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『飽食箱 』
瀬崎・耀司4487)&リチャード・レイ(NPC0195)



 世間がいらついている。暑さのためだろう。
 皮膚さえびりびりと震わせるセミの声。連れ立つ若者たちの、暑い暑いという呻き。どろどろのハンカチでどろどろの顔を拭くサラリーマン。ビルのガラスの中でも張り切る太陽。陽炎を見せるアスファルト。
 すべてがいらだち。すべてが不快。
 ここが海か山であれば、いらだつ夏さえ風流であろうが、あいにくここは東京の都心である。
 さすがの彼も、暑さにまいった。考えごとさえも煮え立ち、溶けて、消えてしまいそうだ。ものを考えたかったので、彼は適当な喫茶店に入った。ガラスごしに見てしまえば、夏と、夏にいらだつ人々も滑稽に思える。
 彼――瀬崎耀司は、そこで、さらに面白い人物を見ることになった。リチャード・レイ。彼もまた暑さから逃れてここに来たのか、窓際の席で何やら書き物をしていた。
「こんにちは」
 笑みとともに挨拶を投げかけると、灰色の目が耀司をとらえた。レイは何とも言い難い複雑な表情になった。少なくとも、この偶然の出会いを喜んでいる様子はなく、かと言ってあからさまに迷惑がっているわけでもない。
「ああ……セザキさん。こんにちは。外はまだ暑いですか」
「ええ。涼しくなるどころか、今日は熱帯夜になるそうですよ。……ご一緒しても?」
「どうぞ」
 耀司はレイの向かいに座った。ちらり、と彼の書き物の様子をうかがう。傍らには写真や資料があるし、何らかの調査報告か。
 調査といえば、と耀司は思い出した。暑さで途切れてしまった物思い。それは、怪奇の類であった。
「聞いた噂がありましてね。アトラスにでも『通報』しようかと思っていたのですが」
 レイがペンを止め、顔を上げた。アトラスに持ちこむべき噂が何を意味するか、彼は知っていたからだ。
「東京のはずれにある奇妙な家の話です」



 レイはまるで疑うことを知らない子供のように、瀬崎耀司についてきた。暑さは相変わらずで、イギリス生まれのレイにこのねっとりとした暑さはこたえるようだったが、それを補って余りある好奇心を抱いたらしい。
 ――その好奇心が、人をよく殺すのだが。それを知らないはずもないだろうに、まったく、面白い男だ。
 耀司は笑いをこらえるのに苦労した。もっとも、レイが耀司の話した廃墟について、何か聞き及んでいたという可能性もある。
 耀司が噂の中で聞いた『奇妙な家』は、今、ふたりの目の前にあった。好奇心について心中で説いた耀司もまた、好奇心の虜である。噂の洋館への訪問へと彼を駆り立てたのもまた、恐るべき好奇心だ。
 しかし耀司は後悔しなかった。見るだけでも価値のあるものだった。
 東京にも、都心を離れてしまえば、北海道や四国にも引けを取らない田舎がある。そんな郊外も郊外に、洋館は立ち尽くしていた。いや、仁王立ちか。気弱な人間を寄せ付けない、堂々たるたたずまいだ。そして――
「なるほど、奇妙だ」
 耀司は思わず唸った。その目は、わくわくと高鳴る期待で輝いている。

 家には窓がなかったのだ。いや、あった形跡は残っているのだが、誰が何を考えたのか、三階のただひとつを除き、すべてセメントで粗雑に塗りこめられている。
 赤いレンガを積み上げて造られているようだが、レンガの間から、異様な――粘液のようなものが流れ出したような跡が、そこかしこに見受けられた。

 すん、と耀司は臭いを嗅いで、笑みを広げる。レイは強張った面持ちで洋館を見上げていた。
「死臭が」
「……ええ、まあ」
「いや、もしかしたらあの臭いなのかもしれませんが」
「え?」
 耀司は家の基礎のあたりを指差した。猫が死んでいた。この暑さですっかり腐っている――耀司は死体について、2点ほど気づいた。死体が転がっているのは、唯一開いている窓の真下であるということ。そして、首がなくなっていることだ。
 耀司はすたすたと館に歩み寄り、臆することもなくレンガの壁に手を触れる。彼の場合、ものを触って死ぬ心配はしなくてもよかったのだ。

 この暑さの中で、このレンガはひんやりとしている。そして、湿っている。まるで汗をかいているかのようだ。風が止まり、耀司は臭いを感じた。猫の死骸の臭いなど及びもつかぬ、未知の悪臭だ。どうやらこの臭いは、粘液が這ったような跡から生じているらしい。

「セザキさん!」
 不意に、レイの、押し殺したような声が響いた。それとほぼ同時に耀司も異変に気づいていた――彼はレイのほうに振り返らず、顔を上げた。
 三階の窓のそばで、何かが動いたようだ。
 
 噂は言う。この家には、化物が出ると。

 これほど異様で邪悪な一見と悪臭を持っていれば、そんな噂が立ってしまうのも仕方のないことだ。耀司は壁から離れ、レイとともに窓を見上げていた。
「――入ってみましょう」
「正気で――ああ、いや、本気ですか?」
 うっかり日本語を間違えたレイには微笑だけを返し、耀司は入口を探した。開け放たれた窓とは反対の側に玄関はあったが、固く閉ざされていた。ここしばらく、誰かが玄関の扉を開閉したような跡は見つからない。開いているのは、三階の窓だけだということになる。
 耀司は右腕にぐっと力をこめて、扉を開けた。鍵は壊れ、ドアはまるで驚いて飛び上がったかのようだった。

 腐臭!
 いや、湿気!

 さしもの耀司も、束の間呆気に取られた。三階立てかと思われた洋館の内部は、たったひとつの部屋だけでできている。ぐごぐごご、という低い低い、巨大な唸り声が頭上から降ってきた。見上げると、真っ向からの視線がそれに応えた。巨大な一対の目玉は、ぎらぎらと、ぎょとぎょとと蠢いている。湿った腐臭が床の上を這っていた。
 床は、瓦礫と白骨死体で埋まっていた。まるで倉庫のような洋館の内部には、もともとちゃんといくつもの部屋や階段、天井があったらしい。そのほとんどが崩れ落ち、この館はほとんど壁と屋根だけになってしまっているのだ。
 散らばり、折り重なった白骨は、ほとんどが人間のものだ。どれもきれいに、徹底的に、肉と血をしゃぶりつくされている。あまりに大勢が犠牲になっているようだが、腐臭の具合がその犠牲の数とつり合わないのはそのためか。
 そして――化物。怪物。怪獣。体長がどれほどのものなのか見当もつかない。目ははるか頭上だ。べろりとヒキガエルのように垂らした舌から、ぬめる臭いが放たれている。レンガの隙間から漏れたのは、この化物の唾液らしい。やつは飽食のあまり、壁まで舐めたのか。
 ぐごががががが、と化物は声を上げた。
「――人喰いか。喰えば、腹を壊すかな?」
 ふ、と耀司は笑みを漏らした。レイには笑う余裕などない。耀司は、笑いながら、カエルめいた化物の足元を観察していた。
 まるで未知の、しなびた皮か膜のようなものの上に、化物はいる。化物はでっぷりと太っているが、腹も背も腕も、トカゲのような鱗に覆われていた。
「脱皮している。こいつはもともと、もっと小さかったのかもしれない」
「……、セザキさん、……その、火などお持ちではありませんか」
「あいにく」
「では、逃げましょう!」
 レイの力は、耀司が思っていた以上のものだった。彼は館から引きずり出されたが、向こうの貪欲さは侮りがたかった。舌だけが、玄関の扉の向こうから伸びてきて、ふたりに追いすがった。
「レイさん、手を離してください!」
「何をする気ですか!」
「なあに、奴を生け捕りにしようとは言いません」
 レイの手から解放された耀司は、くるりと振り返った。
 悪い夢のような光景がそこにあった。玄関は破壊され、館の中から化物の長い舌が触手のように伸び、訪問者を捕らえようとのたうっている。家はみしみしと揺れていた。
 耀司は手を伸ばし、舌を掴んだ。まるで未知の感触だった。人の舌とも違う、牛の舌とも違う、何だろうか、そう、まるで例が思いつかない!
 未知の感触を喜ぶ耀司の紅い目が、強い光を放った。
 たちまち、湿った舌が――凍りついていく。凍結はどこまでもまっすぐに、館の中に詰まった本体を目指した。低い断末魔が聞こえ、舌は氷像と化し、動かなくなった。玄関が塞がれてしまったから確認するのは難しいが、そろそろすべてが凍りついた頃合かと、五分ちかく経ってから、ようやく耀司は手を離した。
「……お見事です」
「いやなに。これで涼しくなるでしょう」
「この時期には、有り難い力をお持ちですね」
 レイの一言に、耀司は、ああそうだったと手を打った。
 氷の力を、いらだつ夏をしのぐために使おうと思ったことが、なぜか今まで一度もなかったからだ。まるで未知に触れたかのようだった――自分にも、まだまだ新たな発見がありそうだ。
「とりあえず――各機関に報告しますので」
「早めに手を打たれたほうがいいと思いますよ。この暑さでは、すぐに溶けてしまいますから。あれが凍ったくらいで死ぬかどうかはわかりません」
 そう耀司が笑って言っている端から、ぽたぽたと――
 化物の舌からは、雫が垂れ始めていた。
 今日は熱帯夜になると、気象予報士が口を揃えている。




〈了〉
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東京怪談
2006年08月01日

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