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『Business record The final report 』
真行寺・恭介2512)&(登場しない)

 関西から東京に入ったのは、伊勢神宮の陰陽使いであることが会社の情報部によって確認された。まだ名前や顔などは未確認であるようだ。しかし、こちらの情報網へ完全に引っかからないところから考慮すると、恐らくは単独と思われた。
「club pied-de-poule」という店を訪れた直後に式神の襲撃を受けた点から見て、例の奪還屋との関係も考えられたが、その辺りは微妙だ。もし奪還屋が伊勢神宮の依頼で天叢雲剣を盗み出したのだとすれば、関西から陰陽使いがやってくる必要はないはずだ。
 奪還屋が誰の依頼を受け、研究所に侵入したのか、それを調べる必要があると感じた俺は、本社へ向かった。

「失礼します」
 ドアをノックし、俺は部屋に入った。最近、とみに訪れることが多くなったように感じられる重役室には、いつものように初老の男がデスクについていた。俺の直属の上司であり、この巨大企業を運営する役員の1人でもある。
「電話では話せない内容、ということだったが?」
 そう言われたので俺は小さくうなずいた。老人が手元のリモコンを操作すると、窓にブラインドが下り、部屋の蛍光灯が点いた。盗聴器などを警戒して妨害電波が発生され、この部屋で行われる会話は外に漏れないようになる。基本的に、この部屋で俺と上司が話す内容は、ダーティーで外部には決して漏らすことができないものだ。
 会社から配給される携帯電話が、いかに盗聴防止に優れているとはいえ、電波を介して通話を行う以上、完全に盗聴を防げるとは限らない。やはり、最も安全な手段は、こうして盗聴の危険性が少ない場所での会話に限られる。
「盗まれた刀剣は、どこから入手された物なのですか?」
「残念だが、それは明かせない」
 デスクの上に置かれた木箱から葉巻を取り出しながら老人が言った。
「明かせない? なぜです?」
「それがわからない君ではないだろう?」
 その言葉で理解した。あの刀剣は非合法な手段によって入手された物なのだ。会社には俺が所属する部署の他にも、ダーティーな仕事を受け持つセクションが存在する。そうした部署に属するチームの1つが、どこからか奪ってきたものであると思われた。
 だから、奪還屋なのだ。本来の刀剣の持ち主が、奪われた物を奪い返すことを生業としている人物に依頼したのだ。この場合、本来の持ち主とは熱田神宮ではない。それならば同系列である伊勢神宮の陰陽使いが東京入りする必要はなくなる。
「ですが、今回の盗難事件と、関西の動きは別物であると考えられます。研究所に忍び込み、刀剣を盗んだ人間は、本来の持ち主から依頼された公算が高いのです」
 老人は葉巻に火をつけ、大きく煙を吸い込みながらこちらを見た。俺から情報が漏れると本気で考えているわけではないだろう。この程度の情報が漏洩したところで、どうにかなる会社ではないし、なによりも俺は会社にとって不利益になる情報を他にも多く握っている。そして、そうしたことを口外したことは今までない。
 となると、話せない理由がある、ということだ。恐らく、それは社内的なものであると思われた。今回の事案が派閥争いに利用されているということなのだろう。下手をすれば、奪還屋を手引きした内部の人間がいるのかもしれない。俺を疑っているわけではないだろうが、老人は疑心暗鬼になりかけているのではないか、とも考えられた。
「数ヶ月前、富士北麓で1つの遺跡と思われるものが発見された」
 不意に老人は言った。
「発見したのは、とある大学の考古学者で、我が社が発掘の資金提供をする代わりに、社の研究チームと共同作業で発掘を行うことを約束させた」
 それが俺に語りかけているのではなく、限りなく独り言に近いものであることを理解した。そうせざるを得ない状況があるのかもしれない。今回の件は会社上層部の派閥闘争にも深く関与しているのだ。俺には関係のないことだが。
「発掘された品物のうち、いくつかを我が社で研究することは、当初の契約によって定められていた。しかし、考古学者はそれを反故にした」
 それを聞いて、ふと理解した。奪われたという刀剣は本物の天叢雲剣であるかもしれない、と。ウチの研究チームも同じことを考えたからこそ、強引な手段を用いてまで刀剣を入手したのだ。
 俺の記憶が正しければ、富士北麓には徐福という古代中国人が築いたとされる文明があった、という説がある。それは宮下文献という書物に記されており、この富士文明こそが日本最古の都市国家であると考えている学者も少なくない。
 公的な記録によれば、天叢雲剣を携えた日本武尊は蛮族討伐のために東へ向かったとされている。当時の日本の中心は現在の出雲より西で、それより東に住む人間はすべて蛮族とされていた。もし、富士文明が実在したのだとしたら、日本武尊が討伐のために向かったのは富士北麓に栄えていた文明であることも考えられる。
 発掘された刀剣が、どのような経緯で天叢雲剣と断じられたのかは不明だが、仮に本物であるとすれば、その歴史的な価値は計り知れない。会社だけでなく、多くの人間が刀剣を手元に置こうと躍起になる気持ちも理解できる。
 俺は問題の学者に話を聞く必要があると感じた。

 発掘を行ったという大学、学者を調べることはたいして難しい作業ではなかった。上司の言葉によれば、そうした情報は明かせない類いではあるようだった。当然、会社の情報部に問い合わせたところで、機密事項を理由に情報開示はなされないだろう。
 しかし、金の流れを追いかければ、どこが関与したのかを調べることは我々にしてみれば簡単な作業だ。いかに会社が情報を隠蔽するため、複数のダミー会社や団体を経由して金を動かしていても、そうしたことを調べるのも俺の仕事である。
 新聞記者と身分を偽り、富士北麓での発掘調査の取材と称してアポイントメントを取った俺は、待ち合わせ時間より少し早く大学を訪れた。待ち合わせの場所は発掘の陣頭指揮を執った学者の研究室で、大学の受付で来訪を告げて俺は研究室へと向かった。
 他の学者や生徒とおぼしき人間に混じり、廊下を進んで目的の部屋の前で立ち止まると、ドアをノックした。しかし、返事はない。何度かノックを繰り返したが、やはり応答はなかった。ドアに耳を当ててみるが、物音はせず、部屋の中に人の気配は感じられない。
 留守、ということはないだろう。確かに約束の時間よりも少し早いが、席を外しているということは考えにくかった。さて、どうしたものか。引き返し、少し時間を置いてから訪ね直すということも考えた。だが、俺は試しにドアノブへ手をかけてみた。ドアに鍵はかけられておらず、小さな音を響かせてドアは簡単に開いた。
 その瞬間、濃い血の臭いを嗅いだ。反射的に口許を手で覆うが、鼻の奥に染みついた臭いは、しばらく取れそうにもなかった。
 やられた。
 頭の中に警報が鳴り響く。すぐにドアを閉め、なにも見なかった、自分は来なかったことにしなければならないことは理解していた。だが、俺はそうしなかった。素早く周囲を見回して誰もいないことを確認すると、懐のホルスターから拳銃を引き抜いて両手で構え、静かにドアを押し開けて部屋の中へと入った。
 たいして広くない室内は雑然としていた。棚に並べられていたと思われる蔵書や書類が床に散乱し、何者かが部屋を荒らしたと思われた。
 今日、この場所で会うべき予定だった人物は椅子に座っていた。近づいて確認するまでもなく、絶命していることは明らかだった。後ろ手に手首を縛られ、うつむくような姿勢で事切れている。血まみれの顔を覗き込むと、殴られた痕があり、全身にも内出血を受けていると思われた。この部屋に侵入した何者かに拷問を受けたようだ。
 その足元に人の形をした紙切れが落ちていることに気がついた。どうやら、犯人は陰陽使いであるようだ。先を越された。関西からの刺客のほうが明らかに先行している。
 厄介な相手だ。そして、刺客としては打ってつけでもある。式神を動かし、先回りして関係者の口を塞いでいる。今回のことにしても、大学に入ってきた人間はいるが、出て行った人間はいない。学者を尋問し、殺した式神は、命令を成就して紙切れに戻ってしまった。これで学者を殺害した最も有力な容疑者は俺ということになる。
 室内を素早く調べたが、盗まれた刀剣はおろか、それにつながる手がかりになりそうなものは発見できなかった。死体の足元に転がった紙切れを拾い上げ、俺は自分の痕跡を完全に消してから部屋を出た。受付の人間に姿を目撃されている以上、長居するわけにはいかなかった。いずれ、誰かが死体を発見して警察が介入することになるだろう。しかし、俺の許に警察がくることはない。そうなっているのだ。

 大学から遠ざかる車の中で俺は電話をかけた。短縮ダイアルに記憶させておいた番号を呼び出し、数回のコールが耳に響いた後、聞き慣れた声がした。
「俺だ。伊勢神宮の人間が東京に入っているという情報がある。誰が入ったのかを調べ、その人間の足取りを追ってくれ」
「わかりました」
「他にも奪還屋と呼ばれる人物の所在地を確認する必要がある。場合によっては警視庁のNシステムとSシステムに侵入しても構わない。俺の名前で情報部に協力を要請しろ」
「了解」
 Nシステムというのは自動車ナンバー自動認識システムのことで、都内二百ヵ所以上に設置された無人カメラによって、走行中の車のナンバーを自動的に撮影する装置だ。あらかじめ登録されたナンバーの車がNシステムの下を通過すると、コンピュータがパトカーなどに搭載された携帯端末に連絡するようになっている。画像は一定期間、保存されるので重大事件が発生してからでも車のナンバーを検索することが可能である。
 主に主要幹線道路に設置され、最新の物は運転者と助手席に座る人間の顔も撮影できるようだ。昔、東京の地下鉄に猛毒の神経ガスが撒かれ、多くの人間が亡くなったテロ事件の際、Nシステムが犯人の顔と車のナンバーを捉えていたというのは有名な話だ。
 Sシステムは駅構内監視システムのことで、駅構内に置かれた不審物を自動的に検出するとともに、怪しい動きを見せる人物を追跡撮影し、場合によっては警察へ通報する装置のことだ。前述した地下鉄テロ事件以降、鉄道を利用した新たなテロを警戒して全国に普及した。どちらも警察が管理しており、一般人は画像を見ることができない。しかし、ネットワークを介してハッキングを仕掛けることで、我々にも閲覧は可能となる。
 学者が殺された今、刀剣の所在を知っているのは奪還屋と陰陽使いのどちらかだ。だが、陰陽使いが刀剣を持っている可能性は低いと見ていた。仮に陰陽使いが学者から刀剣を奪ったとすれば、拷問にかける必要はない。まだ刀剣の所在をつかんでいないからこそ、学者を拷問にかけ、その在り処を聞き出そうとしたのだ。
 そう考えると、奪還屋はまだ刀剣を学者に渡していなかった公算が高い。取引が完了する前に我々が動き出したことで、多くの障害が発生したと思われる。
 陰陽使いが奪還屋と接触するよりも前に、奪還屋の身柄を押さえる必要があった。しかし、東京の地理に通じ、裏社会で名を上げつつある奪還屋が、そう簡単に尻尾をつかませるとは思えなかった。NシステムやSシステムに監視されないように移動している可能性は高い。むしろ、陰陽使いのほうが居場所を特定しやすいといえるかもしれない。
 電話が鳴った。ハンズフリーに接続して電話に出た。相手は誰だかわかっている。
「俺だ」
「チーフ。伊勢神宮の人間が判明しました」
「何人、こちらへ入っている?」
「1人です。いわゆる隠し巫女というヤツです」
「巫女? 女か?」
「そうです。こちらで把握している情報の中から、Sシステムで検索をかけたところ、1人ヒットしました。4日前に東京駅で姿が確認されています」
 隠し巫女。厳密には名前などない。我々が便宜上、そう呼んでいるだけのことだ。伊勢神宮が抱える実動部隊の中でも、暗殺などの仕事を受け持つ暗部である。陰陽使いということで、最初は外部の人間を動かしたのかとも考えたが、伊勢神宮は自前の中で最強の人間を送り込んだということなのだろう。それだけに伊勢の強い執念を感じる。
「最新の記録は?」
「7分前から品川駅の構内にて確認されています」
 品川。なぜ、そこにいるのかがわからなかった。
「わかった。隠し巫女の画像をこっちへ転送した後、引き続き、奪還屋の居場所を調べろ」
「了解」
 電話を切り、車を品川へ向けたところで不意に気がついた。もしかしたら、陰陽使いはすでに刀剣を入手しているのかもしれない。品川駅には新幹線が停車する。陰陽使いが刀剣を手に入れているのだとしたら、新幹線に乗られた時点でアウトだ。関西へ持ち込まれれば、こちらは2度と手出しができなくなる。電子メールの着信を知らせ、携帯電話が震えるのを感じながら、俺は品川駅へと急いだ。

 階段を駆け下りながらホームに新幹線が滑り込んでくるのが見えた。平日のホームは空いていた。所々に背広姿の人間が見えるだけだ。俺は画像で確認した隠し巫女を捜しつつ、携帯電話を操作して短縮ダイアルへ電話をかけた。
「俺だ。品川駅のSシステムをハッキングして、映像を差し替えろ」
「了解」
 電話を切り、振り返ったところで俺は1人の女を発見した。ヤツだ。伊勢神宮の隠し巫女。落ち着いた色のスーツを身に着け、眼鏡をかけてOLに偽装しているが、その手には棒状の長いケースを携えている。あれが奪われた刀剣、天叢雲剣に違いない。
 俺は女へ向かって駆け出しながら懐から拳銃を引き抜いた。ホームにいた人間たちが驚愕の目を向けてくるのが感じられた。新幹線がゆっくりと停車してドアが開き、数少ない乗客がホームに降り立つ。それと入れ替えに女が新幹線へ乗り込もうと足を踏み出した。
「止まれ!」
 銃口を向けながら叫んだ。女がこちらを見た。それと同時に他の乗客も俺に顔を向け、拳銃を見て悲鳴が上がった。ホームにいた駅員が驚きの顔を向け、無線機を通じてどこかへ連絡するのが視界の片隅で見えたが、それに構っている余裕はなかった。
 女は冷たい視線を向けていた。底冷えするような瞳だ。いったい、何人の人間を殺したらこういう目になるのだろうか。人間を人間として見ていない。単なる獲物。物体としてしか考えていない、そんな印象を受ける目を女はしている。
「剣を床に置け。そうすれば見逃してやる」
 その言葉に反応するように、女はゆっくりと身をかがませ、右手に持ったケースを床へ置こうとした。が次の瞬間、女の左手が閃いた。その動きから攻撃が来ると瞬間的に判断した俺は、それと同時に引金を絞っていた。消音器を装着した拳銃から鈍い銃声が響き、吐き出された銃弾は女の左肩と左腕を撃ち抜いた。
 俺は腹部に痛みを感じた。しかし、それに構っている暇はない。右腕を負傷しながらも、身を翻して新幹線へ乗り込もうとする女へ、再び照準を合わせて発砲した。数発の銃弾が両足に着弾し、女は崩れ落ちた。床に倒れた女の目の前で新幹線の扉が閉じられた。
 腹部へ目を向けると、人の形をした1枚の紙が、まるで鋭利な刃物のように深く突き刺さっていた。意識した途端、激痛が駆け抜けた。だが、傷の感覚からして内臓には達していない。まだ動くことはできる。
 銃口を向けながら女に近づき、棒状のケースを拾い上げた。女はうつぶせに倒れたまま、顔だけを俺のほうに向けていた。しかし、観念したのか抵抗しようという素振りは見られなかった。冷たい殺意のこもった女の視線を感じながら、懐の携帯電話へ手を伸ばし、短縮ダイアルに電話をかけた。
「俺だ。チームの人間を品川まで寄こしてくれ」
「もう向かっています。あと1分で到着する予定です」
「わかった」
 チームの人間が到着するまで、俺は女へ銃口を向けて立ち続けた。警察が駆けつける前に撤収できたのは、僥倖と言わざるを得なかった。

 結果からすれば任務は成功したといえるだろう。品川駅で銃撃を行ったことで、会社の情報部が事後処理に苦労したようだったが、問題はその程度だったようだ。
 陰陽使いへの尋問で明らかとなったのは、陰陽使いは奪還屋から刀剣を入手したということであった。本来の依頼主である学者が死に、宙に浮く形となった刀剣の処分に困った奪還屋は陰陽使いへ取引を持ちかけ、その結果として刀剣は陰陽使いへ渡った。
 あのまま奪還屋のほうを追いかけていたなら、刀剣は陰陽使いによって関西へ運ばれ、2度と取り戻すことができなくなっていたに違いない。さすがに会社も表立って伊勢神宮を敵に回すような真似はしないだろう。そう考えると偶然とはいえ、あの時の判断は間違っていなかったのだと安堵した。
 諸々の問題はあったが、刀剣を取り戻し、陰陽使いを捕らえたことで会社は関西に対して有利な立場を得たと見て良いだろう。無論、伊勢側が囚われている隠し巫女を切り捨てれば意味はないが。
 傷はたいしたことはなかった。数日、休養すれば問題なく業務に戻ることができるようだ。そうすれば、また忙しい日々が待っているだろう。
 それまで、しばしの休息としよう。

 完

PCシチュエーションノベル(シングル) -
九流 翔 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年10月13日

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