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『せんりつのケータイおに 』
田中・緋玻2240)&神山・隼人(2263)&(登場しない)



 ここでは彼は、神山隼人という名前ではない。
 ここは彼がいるべき場所だ。彼はここにいなければならない。はるか昔、神にそう定められ、多くの同胞とともに、彼はここ地獄に繋がれた。
 しかしいつしか、大いなる魔王は地獄を飼い慣らし、蛇の呪縛と鎖を解き放った。それからというもの、彼ら悪魔は、人間たちが我が物顔で闊歩する地上へたびたび這い上がる。そして、人間たちを観察し、堕落させ、時には命を奪っているのだ。
 今でこそ神山隼人を名乗り、日本という国の東京に腰を落ち着けている彼だったが、まれに上の者から古巣に戻るよう命じられることもある。人間を殺そうが肩入れしようが基本的には咎められないが、上の者の命令に背くと、いろいろ面倒が起きるものだった。
 隼人は、数十年ぶりに古巣に呼び戻された。隼人の執務室が未処理の書類であふれ、扉が閉まらなくなり、万魔殿の回廊にまではみ出していて、著しく美観が損なわれているとのことだった。
 頭痛を痛くしながら隼人は書類を片づけた。しかしその苦行めいた執務も、ある程度の時間が経てば、楽しくなってきてしまった。ハイだ。多分ランナーズハイというものだろう。
 書類は数十年をかけて蓄積されたものがほとんどだ。少しずつ、確実に、仕事が片づいていく様を見るのは、考えようによっては面白いのかもしれない。隼人はいつしか一人で鼻歌などを口ずさみながら仕事をしていたが、隼人の執務室の出入り口を固める衛兵たちは、鼻歌を聞いてひそひそと囁きあった。――おい、ついに御前が壊れたぜ。
 衛兵たちは、仕事に精を出す主の言いつけを守りに守った。この状態の隼人に盾突けばどうなるか、考えるだけで恐ろしい。彼らは、何人たりとも隼人の執務室に入らせない覚悟だった。ただし〈明けの明星〉と〈蠅の王〉はその限りではない。
 万魔殿には、万を超す悪魔が住み着いているという。正確な住人の数を知っているのはわずかだろう。天上の宮殿を模しているために様式だけは美しいが、色彩と調度品は禍々しく、行き交い飛び交う住人が吐き散らす言葉は下卑ている。けれども、隼人の執務室の周りは静かだった。耳を澄ませば聞こえる足音も、かえって静寂を浮き立たせているようである。
 沈黙の空気を、隼人は大きく吸い込んだ――ちょうどそのときだった。

 ♪♪♪♪♪♪!!!

 けたたましい着信音! 実に無粋! 人間界で今流行の携帯電話という道具だ。いつの間にか『ケータイは必需品』という風潮が社会にはびこっていたため、隼人も仕方なく手に入れたのだ。人間が造った道具などに頼らずとも、彼は連絡手段に困らないのだが。
 彼自身はつい最近買ったと思っていたが、携帯電話業界の歴史は日進月歩。今では誰も持っていないような旧式(もちろんカメラ機能はついていないし液晶はモノクロだ)。隼人の世界ではまだまだ現役だった。悪魔に買われた携帯電話だったが、ある意味幸せだったかもしれない。

 音は鳴りつづけた。静寂は壊された。隼人は黒髪を振り乱した。
 聞き覚えのあるメロディだが、隼人は着信音の設定を変えたつもりはない。
 ああそれにしても、何の音楽だっただろう。チープな電子音が形づくっているわりには、耳と脳にこびりつく不協和音。ホラー系だ。
 ホラーと言えば……。
「どこだ! 私は私の携帯をどこにやったーッ!!」
 樫でつくられた重厚な意匠のデスクを卓袱台返しでフッ飛ばし、漆黒の髪を逆立てながら、隼人は吼えた。こういうときに限って、彼は携帯をデスクの上やポケットの中という近場に置いていなかったのだ。
 彼が激怒したのは、己の失態だけが理由ではない。
 早朝だろうがひとが仕事中だろうがおかまいなしに電話をかけてくるマイウェイな知人。そしてこのホラーな着信音。すべては、あの――田中緋玻のしわざなのだ。



「ねえ、はーちゃん」
「その呼び方はやめなさい」
「じゃ、はっちゃん」
「それでは私がまるでタコではないですか!」
「ペア映画鑑賞券もらったんだけど、これがね、ふざけたことに邦画しか見られないチケットなのよ。邦画のホラーなんてどれも正直言ってC級通り越してるのよね」
「……なぜホラー限定?」
「でも、もったいないからペア券使おうと思うの。タコのはっちゃんも一緒にどう?」
「私を神山隼人と呼ばないかぎりはどんなお誘いもお断りします!」
「じゃ、そう呼べば付き合ってくれるわけね。よろしく、神山隼人さま」
「…………」
 仲がいいのか悪いのかわからないふたりは、和と洋の地獄の住人だった。どうやら地球に地獄や天国はいくつもあるらしいが、宗教は違えど属性が同じなら比較的仲良くやっていけるらしい。たぶん仏と天使も良いお友だちになれるだろう。
 夏の初めに、緋玻と隼人は仲良く映画を観に行った。『パケットツウシン 〜従量制ユーレイ〜』というタイトルの時点で相当やけっぱちな和製ホラーだ。もはや若者の必需品となった携帯電話と、若者が大好きなホラーを組合わせりゃとりあえず売れるだろうという製作側の意図が丸見えである。
 内容もかなりどうでもいい内容で(パケット通信を定額制にしていなかったせいで身を持ち崩した女子高生の幽霊がパケット通信しまくりな若者を妬んで化けて出てきたとさ)、見終わった緋玻と隼人の脳裏には、なぜか同時に「内容がないよう」という研ぎ澄まされた冷たさのギャグが思い浮かんだ。やけに耳に残る劇中のオリジナル着信音が延々とその脳裏でリフレイン。
「……時間の無駄でしたね」
「あなた不老不死でしょ? 時間が無駄になっても何の問題もないじゃない」
「いえ、問題です。気分の問題なんです」
「わりと面白かったと思うんだけど」
「……は!?」
「何にも期待しないで観たからかも。低予算にしてはケータイから幽霊が出てくるCGもうまくできてたし」
「それ本気で言ってます?」
「私は嘘はつかないわ」
「……、それ自体が嘘ですね」
「失礼ね、誘ってあげたのに!」
「私ははじめから乗り気ではありませんでしたよ!」
 エンドクレジットが終わり、会場が明るくなってから、緋玻と隼人は口論を始めた。しかしさして注目は集めなかった。会場は「こんなつまらない映画に付き合わせやがって」と、お互いを罵り合っているカップルや友人グループだらけだったからだ。
 ふたりは険悪なムードのまま映画館を出て、コーヒー一杯すら付き合わず、そのまま別れた。それからふたりは会っていない。



 ぴんぴろぴろぽん♪
 ぴんぴろぴろぴろ♪
 ぴぴろぴろぽーん♪
 いや字面だけを見れば非常にかわいらしいが、その不協和音はひとを不安に誘う。隼人にとっては、苛立ちと怒りを呼び起こされるメロディだ。これは立派な嫌がらせである。
「あの鬼めッ、いい加減に……」
 隼人は万魔殿特製クローゼットを開け放つ。これもまた重厚なオークで造られたものだが、隼人の怒りの開閉で華麗な折れ戸が吹っ飛んだ。山のような書類が9割方片づき、ようやくきれいに整い始めた隼人の執務室は、ぶっ飛ばされたデスクとクローゼットの折れ戸、壊れた壁で、再び混沌とした様相を見せ始めていた。ただ、これは、万魔殿ではよくある光景である。
 ぴんぴろぴろという不協和音は確実に近づいていた。しかし目下の問題は、このクローゼットが万魔殿特製で、たとえ33体の人間の死体を投げこもうが満パイにならないという利点である。このクローゼットは異次元直結なのだ。
 異次元の中に半身を突っ込んで隼人は携帯を探した。
 比較的すぐに携帯は見つかった――というのも、携帯が隼人に飛びついてきたのである。
「はォっ!?」
 へんな声を上げて隼人はのけぞった。
 閉じていたはずの二つ折りの携帯が開いていた。しかも、白い子供の手が液晶画面から飛び出していて、隼人の服の襟を鷲掴みにしたのだ。
 ――こっ、これは、従量制ユーレイ!!
「はっ、離しなさい! 私はパケット通信などしていませんから! しっしっ! ちょっと呪いますよ貴方!」
 白い手は隼人の抗議など聞いていないようで、彼の乱れに乱れた黒髪を掴み、引っ張り、引き抜いた。ケータイから聞こえてくるのは、ふぞぞぞぞ、という息遣いと、ききききき、という小さな女の子の笑い声。
 隼人はヘブライ語で罵りながら携帯を掴み、壁に投げつけた。時速230キロというピッチングマシーンもお手上げのスピードで、携帯は隼人の執務室の壁に激突して跳ね返り、隼人の額に命中してさらに跳ね返り、部屋の隅のゴミ箱の側面に穴を開け、紙くずの中に突っ込んだ。
 持ち主の八つ当たりと焦燥を一新に受けてしまった携帯電話。ある意味最も不幸だったかもしれない。
 額から血を流しながらはあはあと肩で息をする隼人の背中に、おずおずと衛兵が声をかける。
「あのー、御前、どーしました? 仕事終わりました? オレらメシ食いに行きたいんすけど……」
「勝手に行きたまえッ、私はこれから地上に行く!!」
 ばほっ、と漆黒の闇となって消えた主を、衛兵たちはぽかんと見つめ、それからまたひそひそとささやき合った。――やっぱ御前がイカレちまったぜ。



「やっぱり貴方でしたかッ、って、え!?」
 闇とともに地上の住まいに姿をあらわした隼人は、目の前にたたずむ田中緋玻を指さし、直後に硬直して、目を点にした。
「あらー、はーちゃん」
 にやにやしながら、緋玻は手にしていた携帯の画面から白い手を引きずり出した。どのような新しい妖術を身につけたものか、隼人の形態の画面から飛び出し、彼の黒髪をさんざん引き抜いたのは、彼女の手そのものだったらしい。
「どう? しゅくちのじゅつをおうようしたのよ。おもしろかったでしょー。たまにはひゅうもあもしつようよね」
「……、誰かに呪いでもかけられましたか、緋玻さん」
「は? なにいってんの」
 緋玻の姿は、どう見ても小学校2年生のおんなのこだ。赤い膝丈のスカートに白いシャツ、長い黒髪。トイレによく出るおんなのこの幽霊にしか見えないが、その蒼い冷めた目は間違いなく緋玻のものだった。首にはラジオ体操のスタンプカードがぶら下がっている。スタンプは順調に溜まっているようだ。
「ラヂオたいそうにいつものがいけんねんれえでかようのってどうかとおもって」
「いや、せっかく生まれ持った妖力をネタに使うというほうがどうかと思いませんか」
「ただのひゅうもあよ。なあに、びっくりしたの? タコのはっちゃん」
「だからその仇名はやめなさい! それにもうラジオ体操とやらも終わったのでしょう。いつまで子供でいるつもりですか? 外見どころか精神年齢まで後退しているのでは――」
「うふふ、かみがたおそろいね。いっしょにえいがみにいかない? おやこでとおるんじゃないかしら。モーニングショーはやすいのよ」
「お断りします! こっちはまだ仕事中ですからッ」
「あ、じゃああなたのしごとばにおじゃましたいわ。ぱんでもにゅうむ、いったことないのよ。あなたのかくしごだっていえばかおパスはかくじつよね」
「はうっ、やめろッ、離せ、離せぇぇぇえええぇぇぇー!!」
 緋玻はその外見年齢にはそぐわぬにやにや笑いで隼人の腕を掴んだ。それはそれは凄まじい力だった。大きく息を吸い込むと、緋玻は持っていた携帯電話の液晶に顔を押し付ける。
 たちまち、彼女の身体は小さな液晶画面に吸い込まれていった。断末魔じみた声を上げる隼人もまた、携帯の中に引きずりこまれていく。
 そして――。

 ぴんぴろぴん♪

 不吉な不協和音を一度だけ鳴らした携帯電話だけが、その場に残された。


 しい……ん。




〈了〉


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2006年08月22日

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