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『真夏の夜見たこわい夢 』
水鏡・雪彼6151)&藤井・蘭(2163)&碧摩・蓮(NPCA009)



*8月11日
きょうも、テレビを見たら、雪彼と、おないどしの子どもが、行くえ不めいに、なったとゆう、ニュースを、やっていました。きのうも、やっていました。これで、行くえ不めいになったのは、5人めだそうです。ぶっそおなので、出かけるときは、ぼう犯ブザーと、けえたい電わをもって行くように、ゆわれました。雪彼が、いなくなったら、みんなが、心ぱいすると思うので、出かけるときは、気よつける。それから、蘭ちゃんと、おつかいに、行きました。とてもたのしかったです。蘭ちゃんと、いっしょは、たのしいです。



 東京は連日猛暑に見舞われていたが、その日は、昼過ぎから涼しい風が吹いて、空に薄い雲を運んできていた。気温は30℃を超えていたが、それでもまだ過ごしやすい日と言えるだろう。
「きのう、あつかったね」
「おとといもすっごくあつかったなの」
「きょう、ちょっとすずしくなってよかったね」
「うん。かぜがふいてるなの」
 ポケットに防犯ブザーをしのばせて、ふたりの子供が夏の中を歩いていた。水鏡雪彼と藤井蘭だ。このくらいの子供は不思議と大人よりも暑さと寒さに強いが、それでも、ここ数日の真夏日には悩まされていたところだ。今日の涼しい風には感謝している。
 目指すはアンティークショップ・レン。雪彼は、親戚のお使いで店に行くことになった。蘭はそのお供だ。
 アンティークショップ・レンの住所ははっきりしていない。たどり着ける者だけがたどり着ける場所にあるという、不思議な店だ。そんな店を、雪彼と蘭はすんなりと見つけることができた。雪彼の自宅を出てから20分と経っていない。
「きょうはこないだ来たときより、時かんかかっちゃった」
「あれー。……ぼくまえにきたとき、こんなところになかったはずなの……」
 ふたりは仲良くドアを開ける。古い木製のドアは開き、からころと静かなドアベルの音がした――。


「おやァ。今日のお使いはずいぶんちっちゃいんだねエ。お疲れさん」
 雪彼から預かり物を受け取りながら、店主の碧摩蓮は目を細めた。雪彼はにこにこしていて、蘭はきょろきょろしていた。
「あ」
 そのとき蘭の目が捉えたものは、この珍品が並ぶ店の中でも、ひときわ異彩を放っているようだった。少なくとも蘭と、その声につられてそれを見た雪彼には、そう見えた。ひときわ変わっていて、ひときわ美しいものに見えたのだ。
 それは、カウンターに無造作に並べられていたカードだった。
「ちょうちょさんなの!」
「きれい! 蓮ちゃん、これなあに?」
 ふたりの子供がカードを手に取っても、蓮はとがめず、煙管の紫煙をくゆらせて、艶やかに微笑んでいた。
「それが気に入ったかい。じゃア、それが今回のお礼だね。そいつを枕の下に置いて寝てごらん。忘れられない夢を見られるそうだよ」
「わすれられない夢? ……どんな?」
「たのしいゆめ、なの?」
「人はね、怖ァい夢のほうが覚えていられるモンなんだよ。映画みたいなモンさ。ちょっと怖ァい映画のほうが、面白いだろう?」
 煙をしゅうと吐きながら、蓮がにいっと笑みを大きくした。



 きらきらと紺や藍や緑に輝く、蝶と星屑の絵のカード。それはふたりの子供のものになった。雪彼はわくわくしながら、蘭はどきどきしながら、その夜枕の下にカードを置いた。
 ほんの少しだけ開いた窓から、涼しい夜風が吹き込む夏の夜。
 ふたりの子供は、蝶のカードの上で眠りに落ちた。


 *

 *

 *


 蒼い銀から、緑へと――美しいグラデーションを描く羽根の模様。
 見知らぬ森の中を歩くふたりの子供の前を、星屑を散らしながら蝶が飛ぶ。
 顔を見合わせ、辺りを見回す。本当に、何も知らない森の中だ。知っているものは、相手の顔と、あの蝶だけ。
「ゆめ、なの? これ……ゆめ?」
「――あのちょうちょさん、ぼくらをよんでるみたいなの」
 囁きあうのは、パジャマ姿のふたりの子供。水鏡雪彼と藤井蘭。美しい蝶は急きたてるように、ふたりの顔の前を飛び回った。蝶の羽ばたきは風を生まず、音も立てていない。
「雪彼、行く」
「ぼくもなの」
 ふたりがそう言うと、蝶の姿はフとかき消えた。
 そして、見知らぬ森の風景も消え失せた。


 気づけばふたりは、やはり見知らぬ建物の中にいた。わずかな照明が足元やドアのありかを照らしているだけで、真っ暗だ。窓の向こうには黒い森が広がっていた。
 建物はあまり新しくないようだが、リノリウムの床は磨き上げられ、空気には薬品の匂いが混じっていた。しかし、病院とは雰囲気が少し違う。ふたりにとっては未知の場所だ。蝶の姿は消えていたが、ふたりはゆっくりと歩き始めていた。
 ゆっくりゆっくり、固く口を引き結んで、ふたりは歩く。音を立ててはならない。声を出してはならない。誰に命じられたわけでもないが、ふたりは息をも殺して歩みを進める。
 ゆっくり、ゆっくり。
 やがてふたりは、ひとつの灰色のドアの前にたどり着いた。あの、美しい蝶がドアノブにとまっている。雪彼はこくりと生唾を飲みこみ、ノブに手をかけた。
 ドアが、開く。

 中にはベッドが並んでいた。子供が5人、患衣のようなものを着て、仰向けに寝ている。 子供たちは全員、顔にアイマスクをつけていた。こめかみや手首にコードが貼り付けられている。眠っているのか起きているのかはわからない。子供たちを見つめる蘭と雪彼は、どくどくと心臓が不安や恐怖で高鳴り、ぞわぞわと肌が粟立っていくのを感じた。子供たちが病気の治療や、ただの睡眠を取るために、このベッドに横になっているとは考えられなかったのだ。根拠のない勘だった。
 だがその勘は、つぎの瞬間に真実へと結びつく。
「……ママ……」
 ベッドに横たわる子供のひとりが、そう呻いて鼻をすすり、わずかに身じろぎしたのだ。
「……たすけて……」
 蘭と雪彼はさっと顔を見合わせる。ふたりの顔は青褪め、いやな汗を浮かべていた。
 助けなくちゃ、
 ふたりは同時に、同じことを考えていた。
 この子たちを助けなくちゃ。
 蘭が部屋の真ん中に飛び込もうとした。雪彼は慌てて彼のパジャマの襟を掴む。思わずちいさく「あ」という声が出てしまった。
「たすけなくちゃなの!」
「しーっ! しーっ、蘭ちゃん、見て、あそこ!」
 雪彼は壁の一画を指した。そこには監視カメラがあり、うつろに光る目でベッドの上の子供たちを見張っている。幸い、ドアの入口付近はその視界に入っていないようだった。
「どうしよう。きっと『24時かんたいせい』で見はってるよ」
「うう……、それに、どこににげたらいいかわかんないなの……」
 また、すすり泣きが聞こえた。
「……かえりたい……」
「……」
「……」
 雪彼と蘭はしばらくじりじりと手をこまねいた。もし他の部屋に、武器を持った大人や、凶暴な番犬がいたらどうしようか。ふたりとも普通の子供よりは、悪人や化物に対抗するすべを持っているが、この5人の子供まで護りきれるかどうかはわからない。
 部屋の隅で困り果てるふたり。
 その前に、また……

 * *   *  *      *

 あの蝶が、あらわれた。
 蝶はふたりの周囲を飛び回り、ドアをすり抜けて廊下に出て行った。
 ふたりをここまで導いたのは、あの蝶だ。雪彼と蘭は、迷わずいったん子供たちのいる部屋を出ていた。蝶はそこで待っていて、ふたりの姿を見止めると、またはたはたと飛び始めた。蒼と緑の星屑を引き連れながら。


 蝶がふたりを案内したのは、事務室と思しき部屋だった。資料が積まれたデスクと棚、パソコン、コピー機、積み上げられた段ボール箱で、雑然としている。明かりはついておらず、人の気配もない。
 蝶はデスクの上にとまった。大量のコピー用紙が置きっぱなしにされている。雪彼と蘭がそのデスクに近づくと、蝶はまたひらりと舞って、今度はペン立ての定規の上にとまった。ペン立てには、色とりどりのカラーマーカーが無造作に突っ込まれていた。
 蝶は羽根を開いたまま、ぴくりとも動かない。動いているのは、その羽根の美しい色合いだけだ。蒼から銀へ、銀から緑へ。蝶の色彩は絶え間なく移り変わっている。
「……、『かいて』って、ことじゃないかな?」
「このちょうちょさん、あんないのてんさいなの。いうこときいてみようなの」
 ふたりは真っ白のコピー用紙に、カラーマーカーで蝶を描いた。一匹だけではない。写実的ではない。夏休みの絵日記帳にふさわしい、ほほえましい絵柄だ。薄いコピー用紙で、緑と蒼が踊る。モデルの蝶は動かない。
「そうだ。蘭ちゃん、『しき』ってしってる?」
「え? えーっと、まほうつかいのおつかいをしてくれる、あの?」
「そ。雪彼ね、まだへただけど、しき作れるの。このちょうちょの絵、つかえるよ!」
 たくさんの蝶。美しい蝶。かわいらしい蝶、頼もしい蝶。雪彼は蘭とふたりで描いた大量の蝶の上に、人差し指と中指を当てた。
「きゅうきゅうにょりつりょお!」
 しゅッ!
 雪彼が紙をするどく撫でる。蘭の目が輝いた。コピー用紙の上から、色だけが――蝶の絵だけが抜け出して、飛んだのだ。ふたりが描いた20あまりの蝶は、モデルになった蝶とともに、雑然とした部屋から飛んでいった。
「いこうなの! みんなこれできっとにげられるなの!」
 雪彼と蘭は、蝶と一緒に走り出す。蘭は事務室らしきこの部屋を出る前に、入口に置かれていたサボテンの鉢に気づいて、それをさっと抱えこんだ。


 蝶がかれらを目覚めさせたか。それとも、このけたたましい警報が叩き起こしたか。5人の子供たちはセンサーとアイマスクを剥ぎ取り、蝶と雪彼と蘭とともに部屋を飛び出して、駆けだしていた。
 どこからともなく、白衣とマスク姿の大人たちが廊下に飛び出してくる。口々に何か言っているが、少なくともその台詞は大概が敵意に満ちていたし、驚きと緊張で張り詰めていた。蝶の羽ばたきは聞こえない。マーカーで描かれた蝶は、生物ではない。大人たちを撹乱する蝶もいた。白衣の男たちは手でその蝶を振り払おうとしていたが、それはかなわない。蝶を打つ手はことごとくすり抜ける。
「ちょうちょについてって!」
 雪彼は、子供たちに蝶を負わせた。蘭は追いすがってくる男たちに、手の中のサボテンを突きつけた。
「サボテンさん!」
 その呼びかけが終わるや否や、大人たちは悲鳴を上げた。まるでマンガのようにサボテンが針を飛ばしたからだ。針を撃ちつくしたサボテンを抱えて、蘭が最後に建物を飛び出す。


 子供たちはその瞬間、光を放つ蝶を見た。温かい匂いを嗅いだ。まぶたすら貫く夏の朝の日差しを感じた。
 蒼と銀と緑の蝶たちは、今やまばゆい光を放ち、森の中の子供たちを包みこんでいた。
 まぶしい。誰かが目を閉じる。
 まぶしい、けれども誰かが目を開けた。少しずつ、ゆっくりと――

 目を開けて、身体を起こす。

 温かい朝食の匂いの中、それぞれの寝床で、雪彼と蘭は枕の下を探る。カードはあった。だが、あの美しい蝶の絵だけが抜けていて、ホログラムの虹の枠が描かれているだけの、たんなる黒いカードになってしまっていた。




*8月12日
きょうも、テレビを、見ました。行くえ不めいになっていた、子どもたちが、けさ、おうちのまえで、はっ見されたそうです。みんな、元気でした。
ぢつは、雪彼は、きのう、蘭ちゃんと、いっしょに、子どもたちを、たすけるゆめを、見ました。まさゆめになって、ほんとうに、よかったです。
だれが、なんのために、子どもたちをさらったのか、知りたいです。こわいし、ゆるせない。ぶっそおなので、ぼう犯ブザーは、これからも、もって歩きます。
こんな、道具が、ひつようのない、よの中に、なってほしいです。




〈了〉

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東京怪談
2006年08月17日

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