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『神無月を刻む花 』
烏丸・織6390)&綜月漣(NPC3832)



 霧雨のような、しっとりとした雨の降る午後だった。一軒のとある老舗を訪ねる道すがら、烏丸織は思いがけず柔らかい芳香に包まれた。
 さてはもうそんな時季になったのかと周囲に目を彷徨わせると、小さな黄色い花を咲かせた樹が、ひっそりと沿道に植えられていた。金木犀である。
 不思議な花だと思う。樹よりも花の香で存在を知り、更には季節をも知らせる花が他にあるだろうか。霧雨に自身の色を滲ませても、香だけは凛然と己の存在を誇示している。そんな金木犀の姿に顔を綻ばせながらも、織は足を止めることなく約束をしていた人物の元へと先を急いだ。


「雨の中をわざわざお越しいただいて有難うございます」
「いいえ、私のほうこそ突然連絡をしてしまって、申し訳ありませんでした」
 出迎えてくれた店主に、織は傘を閉じながら笑顔で答えた。
 店主に促されて店の中へ入ると、そこに在る数多の時計が織の視界に飛び込んで来る。
 年季の入った柔らかな風合いの壁や陳列棚。その至るところに時計が飾られており、全てが思い思いに時を刻んでいた。

 画廊のオーナーから、月毎に行われる展示イベントのディスプレイを依頼された時、老舗の時計店に在る時計が今回の主役であると聞かされてはいた。だが、ここは大手百貨店や電気店に在るような、大量生産された時計が無作為に置かれた店舗とはまるで風体を異にしていた。
 織は、店に置かれている一つ一つの時計から、この店が長年培ってきた心意気を感じて思わず感嘆の溜息を零した。
 店主はそんな織を嬉しそうに眺めた後で、店から母屋の方へと案内する為に歩き始めた。
「うちも随分と長いこと時計店を営んでおりますが、流石に時代の流れには逆らえませんで」
 織に告げているのか、それとも独り言なのか。判別のつかない声色で店主が言葉を紡ぎだす。
「いまではすっかり客足も遠のきましてね。いっそ店をたたんで家を改築して、息子夫婦と同居しようかと思っているのですよ」
「……ええ。画廊のオーナーからも、そう伺いました」
 店主の背後について歩いている為、織には店主がどんな表情で話をしているのかは解らない。けれどその背中からは、店への愛惜の念と、店仕舞いをすると決意した後の安堵とが垣間見られて、織はかける言葉を見出せず、ただ静かに店主の話を受け止めていた。
「いずれこうなると薄々勘付いてはいたのですが……それでも、父の集めた時計だけは誰の目にも触れぬまま風化させたくはないと、思い切って画廊のオーナーさんに相談してみたのです」
「お父上の時計、ですか?」
「ええ。画廊に飾っていただきたいのは店の時計ではなく、父が長年集めた時計なのですよ」
 母屋へ通されると、やがて織は奥にある一室へと通された。
 店主が古ぼけた襖を開けた瞬間、その先に在る空間から届いた音色に驚いて、織は思わず顔を上げた。
 見れば先程の店内よりも更に多くの時計達が、静寂な世界を打ち破るかの如く秒針を動かしている。
「……凄い」
 思わず織が呟く。
 初めは時計の多さに圧倒されていた織であったが、やがて慣れてくると、その一つ一つに目が行くようになる。見たことも無い一風変わった形のものから、時代を感じさせるもの。果ては正当な振り子時計まで、その種類は様々だった。
「これだけの数のものを……素晴らしいです」
「父の部屋の整理をしていましたら、あちらこちらから出て参りまして。……ああ、これなどは父が自作したものですよ。幼い頃に父が作っているところを見た記憶があります」
 店主が懐かしそうに指差したそこには、精巧な発条(ぜんまい)仕掛けの時計が置かれていた。父親の手から作り出される細やかで美しい時計を、幼かった店主はきっと瞳を輝かせながら眺めていたのだろう。店主の口調から、織は容易にその情景を思い浮かべる事が出来た。


 いつしか、時計を愛した店主の父親の話に花が咲いた頃だった。
 ふと何かを思い出したように、店主が「少しお待ちください」と言って足早に席を離れた。織が、どうしたのだろうと首を傾げながら待っていると、程なくして上質の木箱を手に抱いた店主が再び姿を現した。
「これは、私が父の仕事を引き継ぐ切っ掛けとなった品です」
 言って、店主は大切そうに木箱を開いて織へと差し出す。見れば、赤いベロア地に包まれた金色の懐中時計がそこには在った。
 恐らく相当に古いものなのだろうが、依然針は時を刻み続けている。硬質でありながらもどこか温かみのある秒針の音に、織は思わず魅せられた。
「……触れても?」
 織が一度息を呑んで店主に尋ねれば、店主は微笑んで静かに頷いた。
 懐中時計は織の手に良く馴染む大きさで、しっとりとした重さが存在感を呈している。肌触りも良く、いかにこの懐中時計が大事に扱われていたかが、いまだ損なわれる事の無い金の鈍い輝きで解った。
「父はこの時計に憧れて店を始めたのですよ」
 昔を懐かしむような視線を懐中時計に向けて呟く店主の言葉に、織は己の手の内にある懐中時計の重さが、この老舗の歴史そのものを物語っているように思えた。
「烏丸さん、この時計は私と父の歴史でもあります」
 向き直って告げられる店主の言葉に、織も自然と真顔になる。
「どうか、よろしくお願いいたします」
 深々と頭を下げる店主に、織は己も頭を垂れた。


 店を出る頃、霧雨は小雨に変わっていた。
 雨に打たれた所為だろうか。行きがけに見た金木犀の花弁が、アスファルトの上に零れ落ちて黄色の絨毯を作っている。
 あっという間に風に雨に散ってしまう花は、人の弱さや生涯の短さも思わせる。それは先程見た金の懐中時計を、織に思い出させた。


*


 金木犀をさりげない意匠として飾りたいと思ったのは、あの懐中時計を見た瞬間からだ。
 いっそ金木犀の樹を頂いて生成り地の布を染めてみようかとも思ったが、花が咲いてしまってからではそれも難しく。ふと思い立って刈安(かりやす)の乾燥させたものを染料に、媒染に灰汁を用いて何度も繰り返し染め上げたところ、予想外に品の良い黄橙色の布が生まれた。
 その色彩の鮮やかさ、風合いの柔らかさは、主役である時計達を引き立てるのに一役買ってくれる。
 そう思いながら、織が嬉々として布地を手に画廊へ赴けば、時計展に用いる資材の搬入車が何台か画廊前に横付けされていた。
 オーナーには事前にこの時間帯に訪れる旨を伝えておいた。もしかしたら織が画廊へ着き次第、すぐにでもセッティング作業に取り掛かれるようにと、予め準備万端に資材を運び込んでくれていたのかもしれない。
 なんとも心栄えのある方だと感心しながら、織が画廊へ足を踏み入れると、業者と話をしていたオーナーが織に気づいて「やあ」と軽く片手を挙げて近づいてきた。
「言われていた資材の搬入はあらかた済んでいますから、すぐに作業に取り掛かれますよ、烏丸さん」
「有難うございます。色々と手配をして頂いたみたいで申し訳ありません」
「なぁに。私も画廊に身を置いている人間ですから、こういった催しには僅かながらでも参加したくてね。是非手伝わて頂きたい」
 詫びなんて必要ないと笑顔で告げるオーナーの人柄の良さに、織は頭の下がる思いがした。
「おや、綺麗な色合いの布地ですね」
 烏丸さんが染めたのですか? とオーナーが織の手の内にある黄橙色の布に目を留める。織はそれに頷いて、画廊全体を見据えるように視線を上げた。
「この布を飾りに使用して、展示する時計が一層引き立つように、ランプと照明で柔らかい風合いを出そうと思っています」
 画廊はさほど大きい建物ではなかったが、天上は高く吹き抜け、客が作品を見やすいようきめ細かな工夫が施されていた。
 織は、この建築構造を最大限に活かして時計のコレクションを流動的に飾り付け、大きな時間の流れを空間全体から感じられるようにしたいと思っていた。

 既に仕上がりの光景が見えて居るのか。これまでの優しい表情から一転して、織は職人の顔を覗かせる。

『時計店を築き上げてきた人々の時間と歴史を再現する』

 店主は「時の流れには逆らえない」と言っていた。確かに逆らえるものではない。今この瞬間でさえ、瞬く間に「今」という時は「過去」の遺物と化してしまう。だが現実的には無理であっても、展示では思い出と共に過去へと遡ることが出来るのではないだろうか。
 ともあれ、まずは預かった時計達を頭の中だけではなく現実にディスプレイするところから始めなければならない。
「それでは作業に取り掛かりましょう」
 皆さんよろしくお願い致します、と凛とした声で織が言葉を放ち、画廊のオーナーや数名の美術員と共に作業を開始しようとした時だった。

 ふと、織の脳裏をとある人物が掠めて行った。綜月漣である。
 時の流れを空間ディスプレイとして再現する。――そう言ったら、彼は何と返してくるだろうか。彼なら「時」をなんと捉えるだろう。
 何となくそんな事を思い巡らしていると、庭先を眺めながらお茶を手に、のんびりのほほんとした口調で話す漣の声が今にも聞こえてきそうで、織は思わず口元に笑みを浮かべた。
「どうかしましたか?」と首をかしげるオーナーに「なんでもありませんよ」と穏やかに返すと、作業を始める前にと、織は真新しい絵葉書と万年筆を手に取った。


*


 展示会初日は天候に恵まれた。外気はひんやりとしているものの、深呼吸をすれば身体の芯まですっきりとして来るような、心地よい秋晴れである。
 そんな澄んだ空気の中。全ての準備を万端に整えて開店時間を迎えると、一番に画廊の入り口を潜ったのは、やはり依頼主である老舗の店主だった。
 己の父が長年をかけて集めた品だ。織がそれをどのようにして飾り付けたのだろうかと考えると、子供のように前日は眠れなかったらしい。入り口前で出迎えた織が店主の目の赤い事を心配すると、恥ずかしそうにそう答えた。

「こちらへどうぞ」
 織が店主を優しく画廊の中へ導くと、室内全体を照らしている柔らかな橙色の光の中を、店主は一歩ずつ踏みしめるように歩き始める。
 織はそんな店主の姿を後ろから見守っていた。

 画廊には、店主の見知った時計達を適度な間隔で飾り、その合間に和紙や紗地布等の和素材で覆ったランプを高低差をつけて置いた。その幾つかには、針金を巻いて作った螺旋状の傘を取り付け、床や壁にはランプから放たれた光によって、螺旋の影が映し出されるよう、織なりの工夫を凝らしてみた。
 やがて店主はあることに気がついたのか、周囲の時計を見渡した。
「時計の針が?」
 その言葉に、織はにこりと微笑む。
「はい。奥に行くにつれ少しずつ時間を遡るようセットしてあります」
「……ああ、あれは父の作った発条時計だ」
 店主が目を遣る方向を、織も見つめる。遡る時の狭間に、幼い時分に父の創った時計が置かれているのを見つけて、店主はなんともいえぬ表情でそれを眺めていた。

 店主が感嘆の溜息を漏らしたのは、画廊の中央にある一番広い吹き抜け部分に差し掛かった時だった。
 開けた視界の先には、巨大なオブジェが突如として現れる。店主は驚いた様子でそれを見上げていた。
 織が資材置き場から見つけ出し、この日の為に装飾を施した螺旋階段。やはりそこにも、掛け時計が螺旋に流れるように飾られている。
「……おや、なにか良い香りがしますね」
 織が答える前に、店主は香に惹き寄せられるかのように、足を螺旋階段の向こうへと運んだ。織はただ一歩下がり、店主の行く方向に黙ってついていく。ここの主役は想いの眠った時計達、そして店主だ。その世界を壊さないように、意識しながら。

 画廊の最奥には、黄橙色に染め上げられた布が天上から流線を描いて飾られていた。その手前には、数多の金木犀の枝、そして水を浸した大きな花器の中や床の上にも、金木犀の黄色い花弁が散りばめられている。
 その中央で一際重厚な黄金の光を放っているものがあった。
 白い大理石の上に置かれた大きなガラスのボウルの中。銀木犀の白い花弁を敷き詰めた上にそっと置かれていたのは、あの懐中時計だった。


 店主は随分と長いこと、その前に佇んでいた。
 告げるべき言葉を見出せずにいるのか。もどかしそうに何度も溜息を零す。老いたその瞳には、追懐の情が溢れていた。
 やがて苦笑をしながらも、店主は微かに震える声で振り絞るように言葉を紡いだ。
「……時の流れとはいえ、あの店には様々な想い出が眠っています。その想い出と父の夢を引き継いでいけないのは、やはり無念です」
 織はその言葉を無言で受け止めると、ゆっくりと店主に歩み寄って一つの問いを投げかけた。
「金木犀の花言葉をご存知ですか?」
 織の声に店主は首を横に振る。
「『想い出の輝き』、と言うのだそうです」
「想い出の輝き……」
「そして私が時計を飾る時にモチーフにしたのは、金木犀ともう一つ。螺旋です」
 店主はここまで歩いてきた道のりに見た、オブジェとランプを思い出す。画廊に飾られた作品の数々は、緩やかな螺旋を描き、橙色の光の中で優しい陰を落としていた。
「時計は数多のネジから成り立っています。ネジの構造は単純ですが、部品と部品を繋ぎ合わせる為に螺旋の形状をしていますよね」
 そこまで告げると、織は目の前にある金の懐中時計を眺めた。
「DNAも螺旋の形態をしています。時計店はなくなってしまっても、父上の意志や温もり、家族の絆は永遠に続いて繋がっていくのではないでしょうか」
 時計を愛する心は、父上を経て店主の中にも確かに受け継がれていると告げながら、織は凪いだ瞳で店主を見つめた。

 懐中時計の針が時を刻む。留まることなく螺旋を描きながら、優しく、柔らかく。
 決して戻ることの叶わない時の流れの中で、人は誰かの意志を受け継ぎ、絆を育て、やがてそれを後継者に託して行く。それは人間がこれまで築き上げてきた歴史そのものではないだろうか。
「……烏丸さん。父の時計を飾って下さったのが貴方で本当に良かった」
「私も、少しでもご店主のお役に立てたのなら嬉しいです」
 何かを振り切ったような表情で礼を述べる店主に、織は穏やかに微笑んだ。



 その時、画廊の扉が開いてもう一人の客が訪れた。
 受付に居る美術員と来訪者が二言三言会話をしている声を聞きつけると、織は傍らに居た店主に「少し失礼します」と軽く会釈をしてから入口へと向かった。
 遡った時から、螺旋階段を抜けて再び現実へと引き返せば、そこには良く見知った和服の男が佇んでいた。
「漣さん! 来て下さったんですね」
 織が歩きながら受付に立つ漣へ声をかければ、それに気づいた漣が、いつもののほほんとした笑顔を織へと向けた。
「やぁ、こんにちは。織君からお誘いを受けたとあれば来ない訳には行きませんからねぇ」
 私自身楽しみでしたし、と告げて漣がひらりと取り出したのは、先日織が展示会の事を書き付けて投函しておいた、金木犀の絵が施された絵葉書だった。
「ご案内しますよ。漣さんが時間というものをどう捉えているのか、聞いてみたかったんです」
「それはまた、難解な質問を投げかけますね、織君は」
 満面の笑みを浮かべて織が漣を促せば、微かな苦笑を零しながらも、漣は「さて、時間ですか」と思考を巡らし始める。

 時は一つ処に留まらず、常に螺旋を描いて巡り行く。
 懐中時計が刻む時の中、彼らのやり取りを、ただ金木犀の花だけが優しく見守っていた。



<了>

PCシチュエーションノベル(シングル) -
綾塚るい クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年09月25日

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