『廃墟奇譚 ７ 』

ジェームズ・ブラックマン（5128）＆ナイトホーク（NPC3829）

　闇の中で雨音がする。
　時々風に吹かれて強くなったり弱くなったりするが、その音にも夜鷹はすっかり慣れていたはずだった。だが、最近は違う。
「雨音が…うるさい」
　そう呟きながらしかめっ面をし、薄手の毛布を持って自分の部屋を抜け出す。
　そして居間やキッチン、バスルーム、クローゼットの中と、一晩中夢遊病者のように歩き回り、そのうちうっすらと夜が明けてくるのに気付き途方に暮れる。
　耳を塞いでもダメだった。眠れない理由は雨音ではない。だがどうして急に眠れなくなったのかと聞かれると、その理由が分からない。ただ急に、ある日気付くと上手く眠れなくなっていた。目を閉じても耳を塞いでも、心が上手く眠りに落ちていけない。
「くそっ…」
　まだ濡れたままのバスルームの床に座りながら、夜鷹は悪態と共に溜息をついた。
　もう多分今日は上手く眠れないだろう。後はせめて朝が来るまで、体を休めるためにじっとしているしかない。
　冷たい床に座り、壁に頭を付け、目を閉じ雨音に耳を傾ける。
　そうしていると少しだけ楽になるようなそんな気がしていた。

「最近夜中に何をごそごそしているんだ？」
　差し向かいで朝食を取りながら、ジェームズは夜鷹にそう問いかけた。夜鷹は食欲もないのかウサギのように野菜ぐらいしか取らず、あとはコーヒーと酒と煙草という困った食生活をしている。その日の朝食も茹でたほうれん草を少し食べるだけだった。
　夜鷹がここ何日か、真夜中に部屋を出て廃墟の中を歩き回っているのはジェームズも知っていた。夜鷹が突然訳の分からないことをするのはこれが初めてではないが、それにしてもクローゼットの中に入っていた服を全部出したり、湯を抜いたバスタブで膝を抱えていたりするのは流石にびっくりする。
　カップに二杯目のコーヒーを注ぎながら、夜鷹がぼーっと視線を宙に躍らせた。
「ああ…何か最近上手く眠れなくて」
　色黒なので気付きにくいが、そう言われてみると確かに目の下にくまが出来ている。心なし顔色も悪く、ずいぶん疲れた表情をしているようにも見える。
「上手く眠れない？」
「うん。何か夜になると心がざわざわして、落ち着かなくて眠れない。研究所にいたときにもこうなったことはあるんだけど、今回は特にひどい」
「研究所にいたときはどうしてたんだ？」
　ジェームズの言葉に、夜鷹が自嘲的に笑う。
「あそこで眠れなくなると薬打たれるか、それが勿体ないときは殺されてた。少なくとも死んでる間は静かだしな…でも、眠るってのと死ぬってのは何か違う気がする」
「そうか…」
　意識を失うという点では同じに見えるが、夜鷹の中では明確な違いがあるのだろう。だからといってジェームズは、意識を失わせるために夜鷹を殺す気は全くなかった。夜鷹自身も眠れなくて疲れているようだが、そうしないのはある意味進歩なのだろう。
「寝ている間、隣にいてやろうか」
　少し笑いながら言ったジェームズの言葉に、夜鷹が呆れたような表情をする。ここに来た頃は喜怒哀楽がアンバランスだったが、最近の夜鷹は素直に気持ちを表情に出すようになった。
「子供じゃあるまいし…でも外に出かけるんだったら、眠り薬買ってきて。どうしようもなくなったら使うから」
「覚えてたらな」
「うん、覚えてたらでいい。出来るだけ何も使わずに寝たいから…」

　その夜も夜鷹は階段の端に座り手すりに頭を付けていた。
　夜になってしばらくベッドに横たわっていたのだが、いつまで経っても眠りの波は来ず、仕方なく落ち着く場所を求めてそこを選んだのだった。
　石造りの丈夫な作りの洋館。手すりは木で出来た西洋風の凝った彫刻で、頭を預けるのに丁度いい。階段に敷かれた絨毯は、廃墟だというのに柔らかく厚みがある。
「………」
　闇の中なのに辺りの物が妙にはっきり見えた。
　昔…研究所に入る前までは、闇は恐ろしいものだったように思う。どこまでも吸い込まれそうで、手の先まで見えない闇夜はそれだけで恐怖だった。
　そこから何が飛び出すか分からない。闇の中で背中を無防備に晒していれば、そこを狙われる…だが、今の自分ならその気配も感じることが出来るし、その気になれば闇の中で本を読むことさえ可能だ。
　その時だった。
「おい」
「うわっ！」
　いきなり闇が揺れ、夜鷹の後ろにジェームズが立っていた。だが、いくら目を閉じていたとしても人が一人動けばそれは空気を揺らすはずだ。なのにそれが全く感じられないまま、ジェームズは現れた。久々に緊張で心臓を早く鳴らしながら、夜鷹がおずおずと振り返る。
「あんたか。びっくりした…」
「この廃墟に私とお前以外の誰がいるんだ」
「それはそうだけど…ごめん、起こした？」
　憮然とする夜鷹の隣にジェームズが座る。眠っていたのだろうか、ジェームズは膝まであるガウンを身につけていた。
「いや、お前が今日も何処かうろつくのかと思って起きていた…眠れないのか？」
　その問いに、夜鷹は目を閉じたまま不機嫌そうに頷く。
「どうしても眠れない。そろそろ本気で首くくりたくなってきた…それやったらダメになる気がするからしないけど」
　どうやら早々重症のようだ。ジェームズはその様子を見て軽く溜息をつく。
「この前色々思い出してからだな。それが原因か？」
「分からない…ただ、何だか上手く眠れないだけで」
　そう言うと夜鷹がすっと立ち上がり、毛布を被ったままふらふらと階段を下りていく。毛布の色が薄いベージュのせいで、闇夜に白く浮かび上がる姿はまるで幽霊のようだ。
　その様子を見てジェームズは考えていた。
　眠れないのは分かるが『上手く』とは、いったいどういう意味なのだろうか。眠ることに関してあまり関心を持ったことはないが、夜鷹が『上手く眠れない』というのには何か理由があるような気がする。そもそも眠ることに上手いとか下手とかがあるのか、そんな事すら考えたこともない。
「夜鷹、階段の下に寝ていると踏みつけるぞ」
　ジェームズが立ち上がると、夜鷹もそれを察したように起きあがった。相変わらず毛布は頭から被ったままだ。
「ミルクでも温めてやろう。少し話でもするか」
「ああ、うん。もしかして腹減って眠れないのかも知れないから、何か飲むのもいいかも知れない」
　夜鷹を居間のソファーに座らせ、ジェームズは残っていたミルクを一人分温めてほんの少しだけ砂糖を入れカップに入れて出した。
「ありがとう」
　それに息を吹きかけながら、夜鷹はミルクを少しずつ大事そうに飲んだ。そしてジェームズの方を見て笑う。
「美味い。何かすっげー安心する」
　今日は雨音よりも風の音が響いていた。ガラス窓を鳴らす音も聞こえる。
　すると夜鷹がカップを両手で持ち、毛布を被ったままぽつんと呟いた。
「色々あんたに話しちゃってもいいかな。もしかして、話せば上手く眠れるかも知れない」
　ジェームズは飾り棚からブランデーを出した。どうやら少し長い話になりそうだ。だが、夜鷹が自分から話したいというのであれば、この鳥籠に夜鷹を閉じこめている以上聞く義務がある。
「夜は長いから、たまにはゆっくり語るとしよう。飲むか？」
「いや、俺はこれがあるから」
　夜鷹はカップを指さし、ふっと笑った。

　部屋の中にはブランデーの香りが立ち上っていた。夜鷹はいつも吸っている煙草も出さず、ソファーの上で膝を抱えながらカップを持っている。
「あの後思い出したんだけど、俺の本名あんたに教えようと思って。なかなか言い出せなかったんだ」
「私に教えてもいいのか？」
　ふっとジェームズが笑う。それは決してふざけた意味で言ったわけではなかった。
　名前は強い力を持つ。忘れていたとはいえ、それを自分に教えると言うことは夜鷹が自分を信頼していると言うことにもなる。
　そんなジェームズを見て夜鷹がジェームズを上目遣いでじっと見る。
「他の誰に教えろって言うんだよ。それに『どんな小さな記憶でも話せ』って言ったのあんただよ」
「そうだったな」
　夜鷹は抱えていた膝を下ろし、カップをテーブルの上に置いた。そして毛布から右手を出しテーブルの上で漢字を書きながらゆっくりと名前を言う。
「『天野 鷹一（あまの・たかかず）』…それが俺のなくした名前。今となってはもう別人の名前みたいだから、今まで通り夜鷹って呼んでくれると嬉しい」
「………」
　ブランデーを飲みながらジェームズはそれを聞いていた。天野 鷹一…名前の一文字から「夜鷹」という名前が取られたかどうかは分からないが、そこから何かが掴めるかも知れない。
　そんなジェームズから視線をそらし、テーブルの上にあるカップを見つめながら夜鷹は話を続ける。
「研究所ではあんまりいい扱いされてなかった。眠れなくなったときのこともよく覚えてる…何がどうって訳じゃないんだけど、突然心がざわめいて眠れなくなるんだ。そうなると布団の中にじっとしていられなくて、今日みたいに毛布持ってあちこち彷徨ってた」
「いつもそうしてたのか」
「そうしてると大抵他の誰かが研究所の奴らに何か言ったりして、後はお決まり。薬打たれたり、殺されてみたり、殺す前に色々されたり…まあ、死んでも生き返るから、大した問題じゃないんだろうけど」
　それを聞いたジェームズが顔を上げた。夜鷹はまだうつろな目をしてカップを見つめ続けている。
「大した問題じゃないなら、どうしてそんな表情をしている？」
「え？」
「上手く眠れないのは、もしかしてその時の頃を思い出すからじゃないのか？」
　そのうつろな表情は、何とかして自分に起こったことを忘れようとしている顔だった。無論何が行われたのかを聞くつもりはない。それは夜鷹にとって思い出したくない記憶であろうし、そんな事は聞きたくもなかった。
　しかし、その記憶を含めて「夜鷹」という一人の人間なのだ。忘れるのではなく克服すること…それが今の夜鷹に必要なことだ。
　夜鷹はちょっとだけジェームズと目を合わせ、またそれをスッと逸らす。
「思い出さないって言ったら嘘になる。ここにいれば安心だって分かってても、夢に出てきてうなされることもあるし」
「忘れたいか？」
　はっきりと言ったジェームズの言葉に夜鷹が顔を上げた。
　そしてしばらくその銀の瞳をじっと見つめた後、そっと首を振る。
「いや…多分嫌な記憶を全部なくしたら、俺空っぽになると思う。それにまた自分のことを忘れるのはたくさんだ」
　そう言った夜鷹の表情はなんだか安らかだった。
　大丈夫だ。
　たまに後ろに下がったりもしているが、夜鷹は自分のことを受け入れはじめている。心に受けた傷は消せはしないかも知れないが、その痛みを癒やすことは出来る。ジェームズはそんな夜鷹を見て少し安心した。
　グラスの中に入っていたブランデーを手で温めながら、ジェームズは軽く息をつく。
「それなら良かった。私に話したことで少しは眠れそうか？」
「よく分からねぇ。でも、少しは楽になったかな…あんまりいい記憶じゃないけど、研究所の誰にも話せなかったから。話したのはあんたが初めてだ」
　被っていた毛布をはぎ取り、夜鷹がミルクの入ったカップを手に持った。そしてふふっと笑いながらブランデーの入った瓶を取る。
「もっと話していい？上手く眠れるまで付き合って」
「お前が話したければいくらでも聞いてやろう。それこそ朝まで付き合ってやる」
「じゃ、何から話そうか…この前持ってきてくれた小銃の話でもする？それとも最近読んだ本の話がいい？」
「好きに話せ…」

「………」
　気が付くと、夜鷹はソファーの上で目が覚めた。昨日ジェームズと飲んだブランデーの瓶がテーブルの上で空になっている。ずいぶん飲んだせいなのか、それとも久しぶりに熟睡したせいなのか頭が重い。
　自分の目の前で飲んでいたジェームズは、自室に戻ったのかそれとも外出したのか姿が見えなかった。
「ま、いいか」
　とりあえず今は安らかな眠りを。
　持ってきた毛布にくるまりながら、夜鷹はもう一度眠りに落ちていった。

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
廃墟奇譚の7話目ですが、元々夜鷹は眠れなくなったり、うなされたりと「眠りが浅い」という隠し設定がありまして、それに関した話になっています。本名を思い出したりと、少しずつ自分のことを話したりするようになってきました。
全13話の予定ということですのでペースを考えつつ書かせていただきます。
リテイク、ご意見はご遠慮なく言ってくださいませ。
またよろしくお願い致します。

PCシチュエーションノベル（シングル）

水月小織

東京怪談

2006年10月19日