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『翠のエナメル、金の薔薇 』
藤井・葛1312)&藍原・和馬(1533)&マリィ・クライス(2438)&(登場しない)

(あいつ、どうしてるかな……?)
 キッチン横のボードに、林檎型のマグネットで止めたカレンダーを、藤井葛はちらりと見た。
 台風一過の日本列島は全国的に蒸し暑く、地域によってはサウジアラビア並みの気温が計測されている。東京都内もまた、むしろサウジの方が湿度が低い分過ごしやすかろうという状態であった。
 とはいえ、夏は本来暑いものである。だから教育機関等では、正式名称「夏季休業」通称「夏休み」なるものが設けられている。
 が、如何に大学が夏休みといえど、学生や院生に課せられた研究レポートの提出締切は厳として揺るぎない。
 そんな真夏日の昼、食事は手早く済ませてレポートに取りかかるべく、葛はそうめんを茹でていた。
 そうめんつゆは作り置きしてある。削り鰹で取っただしに、みりんと古式天然醸造醤油と日本酒を合わせたシンプルなものだ。薬味は、あさつきの小口切りと、みょうがと青じその千切り。それらは楕円形の皿にきれいに盛られ、既にテーブルの上で出番を待っている。
 そうめんが茹で上がるまで、ほんの2分程度。葛がカレンダーを見たのは、「次の不燃ゴミの日はいつだっけ?」という理由によるものだった。
 藍原和馬の動向に思いを馳せたのはそのついで……と言ったらさぞ和馬は嘆くだろうが、思い至った流れが「ええと。今日は23日だから」→「……そっか、給料日前ってやつだな」→「あいつ、ちゃんと食いつなげたのかな。タダ働き期間長かったからな」であると知れば、もしかしたら感動するかも知れない。
 ともあれ、三輪そうめん2束は絶妙のタイミングで鍋から取り出され、流水で洗われ、氷を浮かべたガラスの器に盛られた。
「いただきまーす」
 いつものように行儀よく手を合わせてみたが、そこはかとない寂しさが漂う。
 小さな居候は、優雅なことに旧軽井沢に避暑に出かけているため、ひとりきりの食卓だったからだ。
(……ともかく、さっさと食べて、レポートレポート)
 図書館から関連資料も借りており、午後の準備は万端である。
 真面目な大学院生の夏の1日は、堅実につつがなく過ぎていくはずだった――が。

 + + +

 ――それより少し前のこと。
 一応、住所は「東京都」であるものの、距離的にはむしろお隣の県の方が近く、都会の喧噪とは無縁の環境が魅力な、とはいえ誰かさんが「都心に店構えないのは、やっぱあれっスか、家賃高いから?」などと俗っぽいことを言った日には、店主に必殺逆エビ固めをくらってしまう、そんな微妙な立地の骨董品店「神影」にて。
 直立した和馬は胸の前で合掌し、そのまま床に膝と両手をつき、拝んでは立ち上がる動作――土下座、というよりは五体投地――を必死に繰り返していた。
 マリィ・クライスは腕組みをし、心を動かされた様子もなく、それはそれは厳しい表情で和馬を見据えている。
「ししょー! お願いしますよォ。これこのとおりッ!」
「駄目」
「いいじゃないッスか給料の前借りくらい。今日のメシ代もないんですよ〜」
「あんたは食べなくても死にゃしないだろ?」
「そんな殺生な。頼んます、3千円、2千円、いや、千円でいいですから千円で」
「『神影』の口座はスイス銀行にあってねぇ。そこからの振込処理は徹底管理されてるから、私の一存じゃ早めたりできないんだよ」
「なんすかそのヤバげな大企業みたいなノリは。俺フリーターなんですから、師匠のポケットマネーからにこにこ現金払いにしてくださいよゥ」
「……和馬」
「はひっ?」
「あんた、おととい、また、皿、割ったよねぇ……?」
 マリィの声が、氷点下の冷たさを帯びる。和馬はさぁっと凍りついた。
「1891年製の、『テーブルの貴婦人』ミントンの『金装飾プレート』を! アッシド・ゴールド手法が駆使された金飾とミントンブルーのガラス釉が見事な、職人の手仕事の極地とも言える逸品を!」
「そんなたいそうなものだったんスか? だってあの皿、師匠はふつーにパスタ用に使ってて、洗いっぱなしで放置してたから俺が気を利かせて手入れしようとして、つい」
「アンティークな食器は、普段使いにしてこそ生きるんだよ。ともかく、あんたの給料は前借りどころかもうマイナスもいいとこなんだからね。ま、働いて返しな」
 固まったままの和馬の手に、はい次の仕事、と、マリィは小さな包みを乗せた。
 それは程よい重さで、手にしっくり馴染む。包みを解けば、凝ったつくりのエナメルケースと、金の板で覆われた文字盤があらわになった。
「……懐中時計?」
「そう。100年前にスイスで造られたものだよ。ごらん、このケースの細工の細かさときたら」
「ははァ。ギョーシェ・エナメルってヤツですね。いい色だ」
「他に何か、気づかないかい?」
「うーん? 特注品ぽいことくらいですかね。大事な人に贈るために造られたって感じがする」
 きゅるるる、と盛大な鳴き声を上げる腹の虫をなだめすかしつつ、和馬は、アンティークの懐中時計を検分した。
 ギョーシェ彫りを施した上に翠色のエナメルを塗って、さらにその上から金箔で薔薇を描き、その薔薇を銀箔で描いたリボンで結んである。この時代としては斬新なデザインの、しかし現代では再現するべくもない技術を駆使していることが見て取れた。
「……まあいい、この技法がすらっと出てくるだけで大したもんだ。ごほうびに千円」
「前借りさせてくれるンすかっ!?」
「マイナス分を少なくしてあげる」
 がっくりした和馬に、マリィは追い打ちをかける。
「この時計に関心のあるお客さまがいらしてね。買うかどうかは、直に見てから決めたいらしい。忙しい人だから、入荷次第こちらからお持ちする手筈になってる。そんなわけで今から出向くように。交通費は自腹でね」
「とほほ。ちょっとくらい遠くても、歩いて行くしかないような……って、この住所ッ!」
 渡された届け先メモに、和馬は目を剥いた。
「都心の高級住宅地じゃないっスかっ! ここからどれだけかかると思って」
「あんたの足なら今日中には着けるだろ。いってらっしゃい、車に気をつけてね。寄り道するんじゃありませんよ?」
 まるで、初めてのおつかいに出向く幼子を送り出すように言われ、和馬はとぼとぼと「神影」を後にしたのだった。

 + + +

 まさか和馬が、世間が真夏なのもなんのその、冬の奥津軽さながらの凄まじい地吹雪に晒されていようとは露知らず。
 ――葛は、そうめんを食べ終えていた。
 そろそろ器を片づけようと立ち上がりかけた、そのとき。
 チャイムが鳴り、同時に、弱々しくドアを叩く音がした。

 憎からず思っている相手の予期せぬ訪問は、本来であればたいそう心ときめき、恋愛の絶妙なスパイスともなる――らしい。
 らしいというのは、葛にいまひとつその実感がないからであり、また、ドアを開けるなりふらっと転がり込んできた和馬の、開口一番言った台詞というのが、
「腹減った。喉渇いた。もうだめだ」
 ……だったからである。
 あんたは昔懐かしいレトロ昭和に存在したという「メシ・フロ・ネル」の言葉しか発しない伝説の亭主か、いきなり彼女の部屋を訪ねといてそりゃないだろうよ、と、事情を知るものが居合わせたら小一時間こんこんと問いつめたくなったことだろう。
 しかし葛は、徹底してまっすぐな女性であった。
「そうめんと麦茶で良ければ、あるよ」
「おおウ! 葛サンの背中に、6対の天使の羽と神々しい迦楼羅焔(かるらえん)が見えるッ!」
 そんなに大量の翼を持っているのはルシフェルであるし、背に迦楼羅焔をしょっているのは不動明王であるが、言われた葛も、出されたそうめんを伏し拝みながら勢いよく掻っ込みつつ麦茶をごくごく一気飲みしている和馬も、もとよりそんな細かいことを突っ込んだりフォローしたりする気はない。
 ともあれ、和馬はようやく人心地つくと、はっとして腕時計を見た。
「やば。もうこんな時間か。さんきゅー葛、ものすごく助かった。恩に着る。絶対10倍返しするからなッ!」
 早口でそう言うなり、和馬はそそくさと部屋を出て行く。体力が回復したせいで、ものすごいスピードだ。
「……? 何だったんだろ?」
 事情がわからない葛はきょとんとし、取りあえず和馬を見送るために外へ出た。
 真夏のアスファルトを駆ける黒いスーツの男は、ビルの角を曲がった瞬間、見えなくなった。
 首を捻りつつ部屋に戻った葛は、玄関先ではたと立ち止まった。小さな包みが、テーブル横に置いてあるのを見つけたのだ。
「これ……。和馬が忘れたんじゃ」
 たぶん、お店で扱っている品だろう。大事なものに違いない。
 葛は包みを抱きしめて、和馬の後を追うことにした。

 ――しかし。
 さすがの足の速さだ。電車やタクシーは使っていなさそうだったのに、和馬が辿ったらしき道を懸命に走っても、黒スーツの後ろ姿を見いだすことは出来なかった。
(どうしよう)
 ふと気づけば、そこは見知らぬ街角だった。
 強い午後の陽は、瀟洒な煉瓦づくりの美術館らしき建物と、豊かな緑の植え込みに照り映えて、まるで異国の街に迷い込んだような錯覚を起こさせる。
 立ちくらみを覚え、木陰に行こうと足を踏み出し――その拍子に、葛の手から、包みが落ちた。
(しまった)
 慌てて手を伸ばしたが間に合わない。
 はらりと解けた布から現れたのは、翠のエナメルに金の薔薇が描かれた、美しい懐中時計。
 懐中時計は、石畳を転がりながらその蓋を開け――そして。

 時計は不思議な光を放ち、葛を包んだ。
 辺りの光景が、一瞬にしてセピア色に変わる。
 
 光の中から、葛は、古い映画のような一幕を見た。
 煉瓦造りの建物の前で、山高帽の紳士と、断髪のモダンガールが待ち合わせ、贈り物のやりとりをしている。
 モダンガールをよくよく見れば、まだ断髪が似合ぬ、深窓の令嬢のようだ。
 紳士に手渡しているのは、当の、この懐中時計だった。

(瑞西製の、輸入物ですのよ。女性が好みそうなデザインなのですけど、『8日巻き』なのが気に入りましたの)
(本当だ。文字盤に『8DAYS SWISS MADE』とありますね。一度ゼンマイを巻いたら8日間持つなんて、画期的だ)
(だって貴方は面倒くさがりやなんですもの。毎日巻かなければならないのは不便だと、常々仰っていたから)
(いっそ、貴女がこのゼンマイを巻いてくだされば嬉しい。8日ごとに)
(まァ。それではわたくし、これから8日以内にお逢いしなければなりませんのね)
(8日と仰らず、毎日でも構いませんよ)
(そんなに頻繁に、家を抜け出せませんわ)
(それでは、正式にお父上にお願いにあがりましょう。貴女が毎日、面倒くさがりの私に代わって、懐中時計のゼンマイを巻いてくださるよう)
(……あら……)
(ゼンマイを巻くついでで構いませんので、私の面倒を見てくださいませんか?)

(これって)
 この時計が持つ、記憶なのだろうか?
「……ああもう。和馬の役立たず。子どものおつかいの方が、まだましじゃないか。ちょっとお嬢さん、大丈夫かい?」
 葛は、すうと気が遠くなりかけた。
 宙を泳いだその手を、見知らぬ女性のしなやかな指が、力強く握りしめた。

 + + +

「和馬のお師匠さん……! お噂はかねがね。あの、初めまして。藤井葛です」
「マリィ・クライス。宜しくね。あのあたりへ行ったのは別件の仕事絡みだったんだけど、居合わせることができて良かったよ」
「和馬、まだ戻ってきませんね」
「自分が懐中時計を落としたことには、とうに気づいてるはずだけどねぇ。帰るに帰れないんだろう」
 懐中時計を回収したマリィは、その場でくだんの客に携帯で連絡を取り、丁重に詫びた。そして、事情をかいつまんで葛に説明し、ふたり揃って「神影」に戻ってきたのだ。
 葛は緊張して顔を強ばらせ、ぴしっと背筋を伸ばして椅子に腰掛けている。その様子に、マリィは吹き出した。
「何もそんなに、かしこまらなくても。彼氏の母親に挨拶しているわけでもあるまいし」
「…………!!」
 マリィの言葉は、ますます葛を動揺させた。その頬が、みるみるうちに朱に染まる。
「あはは。ま、お茶でも入れようね。和馬がいないから、ビング・オー・グレンダールのカップ&ソーサーを使うことにしようか。……ん?」
 立ち上がったマリィの視線が、店の入口扉に注がれる。
 かすかに開いていた扉は、すぐにばたんと閉められた。どうやら誰かが、外からそっとこちらを窺っていたらしい。
 マリィはつかつかと入口扉に近づき、隠れるように身を潜めていた和馬の首根っこを押さえつけたのだった。

「許してくださいッ! 勘弁してください〜〜〜。もうしません、悪い子でしたぁぁぁ〜!!!!」
 インディアン・デスロックにウィング・ブリーカー・ホールド、ダブルアーム・スープレックス、決めはエアープレン・スピン。
 マリィが次々に繰り出す必殺技があまりにも鮮やかで、葛は止めることも忘れ、むしろ感心して見入っていた。
 ひととおりお仕置きが済んだところで、マリィは髪を掻き上げ、息も絶え絶えの和馬を助け起こす。
「いろんな失敗はともかく――見直したよ和馬」
「へ?」
 声を落として、マリィは葛を見る。
「きちんとしたご家庭の、いいお嬢さんのようじゃないか。よくやった。あんたのことだから、型破りで乱暴な人外の女に引っかかって酷い目に遭うんじゃないかって、ずっと思っててさ」
「いンやー。そういう身の危険を感じるタイプはもー、ししょーだけでお腹いっぱいで」
「調子に乗るんじゃないっ! 見直したの取り消し!」
「はがっ! うんぎゃ〜〜〜〜〜!」

 ビング・オー・グレンダールのカップに薫り高い紅茶が注がれるまで、かなり時間を要したが、それでもようやく、ティータイムは訪れた。
 傷だらけの和馬をちらっと見てから、含みのある笑みを、マリィは葛に向ける。
「けど、いいのかい? こんなそそっかしいろくでなしで」
「……たぶん」
 葛は難しげに考え込み、和馬はおろおろする。
「ししょー!」
「考え直したいっていうんなら、いつでも相談に乗るからね。和馬に内緒で、訪ねておいで」

「神影」を含めた町並みを、金色の夕日が照らす。
 責任持って葛を送り届けるよう、マリィは不肖の弟子に命令した。
「くれぐれも途中で落っことさないように」
「あああたりまえでしょー!」
「それと」
「何スか?」
「送り狼に、なるんじゃないよ?」

 店の前で手を振るマリィを、葛は何度も振り返る。
 実家のフラワーショップとはまた違う、どこか懐かしいたたずまいの、骨董品店。
 母のような姉のような、しかしそのどちらでもない雰囲気を持つ、琥珀色の瞳の女店主。

 きっとまた、近いうちに、逢いに来るだろう。
 そんな予感に、囚われながら。


 ――Fin.
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
神無月まりばな クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年08月21日

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