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『Silencio, Silencio 』
海原・みその1388)&(登場しない)



 おしずかに、どうかおしずかに。
 この場に座するわたくしも、声は閉じこめてしまいましょう。すべては御方様の夢のため。御方様の安らかな眠りを、星や時が正しい位置に導かれるまで、守らねばなりません。
 今はどうか、おしずかに……。
 御方様の退屈は、わたくし海原みそのが破ります。ですからどうか、御方様は夢の中に繋いだままにしていただけませんか。御方様は、今、眠らねばならないさだめにあります。それは人間にとって、死にも近しいほどの永い眠りでございましょう。しかし神たる御方様にとっては、ほんの一夜の一睡にすぎません。
 わたくしが、その一夜を守ります。幾万もの夜の果てに、人間が滅び、陸の姿が変わったとしても、わたくしは御方様の一夜を生きましょう。
 もし、この永い夜が終わり、御方様が目覚めたならば……わたくしの役目は終わります。けれど、終わったあとのわたくしの世界を、考えたことはありません。
 今は、静寂を守らねばならないからです。今が、わたくしの意味そのものなのです。
 ですからどうぞおしずかに。
 わたくしと御方様は、いかなる生命にも、信仰や服従を強いることはありません。ただ、しずかに、眠らせていただくこと。それだけが、わたくしと御方様の望みです。

 ああ。
 けれど、聞こえる。
 御方様を呼ぶ声は、わたくしみそのにも、よく聞こえます。

 わたくしがこうしてお願いをしても、残念ながら、すべての生命が聞き入れてくださるわけではありません。御方様の周りではどうかおしずかに、とお願いして――お魚様が静かに泳いで過ぎ去ってくださっても……クジラ様とイルカ様が声や息を殺してくださっても……静寂をあえて破ろうとする方は、いるのです。
 それは、人間様です。
 古の言葉や技術をもって、夢に沈む御方様にも聞こえる嘆願をなさるのです。呼び声は、御方様ばかりではなく、深淵の巫女の夢にも突き刺さるのです。呼び声は地上から、積み重なる水を貫き、ときには時の流れをも越えて、深淵に届きます。
 おお、困ります。
 どうかおしずかに――わたくしが、いつも、心から、本当に、こんなにお願いしているというのに。クジラ様やお魚様でさえ、お願いを聞き入れてくださるというのに。耳を貸してくださらないのは、いつも人間様。いつもいつも……。
 呼び声が紡ぐ内容に、わたくしも御方様もほとんど興味はございません。けれども、呼び声というものは単調で、単純です。聞き流しているつもりでも、嘆願の内容が頭の中にすべりこんでくるものです。わたくしの思考に、人間様のタンがんが入りこむのは構いません。わたくしは、無視することができるからです。けれど、御方様は――。
 御方様にも、不可能なことなどあるのでしょうか。わたくしは御方様を心の底から信じております。けれど、御方様は、眠っておられるのです。もしも、この呼び声が御方様の眠りの妨げになってしまうなら――。
 わたくしも、不安に駆られることがあるのです。巫女として、あってはならぬことだとはわかっております。しかし……信ずるからこそなのでしょうか……心配せずにはいられません。
 ですからわたくしは、ときどき御方様のお膝元を離れ、呼び声を止めにゆくのです。


 ……いいえ、この星そのものが、御方様のお膝元。
 深淵を離れたところで、御方様のもとを離れた、ということになるのでしょうか。
 ああ、御方様は、大いなるお方。


 不思議です。不思議で仕方がないのです。
 この星には、数え切れないほどの命があり、区別しきれないほどの種類の生物がおります。それなのに――どうして人間様だけが、いつも御方様の眠りを妨げようとなさるのでしょう。人間様は、御方様の御姿はおろか、御名までも忘れていらっしゃるはず。なぜその程度の知識をもって、御方様の御力にすがろうとなさるのでしょうか。
 そして、呼び声や唄にこめられている願いは、人類の歴史の破壊であったり、御方様に星の王として君臨していただきたいというものであったりと――どれも御方様に、目覚めてほしいというものなのです。
 不思議なものです。ここにも、不思議があるのです。
 どうして人間様は、人間様ご自身の滅びを願うのでしょうか。
 クジラ様やお魚様は、けっして滅びよう、滅びたいとはお考えになりません。ちいさなちいさな、細胞をひとつしか持たない生き物様でさえ、自ら死のうとはお考えになりません。人間様だけなのです。御方様の眠りを妨げてまで、ご自分を滅ぼそうとお考えになるのは――。
 ああ、
 けれど。
 この星には、数え切れないほどの命がある。区別しきれないほどの種類がある。それだけ在れば、ひとつくらい、理解に苦しむ存在があってもおかしくはないのかもしれません。人間様も、この星に棲みつく生物です。多くのうちの、ひとつです。
 それで納得しなければならないのでしょうか。この不思議は、解き明かされることがないのでしょうか。すべてを知る御方様にお尋ねするという方法もあるでしょう――でも、なぜでしょうね。はっきりとお尋ねしたことが、ないのです。これほど不思議に思っているのに。御方様の夢の中で、思わず「不思議だ」と呟いたことはあります。御方様は、やさしく微笑まれただけで、お答えをいただくことはかないませんでした。
 この不思議も、御方様の眠りの中では、ほんの些細なことで、ほんの一瞬のものだということなのかもしれません。


 不思議に思いながらも、わたくしは、呼び声や唄を止めにまいります。呼び声の儀式のほとんどは、陸の上で行われています。これも、ちょっと不思議です。なぜ、海の神たる御方様を、陸の上から呼ばわるのでしょう。
 わたくしは御方様から教わることで、この世界のすべてを知ることができます――けれど世界は、不思議でいっぱいです。わからないことが多いというのに、それはわずらわしいどころか、むしろとても心地が良いもの。わたくしは、わたくし自身も不思議です。
 御方様を呼ばれる方々とお会いしたとき、わたくしはまず、尋ねるのです。
 不思議で仕方がないから――なぜ御方様の夢を破ろうとするのか、お聞きします。一度も納得できるお答えをいただいたことはありませんでした。皆様、「なぜそんなことを尋ねるのか」と、わたくしの質問に質問を返されます。
 こういった方々は、多くの人間様にとって『異端』とされているということを、わたくしは知っております。彼らは、善いことをされているおつもりのようです。とんでもありません――人間様にとっての異端は、御方様やわたくしにとっても悪いものであるようです。彼らは言うのです、御方様の封印を解く、と。御方様がおいたわしい、自由こそ御方様に必要だ、と。
 違うのです。どれだけ説明しても、理解してはいただけませんでした。御方様は何かに戒められているわけではありませんし、罰せられ、封じられたわけではありません。眠るべきときであるから、眠っているだけ。どうして、わかっていただけないのでしょう。
 話の通じない方は、仕方がないので、消えていただきます。
 おしずかに、してほしいから。


 わたくし海原みそのの役目は、御方様の眠りを守ること。夢を破ろうとする存在を片づけてくださる『騎士』も、もちろん御方様に仕えております。けれども、わたくしがでしゃばることも多いのです。呼び声の流れを辿れば、すぐに儀式を行っている人間様をつきとめることができますし、生命は流れの中にたゆたうもの。御方様より授かった、流れを駆る力を使えば、生命の一種である人間様にこの世から退いていただくことも容易いのです。
 それに御方様は、ときおり、騎士様ではなくわたくしに命じられることがあるのです。
 静寂を取り戻せ、と。
 陸に上がれ、と命じになるのです。
 それはわたくしが、いつもいつも不思議と向き合っているから。御方様は、わたくしに知る機会と、考えるきっかけを与えてくださっているのです。もちろん、静寂を第一にお望みなのですけれど――そのやさしさに包まれ、わたくしは幸せな気持ちになります。
 不思議がありつづけることで、わたくしは幸せになる。人間様は、わたくしの幸せのために、人間様でありつづけるのでしょうか。……違います、きっと違います。この浅はかな考えはあくまで、わたくしの信仰が盲目的なものであるという証拠。
 不思議な生き物の声は、今も聞こえます。
 どうかおしずかに、
 ああ、一体わたくしは、このお願いとお話を、何万回繰り返さねばならないのでしょう。

 わかっていただけましたか。

 おしずかに。

 そうですか、それでは、さようなら。
 流れを、止めさせていただきますね。







〈止〉

PCシチュエーションノベル(シングル) -
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東京怪談
2006年11月09日

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