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『レノアの人形 』
レイリー・クロウ6382)&(登場しない)


 ”大鴉はいらえた、「またとない。」”



 東京という名の街の、裏寂れた小路の、その裏手に。
 もはや人という人の記憶から離れて久しい、鄙びた骨董屋が軒を構えていた。
 店と呼ぶには随分と手狭な――そう、恐らくは精々が十畳程も数える程であっただろうか。その手狭な空間の内に、それでも雑多に積み上げられた骨董の数々が、その場所が商いに拘っている空間なのだという事を明瞭に知らしめてもいた。
 狩野派末席の無名絵師による書画は決して保存状態の好いものとは云えない代物ではあるが、しかし、それでも市場に出れば相応の値のつく品となろう。
 古銅は鋳型と蝋型とがあると云うが、この場に有るそれは蝋型によるものであり、やはり、市場に出れば相応の値がつくものとなろう。
 他にも箪笥や時計、鍔といった、統一性のまるでない品々がずらりと首を並べている店内は、埃と垢とで塗れ、世辞にも見目良い環境であるとは云い難い有り様であった。
 埃舞う仄暗い空間を、売り物でもある台ランプがちらちらと照らしつけている。
 時候は、夜。
 応鐘の紅色の月が暗天に架かり、往く風は涼やかであって凛と張り詰めたものであった。
 虫共が騒がしく唄う頃合であっても、しかし、この骨董屋が在る場所ではその者共の気配すら感じられる事のない。
 闇、闇、漆黒。
 ただそればかりが静寂の内に潜んでいるのだった。

 骨董屋に住まう店主は年老い皺枯れた男であり、枯れ木の如くの手足には生気等といったものはまるで無く、にも係わらず、爛々と閃く双眼には薄ら寒くなるような光が宿ってあるのであった。

 闇が震い、風が止んだ。
 その時だ。
 漆黒よりも一層昏い闇を孕んだ大鴉が一羽、天を下り、風を斬り、ゆらりと羽を折り畳んだのだ。
 かれが休んだ場所こそが、彼の骨董屋の真前。
 台ランプばかりがひらひらと影を揺らす静謐たる風景は、禍禍しくもありながら、その反面で何処か神秘めいた神々しさすらも織り込んでいた。
 鴉は店主を覗き見る事の出来る場所を探し、再び翼を大きく上下させた。程なくしてかれは硝子の割れた窓の隙間より店の中へと潜り込み、屍の如くに身動きひとつ見せない老人の傍らへと足を進めた。
 そう。
 鴉は、何時の間にか、ひとりの人間の姿へと変容していたのだ。
 夜を映す両翼はベルベッドの色彩を放つ漆黒のマントへ変わり、夜を纏っていた全身は黒いシルクハットと黒い革の手袋へと変わっていた。
 透き通るような真白な肌が、仄暗い世界の内側で艶かしい艶を帯びて光る。

「……ようやく来たのか」

 屍の如くの姿をした店主が、鴉――否、今やその端麗な顔に魅惑的な微笑をのせた青年の姿となっていた――を見とめ、爛々と閃く眼光を一層昏い光で満たした。
 しかし、対する青年は応えない。ただ静かに微笑してみせるばかり。
「ああ、ああ……どれ程、どれだけおまえを待ち侘びた事か……!」
 老人が腰を落としていた椅子が甲高い軋みをあげた。
 青年は、やはり、言葉ひとつあげるでもなく、ただ静かに老人を見つめている。
 老人は枯れ木のような手足を前後させながら青年の傍へと歩み寄り、ぬめつき光る眼差しで青年の瞳を覗き見た。
「おお、おお、おお……! さあ、はやく、はやくわたしを連れていけ!」
 老人の手が青年の袖をぐしゃりと掴む。老人のその腕は、払い除けるだけで呆気なく折れてしまいそうな程に細く、――まるで枯れた骨そのもののようにも見える。
 老人の目は光を帯びてこそいるが、覗き込むと、そこには薄暗い闇ばかりが広がってあるのが知れた。
 青年は老人の手を払い落とすでもなく、一言を応えるでもなく、ただやんわりと微笑みながら、老人の目が映す夜の湿りばかりを見据えていた。
「何をしてるんだ! 死、死、死だ……! わたしを早く死なせてくれ!」
 
 喚き続ける老人を余所に、青年はようやく視線を老人以外へと向ける。
 置かれてあるのは何れも価値を持つ骨董品ばかりだが、保存状態が良くないためか、大半が汚れ、色を失い、あるいは欠けて崩れていた。
 その中で、青年の目を惹いたのは、先程まで老人が座っていた椅子の後ろに飾られてある木彫りの写真立てだった。
 白木を用いた物だろうか。しかしそれは手垢と埃とで随分と汚れていて、しかも、それ自体には大した価値の無い物であるように見受けられる。
 だが青年は、そこに飾られてある写真に興味を惹かれたのだ。
「失礼。あの写真は?」
 金に閃く双眸を再び老人の顔へと向けて、青年は初めて口を開けた。
 しかし、老人は、青年の言葉になど気を向けるともなしに、ただひたすらに同じ言葉ばかりを繰り返す。
 即ち、死を。
 老人はひたすらに死ばかりを望んでいるのだ。
 青年は、会話に展開の無いのを知り受けると、改めて写真の中へと眼を寄せる。

 色褪せ、陽に焼けて、半ば画も失せてしまっている、一枚の写真。
 写真の中、少女の形をした人形を抱え持ったひとりの少女がいて、可憐な笑みを浮かべて首を傾げていた。
 ふと、青年はちろりと視線を移し、骨董が積まれた棚の中に目を遣った。
 視線を感じたのだ。
 果たして、棚には薄汚れた人形が置かれていて、そうしてそれは写真の中の少女が大切に抱きかかえているそれと全く同一たるものだった。
 僅かにも動かぬはずの硝子球が、何某かの意思と共に青年を見つめている。
 青年はゆるゆると腕を持ち上げてハットの位置を正し(とは云うものの、青年が身につけている帽子やシャツやマント――総てはまるで乱れ無くきっちりと在るままだったが)、闇に閃く金の双眸をゆったりと細めて、「あなたは」と一つばかり口にした。
 骨董屋の店主は未だ青年にしがみ付いたままで己の望みばかりを口走っているが、青年の関心を寄せたのは朽ちるのを待ち望んでいる老体ではなく、身じろぐ事すらないはずの、一体の人形だったのだ。
「あなたはこの男の知り合いですか」
 人形を前に足を止めて、青年は恭しく腰を折り曲げる。
 人形はフランス製であるようだった。薄汚れてこそいるものの、頭髪は見事な巻き毛の施されたブロンドで、目玉代わりの硝子球は翠の艶を帯びている。
 老人が、青年の気を引こうと――そう、実に醜い素振りで望みを喚き散らしている。
 人形は身じろぎ一つしないままに、ただ真っ直ぐに青年の姿を見つめているばかり。
 青年は、つと片手を持ち上げて、人形の、光り輝く目玉へと指を伸べた。
 宝石の様に光るそれは、青年の指が触れるのと同時に、ちりりと空気を震わせて――そうして、形無き声をもって、青年の耳に言葉を告げる。

 青年の目が、すうと三日月を象った。


「さあ、さあ! 早く、早く、わたしを殺してくれ……! おまえは冥府の磯より遣わされて来た死神なのだろう……!?」
 青年の視線を取り戻した老人が、最早狂気の沙汰のものとしか思えぬ笑みを満面に浮かべる。
 青年は、しかし、応えようとはしない。
 艶然とした笑みを浮かべ、ただ押し黙ったままで、迷う事なく、老人の眼球に指を突き立てたのだ。

 空気をも引き裂かんばかりの叫びが、埃と垢とで汚れた仄暗い骨董屋の中をびりびりと震わせた。
 台ランプが点す灯りがぱちりと爆ぜて飛び散った。
 辺りには、今度こそ紛う事なき暗黒ばかりが立ち込めた。


 わたしはずっとみていたの
 わたしのだいじなあのこのからだを、いもむしのようなゆびがけがしていくのを
 わたしのだいじなあのこのこころを、うじむしのようなよくがけがしていくのを
 あのときはみているだけしかできなかったけれど
 あのこはてんごくにいくときに、わたしにちからをくれたのよ
 そのちからで、わたしはそのおとこにじごくをくれてやったわ
 あのこがやっとてにいれたあんどだもの
 おなじあんどは、そのおとこにはくれてなんかやらないわ


 台ランプが再び小さな灯りを宿す。
 薄暗い骨董屋の中、甲高い軋みをあげる椅子の上に、店主である老人がぽつりと腰を落としている。
 骨董屋は、東京という街の中にありながら、最早誰の記憶にも残されてはいない、裏寂れた小路の裏に軒を構えている。
 故に、今となっては――否、これから未来永劫、誰の足も寄せられる事は無いであろう、暗黒の内に在る場所となっていた。
 店の中に積み上げられている品々は、市場に出れば相応の値がつくであろう物ばかり。だが、それも客の無い暗黒の内に在っては、最早何たる価値の無い物に等しい。

 虫すらも寄らぬ闇の中より、鴉が両翼を広げて飛び立った。
 その手の中には翠色に艶めく硝子球が一つ握られている。
 夜の闇を揺らし、鴉が高々とした笑みをあげた。
 硝子球のもう一つは、店内に置かれた人形の内に。
 
 『死』という名の安息を得られぬ身となった老人は、待ち望んでいた死神にすら打ち捨てられた。
 目玉も失い、若さも、猛々しかった肉体すらも遠のき、枯れていくばかりの身を抱え、それでも店主は生きていかねばならぬのだ。
 恐らくは、神がこの世の総てに裁きを下した、その後でさえも。


 ――おまえは冥府の磯より遣わされて来た死神なのだろう!?

 カ、カカッ
 大鴉は喉を震わせて嗤う。

「またとない」

 ようやく応えた言葉は、しかし、永遠に老人の耳には届く事は無い。





Thank you for an order.
Moreover, I am waiting for the day which can meet.

2006 October 11
MR
PCシチュエーションノベル(シングル) -
エム・リー クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年10月11日

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