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『灼熱のミッション 』
嘉神・しえる2617)&妙王・蛇之助(NPC0844)

 見下ろした窓の外に広がるのは、うだるような暑さに陽炎さえ揺らめく、新宿の街。
 仕事に追われているからとはいえ、もうどれだけ、「彼」に逢っていないだろう。このビルを背に駅に走り中央線に駆け込めば、20分足らずで吉祥寺に着く。公園口で降りて歩けばすぐに、女神と眷属の住まうあの異界へ行けるのに。
(お花見イベント以来だから、ええと)
 嘉神しえるは、ひとつ、ふたつと左手の指を折り、薬指を曲げかけて、ふと躊躇った。
 絶対的な記憶力を誇るしえるのこと、思い出しながら指折り数えずとも、瞬時に正確な日数は算出できる。
 だが、逢えなかった長い時間の再確認というのは、また別の意味を持つ。さみしさと恋しさを見つめ直すことにつながるからだ。
(……5月、6月、7月、8……。今年はもう、秋まで逢えないかもね。去年もおととしも、今頃は蛇之助と花火を見に行ってたのにな……。ああもう、考えるのはやめとこ。それより、仕事仕事)
 我ながら驚異的な自制心だと思いながら、しえるは左手を握りしめ、窓から離れた。このところ徹夜続きだったせいか、何となく頭が重い。
 振り返った瞬間、生徒であるところの若いサラリーマンが、爽やかな笑顔を見せて片手を上げた。
「終わりました。嘉神先生、採点をお願いします」
「ちょうど20分ね。うん……全問正解。完璧だわ」
「先生のおかげですよ。GMATのスコアが伸びたのも、ハーバード・ビジネス・スクールに合格できたのも」
「お疲れさま。予定よりかなり早く、プログラムを消化したわね」
 ここは、丁重な指導とハイレベルな講師陣で定評のある、某外国語教室の新宿校である。
 おりしも、世間は夏休み真っ盛り。社会人対象の各種サマープログラムやOL向け海外旅行直前レッスン、受験生向け英語集中講座、留学希望者向けTOEFLの得点向上講座等を打ち出して、世間様とは反比例しての稼ぎ時なのだ。
 講師のひとりであるしえるは、その語学力とティーチィングメソッドの優秀さゆえに、飛び切り忙しくなる時期であった。英・仏・独語の講座を兼任しているうえに、新宿校のみで行っている特別レッスン、「マンツーマンGMAT講義」を受け持っているからだ。
 GMAT(Graduate Management Admission Test)とは、海外の大学院でMBA(Master of Business Administration:経営学修士)取得を希望する場合、避けて通れぬ試験である。
 企業派遣生として社内で選抜され、留学が決まっている大手商社勤務の青年が、しえるの目下の生徒だった。
 時間に追われる彼のために独自のオーダーメイドプログラムを組み、効率的なレッスンを構築する作業が、昨今の殺人的な忙しさの一因でもあったのだが。
 しえるの努力は、報われたらしい。
 さすがは幹部候補のエリートサラリーマン。青年は思いがけないスピードでレッスンスケジュールをクリアした。予定より、2日ばかり早く。
 それはつまり、もうこれ以上の講義は必要ないということであり――しえるがこの夏、あきらめかけていた休暇を取ることが可能になったということだ。
(やったわ! やれば出来るものね。これで蛇之助と念願の花火を見に……あ、2日休めるとしたら、泊まりで遠出しても大丈夫かしら。計画練らなくちゃ!)
 持つべきものは優秀な生徒よね、兄貴? などと、教育職の兄を思い出しつつ、しえるは青年に微笑みかけた。
「今月末には、ボストンに発つのよね? 頑張ってね。ハーバードの授業は厳しいらしいけど、あなたならキックオフされることもないと思うから」
 しかし彼は、淋しそうに目を伏せ、しばらく無言のままでいた。やがて、意を決したふうに顔を上げ、机に手を付いて立ち上がる。
「嘉神先生!」
「な、なに?」
「――ボストンに、一緒に行ってくれませんか」
 青年の目は真剣だった。唐突だが、れっきとしたプロポーズである。
 しえるはその目を、真っ向から見返した。
 マンツーマンのレッスンを重ねてきた手応えから、感じの良い青年であることはわかっている。本人の資質と性格に、何の問題もない。
 しかし――
「それは無理だわ。ごめんなさい」
 逡巡せず断ったしえるに、青年は苦笑する。
「そう仰ると思ってました。以前、ちらっと携帯の待ち受け画像を拝見してしまって……。そのかたと、お付き合いしているようだと、他の先生からも聞きましたし」
 でも、言ってみたかったんです。日本を離れる前に。
 青年は呟く。心もち肩を落として。
「……優しそうなかたですね」
「そうね。優しすぎて、いろんなお姉さまに振り回されてるのがネックなんだけど」
「……万一、そのかたとうまくいかなかったときは、ぼくのことを思い出してください。――待ってますから」
「ありがとう。でも、向こうで、金髪の彼女を見つけたほうがいいと思うわよ」
 言うなり、しえるは教室を後にする。

 まだ陽は高い。しがらみの多い「彼」を連れ出すのなら、早いほうがいい。
(……あら?)
 横断歩道を駆けるしえるのスピードが、ふと緩む。視界がぐらつく感じがしたのだ。
(気のせいよね、きっと)
 頬と額が熱いような気がするのは、高揚のせい。足もとがふらつくのは、アスファルトの照り返しがきついせい。
 断じて、無理を重ねたせいで体調を悪くした……からではないと思いたい。

 *  *

 しんと静まりかえった弁財天宮1階カウンターで、蛇之助は頬杖をついている。
 いつもけたたましい女神や幻獣動物園の管理者、井之頭本舗の店長さえ、姿は見えない。みな揃って、旧軽井沢のとある洋館へ避暑に出かけてしまったのである。
 カウンターの上には、金魚鉢がひとつ。紅い小さな金魚が、水草の中を涼しげに泳いでいる。
 それは以前、公園の皆と浅草へ出かけたおり、吉原神社の弁財天から拝領したものだった。楚々としたしとやかな雰囲気を持っており、どこか放っておけない気持ちをかき立てる女神である。
 決して艶めいた感情ではないのだが、吉原弁財天が眷属を持っていないということもあり、蛇之助は彼女の動向を、まるで、ひとり暮らしの姉を心配する弟のように気にしていた。
「あのかたは、ご無事に『江戸』から吉原神社にお戻りになれましたでしょうかね……」
「………ふぅぅうう〜ん。可愛い金魚ねぇ……」
「うわっ? しえるさん。いつからそこに?」
 いつの間にやら、蛇之助の真向かいのスツールに腰掛けて、同じように頬杖をついているしえると、ばちっと目が合う。蛇之助は驚いて立ち上がった。
「さっきから。せっかく仕事終わらせて来てみれば、誰かさんは金魚に夢中なんだもの」
「吉原の弁財天さまは、あの、メールでも申し上げましたが、えっと、その、仕方ないんですよぅ〜」
「何がどう仕方ないのよ! 私というものがありながら」
 カウンターに手をついて、しえるも立ち上がる。
「……ひどいじゃない。私、頑張ったのに。すごく忙しかったけど、休みが取れたら蛇之助に逢えるからって思って。なのに」
「しえるさん。あの」
 勝ち気な瞳に浮かぶ涙に、蛇之助は狼狽した。しえるの涙を見たことなど、これまで一度もなかったのだ。
 慌ててカウンターから出て、駆け寄ったところ。
 ――突然。
 弁財天宮に、黒い影が5つ、現れた。
 それは、黒服黒眼鏡を身につけた、5人の乙女だった。

「おまたせしました!」
「邪魔な女神さまがいない、いまこそ!」
「井の頭公園・改に、真の縁結びを!」
「迷える恋人たちを支える、正義の乙女!」
「縁結びミッション隊、参上!」
 ポーズを決める乙女たちを前に、しえると蛇之助は思わず顔を見合わせる。金魚をめぐって揉めかけていた雰囲気は、おかげさまであっさり解消した。
「……えっと、その声は、井の頭池にお住まいの、水棲生物のお嬢さんがたのようですが、皆さんいったい?」
「この暑さで池の水が沸騰したのかしらね。誰が誰だかか当ててみましょうか、真ん中の隊長さんが、カワシンジュガイのジュ……」
「しーっ! 正義の味方の正体は、常に秘密です」
 隊長らしき黒服の乙女は、口元に人差し指を立てる。
「わたしたちは影ながら、おふたりを応援していました」
「おととし、しえるさんが女神さまとバトルした立川花火大会も」
「ロマンチックだった、去年の隅田川花火大会も」
「デートの模様を、ばっちりカメラに収めてます!」
「ほら、これなんか超ベストショット!」
 表紙に、【マル秘:或る恋人たちの記録】と記された分厚いアルバムを、隊長は広げた。見れば、撮影できたのが不思議なほどの、諜報員顔負けのピンナップが満載である。
 絶句するふたりに向かい、隊長は指を鳴らす。
「わたしたちの調査によれば、しえるさん、やっと、お休みが取れたんですよね? しかも2日間。……はい、これどうぞ。こんなこともあろうかと、おふたりに代わって予約しておきました♪」
 どうしたらそんなことが可能なのか聞く暇もなく、しえると蛇之助は、大手旅行会社のロゴ入り封筒を渡された。
 中身は、花火大会つき宿泊プランのチケット一式である。
 ――日本一の規模の「長岡花火大会」を見ながらオードブル・メイン・デセールを食べる幸せの極致の夕べ。長岡までの送迎・花火会場でのDiner&ワインたっぷり・深夜のおにぎり・宿泊・朝食付き。
 いたせりつくせりな手配に、しえるは目を見張る。
「これ……。私が考えてたプランと同じだわ」
「蛇之助さんが、先月からずっと、カウンターで溜息つきながら花火特集の雑誌眺めてたとき、チェックしていたのも同じプランなんですよ」
「何故それをっ!」
 仰天のあまり青ざめた蛇之助の背を、隊長はまあまあと押した。
「忙しいしえるさんを、あんまりお待たせしちゃいけませんよ。後のことは気にせず外出なさってください」
「ここのお留守番は、『への27番』の皆さんにお願いしておきますから」
「滅多に、お泊まりデートの機会はないですもんね」
「いってらっしゃーい♪」
「しえるさん、頑張ってくださいねー!」
 
 *  *

 そして今。
 恋人たちは、信濃川河川敷にいた。
 長岡大花火を代表する名物花火「正三尺玉」が打ち上がり、600mの上空で直径650mもの大輪の花を咲かせたのは、つい先刻のことである。
 しつらえられた席でワイングラスを手に、浴衣姿のしえるは微笑む。光の名残が、横顔を華やかに照らした。
「あのね、蛇之助。私、プロポーズされちゃった」
「えええっ! だっだっ誰にですかっ?」
「マンツーマン授業を担当した生徒さん。HBSに合格したから、一緒にボストンに行きませんかって」
「…………行くん……ですか…………?」
「蛇之助のばかっ! どうしてそんな風に聞くの? どうして、私がほんのちょっとでも、『行くかも知れない』とか思うことができるのよ。そんなの速攻で断るに決まってるって、何で信じてくれないの!」
「すみません。そういうつもりじゃないんです。ただ」
「ただ?」
「自信が、なくて。しえるさんには、もっとふさわしいひとがいるんじゃないかって、いつも思っていたものですから」
「……ばかね。私たち、もう3年もつき合ってるのに」
「そんなになりましたっけ」
 グラスをそっとテーブルに置いたとき、打ち上げ音と歓声が同時に上がった。約1秒間隔で10号玉花火が100発連続して打上げられる「ワイド尺玉100発」の、時間になったのである。
 広がる夜空と信濃川の川面に、炎の花が目まぐるしく咲き誇る。
「……えっと……大好きよ、蛇之助」
 満面の笑顔で、しえるは言う。上空できららかに散る炎が、まるで彼女を包む聖なるオーラに見えた。
「あの、私も、です」
「来年も再来年も、ずっとずっと一緒に花火見ましょうね――えっと、そのうち、恋人じゃなくて……夫婦で、とか……」
「――今、何て?」
「もう! 何度も言わせないで」

 ちなみに。
 しっかり後をつけてきた「縁結びミッション隊」の面々は、双眼鏡とカメラを携え、遠巻きに張り付いていたのだが。
(隊長………。 ちょっとあのぉ、ラブラブすぎて見てられませんっ)
(何かもう、一生やってればぁ〜〜〜って感じですー)
(帰りましょうよぉ〜)
(たくさん写真も撮っちゃいましたしね〜〜)
(そうね。気づかれてないとはいえ、これ以上は野暮でしょうし、あとはふたりきりにしてあげましょうか)
 
 *  *

 ベスビアス大スターマイン 。
 ヨーロッパ大陸唯一の活火山である「ベスビアス火山」をイメージして構成されたスターマインもまた、長岡花火大会の目玉であった。
 2分間に400発〜500発もの花火が途切れなく開くさまは、灼熱の火山が大噴火しているかのようだ。
「綺麗ね」
 見上げるしえるの横顔に、蛇之助はふと首を捻る。
「……しえるさん? 何だか顔が、赤いような」
「あたりまえでしょ。蛇之助と一緒でテンション上がってるもの」
「私も、そうなのかなと自惚れてましたが……。もしや、ご無理なさって熱が出たんじゃ?」
「そんなことないわよー。あ、すみません、ワインおかわり」
 しえるは平然とワインの追加注文をし、鮮やかな光の花を堪能して、そして――

 花火大会が恙なく終了し、ふたりが席を立ったところで、悲劇は起きた。
「はれ……?」

 ――世界が、回ってる?

 しえるの足もとが、大きくよろめいた。
 倒れかけたところを、あやうく蛇之助が抱き留める。
「やっぱり。発熱してる」
 額に当てられた手に、しえるは自分の手を重ねた。
「……蛇之助の手、冷たくて気持ちいい」
「大丈夫ですか? 宿まで歩けますか?」
「大丈夫だいじょーぶ」

 ……全然、大丈夫ではなかった。
 結局蛇之助は、しえるを抱き上げたまま宿まで運び、そのまま徹夜での看病と相成ったのだから。

 そして、早々に引き上げた「縁結びミッション隊」は、せっかくのお泊まりデートがオチつきになってしまったことになぜか責任を感じ、水面下で別の計画を練り始めたのだが――
 果たして次なるミッションは、いつ……?


 ――Fin.
PCシチュエーションノベル(シングル) -
神無月まりばな クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年08月17日

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