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『海妖 』
瀬崎・耀司4487)&デリク・オーロフ(3432)&(登場しない)

 気の知れた仲間内での縁の席でのこと。
 そも、海とは、古来より数多くの奇談や神秘を抱えもち、吐き出してきた未知の宝庫である――、と言うものがいた。
 その内の誰がそのようなことを口にしたのか、不思議なことに誰も覚えてはおらず。ただ、皆がその話にただならぬ興味を覚えたことだけははっきりと覚えている。
 人は、海から多くの幸や恵みを得るが、それと同じか、またそれ以上の奇怪な物語をも授けられている。誰もが、自らが知る限りの海に纏わる奇談を話して聞かせていた。酒なども入り、宴も酣(たけなわ)。勢い、語りにも熱が入る。
 そうして、その宴もお開きが近づいた頃。また何者かが言った。
「では、海に行こう。ドライブがてらと言ってはなんだが、これほどに話題に上る神秘を確かめるのも面白いものではないか」
 戯れか、真のことか。
 かくして、その場に居合わせたすべての者が、突然の海行きを了承した。
 ……そのように、理解していた。
 だが、何故にか。
 シートに身を深く預け、遠く、流れ行く景色と、眼下に見えつつある海の存在を目の端に捉えながら、デリク・オーロフ(でりく・おーろふ)は呟く。
 ダークブロンドの繊細な髪の下には、鈍く銀に光る小さな眼鏡と深い群青の瞳。その瞳は、いまやどこか意地悪そうに細められていた。
「して、私どもはどのような高尚な理由で、このように多大な時間を消費し、男二人、一路海へ向かっているのでしょうネ」
 まるで親が子に、答えのわかりきったなぞ賭けをするような調子で投げかけられた軽口に、運転席でハンドルをゆるく操っていた瀬崎・耀司(せざき・ようじ)は顔の筋肉一つ動かさず応える。
 こちらは、ゆるくしなやかな黒髪を持ち、肌は健康的に浅黒い。注意深い者ならば、その知性的な両眼の色が互いに違うことを瞬時に見て取るだろう。
「……同志内での深くも厚いはずの約定に従って、と僕は記憶しているのだが?」
「ハズ、とついている時点で深くも、厚くもあるはずがナク。……大体、我々のお仲間は私とあなたのお二人のみ? そのようなうら寂しい繋がりであったデショウカ」
「そうだったかどうか、自分の脳で考えてみたらどうかね。何故僕に聞く」
「時に、状況確認とイウものは非常に重大な作業である、と私は思っておりますのでネ」
「……何度確認したところで、真実は一つだろう。無駄な問答を仕掛けるのはやめたまえ」
「アアー、向こうの空がもう赤いですヨ。ヤレヤレ、帰省は何時ごろになるのヤラ」
 わざとらしく大仰に頭を抱えたデリク氏をもはや放置しながら、瀬崎としてもいささかこの状況に複雑なものを感じずにはいられない。
 ――そう。あの日、確かに「海へ行こう」ということで話はまとまった。そして、車は瀬崎が出すことになっていた。それ自体は構わなかった。
 しかし、間が悪いというのだろうか。参加を予定していた同胞たちは、それぞれのさまざまな都合とやらで一人減り、二人減り。
 気づいた時には、数時間を費やしての、男二人で夏の海ドライブプランが決行、という運びになっていた。
 その時点で、通常一番流れ込みそうな「それではまた次の機会に」という筋に至らなかった理由は、おそらく相手がデリク氏であったことと、一度予定だったものを反故にするのもどうか、という半ば意地のようなものが働いていたのだろう、と瀬崎は思っている。
 割合としては、五分五分ほどのものであろう。
 そう、自分の思考に決着をつけた瞬間、デリクが止めを刺した。
「それにしても、瀬崎さんも無用な意地を張らなければ宜しかったノニ」
 ――――束の間の沈黙。
「…………お互いな」
 含みをたっぷりもたせた言葉を返し、瀬崎は割合を八分二分に変更した。


 二人がようやく目的である海を間近に見る頃には、巨大な熱の塊が、溶けるような色鮮やかな赤い光を発して海の彼方に沈みはじめていた。
 海岸沿いに、テトラポッドが堆(うずたか)く積みあがる道路沿いに車を止め、二人はゆっくりと砂浜へと降りる。
 海水浴場。
 シーズン真っ盛りであるこの時期では、日が暮れつつあるといえども、いまだ最後の波乗りから帰還したサーファーたちの姿などがちらほらと目に付く。
 昼間はこの比ではなかったのだろうが、それでも、深く足を吸い込む砂の上には、幾人かの人影が長く伸びていた。
 ゆったりと浜辺を歩くものもいれば、禁止されている花火に興じようと、上気した声を上げるもの達もいる。
 その中にあって、落ち着いた着流しを纏いゆるやかな空気を持つ瀬崎と、黒色のスーツを纏い、一種独特な異彩を放つデリクの二人連れは、そのどの集団にも混在できぬ空気を放っていた。
 二人としてもそれを知ってのことか、今は互いに口も聞かず、それでも申し合わせたように、歩を進める。
 早くもなく、遅くもなく。
 長きにわたって猛威を振るった陽も、ようやく沈みかけていた。
 その消え行く陽が、薄闇に包まれつつある海面を幾重にも照らし出し、光の網を映し出す。
 乾ききっていた空気は、纏わりつくような湿気を含むことはなく、心地よい風を運んでいた。
 漣を寄せる海の調べは、一定の間隔でリズムを刻み、進み行く二人をいずこかへと誘うようで。否。確かに、誘われていたと、二人は思う。

 その、一角。
 目的とする場所もなく、惹かれるように行き着いたそこは、どこかしら、人の姿なり、声なりがうろつくこの浜辺において、闇の中、浮き出るようにぽっかりと無人の砂地をさらしていた。
 そこには、足跡ひとつ見受けられない。
 緩やかに続く石の段から砂の上に降り立ち、ものの数分。
 ちょうど、コンクリート造りの、できそこないの堤防のようなものがこの場所を他の人間たちの目から隠していたのか。
 その地に降り立って、初めて二人は足を止める。並び立ち、改めて打ち寄せる海の彼方へと向き直った時。陽は、完全に終幕を見せていた。

 ざぁ。ざぁ。
  ざぁ。ざぁ。

 波は、絶えることなく足元の砂を攫いにくる。その音を繰り返し耳に刻むだけで、胸の何処かに巣食う澱が下がる思いがした。

 ざぁ。ざぁ。
  ざぁ。ざぁ。

 先ほどまでの、車内でのやり合いこそがまるで夢物語であったかのように、二人は黙し、語り合うこともせず、ただ海を眺めている。
 海は凪いでいた。だからであろうか。

 ざぁ。ざぁ。
  ざぁ。ざぁ。

             ……きし。

 遠い喧騒も、ロケット花火が飛ぶ音さえも掻き消えるほどに、ただ、静かに、静かに。そうして、耳を一心に傾けていた故に。

 ざぁ。ざぁ。
  ざぁ。ざぁ。

 ……きし。

 どちらともなく、その音に気づいた。
 その、歯車の軋む音にも似た、異質な音を。

「……ほう」

 感嘆のような、驚きのような、その声を上げたのはどちらの方だったか。
 声の主は判じがたかったが、互いが同時にその存在を認めたことは分かった。

 ―――――女である。
 
 自分たち以外に誰の人気もなかったこの場所に、いつ入り込んだとも知れぬ、それは女だった。
 すぅ、と背筋を伸ばして立ちながら、胸で重ねた生白い細腕に、産布に包まれた赤子を一人抱きかかえている。黒く長い髪を流し、俯いている為、表情は伺い知れず、上から下まで白く、一点の染みもさえもない着物の、足先がはたはたと風に嬲られていた。
 女は、ちょうど瀬崎とデリクが立つ斜め後方に立ち尽くし、俯いていた。
 一体、いつからそのようにしているのか。
 一瞬の驚きはあったものの、女に向き直り、互いに、なんと切り出そうかと口を開こうとしたその時、声は、女の方から発せられた。

「……じきに、盂蘭盆会(うらぼんえ)にございますねぇ」

 きし。

 その声は、およそ生気というものが感じられない代物であった。俯いているせいもあってか、鼻にかかったような、くぐもった響きを持ってじわりと耳に届く。
 その感触は、けして心地よいとは言いがたいものだ。
 瀬崎は、微かにデリクと視線を交錯させた後、ゆるりとした声で応える。
「……左様。そのような時期となりましたね」

 きし。

 突然にも混じったこの異質な音は、どうやら女が砂を踏みしめる音であったようだ。
 すると、女は少しずつ歩を進めていたということか。
 ――なれば、この女。おそらくこの世のものではあるまい。

 きし。きし。きし。

 女は少しずつ前に進み出て、今では二人の真横ほどに立っていた。
 謬(びゅう)、と女を嬲って風が吹きぬけ、それが純粋な塩の香とはどこか異なる、生臭い香を運んでくる。
「この様な時期に浜辺に出でたるは、随分と豪胆なこと。このほどの人どもには驚かされるばかりにございますよ」

 きし。

「……貴方は? ここにいらっしゃっているではありまセンか」

 きし。

「えぃ、えぃ。左様でございますねェ」

 女は、喉の奥で潰れているかのような、こもった声をたてる。笑っているのだ、と理解するまでに僅かな時を要した。

「ですから、人ども、と申し上げたじゃあ、ござンせんか」

 女は、自らを人ではない、と言って憚らない。では、一体何を目的として迷い出たのか。
 胸中のそんな呟きが、するりと耳をすり抜けたのか、女はまた笑う。
「迷うだなんて、嫌ですよぅ。あたしは先(せん)からずっとここにこうしておりましたのに」
「ほう。では、僕たちが後から押しかけてしまったというわけか」
 それは失礼をした、と瀬崎はゆるく笑う。今まさに怪異に出くわしている緊張感などどこにもない。
 ただ、海を見る。目を見張った。
「……なんと、美しいことですネ」
 思わず、デリクがそう漏らした。常にあるどこか人を食ったような調子は、そこにはなく、ただそこにあるものを認めて感嘆する。
 目に入ったのは、無数の灯火。ほんの、数瞬前までには目にも映らなかったものだ。
 黒く、波打つその線の先に、篝火のような光が一直線に続いている。あれは、漁火なのか。
 女がまた言う。
「この地方の者で、この時期、このように凪いだ海にて恩恵を預かろうとする輩は、ここ何十年とおりませんとも」
 貴方様方はご存知じゃあ、ありまセンかねぇ、と吐息を漏らすように言うと、ずっと海に向けていた顔を、ぞろり、と二人に向ける。
「ねぇ、貴方様方。どちら様でも結構ナンですがねぇ、この子を、一寸抱いていただけませんか」
 女は、すい、と腕に抱いた赤子を差し出し、重そうに首を傾けてくる。

 きし。
「……生憎、赤子の扱いは知らぬのだよ」

 きし。
「では、この子に食べさせられる魚など、お持ちではござんせンか?」

 きし。
「見ての通り、夜釣りをしていたワケではありまセンから」

 きし、きし、きし、きし。

 女は、その周辺の砂を裸の足でかき回し、二人が立つ場を、ちょうど円のように囲んでいた。
 一回りした女は、そっと後ろに立っている。だが、瀬崎もデリクも振り返りはしなかった。
 クツリ、と小さく笑む音が鳴る。
「あぁ、面白くもない。人どもってぇのはまったく曲者でございますねェ」
 ドサリ、と、何か重く巨大なものが砂地に落ちる。
 女は、同じ海にありながら、まるで別世界のように騒ぎ、昂ぶる人々の声に目を向けて言った。
「あちらっ側のお人々はあたし共を見ることもせず。見る人々は知恵をつけて御しがたい。ほんに、嫌な世になったものですよぅ」

 人の世は――――。

 そう呟くを最後に、女は夏の乾ききった空気の中、蒸発するようにすんなりと消え去った。

「……行ったか」
「そのようですネ」

 ざん。ざぁ。
  ざぁ。ざぁ。

 後に残るは、行きつ戻りつ、同じ歩みを続ける波の囁きのみ。
「……旧(ふる)くは、盆に近づく凪いだ海では、牛鬼なるモノノケが出るとされ、地方の者は今でもその頃になると漁を控えるという。奇しくも、今宵は満月」
「昔、昔の御伽噺でありマスか。脈々と受け継がれる黒き礎も、この世はひどく住みにくいようですネ」
「そのようだ。それでは、せめて僕は赤子を抱くべきだったろうか」

 牛鬼が差し出す子を抱けば、その子は巌のごとき重さにて、抱くものの腕からいかようにも離れなくなる。その証であるように、二人の足元には先ほど女が無造作に捨てていった赤子の成れの果て――――巨大な石がどこか不満そうに横たわっていた。
 そのことを指してぼやくように呟いた瀬崎に、デリクはくっ、くっ、と喉を鳴らした。
「なんともお優しいお心ですネ。なに、彼女とて、変わり者二人が参じたもので、ふと戯れたくなったのデショウ。それにバカ正直に応えたとあっては、愚にもつかない、というモノではないのデスカ」
 もっとも、瀬崎サンならば有り得ますか。
 意地悪く笑うデリクに、瀬崎は一瞬眉根を寄せ、やがてその皺を取り払うように表情を緩めた。
「ふ。……違いない。何しろ僕は探究家であるから」
 君と違って。
 一瞬の沈黙。
 やがて、二人破顔した。


 この世は常に浮きつ、戻りつ。
 その流れは一種、浪の在り様にも似て。

 だがその中でどのように生き晒すかは、そのものの心一つ。

 中天にかかる白くも穏やかな月が、闇に沈む海の水面に道を築く。

 さて、夏も往くが、僕たちも行こうか、と。
 瀬崎が言った。


END


Writing by 猫亞 
Thank you for the order.




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猫亞阿月 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年08月17日

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