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『死なないホタル 』
小石川・雨5332)&榊・遠夜(0642)&(登場しない)



 太陽に焼き殺されそうな8月初旬だった。うちわで顔をあおぎながら、雨は物思う。こんな暑い日に、彼は生まれたのだろうかと。こんな暑い日は、彼に似合わない気がする。どういうわけか、榊遠夜は、雨が降る6月や、落ち葉すら消えゆく11月の印象を背負っているように思えてならない。
 彼は要するに、明るい少年ではないということ。8月の太陽のような笑顔や、はつらつとした台詞とは無縁の少年。
 それが、悪いことだとは思わない。世の中にはいろいろな人間がいる。生まれ月が似合わないというのも、立派な個性のひとつではなかろうか――。
 8月の始まり。彼女は蒸し暑い昼下がりに、遠夜のことを考えていた。いつか、何かの拍子に、榊遠夜の誕生日が今月の12日であるということを聞いたせいかもしれない。
 そんな小石川雨は、7月や8月が似合う快活な少女だ。
 世間の学生は夏休みに入り、下校中の遠夜とバイト先のパン屋で会うことは少なくなった。
 雨は、自宅――ただしここは、有体に言えば『孤児院』だった――の窓から、庭を見た。雨の父がホースで水を撒いている。その水の下で、雨の弟や妹たちが歓声を上げて走り回っていた。虹が見える。子供たちは虹をつかもうとしている。
 中には遠夜のように落ち着いた子供もいた。そんな子供たちは、庭石に腰かけて、鉢に植えられた朝顔の観察日記をつけている。雨や子供たちが世話をした朝顔は、いくつもいくつも花をつけていた。
 朝顔は、雨が遠夜から誕生日に贈られたものである。受け取ったあの日からも、朝顔は成長しつづけた。もっと大きい鉢に植え替え、支柱を立てて、行灯仕立てにした。
 雨は目を細め、朝顔を観察する子供たちを観察していた。
「……私も、何かプレゼントしなくちゃ……」
 大きく伸びをして、とさり、と雨は畳の上で仰向けになった。天井を眺めながら、雨はあれこれと考える。8月12日、遠夜には何を贈ろうかと――。
 手作りのお菓子。
 ――なんかそれもつまんない。
 身体の肉になりそうな肉料理。
 ――それって作ってどうやって贈るの? タッパーに入れてリボンかけるとか? 汁こぼれそう……。
 冷凍食品を使わずに作ったお弁当。
 ――今、学校ないはずだし……。
 花束。
 ――お花もらってお花返すのってちょっとね。それに男の子が花で喜ぶかなあ。
「………………」
 わからない。
「……あぁあぁーーー……」
 雨は畳の上で悩んだ。遠夜が何をほしがっているか、何か集めているものでもあるのか、そもそも何が好きなのか――よく知らないのだ。何を贈れば喜ぶか、その前に彼は喜んだりするのか。考えてみれば、遠夜という少年はひどく謎めいていた。
 ――って、ちょっと待って。
 畳の上で悶えていた雨は、不意に、我に返った。視界には、6月に替えたばかりの畳の姿が飛びこむ。
「私、何でこんなに必死になってんだろ……?」
 彼女の思考の中に、沈黙が降りる。すると、不意に外界からの音が聞こえてきた。セミの声、子供の声、風鈴の音色。彼女はしばらく、ざわめく夏の音が聞こえていなかった。
 雨は畳の上で、わずかに顔をしかめる。
 遠夜ばかりではない。自分も、よくわからない。



 8月12日。
 雨からの電話を受け、遠夜はカレンダーを見て、今日が自分の誕生日だったかもしれないことに気がついた。急に呼び出しを受けて、一体何の用だろう、と考えた末に弾き出された事実だ。彼は自分の誕生日を忘れかけていた。だが不思議と、雨の誕生日は覚えている。雨に、京都で買った朝顔を贈ったことも。
 ――そうか。僕、今日生まれたんだっけ。
 雨に、いつのことだったかは忘れたが、自分の誕生日を教えたことがある。雨の性格なら、それを忘れるはずがない。
 彼はこの日も、予定らしい予定がなかった。夕暮れどきに入った急な用件にも、すぐに応えることができた――遠夜は、待ち合わせの公園に向かった。


 公園の噴水の周りは、水遊びをしている子供とその親で賑わっていた。だいぶ西に傾いているが、太陽の陽射しはまだ強い。オレンジがかった光の中で、ここでも子供たちは虹をつかもうとしている。
 雨は噴水前を避け、木陰のベンチで遠夜と待ち合わせることにした。ベンチのそばにはなぜかトーテムポールが立っていて、待ち合わせの目印になるからだ。
 今日も、雨が先に待ち合わせ場所に着いていた。いつもそうだ。けれども、遠夜は遅れたことがない。時間ぴったりに、遠夜は姿を見せた。
 相変わらず、何の飾り気もない格好だ。しかし逆に、白い無地のシャツと黒っぽいジーンズというシンプル極まりないその格好は、その年頃の若者の格好にしては、かえって珍しいかもしれない。
 雨は立ち上がり、手を振った。遠夜が手を振り返したり、笑顔になったりすることはなかったが、彼は確かに歩調を速めた。
「ごめんね、急に」
「いいんだ。暇だったし」
「はい、これ。誕生日おめでと」
 雨が差し出したのは、バイト先のパンだった。売れ残りを持ってきたわけではない。ちゃんと買った。
 結局、食べ物にしてしまった。考えれば考えるほど、何を贈ったらいいかわからなくなってしまったのだ。
「……パンだね」
 おしゃれな金のシールが貼られた紙袋を受け取り、遠夜は微笑した。焼きたての香りは明らかだったのだ。
「ありがとう」
 遠夜が笑っている。
「嬉しいよ」
 雨はなかば、呆気に取られた。べつに遠夜の笑顔を初めて見たわけではない。ただ、彼が嬉しがっていることがわかって、拍子抜けし、安堵もして、要するに……複雑な気持ちだった。
「よ、よかった。プレゼントって、無難のものがいちばんだからね!」
 思わず「そんなものでよかったの?」と言うところだった。つっかえながらも雨はすんでのところで台詞を訂正する。遠夜は、雨の動揺には気づかず、微笑を雨に向けた。
「朝顔は、無難なプレゼントだった?」
「ああ、朝顔! あれね、今、すっごく大きくなったんだよ。花もいっぱい咲いてるんだ。無難どころか、最高のプレゼントだよ」
 雨がまくし立てると、遠夜はすっと目を伏せた。顔はうっすらと笑ったままだ。
「照れなくてもいいよ、そんな!」
「照れてなんか……」
「そ、それじゃあね!」
 雨は慌しく別れを告げて、遠夜の前から立ち去った。照れていたのは遠夜だけではなかった。遠夜があっさりと喜んでくれて、雨は嬉しかった。けれども、悔しかった。気持ちは浮いて、すぐに沈む。そうかと思えばまた浮かぶ。
 ――何なの? 何なのさ、もう! あああ、ヘンなの! 私がよくわからない!
 頭を抱えたい気持ちで帰路についた雨は、知らず走り出していた。ほとんど脇目も振らずに、たくさんの弟と妹が待つ家へ戻る。広い公園はすでに抜け、閑静な住宅街を突っ切り、小川に沿って走っていく。いつしか夕闇が終わり、空は藍色に染まっていた。
 虫の鳴き声が彼女を呼び止めたのか。それとも、見慣れた自宅の光が目に入ったためか。
 雨は足を止め、静かな小川に目を向けた。



 誕生日プレゼントは外で開けるものではない。帰って腰を落ち着けてから開けよう――と、遠夜は紙袋を抱えて、まっすぐ自宅に向かっていた。携帯電話がけたたましく彼を呼んだのは、公園を出てから10分ほど歩いてからだった。
 着信音は無愛想な単なるコール音に設定してある。だがどういうわけか、その音が慌てているような気がした。遠夜は発信元を確認し、その不思議な錯覚が起きた理由が何となくわかった。
『小石川さん』。
 ついさっき別れたばかりの彼女が、遠夜を呼んでいた。
 ついさっき別れたばかりのふたりは、ある小川のそばで再会した。

 ホタルが飛んでいる。

 数はそう多くない。3匹か……4匹か。5匹だろうか。黄色とも緑ともつかぬ小さな光は、雨のそばを飛んでいた。振り返る雨の表情は、複雑だ。勝ち誇っているが、ばつが悪そうでもある。笑っているが、少し落ち込んでいる。
「……すごい。……こんな、東京で……ホタルなんて」
 遠夜の黒い瞳に、かがやきがあった。ホタルの光が映りこんだにしては、ずいぶん明るく、強い光だ。彼らしく、遠夜はホタルを捕まえようとはしない。数少ない貴重な光を、まばたきも忘れて見守るだけだ。
「忘れてたよ。春頃にね、父さんと母さんが田舎の知り合いからホタルの幼虫もらってきてたの。この川、うちの皆でよく掃除してるんだ。水きれいだから、もしかしたら大丈夫かも、って……ここに放流したの」
「……ありがとう」
「え?」
「わざわざ、教えてくれたんだよね。今日は、嬉しいことがつづいてる」
 ホタルの光を目で追う遠夜は、笑っている。小脇にしっかり、パンが入った紙袋を抱えて――。
「ごめん。私は、今日、榊くんにいろいろ謝んなきゃなんないの」
「謝る? ……どうして――」
 遠夜が訊き返す余地を挟まず、雨は小さな箱を遠夜に押しつけた。
「えーとね……、まず、ひとつ。今日、急に榊くんを呼び出したこと。ふたつ、いいかげんなものをプレゼントにしちゃったこと。みっつ、今日、2回も呼び出したこと。よっつ、プレゼントの渡し直しなんかしてること」
 相変わらず雨は、マシンガン掃射のようにたたみかけた。矢継ぎ早に繰り出される言葉を受け止める遠夜は、目を白黒させていた。
「プレゼントって、形が残るもののほうがいいのかも、って考え直したの。それ……あげる」
 雨は遠夜と目を合わせない。遠夜は黙って、ただ圧倒されながら、箱を開けた。
 中には青白い鉱石が入っていた。箱には真綿が敷き詰められていて、石が大切に保管されていたことがうかがえる。
「これ……何の石?」
「蛍石」
「ああ……」
「ただの蛍石じゃないの。触ってみて」
 遠夜は言われるがまま、箱の中の蛍石を手に取った。
 青白い蛍石は――それだけで、光り始めた。ぼんやりとした、頼りない光だ。いまふたりの周囲を飛び回っているホタルたちのほうが、よほど力強い。
「蛍石って……光るんだ」
「え、それも知らなかったの!?」
「いや……知ってたけど……触っただけで、光るんだっけ?」
「もう、言葉が足りないよ。それに、言ったでしょ? それ、ただの蛍石じゃないの。小さい頃、知らない男の人にもらったの。……もしかしたら、蛍石なんかじゃないのかもしんないけど」
 雨は目を細め、遠夜の手の中で光る石を見つめた。
 蛍石は光る石だ。普通は、かなり高い温度にまで加熱しなければ光らない。ものによっては、紫外線で光るものもある。しかしこの蛍石は、紫外線もない夜の始まりに、人肌の温度で光を放っているのだ。
「これ――」
「あげる。榊くん、今日は誕生日なんだから。――誕生日、おめでとう」
 遠夜は口を真一文字に結んで、激しくかぶりを振った。蛍石を慌しい手つきで箱に戻し、雨に突き返す。
「だめだよ」
「な、どうして! プレゼントだってば」
「これ、すごく貴重だと思う」
「だから榊くんにあげるって言ってるんでしょー!?」
「無理だ」
「意味わかんない!」
「ホタルとパンで充分」
「それじゃ私の気がすまないの! 何がなんでも持ってってもらうからね! そしてそれを見るたびに私を思い出すがいいわ、わっはっは! 持ってかないと呪うぞ! もらえッ、ありがたくもらってけドロボー!」
 雨はほとんど錯乱し始め、遠夜も半ばむきになり始めていたが、ホタルたちは平然としていた。光る彼らは、恋人を求めて飛んでいる。
 翌日になれば、ホタルの数は減っているかもしれない。
 しかし今のふたりは、それを考えていなかった。不滅のホタルをめぐって、一晩中でも、攻防戦を繰り広げるつもりだったかもしれない。


 星がまたたき始めた頃、遠夜は帰路についた。
 箱と紙袋を大事に抱えて。
 いつの間に、閉じ込めてしまったのか――蛍石の入った箱の中に、ホタルが1匹入っていて、自宅で蓋を開けた遠夜を少し驚かせた。
 遠夜は窓を開け、部屋の中に新しい夜気を取り入れて、生きたホタルを逃がしてやった。




〈了〉

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2006年08月18日

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