『廃墟奇譚 ５ 』

ジェームズ・ブラックマン（5128）＆ナイトホーク（NPC3829）

　生き続けなければならない事実を受け入れることは、自分の死を受け入れることと同じような気がする。
　だが生き続けることを受け入れられたとしても、これから起こるであろうたくさんの別れを自分は素直に受け入れられるだろうか。
　雨は相変わらず降り続き、部屋の中はいつも夜のように暗い。この間にも、時の流れは砂時計のように指からさらさらと流れているのだろうか…そう思うと、夜鷹はにわかに落ち着かなくなり、無意識に煙草に手が伸びる。
「煙草の本数増えたな…」
　あの日からずっと夜鷹は考えていた。
　初めてジェームズが自分に煙草を買ってきた時のこと…あの時は、外とこの廃墟の中の時間の流れが違うことにショックを受けて、衝動的に自分を傷つけてしまった。混乱したりすると自傷に走るのは悪い癖だ。それは研究所にいた頃から全く変わっていない。
　だが、あの日から夜鷹は自分を傷つける事をやめた。それはジェームズが去り際に言った言葉がずっと胸に引っかかっているからだ。
『置いて逝かれなくて良かった。それだけだ…』
　その言葉の意味を考えても、答えが出た試しはない。ただ、自殺の真似事さえもあの言葉を思い出すと、自然に手が止まる。そしてその後、必ず言いようのない感情に囚われるのだ。
「口に出しちまえば簡単なんだろうけど…」
　言えない。
　口に出してはいけない。
　それを言ってしまえば、おそらくジェームズを縛り付けてしまう。だから絶対口に出してはいけない。
「ヤキが回ったか」
　溜息と共に煙を吐き出しながら、夜鷹は一人頭を抱えていた。

「その服は体に合っていないな」
　ジェームズが唐突にそんな事を言ったのは、いつものように二人で顔をつきあわせて夕食を食べていた時だった。
　しょっちゅう自殺の真似事をしていたせいでろくな服がなく、仕方なくその辺にあった和服を着ていたのだが、長身なうえに腕や足も長いので袖や裾が足りていない。夜鷹は皿に入ったビーフシチューをつつき回しながら溜息をつく。
「そんな事言ったって、いつまでもあんたの服借りてるわけに行かないし」
「身長は同じぐらいだから着ればいいだろう」
　グラスに入ったワインを飲みながらジェームズがそう言うと、夜鷹はぷいとそっぽを向いた。
「煙草の匂いが移るだろ。あんた煙草吸わないし」
　煙草を吸わないなどと一言も言った覚えはないのだが。ジェームズはその言葉に思わず苦笑する。
　あの一件から夜鷹の中で何かが変わったのか、自分を傷つけたりするようなことがなくなった。研究所のことを話しても、目に見えて殺気を見せたりもしなくなっている。それはジェームズにとっては大変喜ばしいことなのだが、その代わりに気になることがあった。
　時々夜鷹は、妙に自分と距離を取りたがることがある。
　今まではジェームズの服を普通に借りていたのに、何を思ったのか急に和服を着始めたりして何を考えているのか分からない。自分に嫌悪感を示しているのかとも思ったのだが、そういうわけでもないらしい。
「服を仕立ててやろうか？」
　ジェームズの言葉を聞き、夜鷹は驚いたようにジェームズの顔を見つめた。
「私の服を着るのが嫌なら、体にあった服を仕立ててやる。少なくともその短い着物で家中を歩き回られるよりはいい」
　空になったグラスがトン…とテーブルに置かれる。
「仕立てるって、どうやって？外に出たら俺、そのまま逃げるかも知れないけど」
　自分から「逃げる」という言葉を出した夜鷹に、ジェームズはふっと口角を上げた。今まではそんな事を言わずジェームズの出方をうかがうような事をしていたのに、素直にその事を口に出すようになったのは大きな進歩だ。本当に逃げる気があるのなら、夜鷹の性格なら絶対口にしない。
　ジェームズの空いたグラスに夜鷹がワインを注ぐ。
「外に出て店に行くか、それともここにテーラーを呼ぶか好きな方を選べ」
　多分これは外に出るチャンスなのだろう。
　そうしたら今が一体何年なのかも分かるし、日本がどうなっているのかを知ることも出来るだろう。夜鷹の手元にあるのはジェームズがたまに買ってくる文芸雑誌ぐらいで、世界情勢がどうなっているのかもよく分からないのだ。
「………」
　それなのに、夜鷹は何故か外に出る気になれなかった。
　今ここで外に出れば、研究所の人間に見つかってしまうのではないだろうか…冷静じゃなかった時はがむしゃらに復讐を考えていたが、そんな簡単にいくようならずっと研究所に拘束されたりはしなかったはずだ。それに、もし自分の後に「不老不死と他の力」を併せ持つ鳥が生まれていたら、あっさり捕まり鳥籠に戻されるかも知れない。
　黙り込んでいる夜鷹にジェームズがふっと微笑む。
「どうした？私は気まぐれだから、これを逃すと外に出すとか言わなくなってしまうかも知れないが」
「…いいよ、それで」
　頬杖をつき、夜鷹は持っていたスプーンを皿に置いた。
「服のサイズ計ったりするのは、別にここでも出来るし」
　その仕草を見て、ジェームズは何故夜鷹が自分と距離を取りたがるようになったのかの理由が分かったような気がした。嫌悪感を持っているのではない。もしかしたら夜鷹は…。
　ジェームズがそれに対して何か言おうとした時だった。夜鷹が椅子を蹴り倒しそうな勢いで立ち上がり、困った顔でジェームズの方を見る。
「あーっ、何でもない。服はあんたの借りるから作らなくてもいい、ご馳走様」
「おい、夜鷹…」
「寝る寝る、頭痛いから寝る！おやすみ」
　その勢いにあっけにとられるジェームズを尻目に、夜鷹はバタバタと走って部屋に戻ってしまった。本当に勢いだけで戻ってしまったようで、テーブルの上には部屋から持ってきていた煙草とマッチが置かれたままだ。
「………」
　ジェームズは煙草を一本出しそれに火を付けた。久々に吸う煙草は、ワインのアルコールと共にゆっくりと頭に回る。
　自分は一体夜鷹に何を求めているのだろう。
　同じ夜の闇を飛ぶことだけなのか、それともその闇の中でお互いの存在を感じていたいのか…。
　死を宣言された人間は六つの段階を進むという。まずショックを受け、死ぬことを否認し、どうして自分が死ななければならないのか怒り、死ぬ代わりに何かがしたいと取引を考え、抑鬱を経て受容に至る。
　だがそれは、永遠の生を告げられるのと何が違うのか。
　人のために犠牲となって死ぬことと、人のために生き続けることに違いはあるのか。
「まだ悟りきれていないとはこういう事か」
　言いようのない感情を抱えながら、ジェームズは静かに煙草を燻らせ続けていた。

　ばたんと閉めたドアを背に、夜鷹は滑り落ちるようにしゃがみ込んだ。着物の裾がはだけ長い足が見えるがどうでもいい。いつもの癖で煙草を取り出そうと懐に手をやり、食事の時にテーブルに置き持ってくるのを忘れたことに気付き、ドアに頭を付けたまま天を仰ぐ。
「煙草持ってくるの忘れた…」
　逃げるように出てきてしまった手前、取りに戻る事も出来ない。それにどんな顔をしてジェームズの前に出たらいいのかが分からない。
『置いて逝かれなくて良かった。それだけだ…』
　その言葉を本当に信じてしまってもいいのだろうか。
　素直に信じてしまいたい気持ちがある反面、信じて裏切られた時が怖いのだ。その言葉を信じたいのに、信じようとすると喉の奥が詰まりそうな感覚と共に、ある言葉が夜鷹の耳に蘇る。
『どちらかが死にそうになったら、お互いの手で楽にしよう。足手まといになるぐらいならな…約束だ』
　嫌だ。
　嫌だ嫌だ嫌だ。
　そんな事を、もしジェームズに言われたら一体自分はどうしたらいいのか。砂時計のようにこぼれ落ちているのは時間などではなく、自分の足下なのかも知れない。それがやがてゆっくりと落ちきった時、何もない場所に残っているのは自分一人なのだ。
「『置いて逝かれなくて良かった』なんて信じない…絶対嘘だ」
　『置いて逝かれなくて良かった』という言葉を信じて裏切られた時が怖い。だったら嘘だと思いこんでいれば安心していられる…信じていなければ、裏切られた時に痛みが少なくて済む。夜鷹がそんな事を思っていた時だった。
「夜鷹、起きているのか？」
　ドアの前からかけられたジェームズの言葉に思わずびくつきながら、夜鷹は座り込んだまま二回ほど自分の頭をドアにコンコンとぶつける。
「起きてるよ。別に自殺の真似事とかしてる訳じゃないから心配しなくてもいい」
「じゃあここを開けろ」
「………」
　夜鷹は座っていた場所をから立ち上がって、渋々とドアを開けた。ジェームズが部屋を覗き込むと、床にでも座り込んだ後なのか夜鷹の着ている着物の裾がやたらはだけている。
　それに溜息をつきながら、ジェームズは食卓に忘れていた煙草とマッチを差し出しながらこう言った。
「今度は何に拗ねている？」
「拗ねてる訳じゃなくて、一人で考えたいだけだ」
「考えて答えが出るようなことなのか？」
「………」
　ジェームズは、どうしてこう勘がいいのか。夜鷹が俯いて目を逸らしながら差し出された煙草を取ろうとすると、ジェームズは逆の手でその手を取った。思いもよらなかった行動と、その力に夜鷹は手を引こうとする。
「…痛っ…放せよ」
「………」
　目の前にいるはずなのに、何故か夜鷹が何処かに飛んでいきそうな気がした。
　自殺しようとしても何度でも蘇り、夜鷹自身が出て行くことを望んでいるわけでもない。
　だが今ここで引き留めないと、夜鷹は遠くに行ってしまう。自分の勘がそう告げる。
「瞳に映るモノを全てと思うな。お前の心で見たモノが真実だ」
　その言葉を聞き夜鷹が自嘲的に笑う。
「…そんな事信じない。心は俺の都合のいいように信じ込むから」
　心は自分の都合がいいように信じ込む。夜鷹が言った言葉も確かに真実だ。
　ジェームズが瞳に映るモノが全てだと思っていないのと逆で、夜鷹は確かな現実が欲しいのかも知れない。名前以外の記憶をほとんど失っている夜鷹に、理屈など通用しないだろう。思えば自分の寝首を掻きに来たときもそうだった。ならば…。
「そんなに私が信じられないなら、嫌と言うほど信じさせてやる」
「えっ？…ちょっ！」
　掴んでいた腕を引き寄せ持っていた煙草を床に落とし、ジェームズは夜鷹が逃げられないように首に手を回す。そのいきなりなジェームズの行動に、夜鷹は戸惑うような表情をした。
　それを見てジェームズは苦笑しながら言葉を吐く。
「私自身もお前に何を求めているのか分からないからな…お前が考えているように、確かな現実にしてみれば私にも答えが出るかも知れない……」

　雨は相変わらず降り続いている。
　部屋の中はいつも薄暗く、今が昼なのか夜なのか時計を見ないと分からなくなる。
「…絶対信じねぇ。あんたの言うことは絶対信じないことに決めた」
　夜鷹は俯せに寝転がったまま、頬杖をつきながら煙草を吸っていた。機嫌を損ねているのかと思ったが、口元は微妙に笑っている。それを見ながらジェームズも同じように箱から煙草を出し火を付けた。
　それを見た夜鷹が煙を吐きながらジェームズの顔をチラリと見る。
「あれ？あんた煙草吸うの？」
「いつ吸わないと言った？たまに気が向いた時には吸うこともある」
「別に、個人の自由だけど」
　灰皿に煙草を置くと、夜鷹はそのまま突っ伏した。
　もしかしたらお互い考えだけ考えすぎていたが、答えは極めてシンプルだったのかも知れない。先のことを考えると気が遠くなるが、ここにある現実を今はとにかく受け入れていけばいい。
「ところで夜鷹、服の話はどうする？正直あの短い着物はみっともないから何とかして欲しいのだが」
「ああー…じゃあスーツの一着ぐらい仕立ててもらおうかな。それに、あんたが急に思い立って俺を追い出した時に、つんつるてんの着物しかなかったらまずいし」
「それが賢明だな」
　思うことはいろいろあるが、取りあえずはお互いがここにいることを享受しよう。
　この廃墟にいるのは自分達二人だけなのだから。
「…絶対信じねぇ」
　ジェームズの顔を見ずに夜鷹が一言呟いた。

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
廃墟奇譚の5本目ですが、やっと「受容」に至る所までやってきました。死と生は鏡合わせのようなものなのかも知れないなと思っています。死を受け入れることと、永遠に生きることは果たしてどちらが残酷なのでしょうか。そんな事を考えながら話を作らせていただきました。
ジェームズさんが「瞳に映るモノが全てとは限らない」と考えているなら、夜鷹は「瞳に映るモノを確かめたい」なのかも知れません。
リテイク、ご意見などはご遠慮なく言ってくださいませ。
またよろしくお願いいたします。

PCシチュエーションノベル（シングル）

水月小織

東京怪談

2006年08月28日