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『Business record 』
真行寺・恭介2512)&(登場しない)

「この男を知らないか?」
 差し出した写真を見て男は小さく首を振った。
 これで、もう何人目だろうか。この店にいる全員に聞いて回ったような気がする。写真に写った男を探し始めて2日が経っていた。前任者はことごとく失敗し、ある者は無惨な死体となって発見され、別の者は行方不明となったままだ。
 写真に写った男は奇妙だといえた。警戒が厳重な研究所へ侵入するほどの腕を持ちながら、監視カメラで撮影されることに注意を払っていない。そこからは姿を捉えられていても、逃げ延びられる絶対の自信のようなものが窺えた。
 俺はカウンターの前にあるストゥールに腰掛け、若いバーテンダーにスコッチを注文した。酒を飲むような雰囲気の店ではないことはわかっていた。しかし、無性に体がアルコールを欲していた。周りでは若い男女が嬌声を上げている。男が女に、あるいは女が男に声をかけ、どこへともなく去って行く。そんな店だ。
「――――探してるんだって?」
 不意に声をかけられ、俺は振り向いた。すると、そこには1人の男が立っていた。恐らく50には手が届いていないだろう。黄ばんだワイシャツにくたびれたスーツを身に着け、値踏みするような視線を向けてくる。この店にそぐわない人間であることは間違いない。
「なんだって?」
「奪還屋を探しているんだろ?」
 奪還屋。それは、まさしく俺が探している男の通り名であった。そいつの本名はわからない。ただ、この東京でフリーランスの何でも屋を生業としているという情報を、俺は得ていた。特に男が得意としているのは奪還業務。依頼の内容と金額に折り合いがつけば、どこからでも、どんな物でも奪い返すと公言しているらしい。
「それで? あんたは?」
「おれのことなんか、どうでもいいだろう? 奪還屋について、知りたくないのかい?」
 見るからに胡散臭い男だった。奪還屋に関する情報は欲しいが、だからといって目の前の男がもたらす情報が正確なものとは限らない。
「いくらだ?」
 男は片手を広げて見せた。1度の情報代としては決して高くない。俺は懐からクリップに挟んだ紙幣の束を取り出すと、そこから5枚を引き抜いて男へ渡した。男はひったくるように紙幣を奪い、せわしなく枚数を数えるとポケットへ突っ込んだ。
「それで、情報というのは?」
「奪還屋に会いたければ、六本木にあるピエドプールって店に行くといい」
「そこに、奪還屋がいるのか?」
「いることもある。いないこともある。あとは、おたくの運次第だ」
 その程度のことは言われなくとも理解していた。だが、奪還屋が立ち寄る店がまた1軒、判明しただけでもありがたかった。俺はグラスを手にとってスコッチを呷ると、勘定をカウンターの上に置いて店を後にした。

 会社の研究所に何者かが侵入し、研究の対象となっていた品物が盗まれたのは、およそ2週間前のことだった。盗まれた品物は非常に古い刀剣で、噂では日本書紀や古事記に登場する「天叢雲剣」ではないかとされていた。
 天叢雲剣とは三種の神器の一つで、熱田神宮の神体である。草薙剣や都牟刈の大刀とも呼ばれている。三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとされる。須佐之男命が倒した八岐大蛇から出てきたとされる剣で、剣は須佐之男命から天照大神に奉納され、天皇家に天照大神の神体として八咫鏡とともに手渡されたとしている。
 その後、剣は伊勢神宮に安置されていたが、蛮族の討伐に東へ向かう日本武尊に渡された。蛮族討伐の後、尾張で結婚した宮簀媛の元に剣を預けたまま伊吹山の悪神を討伐しに行くが、山の神によって病にかかり、途中で亡くなってしまった。宮簀媛は剣を祀るために熱田神宮を建てたとされているが、その所在については謎が多く、熱田神宮に現存していないという説は根強い。
 今回、会社がどのような経緯で剣を入手したのかは不明だが、上層部はこの剣を天叢雲剣と考え、研究させていた。それが盗まれ、会社は剣を取り戻すために追跡チームを結成させて奪還に乗り出した。しかし、追跡チームの人間たちはことごとく返り討ちに遭い、ある者は行方不明のまま、また別の人間は無惨な死体となって発見された。
 そこで上層部から俺の許へ命令が下ったのが3日前。俺は前任者の情報を引き継ぐ形で盗まれた剣の行方を追い始めた。

 その店は六本木通りから1本、裏手に入った雑居ビルにあった。
 雑居ビルには数軒のクラブや飲み屋が入っていて、ビルの入口から数段の階段を下りた位置にエレベーターがあった。男から教えられた「club pied-de-poule」という店は、3階となっている。フランス語で千鳥格子という意味だ。
 俺はエレベーターに乗り込み、3階へ上がった。3階でエレベーターが止まり、降りるとそこはすぐに店のホールだった。
「いらっしゃいませ」
 黒服の男が近づき、声をかけてきた。入口のクロークには日本人とは思えない白い肌をした女性がおり、こちらへ視線を向けている。
「おひとりでいらっしゃいますか?」
「そうだ」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
 黒服に案内され、通路を歩きながら俺は店の中を見渡した。店の箱としては大きいほうで、まだ時間帯としては早いほうだが、それでもボックス席には何組かの客が座っていた。それぞれの席に数人のホステスがつき、接客している。
 笑いや嬌声、低い話し声に混じり、生演奏のピアノが店内を満たしている。高級な雰囲気ではあるが、どこかいかがわしげな空気も漂っている。ホステスは若く、美しく、そして半数以上が日本人ではない。どの女性たちも、決して表を歩けないような露出度の高い服を身に着けていた。
「いらっしゃいませ」
 奥のボックス席に案内され、黒服が立ち去ると、入れ替わりに2人の女性がやってきた。1人は白人。もう1人は日本人。どちらも掛け値なしの美人といえた。
「お飲みものは、いかがいたしましょう?」
 再び黒服が戻ってきて、おしぼりを差し出しながら言った。
「ワイルド・ターキーのオールド。彼女たちには好きなものを」
「かしこまりました」
 ちらり、と黒服の目に蔑んだような光が見えたが、俺は気づかないふりをした。こうした店で良く飲まれるのは、高価なブランデーやシャンパンといったところだろう。バーボンやスコッチは格下に見られがちだ。
 黒服が運んできたバーボンを水割りにしながら白人が口を開いた。
「ねえ、真行寺さんはなにしてる人?」
「なにをしていると思う?」
 訊き返しながら俺は店内を見回した。薄暗い店内のため、なかなか顔を見極めることができないが、それでも目的の男はいないように思えた。
「うーん、デザイナーとか?」
 白人のほうが言った。
「じゃなきゃ、設計士とか? 普通のサラリーマンじゃないでしょう?」
「そんなふうに見えるかな」
「うん。けっこう、目つきが鋭いしさ」
「ヤクザ屋さんとか?」
 もう1人が言い、小さく笑った。すると、白人が慌てたように口を開いた。
「ダメよ、大きな声で言ったら。うちの店にも来るんだから」
「今もいる?」
「わからない。でも、暗いからどこにいたってわかんないよ。それに六本木ははやってる店なら、大抵お客さんにいるし」
 小さくうなずいてバーボンの水割りに口をつけた。薄い。やはり、バーボンはストレートに限る。グラスをテーブルに戻し、俺は懐から写真を取り出した。
「この男を知らないか?」
 次の瞬間、2人の表情が強張った。
 だが、それは決して写真の男を知っているからではないことを、俺は理解していた。恐らく俺を警察かなにかだと疑っているのだろう。もしかしたら、白人のほうはオーバーステイで、入管の捜査を警戒しているのかもしれない。
「なに? お客さんて、警察?」
 あからさまな警戒を見せて日本人のほうが言った。俺は苦笑を浮かべながらマネークリップで挟んだ紙幣をポケットから取り出し、4枚を抜いて2人へ渡した。
「いや、警察じゃない。この写真の男に聞きたいことがあって探しているんだが、見つからなくて困っているんだ」
「じゃあ、ヤクザ屋さん?」
「違う。探偵だ」
 嘘だ。しかし、一般の人間から訊ねられたときはそう答えることにしていた。探偵と名乗ることで安心するのか、口が軽くなる人間は不思議と少なくない。世の中には警察も暴力団も嫌いという人間が思いのほか多い。
「店で、この男を見たことはないか?」
「何度か見たことあるけど」
 そう言って白人の女性へ写真を渡した。
「うん。何度か見たころはあるけど、名前までは知らないよ」
「そうか。もし、店に来るようなことがあったら、連絡してくれるかな?」
 写真を受け取り、代わりに名刺を渡しながら俺は言った。名前と携帯電話の番号だけが記された連絡用の名刺だ。
「うん。わかった」
 日本人のほうがそう答えた。

 店を出たところで、俺は何者かに尾行されていることに気がついた。隠密行動が多いとはいえ、仕事柄、どこかで恨みを買っているということは大いに考えられる。
 しかし、この尾行は明らかに今回の仕事絡みであると考えていた。素人やチンピラによる尾行ではない。確認できただけでも四人が交代しながら、一定の距離を保ったまま四方に散るような形で尾行している。
 六本木駅から電車に乗ろうとしていた俺は、考えを変えて青山霊園に進路を向けた。まだ夜も早い時間だが、それでも青山霊園には人気がないと判断したのだ。
 尾行者を撒かないように注意を払い、青山霊園の中ほどで足を止めた。同時に周囲に散開していた気配も動きを止める。
 しばらく周囲の気配を窺っていると、再び動き出すのを感じた。まるで、こちらを取り囲むかのように4人の男が現れた。4人とも黒いスーツを身に着けているが、その雰囲気から普通の会社員などでないことは明らかであった。
「何者だ?」
 問いかけてみたが、男たちは答えようとはせず、懐から棒状の物体を取り出した。それを横へ振ると、まるで特殊警棒のように筒の中から刀身が現れ、一振りの剣となった。
 4人はじりじりと間合いを詰めると、攻撃を仕掛けてきた。1人目が正面から接近して剣を突き出した。凄まじい勢いで刀身が腹部に吸い込まれる。きっと、男は刃が俺の腹に深々と突き刺さる光景を微塵も疑わなかったに違いない。
 だが次の瞬間、鈍い音を響かせて刀身が折れた。なにが起きたのかも理解できないまま、男は肘を横っ面に喰らって床へ倒れた。それと同時に俺はつま先を男の顔面に叩きつけた。鈍い音が響き、血と前歯が宙を舞った。
 こうした仕事をしていれば、今回のように、いつトラブルに巻き込まれるかはわからない。そのため、いつ荒事になっても良いように、衣服の下に薄手のボディーアーマーを装着するように心がけていた。このボディーアーマーは厚さが数ミリながら、強化プラスチック製でナイフ程度なら刃を通さないようになっている。
 いかに剣の形状をしていても、仕込み刀は日本刀ほど強度がない。突きを放ったとしても、切っ先の勢いを止めることができれば、横からの打撃で簡単に折ることが可能だ。
 後ろ腰に下げたケースから特殊警棒を引き抜いた。それを横に振り出して四十センチほどの長さに伸ばす。消音器を装着した拳銃も携帯しているが、もし第3者に目撃されれば厄介なことになりかねない。
 二人目が素早く接近して剣を振り下ろした。その鍔元を警棒で受け止め、男の膝に靴底を叩き込んだ。膝の砕ける音が聞こえ、体を支えていられなくなった男は床に崩れ落ちた。その顔面を二度、蹴ると、鼻から血を噴き出して顔を赤黒く染めながら男は気絶した。
 左右から同時に剣が振り下ろされた。しかし、俺は素早くバックステップして攻撃を回避すると、右側の男へ警棒を叩きつけた。男は剣で警棒を受け止めようとしたが、強度不足のために鈍い音を響かせて刀身が折れた。
 警棒が男の額を強打し、避けた皮膚から血しぶきが舞った。続けざまに男の横面を殴り、振り返りざまに最後の1人の膝を砕いた。
 男たちは地面に崩れ落ち、苦しそうにもがいていたが、やがてすべての動きを止めると、不意に全身が煙となって消失した。思わず、その光景に眉をひそめたが、煙が消えるとともに地面へ残されていた白い札を見て、合点が行った。
 式神。それも半自立式の高度なものだ。
 符を媒介に、術者の頭髪など、身体の一部を利用することで完成する半自立式の式神が存在するという話を以前、聞いたことがあった。
 日本でも、ここまで高度な術を操れる人間は、そう多くないだろう。
 俺が携わる仕事は、大抵が多くの問題を抱えたものだが、今回も同様の仕事であるようだ。少なくとも、俺が奪還屋を追いかけることを歓迎していない人間がいるということなのだろう。風に流されかけた白符を拾い上げ、それを懐に収めたところで携帯電話が着信を知らせて震えた。
「はい。真行寺です」
「私だ。情報部のほうから気になることを聞かされた」
 電話の主は、俺の直属の上司に当たる人物であった。
「なんでしょう?」
「関西のほうで動きがあったようだ。何人かが東京へ入ったとの情報がある」
「関西が?」
 我々の仕事で、関西という言葉が意味するものは、そう多くない。関西を根城とする広域指定暴力団や敵対する関西資本の企業、そして高野山や伊勢神宮などだ。
 今回の剣から考えて高野山……いや、伊勢神宮が動いたということなのだろう。一般には知られていないことだが、高野山にしろ伊勢神宮にしろ、古来より日本を陰から支配してきた宗教は、えてして実動部隊を抱えているものだ。関西の人間が東京へ入ったということは、つまり伊勢の人間が東京入りしたということなのだろう。
 研究所から奪われた剣が、本物の天叢雲剣であるとすれば、その所有権は熱田神宮にあるということを主張してくるに違いない。そこで同系列の伊勢が部隊を送り出したのだ。先ほど、俺を襲った式神からしても、そのことは用意に推測できる。陰陽と密教、神道には密接な関係がある。伊勢の人間が陰陽を使役したとしても不思議はない。
 しかし、この情報が事実だとすれば、奪還屋は誰からの依頼を受けて剣を盗み出したのだろうか。厄介なことにならなければいいが。

 完

PCシチュエーションノベル(シングル) -
九流 翔 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年09月29日

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