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『ひだまりの午後 』
藤宮・永6638)&青江珠樹(NPC3838)



 その日、藤宮永は書道教室の指導を終えると、すぐに自宅へは帰らずに、駅とは正反対の方向にあるバス通りを歩いていた。
 十一月も半ばにさしかかろうという頃である。そろそろ羽織を着なければ風邪を引いてしまいそうな肌寒さだ。こうも寒くなってくると、夏までとは言わないが、春の日差しが恋しくなってくる。見上げれば、都会の大気に汚染されているのか、空は晴れているのか曇っているのかわからない。
「……ほんまに都心の空は味気ないなぁ」
 土曜日という事もあって、遊びに繰り出す人間が多いのだろう。大通りは行き交う車や人込みで溢れ返っている。墨を磨る静寂なひとときと、自然の中に身を置く事を好む永にとって、こうした雑踏の中を歩くのは得意とするところではない。そんな永がわざわざ人通りの多い道を歩いているのには、一つの大きな理由があった。
 都市開発の影響か、表通りはまるで統一感のない雑然とした印象を受けるが、古くは長屋などが立ち並んでいた歴史のある街だ。一つ通りを逸れて横道や裏路地へ入ると、いまだに昔ながらの風情を残した町並みを見る事が出来る。その一角に、永が目当てとしている駄菓子屋があるのだ。
 個人的に書家として活動している他に、書道教室の指導も行なっている永はそれなりに忙しい。だからこそ、仕事の合間を縫って昔懐かしい店の空気に触れ、店主とのんびり会話を楽しみながら駄菓子を選ぶ穏やかな時間は何よりの楽しみでもあった。

 永がバス通りから逸れて一本の路地へ入ろうとした時の事。
「藤宮先生!」
 ふと聞き覚えのある声が背後から届いて、永は立ち止まると、おもむろにそちらへ視線を向けた。
 丁度バスから降りたばかりと思しき制服姿の学生が、元気いっぱいにこちらへと手を振ってくる。青江珠樹だ。
 会うのは夏以来だろうか? と永は夏休み中に一度だけ、教室で珠樹の姿を見かけた事を思い出した。とはいえ、基本的には万年サボリ魔の生徒だ。その時は書を習う為に来たというよりはむしろ、部活取材とやらの為に永を強制連行するべく訪れただけだったのだが。
 ともあれ、一応は教室に籍を置く生徒であることには変わりがない。永は向き直ると、近づいて来る珠樹へ笑顔を見せた。いつもの営業スマイルだ。
「こんにちは、青江さん」
「こんにちは、先生。すっごい久しぶりですけど、何してるんですか? こんな所で」
「今日は書道教室の日ですからね。その帰りですよ」
「あ、そっか。先生土曜日も受け持ってたんでしたっけ……あれ? でもこっち駅と反対方向ですよ?」
 帰るなら駅は向こうだと、永が今まで歩いてきた道筋を指差しながら小首を傾げる珠樹に、永は丁寧に言葉を返す。
「この近くに馴染みの店があるので、帰る前にそちらでお菓子を買おうかと思いまして」
 ちょっとした寄り道です、と永はこれから行く駄菓子屋の事を思い浮かべて、楽しげな笑顔を見せた。
「……先生がお菓子を食べるんですか?」
「勿論です」
「私も行きたい!」
 唐突な申し出に、永は思わず面食らって珠樹を眺める。と、まるで食べ物を見つけた子犬のように嬉々とした表情を浮かべた珠樹が、永に同意の眼差しを向けていた。
 今時駄菓子好きの女子高生というのも珍しいな、と永は思いながら「別に構いませんが」と珠樹に告げると、予想だにしない愉快な返事が珠樹から返って来る。
「わーいっ♪ 先生と会えてラッキー! 買うのって上菓子ですか? 秋だからきっと栗を使ったお菓子とか売られてますよねっ」
「…………」
「ついでに抹茶パフェとかも食べたーい♪」
 などと言っているところを見ると、永がこれから向かう場所を、珠樹は高級和菓子店か甘味処のどちらかだと思い込んでいるのだろう。
 間違いを否定しようと口を開きかけた永ではあったが、全く疑う事もせず素直に大喜びをしている珠樹の様子を見て、ふと悪戯心が芽生えた。
 高級和菓子店と思って赴いた先が、実は駄菓子屋だったと知ったらどんなリアクションが戻ってくるだろうか――尤も、自分にとっては高級和菓子よりも駄菓子の方が数倍嬉しいのだが。
 美味しいものが食べられると浮かれている珠樹に、
「それは着いてからのお楽しみですよ」
 と、そんな言葉で真実を包み込み、永はニッコリと鉄壁の笑顔を浮かべた。


*


「何ここ……」
 まるで、秋を通り越し真冬の木枯らしが吹き荒ぶ中で、悲しみに打ちひしがれているような声が隣から聞こえてきて、永は思わず噴き出してしまいそうになるのを何とか咳払いで堪えた。
 表通りとは異なる風情を見せる路地の奥。木造の古びた家屋が立ち並んでいる一角に建てられた店の前で、先ほどまでとはうって変わって、おあずけを食らった犬のような表情で珠樹は立ちすくんでいる。
 予想を裏切らない珠樹の反応を見ながら、永は努めて冷静に微笑んで言葉を紡いだ。
「お菓子屋さんですよ、青江さん」
「これはお菓子屋じゃなくって駄菓子屋ですっ!」
 上菓子は!? 抹茶パフェは!? せっかく奢って貰おうと思ってついて来たのに! と、がっくり項垂れる珠樹に、今まで傍観していた店の店主までもが、
「残念ながら、うちにはそんなもん置いて無いねぇ。お譲ちゃん」
 と笑いながら言う。
「あてが外れてしまいましたね。言っておきますが、私は一言も上菓子とは言っていませんからね」
 言ってはいないが、珠樹がそう思い込んでいた事には気付いていた。永はそれについては一切触れず「人の話はきちんと最後まで聞く癖をつけた方が良いですよ? でないといつか悪い人に攫われかねません」などとしたり顔で言ってのける。
「……先生、わざとでしょ」
 恨めしそうな声で言い、じと目で見上げてくる珠樹に、永が罪悪感など感じるはずもない。
「私がそんな事をする人間に見えますか?」
 永はしれっと言い放つと、お決まりの鉄壁スマイルを浮かべて店の中へ入り込み、表に立ち尽くしている珠樹へ手招きをする。
「だって先生から駄菓子なんて連想出来る訳ないじゃないですか!」
「何を言うんです。こう見えても私はここの常連客ですよ?」
 言って同意を求めるべく永が店主へ顔を向けると、店主はおおらかな笑顔を浮かべて頷いた。
「元を正せば江戸時代から存在している歴史のあるお菓子なんですから、馬鹿になど出来ませんよ、青江さん。高級な上菓子に対して駄菓子と名付けられたからには一般庶民にも手の届く値段でなければなりません。素材にも制限がつけられていますしね」
 何よりこの手頃な価格に夢があるんです、と店に所狭しと並べられている駄菓子を、永は愛しげに見つめた。
「このバラエティに富んだお菓子の数々。当たりクジが出ればもう一つお菓子を貰える懐の広さ。何より飽きさせない工夫の数々でここまで我々を楽しませてくれるものなど、駄菓子をおいて他にはないでしょう」
 駄菓子に囲まれている時ほど幸せな時間は無い、と普段より増して永が饒舌になっているにも関わらず、珠樹から一向にツッコミが入ってこないのを不思議に思い、永は珠樹の方を振り返る。見れば、珠樹はぽかんとしたような表情で永の言葉に聞き入っていた。
「どうかしましたか?」
「え……いえ。意外というかなんと言うか……」
 唐突に話題を振られ、珠樹はやや困惑気味に目を逸らして口篭る。が、それも束の間の事。
「オヤジくさいと思って!」
 適切な言葉を見つけたとでも言わんばかりに、ぽんっ! と軽く手を打ちながら珠樹はにこやかな笑顔を浮かべる。半面、「オヤジくさい」とのたまった珠樹を見て、一瞬永の鉄壁笑顔が崩れそうになった。
 そんな永には気付かずに、珠樹は何かを思い出したかのように、口元に人差し指を当てて話し始める。
「……粉に水を少し混ぜて練っていると、段々色が変わって飴みたいになるお菓子があるの、知ってます?」
 テレビで見ただけだから、駄菓子と呼ぶものかどうかは解りませんけど、と付け加える珠樹に、永は自分の記憶の中にある駄菓子の数々を思い浮かべながら、合致するものを見出そうとする。
「色が変わるのが不思議で、子供の頃すっごく欲しかったんです。母親に合成着色料だから身体に悪い! って怒られて買ってもらえなくて、お年玉貰った時にこっそり買いに行ってやっと手に入れたの」
「それはまた、手に入れた時は嬉しかったでしょう……美味しかったですか?」
「うん。でも、説明書きに『ふぞくのカップいっぱいの水を入れて』って書いてあったのに、間違えてガラスのコップ一杯分の水をドバーッと入れたら、すんごい不味いただの黄緑色の水になっちゃった……って何笑ってるんですか!」
 店主が笑っているのを見て、珠樹がツッコミを入れる。
 永は真面目に珠樹の昔話を聞いていただけに、よもやそんなオチが待っていようとは予想だにせず。意表を突かれてポカンとしたような表情を見せた。
「青江さん……そんな子供の頃から注意力が散漫だったんですね」
 本当に、悪い人に攫われないよう注意して下さいね、と永は哀れみのこもった視線を珠樹へ向ける。
「もうっ、買うならさっさと買ってくださいよっ! 私だって忙しいんですからねっ」
 怒っているのか恥ずかしいのか。珠樹はその辺の駄菓子を掴んで、ぺしっとその場に軽く叩きつける。顔を真っ赤にしながら言い放つ珠樹の言葉に、永は笑いながら大きく頷いた。


*


 店を出ると、ひんやりとした心地の良い風が吹き抜けていった。笑った所為か店に入る前までは肌寒いと感じていた風が、今はむしろ心地よい。
 永は店主から渡された茶色い紙袋から、先ほど珠樹が叩きつけた駄菓子を取り出すと、「お付き合い頂いたお礼です」と言って珠樹へと手渡した。珠樹はそれを受け取ると、先ほどのやり取りを思い出してか複雑そうな顔をしながら溜息をつく。
「……先生って苦手なものとか全然無さそうですよね。何でもそつなく器用にこなせちゃいそうだし」
「そうでもないですよ。私だって人間ですから、嫌いなものの一つや二つありますよ」
「ホントですかぁ? 例えば?」
「……春菊」
 珠樹の言葉に促されて、永は思わず独り言のようにポツリと言葉を零した。
 まさか永に答えてもらえるとは思っても居なかった珠樹は、思わず目を大きく見開いて「は?」と聞き返した。
「春菊ですよ。今からが旬なんですよね……何故鍋にあれを入れるのか私には理解できません」
 秋冬の和食接待等で、鍋などに春菊が入っているのを考えるだけで憂鬱になってくる、と永は深い溜息を零す。
「大体、春菊という名前なのにふざけていると思いませんか? 大人しく春に花咲かせていればいいんです」
 言いながら、ふと永が珠樹を見れば、彼女は敵の弱点を掴んだとばかりにニヤリとほくそ笑んでいる。
 全く解りやすい性格だ、と思わずどつきたくなるのを抑えて「顔に出てますよ、珠樹さん」と煌びやかな笑顔で永が告げる。珠樹は慌てて話題を逸らした。
「そういえば菊って咲くのは秋なのに、何で春菊は春って書くんですか?」
「花の咲く前の若い芽を食べる事から春菊と名付けられたんですよ。食用としての旬は今時分です」
「……嫌いなのに随分詳しいですね」
 可笑しいんだ。と笑う珠樹に、永は「嫌いなもの程詳細が耳に入ってくるんですよ」と付け加える。
「でも良いんですか? 私に教えちゃったりすると、ある日先生の自宅にドーンと春菊付き鍋セットとか、お歳暮に送っちゃうかもしれませんよ?」
 書道教室のおば様達にはまだまだ太刀打ち出来ないが、ふふんと勝ち誇った笑顔を見せる16歳の子供に、永が負けるはずもない。
「青江さんの苦手なものはしっかり拝見しましたし、まあ一つくらいはお教えしませんと……フェアじゃないでしょう?」
 そんなお歳暮を贈って来ようものなら、ホラー小説の山をダンボール詰めにして送ってさしあげますよ、と言葉にはせずに永は笑顔で珠樹へと圧力をかける。
「……先生……その笑顔、何か含みがあるように感じるのは私の気のせいですか?」
「気のせいです。人の好意は素直に受け止めるべきですよ? 青江さん」
 後ずさりしつつ、怯え気味に見上げてきた珠樹に、永は眩いばかりの完璧な微笑を見せる。
 そのあまりの完璧さに、むしろ胡散臭さを感じた珠樹が凍りついたのは、言うまでもなかった。



<了>


PCシチュエーションノベル(シングル) -
綾塚るい クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年11月13日

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