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『同じ空の記憶 』
嘉神・しえる2617)&嘉神・真輝(2227)&(登場しない)



 時折、例えようもなく懐かしいと思う光景に出会う事がある――


*

「是非見せたいものがあるのよ。きっと暑さも吹き飛ぶわよ?」
 ニッコリと満面の笑みを浮かべながら、嘉神しえるが、兄真輝にそんな事を言ってのけたのは、休日に入ってすぐの事だった。
 世間の学生達にとって今は夏休み真っ最中。誰にはばかる事なく一ヶ月以上昼過ぎまで爆睡できる、年に一度の素敵★ロングバケーション。
 だが教師たるもの生徒達とは違い、授業こそないものの、やれ当直だ部活動だと学校へ行かなければならない日々が続くのは当然である。
 そんな中、漸く貰えたしえると真輝の夏休みがかち合ったのは、本当に珍しい偶然だった。


 休みが一緒だとわかるや否や、しえるは小悪魔スマイルを湛えて一通の白い封筒を手に、兄の住むマンションを訪れた。
「おはよう兄貴♪ と言うわけで突然だけど、はいこれね」
 寝起き姿のパジャマのまま、いつもより更に寝惚けた表情で玄関先に出てきた真輝を前に、しえるは白い封筒をひらひらと振ってみる。
「……んだよ、ソレは」
 しえるは真輝の不機嫌を軽く受け流して、封筒からちらりと4枚の紙と何某かのパンフレットを覗かせる。
「見ればわかるじゃない。新幹線の往復チケットよ?」
「さよなら」
 旅行の誘いだとわかった瞬間、すかさず玄関を閉めようとした真輝の行動を既に見越していたのだろうか。しえるはあえて選んで履いて来た超頑丈な造りのパンプスで、閉じる寸前のドアをがっちりと固定した。
 しえるの行動の素早さに驚きを隠せないでいる真輝を見て、しえるはにっこりと微笑む――否。不敵な笑みといった方が正しいか。
「あら、どうしたの?」
「てめぇ……」
 してやられたと、青筋を立てながら真輝が力ずくで玄関を閉めようとするのを、しえるは無理矢理にでもこじ開けようと試みる。
 互いに武道に精通しており実力もかなりのもの。となれば性別を差っぴいてもしえるが勝つためには敵(?)の弱点、すなわち寝起きを襲うのが最善の策。
 今この戦いで、しえるの機敏さの方が真輝より上回っているのは、しえるがわざと真輝の寝起きを見計らって襲撃を仕掛けたからだ。
「休日は冷房のきいた部屋で、ごろごろ惰眠を貪るのが俺の幸せなんだっつーの!」
「休日だからこそバカンスに行くのは当然でしょう? 寝てばかりいるから育たないのよ兄貴!」
「バカタレ! 寝る子は育つという言葉を知らんのか!!」
 世紀の兄妹漫才師が誕生するのではなかろうか、というやり取りを玄関先で繰り広げる事十数分。
 流石に世間の目というものが気になって根負けした真輝が手の力を緩めると、半ば強引にしえるは白い封筒を真輝へと手渡した。
「私の分も預けておくから、当日は絶対に遅刻しないで来るように。よろしくね、お兄様♪」
 真輝の分だけ渡したのでは、真夏出不精の兄貴の事だから来ない確立の方が高い。けれど、しえる自身のチケットも預けておけば、流石の兄貴も往復8万する交通費を無駄にはすまいと、最初から最後まで見事なまでに計算され尽くしたしえるの計画を前に、真輝はなす術を持たなかった。
「もう、暑さ嫌いの兄貴を引っ張り出すのは、本当に大変」
 肩にかかる緩いウェーブの髪を軽くかき上げながら、しえるは満足そうに呟いて。真輝に向かって投げキッスとウインクを残すと、さっさとマンションを後にした。



 怒涛の如く用件だけを告げて去って行った妹を半ば呆然と見送りながら、真輝はその場に立ち尽くしていた。
「……同じ血を引いていて、何でお前の方が暑さに強いんだよ?」
 まだ頭が働いていないのだろう。真輝は眠い頭を軽く振って、パジャマの胸ポケットに入っていたKOOLを一本くわえると、何気なく先ほど手渡されたチケットの行き先を眺めやる。
 そして、そこに書かれていた文字を見て、真輝の目は一瞬にして覚めた。

『京都』

 あろうことか、チケットの行く先には「京都」の二文字が記されており、さらに同封されていたパンフレットを見れば「なら燈花会」とある。
 つまり、しえるは京都を経由して奈良へ赴き、この「燈花会」とやらへ参加しましょう♪ というのだ。この真夏に。
「暑さも吹き飛ぶ?……嘘だろ、オイ」
 はっきり言わせて貰うが盆地の夏は暑い。
 日陰に居るのに熱中症にかかるほど、想像を絶するくらい暑い。
 その猛暑に、果たして自分は何時間耐えられるのだろうかと、真輝は口にしていた煙草をポロリと落として、その場にへたり込んだのだった。


*


 案の定、真夏の奈良は暑かった。
 暑さに強くないのはしえるも同じなのだが、自分以上に真輝が暑さに弱い事を知っていたから、しえるは燈花会のイベントにあわせて少し遅めに奈良へ到着するよう計画を立てていた。
 けれど、既に陽は落ちかけて辺りが夕闇に包まれているにもかかわらず、昼間の太陽に焼かれた空気は、まだ周囲に熱を充満させている。
 いっそ通り雨でも降ってくれれば、少しはこの気だるい暑さも凪いでくれるのに、とつい思ってしまうのだが。これから行く場所の光景を真輝が見たら、一体どんな反応を示すだろうかと思うと、そちらの方がしえるにとっては楽しみだった。

 穏やかな暗闇が一層深く周囲を包み込む頃。春日大社へと続く碁盤目のような参道沿いに、少しづつほのかな明かりが灯り始めた。
 それに気づいたしえるは、思わず隣を歩く真輝をちらりと見る。だが案の定暑さにやられたのか、真輝は早くホテルで休ませてくれと言わんばかりで、何時もの覇気さえ感じられない。
 この分では、今歩いている目の前の景色にさえ意識を向けるのは難しいかしらねと、しえるは微かに苦笑した。



 やがて二人が参道をそれて東大寺へと続く道に入ると、体力を使い果たしたような顔の真輝が、しえるに向かってボソリと一言呟いた。
「どーでも良いが、奈良まで引きずり出したんだ。後で美味いもんの一つも食わせろよ」
「いいわよ。もちろん兄貴の奢りでしょ?」
「まて。何で俺が奢らにゃならんのだ!」
「兄だから」
 ズバンと真実を告げるしえるに、弱っている真輝が叶うはずもない。
 真輝は依然冷めない熱気に不機嫌の色を隠さずしえるに訊ねる。
「……大体何だよこの『なら燈花会』って」
「7年位前から奈良公園周辺で行なわれている催しよ。盂蘭盆の時期に公園一帯に蝋燭を灯すのですって」
 ここに集う人々の祈りを照らし出そうというのが趣旨らしいわ、と大まかな概要を説明しながら、しえるが指差した方を見れば、なるほど自分達の周囲を、ぽつりぽつりと置かれた蝋燭が柔らかい光で照らしていた。
「以前知り合いから聞いてパンフレットを取り寄せてみたのだけれど、写真ではなくて実物を見てみたかったのよね」
 ニコリと笑いながら告げるしえるに、真輝はふーんと気のない返事をしながら、パタパタと自らの手で顔を仰いで風を送る。
「雑踏に揉まれるよか、俺は冷房の効いた部屋でのんびりしてーよ……」
「まだ目的地についていないのに何を言ってるのよ」
「つーか彼氏いねーのかよ、彼氏。んなムード満点のイベントに兄貴を連れて来るかフツー」
 相変わらず仏頂面で、一見したのでは興味があるのかないのか判らないが、仄かに照らされた街の灯りに、いつしか真輝も周囲に視線を向け始めた。
「兄貴に見せたかったのよ。でなきゃ初めから誘ったりしないわ」
「何で俺?」と首をかしげる真輝に、しえるは何も答えてはくれず、「ほら早く!」と逆に急かされるかたちで、真輝は国立博物館の向かいにある広場へと向かった。


*


――浮雲庭園。
 しえるに半ば引きずられるようにして真輝がたどり着いたのは、そう呼ばれる場所だった。
 日中であれば、ただ広いだけの何もない芝生だ。
 けれど今、その庭園には、水の入ったガラスのコップに浮かんでいる無数の蝋燭が、ほんのりと仄かな淡い色合いで広大な広場を染め上げていた。
 全てが暗闇に包まれる直前だからだろうか。遠く見える若草山の稜線がくっきりと浮かび上がり、手前にある灯火とあいまって、幻想的な世界を見せている。
 予想だにしていなかった美しい光景を前に、真輝は先ほどまでの暑さを忘れて、思わず魅入った。
「見せたかったのはこの灯。地上の星空か天上の花畑か――って謳い文句も納得ではなくて?」
「綺麗なモンだな。これは確かに、うん来て良かった……かも」
 揺らぐ灯火の色は柔らかで、謳い文句さながら、夜空の星とも天上に咲き誇る花畑とも思わせるほどに美しかった。
 周りを取り囲む人々の喧騒が、静まり返ったように真輝には思えた。
 長い長い、悠久の時をゆっくりと刻み続ける世界に身を置いているような錯覚に捉われそうになる。

――どこか懐かしい気がするのは何故だろうな。初めて見るのに……。

 時折、例えようもなく懐かしいと思う光景に出会う事がある。
 気のせいなのか、それとも自分が忘れているだけなのか。それさえ解らず、ただひたすらに懐かしいと思う。
 何故、しえるはこの光景を自分に見せたいと思ったのか。真輝は眼前に広がる世界に目を奪われながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。



「地上の星空に天上の花畑、か。どっちも懐かしい景色だけど……兄貴は覚えてないわよね……」
 古を懐かしみながら、隣に立つ真輝には聞こえない程度の小声で、しえるは小さく呟いた。
 真輝が過去の全てを忘れている事は充分承知している。けれど忘れているという事実をしえるが悲観するはずもなく、むしろそんな真輝を受け入れてさえいた。

 転生したとしても逢えるかどうかわからない――
 そんな不安を抱いて一人過ごした時期を思えば、今この瞬間、共にあって過去を懐かしむ事が出来るのは、この上なく幸せな事なのではないだろうか。
 今は人として、同じ空のもと地上の星空と天上の花畑を共に見ることが出来る。
 記憶を持っていようが持っていまいが、今自分達が此処にこうして生きているという事だけは真実なのだから――


「……なぁ、これを俺に見せたかったって、何でだ?」
 ふと、隣に居た真輝にそんな疑問を投げかけられて、しえるは真輝へと視線を落とした。見れば何やら神妙な面持ちで真輝はしえるを見上げている。
 真輝は真輝なりに、この光景に何かを感じているのだろうか? そんな想いが頭を掠めるけれど。暫しの沈黙の後、しえるは穏やかな笑顔を浮かべると、
「…………内緒♪」
 ただそれだけを真輝に告げた。
 そしてその次に見せたのは、とびきりの小悪魔スマイル。
「まぁ強いて言えば、兄貴と一緒に行けば奢って貰えるからかしらねー」
「は?」
「あ、それと新幹線のチケットとホテルの宿泊代。事前に払っておいてあげたけど、兄貴の分は後できちんと請求するわよ」
 当然よね、と、しえるは既に概算して書きとめておいたメモを真輝の目の前へひらひらと差し出た。
 いきなりそんなものを突きつけられた真輝は、しえるの行動のすばやさもさる事ながら、そこに記された金額に思わずぎょっとする。
「お前、都合のいい時だけ妹面すんなよ……」
「いいじゃないの。事実妹なんだし♪ というわけでー♪」
「……んだよ」
「燈花会が終わったら、兄貴の奢りで宴会よーっ!!」

 颯爽と前を歩いて行く妹を前に、真輝はぐうの音も出せなかった。



<了>

PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2006年08月17日

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