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『刻と刻む、青 』
セレスティ・カーニンガム1883)&マリオン・バーガンディ(4164)&(登場しない)

 時を刻む。それは今も昔もさして変わらない。
 日が沈む、月夜になり星達が瞬くその一瞬一瞬を生きる者、生物達の心音が暖かく時を刻む。柔らかい波の音も、風が過ぎ去っていくその一吹きも、全てが一瞬を刻んでいるのだ。
「良い季節ですね」
「ええ、本当に」
 セピア色に広がる視界には少しばかりぼやけた映像がパーティーの一角を映し出す。その中で映像は彼――セレスティ・カーニンガムの側だけを映し出している。
 涼しげな風貌の中に柔らかい、独特の香りを漂わせるのは彼の正体がそうさせるからであろうか、男性にしてみれば細い指先が掴む美術品のような紙を数枚、良き時代の面影を残すテーブルに並べれば周囲から控えめな歓声が上がった。
「敵いませんな、歓談をしていると思いきやその手を使われるとは」
 目の前に居る人物の顔までははっきりとしない、どこか奇妙な空間だが矢張りセレスティには落ち着く何かがある。一枚一枚を愛しげに回収し、向かい合わせに座った人間に手渡せば口元だけがモザイクのように柔らかな皺を作る。
「どうぞ、賭けの品です」
 微笑の皺をふうと伸ばして、まだ老いるには早い青年にも、壮年の男性にも似た男は木製の箱に銀の装飾が施された小さな箱をセレスティに差し出す。
「そんな、勝利できたのはまぐれですよ…ですが」
 絹の澄んだ布に包まれた箱、宝箱を覗く様にそっと中を確かめれば蓋の裏側に細工のある海色の顔をした懐中時計が始めて出会った主人と光に白い光を瞬かせる。
「有難う御座います」
 差し出された箱を抱きしめるように優しく持ち上げたセレスティは、戦利品を小さな幼子を扱うようにして見やった。
 純銀の仄かな陰りがあるものの、貴族御用達とされる細やかな植物の装飾、淡い青を見せる時計盤の上には十二時になるようにと針が揃えられている。

 ほんの少し、人間からしてみれば遠い、まだ生まれてもいない者が居て当たり前、人でない何かですらその意識を覚醒させる前だったかもしれない昔の話だ。
 時計は腕時計ではなく懐中時計、無骨な丸い表面の物ばかりがそれでも珍しいと珍品扱いされていた頃、セレスティは一つの懐中時計と出会った。人と人が出会うように、胸の奥が焼けるように欲したそれは貴族同士の社交界の場で少々高いお遊びとして手に入れた、欠陥品だったのである。

 時を刻む音がゆっくりとセピア色の風景を遮り、次第に光の薄い世界へとセレスティを誘って行く。抱いた懐中時計は時という音を刻む事はなく。まるで何かを訴えかけるようにしてもう一度、その美しい顔を光らせる。そして――
「…ん…? 朝、ですか?」
 一際大きく鐘の音が鳴った。
 リンスター財閥総帥であるセレスティの別荘、最近では長期滞在の多くなった東京にある東京とは思えない屋敷に置かれた柱時計の音が現在の時刻を知らせている。
「お昼…ですね」
 既に夏を刻み、秋となった今、セレスティの身体はそのひやりとした空気に馴染むように眠りを欲する事が多くなった。現在進行型で財閥の報告書を読む傍ら眠ってしまっていたらしい。
(少し早く起きたつもりでしたが…これでは意味がありませんねぇ…)
 夜に出来る仕事、深夜にまで報告書など読みたくは無いがどちらかと言えばこの時間帯は眠って居たいと思ってしまう。それを先日購入してきた柱時計が邪魔してくれた、そういう事になるのだが。
「また、懐中時計の夢ですか」
 ぽつり、と零す。
 セレスティの居る執務室には自分の趣味が多彩に反映された本棚、特に気に入った絵画、机一つ拘りの品が置かれ、その上には報告書と部下の淹れたハーブティー。何より眺める為の物、と割り切った古い懐中時計が置かれている。
『セレスティさま、美術品を扱うお部屋からこんな素敵な物が出てきたのです』
 そんな事を言ってこの懐中時計を主の執務室に置いたのは、くしゃくしゃの愛らしい黒髪と甘く頬を染めたマリオン・バーガンディの仕業だっただろうか。
 春夏秋冬、或いは主ないしセレスティに近しい者がこの部屋の者にとって楽しめるようにと置く物はその時その時で入れ替えられている。そして、今秋に置かれた美術品。それが懐中時計だったのだ。

(あの時は直してあげる事もできなかったのですよね…)

 本当はあの続きに、小さなサプライズをするつもりでいた。
 この懐中時計を賭けとして扱ったあの日の夢は実際、昔のセレスティ自身の映像に違いなく、自分は仲の良かった貴族と賭けをし、そしてこの懐中時計を、螺子の回らないまま手に入れそのまま直す事も無く。
(返し損ねた上に直し損ねたままだったですね)
 時計という物自体が珍しかったあの時代、何も他人の楽しみを奪う為に賭けに勝ったのではない。確かに、その手に取ってみたい感覚はあれど直した後に返却してあの友人の喜ぶ顔が見たかった。
「今となってはサプライズよりも私物、なのですから…」
 賭けの後、人ごみに酔ったセレスティはさほど時間も経たぬ内にパーティー会場となった城を後にした。あれはいつの季節だっただろうか、考えて夏と秋の季節の変わり目、丁度今頃だったのではないかと思い立つ。
 直す筈だった懐中時計は財閥総帥の体調不良という一大事に使用人達の手によって、美術品を扱う場所へと移動となり、つい今の今まで忘れてしまっていたのだ。

「セレスティさま、紅茶と甘い物をお持ちしたのです」
 こんこん、と小さく控えめなノックが今にも手に持っている物を落としそう、と言う様にセレスティに入っても良いかと問いかけている。
「…マリオンですか? ――ふふ、どうぞ」
 執務を行うテーブルには冷めてしまったが美味しいローズマリーのティーが置いてある。それを知ってか知らずか、マリオンは食器を小さく唸らせて子猫のように主であるセレスティに擦りより机にマロンケーキと暖かいダージリンティーを置いた。
 一瞬、先客であるハーブティーを一瞥したのはセレスティの気のせいではないだろう。
「本日のスィーツは秋のお楽しみという事でマロンケーキなのですっ。 紅茶と一緒だと美味しいのですよ」
「ええ、そのようですね。 ありがとう、マリオン」
 そう言ってやるだけでマリオンは懐いた猫のように、子供の容姿そのままで万遍の笑みを見せる。
「あ、セレスティさま。 報告書の方は…」
「夜にでも片付けておくのでそのままで良いですよ。 それより…」
 報告書を片付けるという事は、本日の仕事を軽くエスケープする事になるのだ。が、マリオンにとってはセレスティとの至福のティータイムを邪魔されたくは無いらしい。何処かへ仕舞って来ましょうか、と言葉に出る前に仕事ですから、と遮って机の一番隅にあるあの懐中時計を報告書の代わりに手渡した。
「これは…――懐中時計、なのです。 セレスティさま?」
 この美術品が主の心にどう響いたのかとマリオンの深い琥珀色の瞳は訴えかけている。
「ええ、どうにも壊れたままですと可哀想です。 直りますか?」
「え? ――あっと、はい」
 今の今まで直していない物をいきなり直るか、そう聞かれれば意外と言わんばかりに丸い瞳がくるくると回転し、頭を一振り直りますと何回も口を動かす。

「それでは今回はマリオンに色々なお願いをしてしまいましょうか」
「お願い、ですか?」
 懐中時計を取り出し、ハンカチの上で転がしながらマリオンは顔を上げる。と、いつもの柔らかな笑みと何かを思いついた時にセレスティがする独特の甘く、抗いがたい雰囲気を察知しながらそれでも。
「何か楽しい事でもあるのですね」
 共犯者の如く、幼い表情をスィーツのように綻ばせるマリオンだった。



(矢張り車椅子では無理ですね?)
 服装はいつもと大して変わらない、とは言ったものの材質や細かな作りは決して現代東京、他の国ですら既にあまり用いられない深い青色のフロックコートに木彫りの杖を持ったセレスティは矢張り、何年経っても彼のまま、容姿の一つも衰えが無い。
「セレスティさま、流石に車椅子は無理なのです」
「ばれてしまいましたか…」
 柔らかく編みこんだ銀色の髪が夜風に靡き、お付の者――マリオンの頬にかかる。
「…――本当に懐中時計、返されてしまうのですか」
 ふわ、とセレスティの香りがマリオンの鼻をくすぐり、錆び付いたような懐中時計の香りまでが名残惜しく香ってきた。
 先程まではマリオンが手がけ、直した懐中時計。それはあくまでセレスティが楽しむ為に直すのとばかり思っていれば手巻きの螺子がしっかりしたと喜んだ途端。
『それでは返しに行きましょうか』
 と愛する美術品一つとの別れの言葉を発されてしまったのだから、マリオンは膨れっ面だ。
「セレスティさま…」
「駄目ですよ、マリオン」
 次に言う言葉を遮られ、主よりも少しばかり装飾の多い赤茶のコートの裾を手で持ちながら元キュレーターはもっと不機嫌になってしまったらしい。何しろ主であるセレスティに自らの能力である別空間へと繋がる扉を使ったのだ、心配も相極まってか口数少なく杖を使用する後ろをとぼとぼとついて歩く。
「この懐中時計はきっと持ち主の所に戻りたいのですよ」
 だからこそ、顔を見る事になってから何度かこの場所へ夢となってセレスティを誘っていたのだと、自ら同様、殆どその歳を感じさせない美しい箱の装飾を手袋越しに辿る。

「セレスティ! 先程は随分具合が悪そうにしていたと思っていましたが…大丈夫だったのですか?」

 ここは既に現代東京ではない、セレスティの記憶の奥底。いや、懐中時計の記憶にあるあの風景であり秋の冷ややかな風に儚い微笑みを浮かべてセレスティは昔パーティーで来た城のホールを訪ねた。
 マリオンが以前、主が来た事のある場所と悟り気を遣ったのだろう、昔のセレスティはこの城から既に立ち去った後のようで。
「ええ、夜風に治療して頂きましたから」
「それは良かった、パーティーの花が一つ枯れてしまったかと思いましたよ」
 主催者の男は既に壮年の人懐っこい皺のある顔をくしゃりと寄せて笑う、セレスティと同じように高貴な出で立ちと振る舞いが過去の記憶を蘇らせる。
「それよりもこの懐中時計…お返しします」
「? それは賭けで僕が君に負けたからあげたものだろう?」
「ええ、でもほら…――」
 本来ならば劣化も激しくとても使えた物では無い筈の箱も、リンスター財閥の手によって大切に保管されてきた。その甲斐あってかすんなりと開いたその中にはセレスティが手にした時と同じ、純銀製の蓋の裏にある植物の装飾、青い時計盤。
「ああ、動いている。 壊れていた物だから賭けていた筈なのだが…一体どうしたんだい?」
 在りし日の貴族の問いかけに、セレスティはただ答えず、悪戯好きな笑みを浮かべもう一度、どうぞと懐中時計の入った箱を彼の手に収めておくよう促した。
「まさかこんなに嬉しいサプライズの為にあんな賭けを?」
「さあ、どうでしょう?」
 肩を竦めて見せると食えない人だと笑われる。傍らで少しばかり切なげに懐中時計へ視線を向けるマリオンに目をやれば寂しげにセレスティを上目遣いで見上げる始末。
「さて、また人ごみに酔ってしまう前に私は出ますよ」
「折角戻ってきてくれたのにかい? 残念だな…」
 このままではマリオンの懐古趣味が懐中時計だけでなくこの城の別の何かを見つけかねない。過去に遡ってまでしたかった事は終わったのだ、長居をするのは無用と挨拶だけを済ませセレスティはパーティーを後にする。
 背中越しに懐中時計の螺子を巻く音に包まれながら。



 過去と現在を繋ぐ扉をマリオンはよく悪戯に使用する。
 それは趣味という名の彼なりの勤勉さなのかもしれなかったが、お陰か主人である者や親しい者まで巻き込んでこの能力を使用しようとする事は無い。
「ふふ、セレスティさま、ありがとうございますなのですっ!」
「今回も色々とさせてしまいましたからね…少し位は良いでしょうかね」
 ええ、良いのですよ。とはしゃいでみせるマリオンとセレスティは既に東京のリンスター財閥別荘内。まだ服装も髪型も懐中時計を返してきたその時のままではあったが明らかに、手荷物の数が増えている。
 大きな四角い物体を何枚も手に持ち上げ、微笑んでいるマリオンなのだから、その中身は必然と過去へ遡った時に買い付けたなりした絵画だと分かるだろう。
「ええ、沢山頑張ったのですよ」
 ねぇ、セレスティさま。と機嫌良く戦利品の絵画を執務室で広げだす様は物が物でなければ子供のようだ。
「そういえば、オークションからの招待通知もきているのですよ?」
 行く事を前提として言葉にするマリオンにセレスティは苦い笑みを浮かべる。
「また他の者に怒られてしまいますよ、マリオン」
「放っておけば良いのですよ、セレスティさまには休息が必要なのです」
 オークションの際には自分もついて行く、ついて行きたいと行く気だけを放ちながらマリオンは絵画から離れ、既に冷めてしまった紅茶と食べかけのマロンケーキの隙間からさほどメジャーではないオークションのカタログをセレスティに手渡した。
「これは…」
 瞳を、奪われる。
「なかなか無いオークションですよ、行くのです」
 主の青く海の様に小波を立てる瞳をマリオンは気付いているのだろうか。また絵画に没頭するその背を一度だけセレスティは見て、もう一度カタログの一つに目を向ける。

 木製と銀の細工の箱に純銀製の蓋。裏側にあった植物の彫りは年月を経て、動かなかった時と違った年老いた表情を見せていたがカタログの印刷物としてセレスティともう一度対面したあの懐中時計は、一度その青い時計盤を光輝かせ、一秒を刻むのであった。


END
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東京怪談
2006年10月02日

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