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『Pluie et rose 』
白鋼・ユイナ6662)&(登場しない)

 中天に浮かび上がる下弦の月に雲がかかろうとしていた。その薄い月の光と街のイルミネーションを感じながら白鋼ユイナはステアリングを握っていた。モンスターマシンを操るにしては、不釣合いな女性だ。黒髪に白い肌。赤い瞳は遠くを見据えている。聞こえるのはエンジンの鼓動と激しいエキゾーストのみ。窓の外を流れる景色は速く、そのイルミネーションも徐々に数を減らしている。メタリックブラックに塗装された車体は周囲の闇に溶け込むかのようで、ヘッドライトから照射される青白い光だけが存在を知らせている。その姿はまるで闇夜の草原を疾駆する肉食獣のようにも見えた。
 やがて車体は都市部を抜け、人家もまばらな郊外へと入っていた。やがて、窓にかすかな水滴がつくようになり、ユイナはスイッチを操作してワイパーを動かした。マシンの鼓動、夜のしじまに突き刺さる甲高い排気の咆哮。ユイナは右手でステアリングを操作しながら素早くギアをシフト。エンジンの回転を合わせてヒール・アンド・トゥでクラッチを繋ぐ。滑らかにシフトダウン、瞬時にしてギアは4速から3速へ。深夜のため点滅式の信号となった大きな交差点が接近する。慣性の法則を無視するような動きでコーナーを駆け抜け、漆黒の車体は猛スピードで市街地から離れて行く。黒衣で全身を固めたユイナが向かっているのは、街の南東にある湾岸地帯に存在する工場密集地域だ。
 巨大なタービンが1・5トンの車体を加速させる。マシンは速度を保ったまま、瞬く間に市街地を抜けて工場地域へと続く広域道路に入る。日中、大型輸送用トラックの往来が激しいために路面は荒れている。数分後、ユイナは目的とする工場の前に車を停止させた。エンジンを切ると排気の唸りが眠りに就き、周囲は静寂に包まれた。静かに運転席側のドアを開けてユイナは暗闇の中に降り立った。海を渡ってきた雨混じりの潮風が、ユイナの全身に張り付くようなスリムタイプの黒いロングコートの裾をはためかせた。
 ユイナは足音を殺しながら工場の裏手へと回る。作業の停止した工場は恐ろしいまでの静寂に包まれている。巨大な工場の裏側に着いたユイナは一つの窓に目をつけた。ユイナは素早く周囲を見回すと右足で勢い良く地面を蹴る。地球の引力を無視するかのようにユイナの身体は宙を舞い、10メートル近くまで跳び上がって窓の縁に片足をかける。
 その窓は工場のキャットウォーク付近に設けられた物であった。ユイナは懐から一つの機具を取り出すと音もなくガラスを割った。自分が潜り抜けられる程度の穴を開けて工場に侵入する。非常灯を除く照明の消された工場内部は暗闇に覆われている。だが、闇夜をも見通すユイナには内部の様子が鮮明に見えた。闇の中に並ぶ機械、様々な色に輝く無数の発光ダイオート。まるで無機質な鋼鉄の塊の群れが息衝いているかのようだ。
 完全に自分自身の気配を殺してユイナはキャットウォークを歩く。ユイナは感覚を鋭敏にさせるが工場内部に気配は感じられない。しかし、なんともいえない重く張り詰めた雰囲気が闇の中に漂っている。その異質な空気が危機を敏感に感じ取るユイナの第六感に障る。懐に手を伸ばし、肩から吊り下げたホルスターに収めた拳銃を引き抜いた。ダイオードの光を受け、マットに表面を仕上げたステンレスの銃身が鈍く輝く。
 スミス&ウェッソンM500。使用する銃弾は50口径の500S&Wマグナム。この弾は44マグナムの約3倍の威力があり、そのため、銃身には特大のXフレームを採用し、本来であれば6発装弾の弾倉も5発に減らしてある。その威力に比例して発射時の反動も相当なもので、ユイナの使用する8インチモデルは、その反動を抑制するために2キロもの重量を持たせている。だが、それでも反動はすさまじく、銃口上部にはコンペンセイターと呼ばれる発砲時のガス圧によって反動を抑える機構を備えていた。
 巨大な拳銃を右手に下げながらユイナは暗闇の中を進む。纏わりつくような空気にユイナの感覚は麻痺しそうになる。だが、一瞬も気を抜くことなくユイナは一階の工場部分へと下りた。と次の瞬間、周囲の空気が白く煙って即座に人間の形となる。それがなんであるかを瞬時に悟ったユイナは、霧が固体化すると同時に拳銃を発砲した。
 轟音が周囲を埋め尽くし、人の形となった霧状の物体は、頭に当たる部分を吹き飛ばされ、床に転がった。それは頭を吹き飛ばされた死体であった。首をなくした肉体は、断末魔の叫びのように全身を激しく痙攣させると、その直後には漆黒の塵と化して消滅した。その後には何もない――一片の肉片すら残ってはいない。
 新たに出現した男たちは、ユイナの思わぬ攻撃で警戒するように動きを止めた。ユイナを取り囲むように霧から変化した数人の男は、剥き出しの殺気を隠そうともせずに彼女を睨みつける。数対の双眸が血の色に紅々と輝いていた。開かれた口元から覗く上下の犬歯が以上に発達している。この男たちは一般に吸血鬼などと呼称される化物だ。
 アイルランドの作家ブラム・ストーカーが1897年に発表した小説、『吸血鬼ドラキュラ』の中に登場する主人公にして架空の怪物である。怪物の代名詞として20世紀を駆け抜けた伝説の存在ともいえる。否、吸血鬼は架空の化物などではない――吸血鬼は実在しているのだ。人間社会の裏側の闇に紛れて吸血鬼は世界中で生き長らえてきた。
 己のヘモグロビンを補うために人間の血液を摂取する。吸血鬼は自分でヘモグロビンを生成することができない。生きるために自身に酷似した人間の血液を奪うのだ。吸血鬼も地球の食物連鎖に組み込まれているだろう。だが、生物の頂点に君臨する人間は捕食されることを拒否する。拒否するがために人間は吸血鬼を滅亡させようとしている。
 実体化した吸血鬼が凄まじい速度でユイナに襲いかかる。しかし、全身の神経を研ぎ澄ましたユイナには、それすらも遅く感じられる。正面と背後から繰り出された貫手と蹴りの同時攻撃を、左右に素早く身体を移動させて避けると反撃に転じる。腰のベルトから引き抜いた純銀製のナイフを背後から心臓に突き刺し、もう1人の頭部に銃口を突きつけ――引金を絞った。瞬く間に2体の吸血鬼が塵となって消え去る。
 ユイナはそのまま身体を捻って吸血鬼に照準を合わせると、立て続けに発砲。3体の吸血鬼が悲鳴を上げる間もなく消滅する。吸血鬼が黒き塵と化すのを視界の端で捉えながらユイナは加速し、シリンダーを開いて空の薬莢を捨てると、素早い動作で5発の銃弾を込め、再び発砲する。硝酸亜銀の銃弾が心臓を撃ち抜くと、絶命の悲鳴を上げながらも一矢報いようとする吸血鬼に間を与えず、ユイナは頭部に銃弾を叩き込んだ。
 ユイナを遠巻きに包囲する吸血鬼の間に恐怖が漂う。本能だけで動く化物とは違って下位吸血鬼はかすかだが自我を持つ。自我があるという事は理性を有しているということでもある。下位吸血鬼たちは周囲の様子を冷静に判断することが可能なのだ。彼らの理性が――いや本能すらも危険だと伝えていた。目の前に立つ黒衣のユイナを。
 ユイナは一陣の黒き旋風と化して暗闇の工場内を疾駆する。下位吸血鬼たちがユイナを迎撃しようと行動を起こすものの、それらの攻撃を掻い潜ってユイナは銃弾で、あるいは銀製のナイフで1人、また1人と吸血鬼を灰燼に帰す。神速の領域で繰り出される攻撃に吸血鬼は防御すらままならない。数分後、呼吸を整えるユイナの周囲に吸血鬼の姿は存在しなかった。
 拳銃を懐に収めるとユイナは足音を殺して歩き出す。違和感というべきか、異質な空気は消え去っていない。それはつまり工場内部に別の吸血鬼がいるということだ。ベルトコンベアに沿うように歩を進めていたユイナは、背後に一つの大きな気配を感じて足を止めた。敵意や殺意は感じない。非常に穏やかな気質だ。だが、それが決して人間のものではないことをユイナは悟っていた。微かな瘴気を含んだ、絶対に隠すことのできない吸血鬼の気配だ。冷たい視線と穏やかな気配を背中に感じながらユイナは振り返った。
 十数メートル離れた場所に1人の人物が佇んでいた。闇に溶け込む黒衣、冷たさしか感じられない男だ。濃いブラウンの頭髪を整髪剤か何かでオールバックに固め、右のこめかみには毒蛇を象った単色の刺青が彫られている。人間の血を欲して紅く輝く双眸は鋭利な刃物のように鋭い。しかし、その瞳に浮かんでいるのは哀れみにも似た輝きだけだ。
「貴様が今回の刺客か」
 周囲の空気を瞬時に凍りつかせるような冷たく鋭い声。聞く者の心臓を躊躇なく突き刺すがごとき鋭利な声音。しかし、ユイナは平然と聞き流しながら懐にある拳銃へ手をかける。全身の神経を研ぎ澄まして肉体を臨戦体勢に持って行く。戦闘能力に特化した中位吸血鬼ともなれば一瞬にして、それこそ瞬間移動のように20メートルを駆け抜ける。
 中位吸血鬼の持つ絶大な戦闘能力を侮ってはいけない。その反射能力は地上に存在するどの生物をも凌駕する。それを熟知しているからこそユイナは一瞬も気が抜けない。数多の吸血鬼を屠ってきたがゆえに敵の能力も分かる。敵対する意思などないように悠然と佇んでいるものの、一瞬でも隙を見せれば即座に攻撃を仕掛けてくるだろう。霧化して不意を突くか――距離を詰めて直接攻撃か。どちらにせよ下位吸血鬼のようには簡単にいかない。
「だが、無駄だ。人間ごときに私は滅ぼせんよ」
「お喋りな奴だ」
 目の前に立つ吸血鬼の言葉を遮り、淡々とした口調で吐き捨てると同時にユイナは発砲した。懐のホルスターから抜いたにも関わらず、そのクイックドロウは敵に悟らせる暇も与えず、銃口から放たれた銃弾は吸血鬼の頭部を確実に捉えていた。並の吸血鬼であれば、そのまま頭部を吹き飛ばされて黒い塵と化していただろう。が、回避不能と思われた銃弾を、吸血鬼は上体をひねってかわした。
 ユイナは瞬時にして間合いを詰めると、後ろ腰から引き抜いた銀製のナイフを吸血鬼の胸部へ突き立てようとした。しかし、吸血鬼は瞬時に全身を白い霧に変えて姿を消すと、一瞬の後には殺気を纏いながらユイナの背後へと出現した。ラインハルトから絶大な威力を内包した貫手が繰り出される。だが、背中に感じるラインハルトの気配だけでその攻撃を避けると、ユイナは振り向きざまに敵の胴体を狙ってナイフを振るう。
 絶妙のタイミング。決してかわせない攻撃のはずであった。敵対者の心臓へナイフを突き刺す――絶対の自信を持っていたユイナは次の瞬間、双眸に飛び込んできた光景に我が目を疑った。微かな光を受けて鈍く輝く刃が空中で停止していた。本気の一撃を吸血鬼は2本の指だけで止めていた。神速の攻撃は人差し指と中指に挟んで止められていた。
 ユイナの表情が一瞬、驚愕に包まれた。が、その直後にはリボルバーの引金を絞っていた。轟音にも等しい銃声と凄まじい反動。銃口から吐き出された硝酸亜銀製の銃弾は、吸血鬼の右腕を易々と吹き飛ばした。宙を舞った右腕は、空中で黒い塵と化して霧散した。
「くっ……」
 吸血鬼の口から呻きにも似た声が漏れた。次の瞬間、自身の不利を察したのか、吸血鬼は不意に高く跳躍すると、キャットウォーク付近に設置された窓ガラスを突き破って外へと逃げた。それを追いかけてユイナもキャットウォークまで飛び上がると、ぽっかりと口を開けた窓から外へ出た。雨足は先ほどよりも強まっていた。小粒の雨が強い潮風にあおられ、勢い良くユイナの全身へ叩きつけられる。雨の感触にユイナは思わず顔をしかめた。
 周囲を見回すと、凄まじい速度で遠ざかる吸血鬼の背中が見えた。空になった弾倉へ銃弾を装填し、その後ろ姿へ照準を合わせてユイナはリボルバーの引金を絞った。立て続けに轟音が闇夜を引き裂いた。亜音速で空を切った弾丸が吸血鬼の右足を吹き飛ばし、胴体に着弾した。バランスを崩した吸血鬼が地面に転がるのをユイナは見た。
 ゆっくりとした歩調で吸血鬼へ近づきながら、ユイナは手首をスナップさせて弾倉を振り出し、薬莢を地面に捨てると1発ずつ新しい銃弾を装填して行く。そして右腕と右足を失い、銀の銃弾の効果で胴体の一部を炭化させながらも、なおも逃げようとする吸血鬼の足元に立ち、その頭部へ銃口を向けた。
「……次に生まれてくるときは、人間にしなさい」
 冷ややかに吐き捨て、ユイナは引金に指をかけた。直後、最後の悪あがきとばかりに吸血鬼が反応した。バネのように上半身を撥ね起こすと、ユイナの頭部を狙って必殺の貫手を繰り出した。ユイナは驚異的な反射速度で上体をひねって攻撃を回避するが、完全にはかわしきれずに吸血鬼の鋭い爪が首筋をかすめ、裂けた皮膚から鮮血が噴き出した。その血は近くの花壇に植えられていた白い花へ降りかかり、花弁を紅く染めた。
 同時にユイナは発砲した。数発の銃弾が吸血鬼の頭部を吹き飛ばし、力を失った肉体が地面に崩れ落ちた。主をなくした肉体は瞬く間に黒い塵と化し、叩きつけられる雨混じりの海風に流された。その光景を視界の端で冷ややかに眺めながらユイナはリボルバーを懐に収めた。凄まじい戦闘能力を有していた吸血鬼は滅びた。周囲の気配を探り、他に敵がいないことを理解してユイナの口から思わず安堵の息が漏れた。
 改めて周囲へ目を向けると、そこは工場の前庭であった。少し先にはユイナが乗ってきた車両が止まっている。そして、何気なく傍らへ視線を移したユイナは、そこに白い薔薇が咲いているのを見つけて眉をひそめた。雨に濡れた薔薇が、ユイナの首から噴出した鮮血を浴びて紅く染まっている。
「やっぱり、この花とは相性が悪いようね……」
 小さく呟き、ユイナは車へ向かって歩き出した。首の傷はすでに塞がり、工場は何事もなかったかのように静けさを取り戻していた。破壊された窓と、地面に落ちた空の薬莢だけが、その場所で激しい戦闘が行われたことを物語る証人であった。
 雨と、血に濡れた白い薔薇が、立ち去るユイナの背中を静かに見つめていた。

 完
PCシチュエーションノベル(シングル) -
九流 翔 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年10月10日

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