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『夏の夜の邂逅 』
三葉・トヨミチ6205)&(登場しない)
 ガクンと、突然感じた衝撃に三葉トヨミチははっとして顔を上げた。視界の先にはパソコンの液晶モニタ。開いた文章編集ソフトの画面には、意味を成さない文字列が並んでいる。
「……寝てた、か」
 ふう、とため息を付き、椅子の背もたれに背を預ける。ぼんやりと画面の文章を目で追い、そして徐にマウスを手に取るとそれまでのデータを全消去した。
 真白になった文章ファイル。モニタの光が目に痛く、光が強すぎないかと彼は数度その眼鏡の下の、意外と長い睫毛に縁取られた瞳を瞬かせ、「ああ」と声を漏らす。
「なんだ、もうこんな時間か」
 室内は闇に沈み、光源はモニタと、電化製品の小さな明かりだけ。何処からか聞こえてくる少し耳に付く電子音。窓の外の方が余程光に満ち溢れている。稽古の合間のせっかくの休日を、居眠りでかなり費やしてしまったらしい。明日にはまた舞台の通し稽古が始まる為、少しでも次回作の脚本を進めておきたいとペンを取った、ではなくパソコンの電源を入れたが、それも殆ど進まないままだ。酸素が脳に回ってないのかもしれない。
(散歩にでも、行きますか)
 一度気分転換した方がいいだろう。
 うーん、と背を伸ばし、部屋の澱んだ空気を吸い苦笑すると、トヨミチは鍵を取り立ち上がった。
 
 寝ている間に夕立が降ったらしい。また蒸し暑くなりだした雨上がりの道路は、湿ったアスファルトの匂いがした。人通りもやや少なくなりだした繁華街を気ままに歩く。
「よぉ、次回はどんな劇にするんだ?」
「それは企業秘密で。期待してて下さいね。ご家族と是非、お越し下さい」
「三葉クン!何部かチラシくれればうちにおいといたげるよ!」
「ああしまった、持ってくればよかった!じゃあ後日きっちりお伺いしますので、宜しくお願いしますね」
 日頃から劇団のチラシを配ったり、こうして散歩することも多い為、ちらほらと顔見知りが声を掛けてきてくれる。その一人一人に丁寧に言葉を返し、トヨミチは微笑んだ。小さな劇団だ。この一言一言が有り難い。
 外の空気を吸ったせいか幾分頭も冴えてきて、そろそろ何かつまみでも買って帰ろうかと踵を返しかけ、だが彼はふいに脚を止め、僅かに瞳を細めた。
 ――――聞こえた。
 会社帰りの疲れた顔、恋人と歩く幸せそうな笑顔、何事かを考えているのか、眉を寄せた気難しい顔。確かに在る、それぞれの舞台。
 そしてそれは何も生者だけの物ではない。
 聞こえたのだ。台詞を叫ぶ『声』が。
 心なし足早に商店街を抜け、閑静な住宅地へ出る。ぽつぽつと灯る街灯。人通りが少なく、寂しげな空気が辺りを包んでいる。
 そしてどんどんと大きくなるその音。
 それは悲痛な、酷く悲痛な、泣き声。
 時折すれ違う誰もがその声を気にする素振りを全く見せず、足早に家路を急いでいる。だが声は幾重にも重なり鳴り響き、トヨミチの鼓膜を振動させた。
(耳に、痛いな)
 トヨミチは僅かに眉を寄せ、下腹部に力を入れる。気をしっかりと持っていないと、自分のように「察知する者」は、共鳴しすぎて「持っていかれ」かねない。
「ふむ、ここかな」
 暫らく歩き、脚を止める。そこは静かな、きっと自分以外にはとても静かな住宅地の一角だった。中流階級のごく小ぢんまりとした家屋が立ち並ぶ中、トヨミチが脚を止めたのはその中で唯一明かりの一つも付いていない木造家屋だった。赤錆びた門に張り紙がされている。『空家』
「――――聞こえるの?」
 不意にそんな声がし、トヨミチは声のした方を振り返る。
「ええ、かなり。……悲しい声、だね」
 声を掛けてきた人物は、まだ幼い少年だった。中学生位だろうか。見かけたことの在る制服を着ている。
 少年はトヨミチの言葉に頷き、その家を見上げた。二階の窓のカーテンが少しだけ開いている。だがその窓も、そして他の窓の先にも人の気配を感じ取ることは出来ない。
「もう居ないよ。魂もね。ここでずっと響き続けてるのはただの、思いの残滓だよ」
 残滓だなんて言葉を良く知っているね、とトヨミチが微笑むと、少年は少し嬉しそうに笑って「国語は得意だったんだ」と答えた。
 そしてまた二人で家を見上げる。
(三人、……いや、四人か)
 幾つもの嘆きの声。一番近い声は、目の前の門を抜けた先にある、玄関の前からだった。まだ年端も行かない少女の声。
「逃げたんだって。怖くて。でも、あそこで刺されちゃったんだ――お父さんに」
 数日前までは魂が残っていたんだけど、一昨日来てみたら消えちゃってた。
「そうみたいだね……泣き声が、魂が消えて不鮮明になりかけている」
 少年の言葉に頷き、トヨミチは耳を、そして心を澄ませた。ゆるりと、脳裏にいくつかの声と、記憶が流れ込んでくる。
 夢を追って立ち上げたプロジェクトが上手くいかずに失敗。多大な謝金を抱えノイローゼ気味だった父親を励まそうと、話し合う母と子供達。皆で一緒にゲームでもしようよと声を掛けるつもりだった。チャイムが鳴る。お帰りなさい、夕食後に皆で……。そこまで声を出し、少女は首をかしげた。『お父さん、何でそんなもの持ってるの?』
 瞳を開けた。その先の光景は悲惨すぎた。
「夢なんて、追いかけなければ良かったんだ」
 ポツリと少年が声を漏らす。
 その言葉に目を見開き、少年を見下すと、少年の襟の合間から覗いた首に、紅い擦れた様な跡がみえた。
「どうだろう」
 トヨミチはゆっくりと首を振り、口を開いた。
「夢を追っていけないなんて事はない。ただ、四葉のクローバーが三つ葉の中にまぎれているように、幸せも平凡な日常の中にあるんだ、きっと。」
 自身が、劇団の初公演の折に書いた文章を思い出す。そこで自分は必ず四葉は三つ葉の中にまぎれているのだと書いた。
「三つ葉をしっかり見つめていなければ、四葉は見つからない。当たり前だけど、三つ葉の群れが枯れてしまったら、一緒に四葉も枯れてしまう。彼女のお父さんは、夢の実現という幸せだけを見詰めすぎて、元から彼の周りにあった平凡で、有り触れていて、でもとても優しい掛け替えの無い思いに気づくことが出来なかった」
「……そっか」
 少年が呟き俯く。また、開いた襟ぐりから紅い跡が見えた。
 生暖かい夏の夜の風が頬を撫でていく。トヨミチの髪がなびく。少年の髪は揺れない。
 数瞬口を閉ざし、トヨミチはゆっくりと少年の頭に手をやった。触れられない。けれど撫でたいという意思は伝えることが出来る。
 その手に顔を上げた少年の前に屈みこみ、トヨミチは微笑んだ。
「それを魂に刻んでおけば、きっと次は大丈夫。――君も」
「……うん」
 その言葉に少年はくしゃりと泣きそうに顔を歪め、だがしっかりと微笑んだ。
 少年の身体が急速に透けていく。
「僕は、違う世界に幸せを求めちゃったんだ。でもね、幸せは、見つからなかった」
 首の縄の跡に手を触れて笑う。
 その言葉にトヨミチは静かに頷き、「三つ葉を忘れずに」と微笑む。そして急にぱっと笑って見せた。
「ついでに俺は三葉トヨミチといいます。劇をやってるから、生まれ変わったら是非見に来てね。何なら役者でも構わない!」
「っ……いきなり勧誘?!」
「団員が足りないんだよ……」
 芝居がかった動きで肩をすくめたトヨミチを見て、ひとしきり少年は笑い、そして真顔をトヨミチに向けた。
「――――伝えてね。皆に」
 夜の闇に溶ける。魂が消えていく。
「もちろん」
 微笑んで、しっかりとトヨミチは頷いてみせた。
 
 
 
 泣き声が聞こえる。それぞれの声は既に鮮明さを欠き、うなり声の様に響き渡っていたが、それももうじき消えるだろうとトヨミチは家を再度振り仰ぎ、視線をそらした。
 一つの舞台が終われば、きっと次の舞台が在るはずだ。終わっていないのなら続きが在るはずだ。生の舞台は死しても必ず何かと繋がり、巡る。
「さぁ、戻りますか」
 意識的に声を大きく出し、三葉トヨミチは元来た明るい商店街へと踵を返す。
 
 遠いどこかで、クラクションの音が闇に響いた。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
空 ひなた クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年08月24日

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