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『月に叢雲 花に風 《前篇》 』
菊坂・静5566)&一ノ瀬・奈々子(NPC2601)



 菊坂静はいつものように病院に来ていた。目的は欠月の病室だ。
 廊下の一番奥の、薄暗い場所。陽の当たる時間が少ないその個室に、欠月がいる。
 来る度に思うのだが、もっといい部屋を用意してもらえば良かったのに。だが欠月は「本当に重病の人とかいるのに、個室を陣取ってるだけで申し訳ないよ」と応えた。彼だって病人に違いはないというのに。
 今日は日曜日だ。朝から欠月に会えるのが嬉しくてたまらない。
 個室のドアを軽くノックする。
「はい。どうぞ」
 欠月の声が部屋から聞こえて、静は引き戸をそっと開けた。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
 にっこり微笑む欠月はベッドの上に座ったまま、テレビを観ている。映っているのは、映画だ。邦画のようだが、静が観たことのないものだった。欠月がリモコンを操作して、映像を停止させた。
 ドアを閉めてベッドに近づく。慣れた様子で、近くにあったパイプ椅子を引っ張ってきて腰掛けた。
「差し入れにおはぎ作ってきました」
 どうぞ、と紙袋を差し出すと、欠月は小さくくすくす笑う。
「毎回律儀におはぎにしなくていいんだよ?」
「だ、だって、欠月さんに早く良くなって欲しいですからっ」
 ちょっと頬を赤くして欠月をうかがうと、彼は「ふぅん」と、どこか色っぽく呟いた。
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど。退院しちゃうと、静君のおはぎが食べれなくなるのは嫌だなあ」
「退院しても作りますよ!」
「ほんとう?」
 くすぐるような声で言われて、静はカーッと赤くなる。どうしたんだろう、今日の彼は。なんだかいつもの数倍色気がある。
 そんな静に気づかず、欠月は言う。
「良かった。静君の作るおはぎは、甘さも丁度良くて…………うん、好き、だね」
「ほ、本当ですか!? 好き、ですか?」
「好きだよ。何回食べても飽きないし、食べる度に、もう一回食べたいなあって思うからね」
 にっこり微笑む欠月の言葉に、静は心底嬉しくなった。
 自分の作ったものを好きと言ってもらえて。そして、もう一度食べたいと言ってもらえて。
 こんなに幸せなことって、あっただろうか?
 必要としてもらえる。こんな些細なことだが、静を欠月は必要としてくれている。
 欠月は深く考えて言っていないかもしれない。たかが料理だ。だが、静にとっては大きな意味があった。
「良かった……。欠月さんの甘さの好み、よくわからなくて……」
「気にしなくていいのに。ボクが『もう一回食べたい』って思うなら、静君の料理は十分美味しいはずだよ?」
「あ、ありがとうございます」
 俯いて照れる静は欠月をそっと見遣る。
 食べてもらいたい相手に「美味しい」と言ってもらえるように努力するのは、当然だ。欠月に喜んでもらえることが、静にとっては至福だった。
 静はふいに、ベッドのすぐ脇の小さな机に飾られている卓上カレンダーに視線を遣った。もう9月だ。夏ももう、終わる。
「9月になりましたね、そういえば」
「そうだね」
「そろそろ寒くなってきますから、欠月さんも気をつけてくださいよ。お腹とか冷やさないようにしてくださいね」
「あのね……子供じゃないんだから。そういうキミこそ、季節の変わり目は体調を崩し易いんじゃないの? 気をつけなよ」
 呆れる欠月は何かに気づいたように卓上カレンダーを凝視した。
「…………9月?」
「? どうしました?」
「いや……今日って確か、3日だったよね。9月3日」
「そうですけど……。何かあるんですか?」
 テレビの番組だろうか? それとも本の発売日?
 首を傾げる静のほうを向くと、欠月は思案顔で言う。
「……今日って確か、ボクの誕生日なんだよね」
「…………………………え?」
 一度で理解できなくて、静は眉をひそめた。
 なに? なんだって?
 欠月は真面目な顔を崩し、「うーん」と唸る。
「調べたから、間違いないと思うよ。この身体の持ち主の誕生日だから。
 ちょうどボクの魂がきちんと形になったのもその頃なんだよね。この肉体と連結した日とは違うけど……。ボクはこの身体の人と同じような存在だから」
 肉体と連結したのは、欠月の魂が使用を開始された日だ。誕生日とは言えないかもしれない。そもそも欠月の魂は肉体のない状態で出番を待っていたのだ。すでにこの世に存在はしていたのである。
 静は欠月から目を離してもう一度卓上カレンダーを見遣り、それから欠月に視線を戻す。さーっ、と血の気が引いた。
「……今日、誕生日なんですか!?」
 あまりの衝撃に、静は今やっと、そのことを理解したようだ。



 日曜だけあって、静が帰りに立ち寄った大型百貨店は若者で賑わっていた。
 若者を対象としたこの百貨店ならば、きっといいプレゼントが見つかるはずだ。
(どうしよう……欠月さんて、何をあげたら喜ぶかな……?)
 プレゼントといえば、本人が使いそうなものや、喜びそうなものが定番だ。だが静は、欠月が何を喜ぶのか、はっきりと知らないのだ。
 鞄とかどうかな? 欠月さんが使うわけないじゃないか。
 食べ物とかどう? だったら僕が全部作る!
 色々と店を見て回るがあまりピンと来ない。
 静は落胆し、溜息をつく。
(……欠月さんに欲しいもの、訊いたほうが良かったかな……。でもそれじゃあ、プレゼントするってすぐにバレちゃうし……)
 勘のいい彼のことだ。すぐさまバレてしまうだろう。
 とぼとぼと歩いていた静は、視界に入った店の前で足を止めた。宝石店だと思って先ほどは無視したのだが……。
(違う……?)
 よくよく見ればそこはパワーストーンも扱っている小物店だ。ビーズなどもあるためか、客では若い娘が一番多そうだ。カップルがいるのも見えた。
 試しに足を踏み込ませ、静は店内を見て回る。
 定番の石から、変わったビーズまで幅広く扱っているようだ。
 キーホルダーのところまで行き、そこでぴたりと止まった。
「これ……」
 なかなか可愛い。いや、可愛いというよりも、シンプルという言葉がぴったりだ。
 たくさん吊り下げられているキーホルダーの石を眺め、それから気づく。キーホルダーの上のほうに、石の説明があったのだ。
(……これなら値段もいいし、シンプルだし……)
 そんなことを考えて石の説明を眺めていた静は、目を見開く。慌てて目の前のキーホルダーの山から、目的のものを探し始めた。
「……あった!」
 奥のほうにあったスギライトとムーンストーンのキーホルダーを見つけ、安堵した。手前にある他のキーホルダーを外し、目的のものを取ってから、戻した。
 静はいそいそとレジに向かう。
「あの……! プレゼント用に……!」
 息せき切っている静の様子に、女性の店員はちょっと驚いた顔をしていたが、すぐに笑顔で「はい」と言った。
「スギライトとムーンストーン……心身のバランスを整える石ですね」
 店員に言われて静は少し恥ずかしそうにしたが、すぐに満面の笑みを浮かべて頷く。欠月にぴったりだと思ったのだ。
 会計を済ませてラッピングが終わるのを待っていた静は、ふと気になった。
 店内のざわめきを、遠く感じる。
(……幸せ……だ)
 嘘みたいに。
 でも。
(いいのかな……こんな風に、幸せになっても……)
 自分はいつも、誰かを死なせてしまうというのに。
 もしも。
 ざわ、と、胸の内に嫌な予感が押し寄せた。
 唇を噛む。
(欠月さんは、死なないよね……?)
「お客様?」
 耳元で呼ばれてハッと静は顔をあげる。店員が小さな紙袋を持って立っていた。
「お待たせしました。どうぞ」
「あ、はい」
 受け取った静は、重い足取りで店をあとにした。
 急に不安になると……どうしても考えてしまう。死なせてしまった人たちのことを。
 そっと自身の首に手を遣る。締められたこともあるこの首には、もうその痕はない。
 百貨店を出る。赤い空だった。まるで血を塗りたくったような、赤い――――。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
ともやいずみ クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年09月11日

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