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『『古書店街の怪談』 』
宇奈月・慎一郎2322)&高峰・沙耶(自宅)(NPCA008)


 JR水道橋駅を出て、大きな通りをだらだらと南へ下っていく。

 宇奈月・慎一郎(うなずき・しんいちろう)は、片手に載せたモバイルパソコンのモニターを覗き込み、マップを確認した。通りにぎっしり並ぶ間口の狭い店は、殆どが古本屋だ。東京でこの古書店街を知らぬ者はいないだろう。街には書店と、あとはカレー屋しかない。
「ええと、前回はこの店までチェックしたのでしたっけ」
 西日に目を細めつつ、ストレートの黒髪を掻き上げた。癖の無い髪は背にまでも届く。繊細なフレーム眼鏡の瞳は、おっとりした育ちの良さを感じさせた。親の遺産で暮らす青年は、26歳という年齢のわりに擦れていず、無垢な子供のような表情を宿していた。
 モニターの別ウィンドウの表でこの古書店の名が塗り潰されていないことを確かめ、パソコンをジャケットのポケットに突っ込むと店の引き戸を開けた。木製の框は立て付けが悪く、軋んで悲鳴を上げる。都内で自動ドアでない店がこんなに多く並ぶ界隈はここだけだろうと思った。
 奥に座る髪の薄い店長は、顔を上げて老眼鏡越しに今来た客を一瞥しただけだった。「いらっしゃい」も「何かお探しですか」も無い。またすぐに手元の本へ視線を落とす。すだれになった頭のてっぺんを慎一郎へと向けて。

 古書店街の店は、ジャンルが細分化している。英文学の専門店、アジアの原書を得意とする店、明治の和書を取り扱う店。ガラスケースに入った数百万円の巻物が展示される店もある。
 本来なら慎一郎も、探している本のジャンル・・・アラビア系に強い古書店や、魔道書なども置くカルトホラー関係だけを覗けば済むように思われる。しかし、その本は、邪悪な書とされた事もあるせいか、真のタイトルで流通していることが少ない。その道の者だけ気づくタイトルが付けられ、表紙を別に印刷して本を覆い隠す形態で稀少出版されてきた。
『根暗の未婚』。
 慎一郎の屋敷が火事になる前、蔵書の中にあったものは、そんなタイトルが付けられていた。オールドミスの話でもないし、秋葉オタク三十路男の話でもない。しかし、エッセイや小説のジャンルに分類されて並んでいる可能性も高い。
 そして、同じ内容の本が、別の題名の表紙に包まれている可能性についても否定できない。
 慎一郎がその本を見つけるには、叡智のアンテナを研ぎ澄ましながら古書店の棚をしらみ潰しにするしかなかった。

 本を調べる前に、全ての通路をざっと覗いて見る。学生らしい男が二人いるだけなので、慎一郎は胸を撫で下ろす。『根暗の未婚』を探しに来ると、あるキャリアウーマンと遭遇することが何故か多かったからだ。彼女は『未婚』という言葉に妙に敏感で、今まで慎一郎は酷い目に遭って来たのだ。

 その書店では目当ての本は見つからなかった。『目黒の未婚』という、もしやという本があったが、それは目黒区在住の独身女性のアンケート回答を元にした、夢の結婚式について書かれた本であった。
 その後続けて十店舗ほど覗くが、芳しい結果は得られなかった。河岸を変えようと慎一郎は腕時計を見た。都内の古書店街はここだけでない。大学が多く集まる街や有名大学のキャンパスの付近には、必ずまとまった古本屋街がある。神保町は閉店が早いが、四谷や高田馬場は繁華街に近いせいか、夜まで開いている店も多い。

 電車だとそろそろ帰宅ラッシュという時刻。慎一郎はタクシーで四谷まで移動した。が、やはり四谷駅近くになると道路も渋滞し出した。
「お客さ〜ん、ちょっと迂回しますね〜」と、運転手は脇道へ入った。
「あの赤い旗は?」
 路地の両側から、鮮やかな神社の幟が突き出し、夕闇にはためいていた。右側にも左にも神社が有るのだ。
「ああ、あれは、田宮神社と、陽運寺の於岩稲荷ですよ〜。四谷怪談、知ってるでしょ?」
「あれ?お墓は西巣鴨にあるのでは?」
「おや、にいちゃん、若いのに博識だね。ここは田宮家の屋敷があった場所だよ。墓も昔は四谷にあったんだがね」
「へええ」
 そんな話をした後、私大近くの古書店街で降ろしてもらう。
 慎一郎が数歩踏み出すと、ひゅうと長い尻尾を踊らせて黒猫が横切った。見間違いではなく、本物の猫である。
 不吉さに慎一郎は眉を寄せたが、数歩歩いたら忘れてしまった。そういう性格なのだ。

 慎一郎は、最初の書店に入ると、まずは通路をチェックして、例のキャリアウーマンが居ないことを確かめる。学生のカップルが一組、初老の男が一人、そして、黒猫が一匹。
「・・・?」
 この店の猫だろうか?さっき遭遇した奴にも似ている気がするのだが。しかし、黒猫を見分ける術を慎一郎は知らなかった。どれも同じに見えた。
 猫はモンローウォークで棚の端へと歩み、今まで影になって見えなかった一人の女性客の肩へと飛び乗った。
『あれ?心霊学研究所の所長さんじゃないでしょうか?』
 高峰・沙耶(たかみね・さや)。黒いドレスに身を包み、長い前髪が片目を隠す妙齢の女性。何故かその瞳は瞑られたままで、慎一郎も開いたところを見たことはない。
『うーん。似てますけど。うーん』
 沙耶かどうか自信が持てなかった。黒いドレスに黒髪ロングヘアの女性を見分ける術も、慎一郎は知らなかった。どの人も同じに見えた。
「あら、宇奈月さんじゃないこと?何かお探し?」
 女性の方から声をかけて来た。沙耶で正解だったようだ。慎一郎は声を一言も発していないし、目を閉じたまま気配で慎一郎だとわかるなんて、沙耶以外考えられない。
「あ、こんばんは。『根暗の未婚』という」
 その瞬間、慎一郎の体は、反対側の書棚に叩きつけられた。測り知れぬ力が彼を壁に貼り付かせ、爪先が少し宙に浮いた。
 沙耶の右手が慎一郎の顔を掴み、ぐいいと締め上げていたのだ。
「う。うぐぐ・・・」
「黒いドレスが『根暗』だと決めつけるなんて、あまりに狭量だと思いません?」
 沙耶は『未婚』でなく『根暗』の部分に過敏に反応したようだ。
 華奢な女性の指のはずが、慎一郎へのアイアンクローは握力200キロを軽く越えていた。深紅の爪がいきなり5センチ伸びた。

 それが自分の脳に達した・・・ように慎一郎は感じた。

「このままでは御家は断絶、お梅との結婚は田宮家の為であるぞ」
 自分の意志と関係なく、慎一郎の唇が動いた。聞いたこともない太い声だが、己の喉から出たものに間違いない。沙耶の細い眉がきりきりと上がる。
「ゆ、許せぬ!この恨み、果たさずおくものかっ」
 前髪がさらりと揺れた。隠れていた顔の右半分が覗く。崩れ落ちた皮膚と轢き釣れた瞼がちらりと見えたような気がした。
「ひぃぃぃ」
 恐怖で慎一郎は沙耶を突き飛ばし、掌から逃れた。
 古書店から遠ざかろうと、全力で細い路地を駈ける。追う沙耶は歩いているにも関わらず、距離は少しも遠ざからない。沙耶が時々伸ばす腕、赤い爪が慎一郎の背の毛先に触れ、慌てて速度を上げる。
 暮れ始めた街。窓から洩れるテレビの笑い声。低い塀の家が並ぶ。枝の飛び出した柿の樹。神社の赤い幟。点滅する街灯の四辻を右へ折れる。
 テレビの音。低い塀。柿の樹。揺れる幟。街灯を今度は左へ折れる。テレビの音。赤い幟。・・・同じ場所をぐるぐると回っていることに、やっと気づいた。
 息を切らし、塀へと背を貼り付ける。
 沙耶の姿は消えていた。うまく巻いたのだろうか。安堵で塀にもたれた。

 世界が回転した。

 目の前の壁が天地ひっくり返り、現れた壁に沙耶が逆さに張り付いていた。濡羽色の髪は地へと垂れ下がり、長い爪を広げてヤモリのごとくへばり付いている。
『うわっ。戸板返しですかーーーっ!』
 
* * *
 どん。
 慎一郎は書店のフロアに尻餅をついた。はっと正気に戻る。沙耶が、アイアンクローを解除したのだ。衝撃で慎一郎の脇へバサバサと数冊の本が落ちた。
「・・・今度は龕灯(がんどう)返しですか?」
 龕灯返し。歌舞伎の舞台用語で、短時間の場面転換のことだ。どんでんと鳴る太鼓の音から『どんでん返し』とも呼ぶ。
「なにを寝惚けたことをおっしゃっているの?
 もう一つ。私が未婚か既婚か未亡人かは、公表されておりませんわ」
 一瞬気を失って、夢でも見たのだろうか。慎一郎は床で打った腰を摩り、首を傾げながら立ち上がった。沙耶の爪は5センチも無いし、表情も相変わらず美しい。
「では、失礼っ」
 ぷいと、沙耶はドレスを翻して慎一郎に背を向けた。誤解です、本のタイトルなんですと、釈明する間も与えなかった。
 黒猫が軽快なリズムで小走りに駆け寄り、ドレスを昇って肩に乗った。
 尾には、朱色に変わった柿の葉が一枚、へばりついていた。


< END >
PCシチュエーションノベル(シングル) -
福娘紅子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年09月27日

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