▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『ふしぎな子、ふしぎな父さん 』
日向・久那斗4929)&クルツ・ヴェアヴォルフ(4131)&(登場しない)



「あら」
 公園で子供を遊ばせている母親たちが、ふと目を丸くした。
「へんな子ねぇ」
 彼女たちの視線の先を、すいぃっ、と歩いてゆくのは、ひとりのへんな少年だった。
 見上げれば快晴。耳を澄ませば蝉の声。梅雨は終わった。今は夏の盛りである。子供たちは水飲み場や噴水で水遊びをしていたし、母親たちは扇子や水のそばで暑さをしのいでいた。
 しかし、その奇妙な少年は、長袖のシャツを着て、傘をさしていたのだ。
 傘は空の端のような薄い蒼だったが、日傘ではなさそうだ。少年は汗ひとつかいていない。そして、暑そうな素振りさえ見せていない。気だるげに目を伏せる顔は、無表情だ。子供は暑さや寒さに鈍感ではあるが、それにしても……。
 少年は母親たちの視線もまるで意に介さず、すいぃっ、と歩いてゆく。
 散歩をしているふうでもない。目的がありそうでもない。ただ、彼は公園を歩いていく。
 木陰のベンチに、ひとりの男が寝そべって昼寝をしていた。少年は、その壮年の男の前も、無言で通り過ぎた。男は少年が通り過ぎるや否や、すん、と一度鼻を吸って身じろぎする。
 目覚めた男が見たのは、幽霊のようにぼんやりと公園の散歩道を歩いていく、少年の背中と傘だった。


 眠っていたのはクルツ・ヴェアヴォルフ。彼のするどい嗅覚が、何かとらえたか。クルツは身体を起こして、ゆらゆらと歩いていく少年の背を見ていた。傘を見ていた。奇妙な子供だと思ったのは確かだ。そして、もしかすると只者ではないのかもしれない、とも思った。
 危険な匂いも、はっきりとした人外の気配も感じないのだが――
 クルツを目覚めさせ、動かしたのは、何だったのだろうか。長い歳月の間につちかわれた経験がささやいたか。はたまた、生まれ持った獣の勘か。
 クルツはベンチの背に掛けていた厚手のコートを手にし、少年のあとを追った。彼もまた、少年同様、季節感のない奇妙な男だった。見かけからは職業の想像がつかず、生活感もない。だが、汚らしく胡散臭い様相でもないのだ。
 彼も、ものも言わずに歩いていく。少年と違うのは、ぼんやりとしたものであっても、『目的』を持って歩いているというところだった。


 少年はあてもなく歩いている。足取りにも確固たる意思がないようだった。ふらふらさまよっている、というのがしっくりくる歩き方だ。伏し目がちの目は、ぼんやりしている。憂いを帯びているようだが、見ようによっては眠たげだ。
 突然、彼は足を止めた。
 はたはたと、彼の目の前を蝶が横切る。珍しくもないモンシロチョウだったが、少年の目は蝶に釘づけになった。ゆっくりとその蝶を目で追いながら、彼はまるで無意識のうちにといった様子で、ふらふらと蝶のあとについて歩き出した。

 はたから見ればかなりおかしな光景だっただろう。
 ひらひらと舞うありふれた白い蝶。
 ふらふらと歩いてその後を追う少年は、この快晴の下傘をさしている。
 そしてその少年の後ろを、厚手のコートを手にした壮年の男が歩いていた。

「…………!」
 まさかとは思っていたが、やった。
 クルツの目の前で、少年は蝶を追い、夢見心地の足取りで、交通量そこそこの車道へと歩みを進めたのである。昼間の車の流れは、ごうごうと唸る濁流だ。
「ばっ……」
 餓えた野犬のような勢いでクルツは走り、少年のシャツの後ろ襟を掴んだ。凄まじい数の怒りのクラクションが、ふたりの耳をつんざく。しかし少年は心持ち目を大きく開いただけで――きょとんとした表情、というのがふさわしいだろうか――声すら上げず、クルツによって歩道に引き揚げられていた。
 その目は、ひらひらと向こう岸に渡ってしまった蝶を、まだ追い求めていた。
「……なに考えてるんだ。普通に考えたら、危ないってことくらいわかるだろう?」
 一瞬肝を冷やしたクルツだったが、すぐにいつもの無愛想な態度を取り戻し、長身を屈めて少年の顔を覗きこんだ。そして、手短に説教した。
「……?」
 少年は相変わらず、ぼんやりとした無表情と視線。わずかに首を傾げて、クルツを見上げているだけだ。
「おまえ……死ぬところだったぞ」
「……。そうか。……ありがとう」
 ようやく漏れ出た少年の声は、透き通っていて、ろくに感情もこめられていないようだった。けれどもそれは、純粋な『礼』だった。
 クルツはため息をついて立ち上がる。この少年は自分の子供ではないし、知り合いの子でもない。これ以上引き止め、命の尊さと現代社会の危険について説く必要性はどこにもない。彼は少年を解放した。少年が何を考えているか、わからないままだったが――それも、追究する義務はない。
 少年はまた歩き出した。
 ふらふらと、沈黙を守って。
「…………!!」
 前を見ているのかいないのか、少年は『この先工事中』の立て看板をあざやかに無視し、歩道上の工事現場に入っていった。クルツが走り出したのは言うまでもない。


 今度は工事現場の蓋が開いたマンホールの中に落ちかけたので、クルツはこの謎めいた少年をいよいよ放っておくわけにはいかなくなった。今は少年のすぐ隣りを歩いている。彼の当てもない放蕩に付き合っている。
 ――何してるんだ、俺は……。四六時中見張ってるつもりか? 俺の子でもないのに。そもそもこいつ、親はどうしてる? こんなに危なっかしいやつをひとりで外に出す親も親だな。親がいないんだとしたら、よくここまで生き延びてこられたもんだ。で、俺はどうしてここまでこいつを心配してるんだ……?
 悶々と物思いにふけりながらクルツは歩いた。少年は突然足を止め、何かをじっと黒い瞳で見つめて、また歩き出す。その繰り返しだ。
 ――クラゲ。
 少年は何となく、意志も感情も持たずに海を漂う、透き通った生物を思わせた。
 ただ、一度、少年は明確な意思を持って立ち止まった。
 簡素な移動式のアイスクリーム店の前で。
「あら、いらっしゃい。すてきな傘ね」
 若い女性の店員が、少年の傘をつつきながら笑いかける。
「……バナナ」
「はい、バナナ味ね。一段でいいの? おねえさん、アイス重ねるのが得意なんだよ」
 商売がうまい。プロの手口だ。
「……チョコチップ、……つぶつぶイチゴ」
 メニューを指差しながら、少年は淡々と注文を重ねた。店員は手際よくアイスを重ねていく。最終的に三段になったアイスを受け取り、少年はポケットからしわくちゃになった千円札を店員に差し出した。
 上からつぶつぶイチゴ、チョコチップ、バナナと重なったアイスをのろのろ味わいながら、少年はまた歩き出した。何でもない、ほほえましい行動だが、クルツはやはり見ていてハラハラさせられていた。
 食べながら歩けるほど少年がしっかりしているとは思えない。両手がふさがっているから、転んだとき一体どうなってしまうか。そもそもあのペースで食べ進めると、三段目のアイスは溶けて流れるだろう。
「あ」
 クルツが懸念していた通り、五分後、三段目のバナナが溶解し、二段目のチョコチップと一段目のつぶつぶイチゴの半分が地面に落ちた。
「あ」
「……あー……」
 少年とクルツはため息とともに屈みこんだ。アイスはこの暑さと少年のスローペースのために、凍ったクリームではなくただのクリームになってしまっていた。拾ってコーンの上に戻すのも不可能に近い。
「その……、アイスは、もっとてきぱき食わないとダメだ」
「……てきぱき」
「迅速に。素早く。とっとと食うもんだ」
「……」
 少年は口を結んで、落ちたアイスを見つめる。クルツはとりあえず、その頭を撫でた。少年が落ち込んでいるものと思ったので、なぐさめたつもりだった。
「…………」
 しかしどうやら、少年は落ち込んでいるのではなく、溶けたアイスに群がりはじめた蟻を見ているらしいということに気がついて、がっくりと首をうなだれた。
「変わったやつだな。名前は?」
「日向久那斗」
「……よく無事で生きてるな、久那斗」
 はあ、とクルツはため息をついた。
 少年――久那斗は、溶けたバナナアイスが溜まったコーンを片手に、蟻の行動をじっと見つめている。
「危なっかしくて放っておけない。家まで一緒に行ってやるよ」
「家」
 久那斗は蟻からクルツに目を移した。前髪をかきあげて、クルツは苦笑いにも似た微笑を浮かべている。久那斗はしばらく、黙って、クルツを見つめ――

「ありがとう。おとーさん」

 その言葉を受けて、クルツは硬直した。


「い……」


「いやちょっと待て、俺は結婚してないし、おまえみたいな子供持った覚えないし、おまえは俺のせがれじゃないだろ!」
 残念ながら、クルツの否定が遅すぎた! 久那斗の中では、クルツの呼び方がすでに定着してしまった。
「手、洗う。行こう、おとーさん」
「だから違う、俺を呼ぶならクルツって呼んでくれ」
「食べる? おとーさん」
「おまえ、人の話を……」
 バナナクリームですっかりふやけたコーンを受け取り、クルツは頭を抱えた。どうして自分がおとーさん呼ばわりされたのか、その原因が知りたい。何故だろう。どうしてこんなことに。
「……この、クラゲ坊主」

 時に叱り、時になぐさめ、そして常にそばにいて守ってくれる頼もしい男。
 そういうものを何という?
 確か、「おとーさん」だ。

 しかしその連想に、クルツが辿りつけるかどうかは怪しい。自分がいつの間に久那斗少年の父親になってしまったのか、悶々と考えながら溶けたアイスを食べた。ぬるい、にせもののバナナの味がする。ふやけたコーンの食感はいっそ不愉快だ。
「…………!」
 そして、顔を上げたクルツはまた無言で走り出していた。
 傘をさした少年は、いつの間にかかなり前に進んでいた。そして、噴水によじ登って手を洗おうとしていたのだ。
「おい、勘弁してくれ……! ほんとに、いろんな意味で……!」


「あら」
 公園で子供を遊ばせている母親たちが、ふと目を丸くした。
 彼女たちの視線を集めているのは、黒髪の父子と思しきふたり。息子のほうは、このの快晴に傘をさしている。そして、噴水の中にスニーカーを履いたままで片足を突っ込んでいた。ここは手を洗うところじゃない、と息子を諌めている父親は、秋や冬にでも着るような厚手のコートを抱えている。
 父親は妙に必死で、息子はぼんやりしていた。
「へんな親子ねぇ」




〈了〉

PCシチュエーションノベル(ツイン) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年08月22日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.