
 欠月の心は揺れもしない。
 どこで誰が死のうが、欠月には関係なかった。彼は自身の命でさえ、あまり関心がない。
 命乞いをする幼い子供が目の前に居ても、一般的な善悪判断で助けようとはするが心底から助けたいとは思わないだろう。
 自分を冷徹で冷酷だと思う。普通の人間の感覚ではないことも。
 だが、これは今さら変えられないことだ。
(騒ぎが収まるまでは大人しくしていよう……)
 だがふと。
 欠月は気になっていることがある。
 そういえば静がここに来る際にあの地下鉄を利用していたはず。……巻き込まれていなければいいけれど。



 静はゆっくりと瞼を開けた。
(ん……?)
 なんだか身体に力が入らない。
 見慣れない天井に不思議そうにしていた静は、眠くてたまらなく……目を閉じた。



「昨日の将棋倒しの……」
「ああ、結構凄かったらしいわね」
「うちに来た患者さんの中に、遠逆さんのところにお見舞いによく来てた男の子がいるのよ」
「ええっ? ああ、あの高校生の?」
「そう。なんだかいっつもまめに来てたでしょ?」
「そうなんですか……」
 欠月の、良すぎる耳はそんなナースたちの会話を拾ってしまった。
 コンビニにでも行くかと病室から出てきた欠月はナースたちから見えない位置にいる。彼女たちの小声は、普通の人間ならばこの距離では聞こえるはずがない。
(……静君が昨日ニュースでやってたアレに?)
 巻き込まれていなければいいが、と心配してはいたが……。
 欠月は向きを変えてそこから立ち去った。



 一体自分はどうしたのだろう?
 落ちてくる人の波のことはぼんやりと憶えている。その後のことはあっという間で、何が起こったかはっきりわからなかった。
 ただ苦しいのと痛いのと。それにうまく呼吸できなかったことは覚えている。
(そっか……階段から落ちたんだ)
 否応なく巻き込まれたのだ。欠月の病院に見舞いに行く予定だったのに……。
 浅い夢から覚めた静は瞼をうっすらと開ける。人の気配が、する。
(……?)
 自分の保護者が来たのだろうか? でも確か、今は出張中だったはず。
 ベッドのすぐ傍に立ち、静を見下ろしているのは欠月だった。そのことに静は驚く。
(僕……まだ夢でもみてるのかな……)
 どうしてココに彼が居るのか……。
 静の顔を見下ろしていた欠月は、表情が浮かんでいない。まるで氷のような美貌。
「……欠月さん?」
 小さく呼びかけると、自分の発した声の振動で身体に痛みが軽く走る。
 視線を下げると、自分の身体のあちこちに包帯が巻かれているのが見えた。そういえば顔の半分も包帯で覆われている。
「あ、れ……? なんで僕……?」
「ニュースで言ってたんだけど……地下鉄の駅の、将棋倒し……。巻き込まれたんだよ、キミは」
 低く言う欠月を、静はそっと見る。
「しょうぎ、だおし……?」
「そう。原因まではわからないけど、駅の階段でそうなったみたい。人も多かったみたいだから、不幸な偶然なのかもね」
「そう……ですか」
 道理で痛いはずだ。
 ニュース番組で報じられたということは、そこそこ酷いものだったのだろう。それとも、話題が他になかったか……。
「骨折はしてないから安心してね。でも、打撲が酷いみたい。あと、裂傷もあるから」
「そうですか……。欠月さんだったら、うまく……脱出できたでしょうに」
 どうして自分はこうも間抜けなんだろう。自己嫌悪に浸る静に、欠月は応えない。
「右手と左足は捻挫みたいだね」
「そ、うですか……。
 すみません」
「…………なぜ謝るの」
 彼の声は淡々としている。なぜ謝ったのか静自身もよくわかっていない。ただ、なんとなく……彼に謝らなければと思っただけだ。
「えと、あの……痛くて……動けないので」
「……仕方ないんじゃないの?」
「…………欠月さん、どうしたんですか……?」
 なんだか怖い。
 うかがうように見る静から視線を外し、欠月は呟く。
「……術を使えばその傷、残らず治せるよ」
「え……?」
「静君の傷、全部。ただ、ちょっと難しい術だから口移しになっちゃうけど」
 口移しという単語に静は目を見開く。だが欠月が先に言った。
「ま、男とキスっていうか、人工呼吸みたいなもんだし。そのへんは気にする必要はないと思うけど……。
 急に傷が全部治ったら、周りに不審がられるから…………もうちょっと大人しく入院してたほうがいいと思うよ。……痛いの、辛いと思うけど」
「はい……。
 あの、もしかしてここ……欠月さんが入院してる病院、ですか?」
「そうだけど?」
 答えた欠月の言葉に、静が少し嬉しそうにする。視界の隅で静の笑みを見た欠月が目を細めた。
「……なんで嬉しそうなわけ?」
「……いえ、なんでもないんです」
 欠月と同じ病院ということは……誕生日を一緒に過ごせるかもしれない。医者に話を聞いてからになるだろうが、この傷ではまだ退院は無理だと思う。
 欠月は顔をしかめる。
(……どうしたんだろう、さっきからなんか欠月さんの様子が変だ……)
「欠月さん……頭でも、痛いんですか……?」
「……痛いよ」
 不愉快そうに彼は呟き、疲れたように片手を額に遣る。
「ほんと……ヤな気分」
「……疲れてるんだったら病室に戻ってください。我慢して僕の傍に居なくてもいいですから」
 心配して言ったのだが、逆に欠月が眉を吊り上げた。怒らせたのだろうかと静は身が縮む思いをした。
 だが欠月は怒鳴るどころか、無言でいるだけ。沈黙のほうがよっぽど静には堪える。
「あの……あの、僕、何か……したんでしょうか……?」
「してないけど、した」
 意味不明なことを言った欠月は大きく溜息をついた。
 それから彼は微笑んで静の頬を撫でた。
「……良かったよ、キミが無事で」
「欠月さ……」
「…………」
 欠月の目尻に涙が浮かんでいる。
 そのことに静は驚いていた。
(泣いてる……欠月さんが)
 どうして……?
 欠月の頬を涙が伝った。
 なんだかひどく辛くなり、申し訳なくなり、静は小さく言う。
「すみません……すみません、欠月さん……」
「………………キミが」
 欠月は囁く。
「キミが死んだら、ボクも死ぬよ」
 静は呼吸すらできなかった。
 欠月は本気だ。
 目が真剣である。
 だがすぐにその瞳が柔らかくなった。
「なんてね。これくらいの傷で死んだりしないから大丈夫だよ、静君。
 とにかく大人しくして、回復に専念すること。いいね?」
 薄く笑う欠月はもう一度静の頬を撫でるとベッドから離れた。先ほど泣いていたのが嘘のようだ。
 冗談めかして言ったセリフを最後に、欠月は足音もたてないで部屋から出て行った。
 残された静は、欠月が出て行ったドアを凝視していた。
(死ぬ……? 僕が死んだら、欠月さんも死ぬ?)
 意味がわからなかった。
 静は視線を天井に向ける。
 まだ、実感がわかない。ぼんやりとした感覚。
 喜びなのか、悲しみなのか、わからない。
(……目は本気だったけど…………本当に?)
 だとしたら――それは、とても恐ろしいことではないだろうか?
PCシチュエーションノベル(シングル) -
ともやいずみ クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年11月16日

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