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『邂逅の調べ 』
烏丸・織6390)&榊・紗耶(1711)&綜月漣(NPC3832)



 つい先日まで、あれほど忙しなく鳴いていた蝉の声はもはや遠く。耳を掠める鈴虫の音色に秋の訪れを感じながら、烏丸織はとある大きな公園を歩いていた。
 都心の中では随一の広さを誇るその公園には、数多の木々が生い茂り、敷地内の各所には美術館や博物館なども点在している。祝日だという事もあいまって、行き交う人の多さには流石の織も閉口してしまうが、都心で芸術の秋を堪能するには、やはりこの場をおいて他にはないだろうとも思う。

 時刻はとうに昼を過ぎ、夕暮れに近づいた頃だった。
 ちらと見た腕時計が示す数字を見て、織はほっと胸を撫で下ろした。
「良かった。何とか『三輪』には間に合いそうかな」
 自ら呟いた言葉を合図に、それまで急き立てられるようにして歩いていた歩調を、少しづつ緩めて行く。だが先程までの早歩きが祟ったのか、息はかなりあがっている。織は、自分自身を落ち着かせるために一度大きく深呼吸をすると、己の額に微かに浮かんだ汗をハンカチで拭った。

 織が仕事の合間を縫って何とか都合を付け、大急ぎでこの公園に来たのには一つの理由があった。
 実は、園内に設置されている野外能舞台で、設立50周年を記念すべく、滅多に行なわれることのない「翁付五番立て」がプログラムされたのである。
「5」繋がりだからだと噂では聞くが、もしそれが真実であるならば、主催者側も中々に粋な事をするなと思わずにはいられない。
 兎にも角にも、染織を生業としている織が、能役者達の身にまとう絢爛豪華な衣装を一目見たいと思うのは当然の事だ。時間の都合さえつけば、朝一番に駆けつけて『翁』に始まり、五番目物まで全てを見たかったのだが、やはりどうしてもそれは叶わず、せめて一演目だけでもと、仕事が一息ついたところで漸く公園に駆けつけたのである。
「こんなに急いだのは、久しぶりかもしれないな」
 苦笑しながらも、有名どころの演目が見られるという嬉しさから、どうしても心が躍ってしまう。
 はやる気持ちを抑えながら、織が再び目的地へ向けて歩き出そうとした時だった。
「……こんにちは」
 ふと誰かに呼び止められて、おもむろに織が声のした方へ視線を向けると、そこには額に紋様をいただいた、長い黒髪の少女が佇んでいた。


*


 その日。榊紗耶は己が身を置いている病院からさほど遠くない公園へと赴いていた。
 常と変わらず紗耶の身体は病室に眠るが、少し力を使えば身体に負担をかけることなく精神を実体化させることが出来る。
 ふと夢の中で垣間見た艶やかな秋の景色に魅せられて、紗耶が病室から実を伴って抜け出すと、高く透き通った水色の空を、数羽の小鳥が楽しげな鳴き声を響かせながら元気良く飛び交っていた。
 夏から秋へ移り変わる頃であるから、まだ木々の紅葉は見られない。けれど、沿道に植えられた曼珠沙華や白粉花に秋の日差しが射しているのを見かけると、紗耶は己の銀の瞳に凪いだ色を宿らせた。
「秋は紅葉というけれど、もしかしたら春よりも花は艶やかなのではないかしら」
 ポツリとそんな事を呟く。
 草花の放つ色香を視ていると、この艶やかな景色を一人だけで眺め歩いているのは何だか勿体無い気がして、誰かと一緒に見られたら良いのにと、ついそんな事を思ってしまう。
 今日この日に、偶然知り合いが同じ場所を歩いているとは限らない。そう解ってはいても、つい人待ちをしてしまう己に、紗耶は微かな苦笑を零した。

 だが。
 紗耶が、傍らを吹き抜けるひんやりとした風に自身の髪を靡かせながら歩いていた時だった。
 不意に、一人の青年が足早に紗耶の脇を通り過ぎて行った。
 何をそんなに急いでいるのだろう、と何気なく青年の背を眺めると、その身にまとう空気が、どこか自分の知り合いと似通っているように感じられて、紗耶は思わず瞳をしばたたかせた。
 何故こんなところに、この人が居るのだろう?
 誰かに会いたいと思った自分の気持ちがそうさせたのか、それとも偶然が重なっただけなのか。いずれにせよ、嬉しい事にはかわりがない。
 紗耶は、タイミングよく歩調を緩めた相手の背へと、小さく声をかけた。
「……こんにちは」
 まだ知り合いだとの確証を持てず、不安からつい躊躇いがちに言葉を紡いでしまう。
 けれど、紗耶の声を聞きつけて振り向いた相手を認識すると、紗耶は静かに微笑んだ。
「やっぱり織だった」
「紗耶さん?」
 何故紗耶がこんな所に居るのだろう、と同じく驚いた表情を見せる織に、紗耶はゆっくりと歩み寄る。織はそれを見ると、驚きを穏やかな笑顔にかえて向き直った。
「驚きました。こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「本当ね。どうしたの? 急いでいるみたいだったけれど」
 織が半ば駆け足だった事に疑問を抱いて、紗耶は織を見上げながら問いかける。
 すると織は、ふと何かを思い出したように一度腕時計を見た後で、紗耶の問いに返した。
「この先にある野外能舞台で能が行われているので、それを観に来たんです」
 仕事の合間を縫ってきたのでつい慌ててしまいました。と、やや照れたような苦笑を零す織を、紗耶は気にする風でも無く。むしろ野外能舞台という言葉に興味を示した。
「この公園の中に、そんな場所があったのね」
 時々公園に足を運ぶことはあっても、能舞台があるという事には気づかなかった。
 往々にして、能を夢の中で垣間見る事はあっても、じっくりと腰を据えて観た経験が紗耶には無い。紗耶は、織が仕事を投げ打ってまで能を見に来たのだと聞いて、実際に観る能楽はどんなものなのだろうと、思わず思考を巡らせる。

 そんな紗耶を見て、織はふと独り言のように言葉を紡いだ。
「本当は朝から観に来たかったのですが……。でも、仕事があってむしろ良かったかもしれない」
「何故?」
「折角ですから、紗耶さんもご一緒にいかがですか?」
「え?」
 偶然出会った事にも驚いたが、不意をついて出た織の言葉に、紗耶は思わずきょとんとした。
 束の間悩んだものの、紗耶にも能を観てみたいという気持ちがあるのは確かだ。
 紗耶が微かな躊躇いを含んで「いいの?」と織に問えば「勿論です」と笑顔で返事が返ってくる。
「独りで見るより、人数は多い方が感想を分かち合えて楽しいですから」
 そう告げる織に、紗耶は彼らしいなと微笑んだ。


 と、その時だった。
「では僕もご一緒して宜しいですか?」
 やや間の抜けたような声が背後から聞こえてきて、紗耶と織は同時に振り返った。
 一体いつからそこに居て二人の話を聞いていたのだろう。和服姿の一人の男が、風呂敷に包まれた四角い箱のようなものを片手に、ニコニコと満面の笑みを浮かべて二人のやり取りを眺めている。言わずもがな、綜月漣である。
「漣さん!?」
「こんにちは。お久しぶりですねぇ、二人とも」
 突然出没した漣に、織は二の句が継げられず驚いた表情で見つめる。そんな織の隣で、かわりに紗耶が漣へと声をかけた。
「こんにちは、お久しぶりね。貴方も能を観に?」
 紗耶の言葉に漣が首を横に振った。
「いいえ、じきに名月ですからねぇ。この近くに有名な和菓子屋さんがありまして、そちらにこれを買いに行っていたのですよ」
 漣は手にしていた風呂敷包みを、空いている方の手で指差した。
 恐らく風呂敷の中身は、漣の家へ行くと必ず出てくる茶請けなのだろう。
 織が、庭先で月を眺めながら和菓子を食べる漣をすぐに想像できてしまうのは、もうすっかり漣のテンポにはまってしまっているからなのだろうか。
 常々マイペースだなとは思うけれど、織はのんびりとした漣のこの雰囲気が嫌いではなかった。
「では三人で観劇デートといきましょうか」
 漣が二人を交互に見れば、織と紗耶は互いに顔を見合わせた後で、微笑みながら頷いた。


*


 見所の入りは盛況だったが、奇跡に近い確率で三人分の席を確保する事が出来た。
 橋掛かりに描かれた老松の見事さもさることながら、50年という年季の入った野外能舞台は、屋内の能楽堂とはまた違う趣を呈している。
 通常の舞台とは異なり照明などは一切無い。全てが天候の気の向くままで、唯一能舞台の周りに敷かれている白洲のみが、太陽の光を反射させて舞台を際立たせる役目を担っていた。

 着座して一息ついた時だった。織が舞台の美しさに感嘆の溜息を零すと、隣に居た紗耶が
「……ところで、演目は何なのかしら?」
 と、小声で織に問いかけてきた。
 思えば突然誘ってしまったのだから、紗耶が演目を知るはずも無い。
 詳細を話そうと思いはすれど、舞台の様子からして程なく演技がはじまるのだろう。織は紗耶に倣って小声で演目だけを告げる。
「『三輪』ですよ、紗耶さん」
「三輪?」
「……早い話が、三輪の山神が女に化けて、僧都に今生の迷いを愚痴る話ですねぇ」
 どんな内容なのだろうかと言葉を投げかけた紗耶に、漣が大幅に内容を掻い摘んで説明するのだが。紗耶はあまりに掻い摘み過ぎた漣の説明に、微かに眉間に皺をよせた。
「愚痴……」
「……漣さん、それは説明としてあまり良くないような気がします」
「おや、そうですか?」
 二人から向けられる微かな非難の声を、漣はすんなりとかわし。むしろ解りやすいじゃないですかと、悪戯をした後の子供のような顔で二人を交互に眺めた。
「神仏習合の日本らしい面白い演目ですよ。神が僧に悩みを打ち明けるのですから」
 織が紗耶へフォローを入れた時。程なくして囃子方のお調べが始まり、三人は一度居住まいを正すと舞台へと向き直った。




 しんと静まり返る空間に、微かな風が寄せ、葉擦れの音だけが耳に届く。
 やがてそのしじまを縫って、噺子の音と共に朗々としたワキの地謡が響き渡った。



――秋寒き窓の内 軒の松風うちしぐれ
木の葉かきしく庭の面 門は葎や閉ぢつらん
下樋の水音も苔に 聞こえて静かなる この山住ぞ淋しき――



 音響効果など一切無い。腹の底から揺さぶり動かされるような音量と声色に、織は鳥肌が立った。
 夕刻時の斜陽が前シテの付ける深井の面を照らし、えもいわれぬ表情を造り上げている。深い苦悶を心内奥深くに押し込めて、少しでも平静を保っていられるようにと自制しながら、僧都に罪の救済を求める。やがてその姿から転じて、後シテが、感情の一切を排除したような、神さびた増女の面を付け、袖を翻しながら神楽を舞い始めた。

 能でありながら神楽を舞う不思議。
 寸部の狂いも隙も無く、ただひたすら神々しい三輪神の舞いに、重厚な存在感を付け加えているのは艶やかな装束だった。
 恐らくは流派の流れを受けた装束なのだろう。緋色大口に白の長絹を着付け、金の小立烏帽子を頭に載せた後シテの美しさに、いつか己もあのような装束を創り出してみたいと、織は思ってしまう。

 ふと隣から小さな溜息が零れるのを聞いて、織が紗耶を見ると、織同様、紗耶も舞台上で演ぜられている神楽舞に魅入っていた。
 独りで能楽を観るのも良いが、やはりこうした美しいものは誰かと共に観た方が後々の楽しみが出来て良いかもしれない。紗耶の様子から、ふとそんな事を考えると、織は穏やかな表情を見せ、再び舞台へと視線を向けたのだった。


*


 宵待ちの頃。薄暗がりに薪へ火が灯される少し前に、三人は野外能舞台を後にした。
 それぞれがそれぞれに深く感じ入り、言葉を紡ぎ出せない凪いだ静寂に居る中。紗耶の視界に曼珠紗華が映った。
 昼間、この花を見た時は一人だったのだなと、ふと紗耶は思う。
 日差しを受けて柔らかな風合いを見せていた曼珠紗華は、残照の中でも厳かに咲き誇っている。それを束の間眺めた後で、紗耶は二人にポツリと告げた。
「今日は、外に出て良かった」
 紗耶の言葉に、ふと織と漣が顔を上げる。
「誰かに会えないかと思っていたら、偶然二人に会えて、普段なら視る事の叶わない景色が視れたもの」
 良い日になって嬉しいと、視線はそのままに紗耶が静かに微笑むと、織と漣も賛同するかのように穏やかな笑顔を見せた。
「……まるで、みせばやのようですね」
「みせばや?」
「ええ。観賞用に栽培される可愛らしい花なのですが、花言葉は『この美しいものを誰に見せましょうか』といいます。今日のこの光景を、独りではなく三人で見られたことに感謝したいですね」

 今日という日を共に過ごせた喜びが、いつか、何かの折に楽しい想い出話となるように。
 織が楽しそうに告げると、紗耶と漣は顔を見合わせ、やがて三人揃って微笑んだ。



<了>


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2006年10月30日

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