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『リアルお化けの疑いにつき 』
藤井・蘭2163)&水鏡・雪彼(6151)&(登場しない)



「うー、あついなの。これぞなつのふーぶつし、なの」
 人の姿に化けたオリヅルランが、へたへたと炎天下を歩いている。藤井蘭だ。いつも元気な男の子――の、姿をとれるオリヅルランだ。
 長い梅雨が明けて、東京は連日最高気温30℃越えを果たしている。都心部の体感温度は軽く35℃を越えているだろう。これをひーとあいらんどげんしょうというなの。
 光合成には日光が欠かせないので、蘭は明るい夏の到来が嬉しかったが、暑ければ暑いほどいいというわけでもない。お気に入りのクマのリュックの中には、今日もミネラルウォーターが入っているが、すっかりぬるくなっていた。
「……う?」
 不意に、口をつけたその水が、ひんやりと冷気を帯びた気がした。蘭は思わず足を止める。彼のすぐ横には、家一軒分の更地があった。
 散歩コースの途中にある見慣れた更地で、春になればタンポポの黄色い絨毯が敷き詰められるところだ。今はタンポポも綿毛を飛ばしてから久しく、名も知られていない雑草がぼうぼうと生い茂っているだけ――の、はずだった。
「き……きのうはなかったはずなの!」
 更地には、一軒のおどろおどろしい建物があった。その外見がかもし出す恐怖は、いっそわざとらしいと思えるほどだ。建物は木造で、古びていた。古めかしい出入り口の上に、看板が掲げられている。『お化け屋敷』。
 出入り口の横に、立て札がある。『入場料100円』。
「……」
 蘭が息を殺して様子をうかがっていると、突然出入り口の引き戸ががらりと開き、中の暗闇からおなじみの音が漏れてきた。ひゅううううう、どろどろどろどろ……なーむーあーみーだーぶーぅぅぅううううううるるるるどろどろどろ。漏れてきたのはすっかり伸びきった古いテープのBGM、だけではない。白いワンピースを着た、やけに髪の長い女も出てきた。
「……ぃらっしゃあああぃ……」
「……きゃーーーーーーーー!!」
 蘭は走った。いつの間にかクマガマグチから100円玉を取り出していたが、彼は走った。女の黒い髪が風にあおられた。
「……ぁぁ……待ってぇぇ行かないでぇぇお客さぁぁぁんんん……」
 恨めしげな声が聞こえた気がしたが、蘭は走りつづけた。そして転んだ。


「……あついなぁ。アイスなんかかってもとけちゃうなぁ。こうゆうの、あさはかだった、ってゆうんだよ。雪彼って、なんてあさはかなんだろう……」
 炎天下、親戚からもらった200円を握りしめ、へたへたと可愛らしい少女が歩いていた。水鏡雪彼だ。学校は夏休みに入り、彼女は、親戚の家に遊びに来ていた。
 アイスが食べたくなった彼女は、「じぶんでかいにいく」という条件を出して、まんまと200円をゲットした。自分で買いに行くなら、という条件を大人たちが呑んでくれた理由は、外に出てから1分も経たないうちに理解した。暑すぎる。
 コンビニまでの道のりは、そう遠くない――その道が、今は東京−大阪間ばりの長距離に感じられる。
「みぎゃ!」
「う?」
 とぼとぼとうつむいて歩く雪彼の前で、突然、全速力で走ってきた緑色の少年が転んだ。
「いたーい! ……あーん!」
「蘭ちゃんじゃない!」
 膝をすりむいてべそをかいていた少年は、雪彼を見るなり凍りつき、すぐに泣くのをやめた。藤井蘭だ。間違いない。蘭もまた、きょとんとしている少女が、水鏡雪彼だと気づいた。
「だいじょうぶ? なおしてあげられるよ」
「へ、へーきなの。すぐなおっちゃうなの」
「それなら、いいんだけど……。蘭ちゃん、どうしたの? すごいあわててはしってたね」
「そ、そうなの! ゆ、ゆうれいがでたなの!」
「え、どこに!?」
 怖がるどころか(そして疑うこともなく)、雪彼が顔を輝かせる。蘭は今しがた激走してきた道を指差した。雪彼は好奇心をあらわにして、その通りに緑の目を向けていた。
「雪彼、みてみたいな!」
 雪彼はスキップを始めそうな勢いで、とてとてと通りを歩いていく。呆気に取られて、蘭はしばらくその背中を見送っていたが、ふむう、と荒く鼻息をついた。
「かよわいおんなのこのきけんがあぶないなの。まもらなくちゃおとこじゃないなの!」
 勇気を奮い立たせて、蘭は歩きだす。少し、腰が引けていた。



「なーんだ。おばけやしきじゃない」
 雪彼は拍子抜けしていた。漢字の看板と立て札も、遊園地で見慣れたものだったのでなんとか読めたのだ。
「にうじぉうりょう100えんだって。やすいね!」
「はいるなの?」
「たのしそうだもん! やすいし、はいらないとそんだよ!」
「ようし、いこうなの、せつかちゃん!」
「そうこなくっちゃ!」
 そのとき、まるでふたりの会話を聞いていたかのようなタイミングで、がらりと引き戸が開いた。中から、白いワンピースに長い黒髪の女が出てくる。
「ぃらっしゃいませぇ。どぅぞぅ……」
 蘭と雪彼が100円玉を渡すと、女はにこりともせず、ふたりをお化け屋敷の中に導いた。蘭は内心、ぎくりとしていた。100円玉を置いた女の手が、まるで井戸水のようにひんやりしていたのだ。

 ひぅぅぅう、どろどろどろ。

 お化け屋敷の中も、ひんやりしていた。今日の東京の気温が30℃を越しているのが嘘のようだ。しかし、この冷気はクーラーがもたらすものとは少し違う――まるで、石造りの地下室の中だ。
 明かりらしい明かりはなく、ふたりの子供は目が慣れるまで、しばらく動かなかった。古びたテープのBGMは、一体どこから聞こえているのか見当もつかない。音が割れ、あちこちで飛び跳ねている。
「こうゆうの、こてんてき、ってゆうんだよね」
「ふんいきでてるなの……」
「うふふ。なんだかわくわくしてきちゃった!」
「ええっ!?」
 雪彼は、ぴょんぴょんと跳ねるようにして進み始めた。暗闇に慣れたふたりの目は、本物の竹や笹や雑草で作られたセットをとらえ、ぼんやりと浮かぶ堤燈や、燐の炎をとらえていた。頼りにはできず、ただただ不気味な橙や蒼の光は、音もなく揺らめく。そうだ、風などないはずなのに揺らめいている。
「……ぅぅ……」
 振り返れば、そこは入り口だ。蘭は何度も振り返っていた。心はすでにリタイア寸前だ。
「蘭ちゃーん、はやくぅ!」
 卒塔婆のそばで足を止めた雪彼が叫ぶ。蘭は大きく息を吸い込み、ふむう、と荒い鼻息をついた。
「こ、ここでにげたらみっともないなの。おとこがすたるなの。ぼく、おとこになるなの!」
 彼は若干へっぴり腰だったが、肩をいからせ、大股でずんずんと前に進み始めた。その先にあるのは、真っ暗闇。暗闇の中の白い光は、彼女だけ。
「まって、せつかちゃ――」
 どばしゃあ!
「わっ!?」
「きゃーーー!?」
 雪彼と蘭の間に、藪から飛び出してきたものが割って入る。蘭は腰を抜かしかけた。雪彼は目を輝かせた。
 ぶしるるるる! きっきっきっ! ぼぅふぼぅふ! げげげぃ!
 顔は猿! 足は虎! 尾は蛇、身体は狸! 日本が誇るキマイラ、鵺ではないか。とても着ぐるみや特殊メイクとは思えない完璧な姿だ。蛇の尾はゆらゆらと揺れ、顔は蘭を見つめて愉快そうに笑った。
「ぬえだ! ぬえだよ、すごぉい! かっこいい!」
「……! ……、……!」
 ぎしししぃ!
 言葉を失い、口をぱくぱくさせるのが精一杯の蘭を笑い飛ばし、鵺は跳んだ。かれはそのまま藪の中に沈んで、気配すらも消してしまった。
「すごいね、よくできてたね!」
「ほ、ほんものなのかもなの……」
「いこう! わにゅうどうとかぬっぺっぽうとかもでてくるかも! ボスのぬらりひょんもいるのかなぁ!」
「せ、せつかちゃん、ようかいにくわしいなの……」
 雪彼は蘭の腕を取った。雪彼は軽い足取りで、蘭はこけつまろびつ、暗い竹薮を歩いていく。ふたりは、ここがお化け屋敷の中だということを忘れかけていた。それほど、内部はリアルに作られていたのだ。道にも土が使われていて、ところどころから草が生えている。ふたりは時おり、道を見失った。順路の案内表示もないのだ。
 古びた井戸があらわれ、中から暗いすすり泣きが聞こえてくる。こわごわと井戸の中を覗きこめば、そこにはどこまでも黒い深遠があった。ここはお化け屋敷の中であって、実際に井戸が掘られているはずはないのに、どこまでつづいているとも知れぬ底から、湿って冷えた風が吹いてくる。
 井戸のそばにはさらし台があり、生首が三つほどさらされていた。青褪めた首はどれも目を閉じ、ぶつぶつ文句を言っている。
「家康が憎いなあ」
「おう、恨めしいよなあ」
「末代まで祟りたかったなあ」
 雪彼と蘭が素通りしたところで、生首のひとつがぱちりと目を開けた。
「あ! あ! しまった、客だった!」
「なに、ぬかった! うっかりした!」
「ああ! 待ってくれえ、驚いてくれえ!」
 さらし台の上で生首はぼでぼでと跳ねていたが、その音と叫び声はBGMにかき消され、ふたりの子供は曲がりくねる道をふらふら行ったり来たりしながら進んでいった。
「け、けっこうあるいたなの……」
「そうだね。そろそろでぐちかなあ?」
 どばあ!
「通せんぼだぞ!」
「わ!」
「きゃーーー!」
 道の脇から飛び出してきた大柄な影が、ふたりの行く手に立ち塞がった。浴衣を着た大男だ。肌は赤らんでいて、目はぎらぎらと金色に輝いている。頭には――二本の角! だが雪彼は、彼がスニーカーを履いているのを見逃さなかった。
「ほ、ほんもののおにさんなのー!」
「ちがうよ、くつがスニーカーだもん」
「うお、しまった!」
 雪彼にするどく指摘された男は、慌ててスニーカーを脱ぎ捨てた。
 あらわれた裸足の爪は、鋭く尖っていた。それを見て、雪彼も少しぎょっとした。
「ぉほん。気を取り直して――。美味そうなやつらだ、喰っちまおうか!」
 にいい、と笑った男の大きな口。歯はなかった。そのかわり、牙がびっしり生えていた。
「や、やっぱりほんものなのー!」
「にげよう、蘭ちゃん! もうすぐでぐちよ!」
「う、うん! たけさん、たすけてなの!」
 笑いながら両手を広げる鬼だったが、蘭が叫ぶと、道の脇の竹がしなり、鬼の行く手を阻んだ。
 雪彼は、天井に向かって手を広げた。その手を、どこからともなく現れた金色の鳥が掴む。鷲にも似た鳥は、蘭の襟首をくわえて、ぶわりと飛んだ。ふたりの子供は鬼の頭上を軽々と飛び越え――出口、と書かれた暖簾を、転がるようにしてくぐっていた。



 入口にいた女は、もういない。相変わらずの夏の熱気がふたりを包む。ふたりはしばらくはあはあと息をついていたが、そのうち、声を上げて笑い始めた。
「すごかったね! あぶなかったあ!」
「でられてよかったなの!」
「やあ、楽しんでくれたかい。また来ておくれよ」
 いつの間にか、ふたりの横を男が歩いて通り過ぎていた。ふたりは驚き、男を見上げた。白い、痩せこけた男の顔は、暗い笑みを浮かべている。
 男の気配にはまったく気がつかなかった――それに、強い太陽の日差しがあるのに、男には、影がなかった。ふたりが思わず黙りこむと、男はふつふつと低く笑って、すう、と引き戸も開けずに屋敷の中に入っていった。
「あ、しまった、戸を開けて出入りしないといけないんだった」
「何してるのよ、もう。バレたらどうするの、また引っ越しよ」
 中から、そんな会話が聞こえてくる。
「……ほんもの?」
「……だったのかなあ?」
 ふたりの子供は顔を見合わせ、ちょっと不安になって、それを笑い飛ばした。
 おかげで、夏の暑さを忘れることができた。それは、とても有り難い。




〈了〉
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2006年07月28日

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