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『■わたしの緑■ 』
清芳3010)&馨(3009)&(登場しない)



 帰宅を待っていたような夕立は慌てて洗濯物を取り込んだ清芳をからかうかのように、安堵の息を吐いたところでやんだ。
 天候に文句を言えるはずもないけれど微妙に納得のいかない気持ちで庭先を見る。紫陽花の葉がきらきらと受けたばかりの雨粒に飾られていた。
「…………」
 仕方がない。
 どのみちそろそろ取り込むところだったのだ。
 腕を伸ばして一枚取ると丁寧に畳み傍らに置く。繰り返しながら買ったばかりの品を片付けに向かった相手の部屋へと顔を向けた。無論見えるわけもない。

『ありがとうございます。ああ――良い色ですね』

 それでも嬉しげに眦を緩めて微笑んだ彼の、深みのある声を思い出す。それから普段とは違う、こころもち耳元へ流された髪と糊の利いたシャツの襟と。
「――っ」
 ばふ、とちょうど替えたばかりの敷布を畳んでいたところを勢いよく更に折る。折角綺麗に端を揃えて畳んでいたのが多少ずれてしまった。
 けれどすぐには戻そうとせずに清芳はしばしその姿勢のまま数度呼吸を深く継ぐ。落ち着け、とごく小さな声を洩らした彼女の顔は普段の凛とした様子を薄めている。
 外から鳥の囀りが耳をくすぐって、そこでようやく姿勢を戻し敷布を畳み直す。折角ぴしりと乾いたのにぐしゃぐしゃになってしまうところだった。
「やれやれ」
「なにが『やれやれ』ですか?」
 廊下で様子を窺っていたのではないかと思う程に絶妙の間で声をかけたのは当然ながら馨。
「いや、取り込みは間に合ったが途端にやんだものだから」
 振り返った先で微笑む彼は「そうですね」とごく自然に頷くだけで清芳の手元、また畳み損ねている敷布には気付かない風を見せた。間に清芳もさりげなくまた畳み直す。
「もう片付けたんだな」
「ええ。清芳さんに選んで頂いたものと一緒に」
「……そうか」
 唇の端を僅かに緩めかけて堪え、何気なさを装って相槌を打ち、結局は笑みは隠しきれなかった。
 清芳のその表情に誘われて馨も笑む。
 それから当たり前に馨が清芳の傍に腰を下ろしかけ、大きなものが幾つか残るばかりになっている取り込んだままの洗濯物を見て取ると足音もかすかに台所へと向かった。


 ** *** *


「聞いて欲しいお願いがあるのですが」

 昼食時、そんな馨の言葉に簡単に頷いたのがそもそもの間違いだった。
 態度の良い従業員が適当な距離を置いて立つ店内で清芳はそう思ったものだ。
 だがそもそも先にあった言葉が「清芳さんは私の奥さんですよね?」ときてそれに気恥ずかしさを感じつつも肯定した直後。そこで『お願い』を断るのはまるで「奥さんじゃない」と言っているようではないか。
 そういったわけで現在の清芳はひとり店内で『旦那さま』の『お願い』を聞き届けるべく思案中なのである。
 なにやら厳しい顔で清芳が見るのは――ネクタイ。
 そう、ネクタイ。
 この聖獣界で二人が知った服装、いわゆる洋装の類にはなかなかに必要な場面の多い小物である。それを馨が欲しいと言ったのだ。
 正確には「選んで欲しい」ということだが無論清芳は買って贈ろうと考えている。
(……しかし、難しい)
 馨が何を思って突然言い出したのかは解らないが、いつも清芳を力付けてくれる彼だ。感謝の気持ちとしてもいいだろう。だから問題はとりあえず――
「どうですか?」
 ゆったりと余裕を感じさせる声が存外と近くから届き、清芳はあやうく肩を跳ね上げるところだった。すんでのところで動揺を押し隠して声の主を見る。
 普段とは異なる服装の馨がそこに立って清芳を覗き込んで――スーツ一式を着込むだけでまるで違う空気をまとう様に押し隠したばかりの動揺が顔を出しかけるというものだ。無意識に胸下辺りで手を握り込む。
 頬骨辺りがどうにもむず痒く、いけない落ち着け、と言葉程の明瞭さではなくとも己に胸中で言い聞かせながら清芳はようよう彼にと笑ってみせた。
「いや、もう少し、待って貰えると有り難いな」
「ええ。いくらでも」
 穏やかに深い気配の緑の瞳が笑う。
 頷く彼は普段通りであるだろうに、本当に、とどうしても落ち着かないままの鼓動に清芳は嘆息するばかりだ。
「これはどうかな……」
 笑みを絶やさず清芳が色を見るのに任せる馨の、そのすっきりとした立ち姿を前にしてネクタイを選びつつ、またほろりと息を整えた。

 従業員が離れて、ただし何事か言えばすぐに応じることの出来る距離で二人を見守っている。
 何気なく見回した店内で一人と視線がぶつかって、申し訳ないとばかりに頭を下げる店員に微笑んでから馨は神妙な顔の『奥さん』を見た。
 きりりと厳しさの覗く青の瞳が睫毛の下にある。その縁を辿って目尻を見ればごく僅かに色付いていて、こっそりと唇をまた綻ばせると気配を察したか怪訝そうに清芳が見上げてきた。
「疲れただろうか。そういえば随分と長くかけているような」
「たいして経っていませんし、大丈夫ですよ」
「それはそうなんだが……」
 やはりずっと立ちっ放しで動けないのでは、と申し訳無さそうにした清芳が思案する風に動かしかけた顔を止めた。不思議な真面目さでネクタイの並ぶ一角の、その隅へ視線を飛ばす。
「……これは、どうかな」
 腕が迷い無く伸びて奥から、隠れてでもいたかと思わせるくらいに唐突な色の出現を促した彼女が呟いてまじまじとそのネクタイを見る。一本だけのその色を外の光にも少し晒してみたり。
「うん。いいかもしれない」
 先に手にしていたネクタイと見比べながらそれを馨のスーツに合わせる。うん、とまた頷く表情の満足そうなことに馨も何やら満たされる気分だ。
「これなら、うん、これがよく似合う」
 僅かに首を傾げて微笑みながら言う清芳。
 促されて笑う馨のスーツに添えるようにして彼女が見ていたネクタイはとても、とても深い穏やかで落ち着いた印象の緑だった。
 そのときにはただ『良い色ですね』と喜んで。

 落ち着いた、深い、緑。

 姿見に映る自分の顔の眸の色と重なったのは。


 ** *** *


 洗濯物を片付けるのに合わせて馨が用意してくれた茶菓子に頬を緩めて一息。
 天気がどうの気温がどうの、そろそろ日陰を探して動き回るのではないか、水撒きの時間がもう少し、と話して寛ぐ間に時間は過ぎる。
 馨が突然に『お願い』したことはやはり不思議だったけれど、喜んでくれたようで良かった。そう思いつつ清芳が夕食を終え風呂も終え、縁側で夜風に当たる彼の隣に戻ればごく当たり前に顔を向けて微笑まれる。やはり和装の彼を見慣れている分だけ余裕を持って笑み返す。
「そういえばネクタイですが」
 だから馨が思い出したように昼間のことを話題にしても、その時ほどには慌てることなく(いささかスーツ姿の彼を思い出しもしたが)耳を傾けた。
 にこにこと満足そうな馨に清芳もつられてまた笑顔。
 そのまま並んで腰掛けて見上げると月が真円に満たぬ形で浮かんでいる。
 のんびりと眺め、揃って顔を上げた姿勢で馨が言葉を続けた。
「実は男性のネクタイは自分で選んではいけないらしいんですよ」
 なるほど、と素直に感心する清芳である。
 洋装についてもソーンに来るまで知らなかったものだけれど文化風習の類はまだまだ未知のものが多いらしい。
「ネクタイ選びは女性の仕事で」
 夜の空の下で緑の瞳が濃く揺れて愉しげな馨の顔。
 そして清芳が感心して話を聞けたのもその辺りまでだった。
「選ぶ女性は恋人や妻なんですが――つまり」
「……つまり?」
「ネクタイと男性を重ねて考えて下さい」
「…………つまり?」
 恐る恐る重ねて問う清芳の前で、月から彼女に視線を戻していた馨は――とうの昔に視線を彼に戻していた清芳へと非常に満足そうに、幸福そうに、はっきりいうならば満面の笑みで。
「つまり、男性のネクタイを女性が選ぶのは、相手の男性を『私の良い人』と言外に周囲に告げているらしいんですよ」
「…………な」

 ぱくりと。
 言葉をまともに出す前に唇が勝手に何か話そうとして、当然咽喉は働かなくて失敗した。
 ぱくぱくとどこぞの池で泳ぐ魚よろしく数度口を開閉させて、その間に清芳の顔は素晴らしい血行を披露する羽目になって。

「そ」
 清芳が耳や襟足までも真っ赤に染め上げる間もずっと、馨は満面の笑みで座って挙句「雨の後の月も良いですね」などとのたまっている。
 もう一度ぱくりと唇を動かしてから清芳は声を落とした。そ、で咽喉が緊張していたのか止まり、再度口を開く。
「そう言う事は早く教えろ!」
 一気に感情が昂ぶったのか羞恥が過ぎたのか、言うなり清芳は細い腕に力を込めて『旦那さま』に殴りかかった。
「――ああ、唐突ですね」
 しかし予測済みの馨。
 細腕ながら僧兵として鍛えられた拳を避けてやんわり清芳を絡め取る。刀を取るときとはまるで違う力加減でそのまま彼女の腕を掴み、その両の腕の中に身体ごと抱き込んだ。
「か、馨、さん」
 再び唇が言葉を上手く放てなくなったのか、清芳のぎこちない呼び声に咽喉で軽く笑う。今は顕わな艶のある黒髪に頬を寄せて、更に己にと彼女の身体を招き。
「清芳さん」
 呼ばわると髪が揺れて馨の唇近くを掠めた。
「本当に、嬉しいんですよ」
「……」
 背中に手を当てる。
 動かすつもりはなくただ包むように。
 腕の中で清芳は落ち着かなげに身動ぎし、ややあってそれも止めた。髪から覗く耳が薄紅い。
「それなら、よかった」
 小さなその返答。
 ええ、と目を細めてじきに伏せる。

「懸命に選んで下さって有り難うございます」

 言って少しだけ抱く腕に力を入れれば、細い腕がそろそろと馨の肩に触れた。そうか、とまた小さな声。囁くような音でまた、ええ、と答えた。
 さわと夕立に濡れて水気を増した樹が葉を夜風に鳴らす。
 縁側で二人、いっときの静けさの中。



「それで緑を選んで下さったのは、スーツに合わせたからだけですか?」
「どういう意味だ?」

 いささか名残惜しく、それでも身体を離してまた月を見る。
 思い出したように馨がまた話を振るのに清芳は怪訝に、かつ多少の警戒を滲ませながら問い返したのだけれど。

 ――さて訊ねてみるのはいつにすべきか。

 ネクタイが、瞳と重なる色だとは素晴らしい牽制だと。
 清芳が意識していたかはともかく嬉しい選択でもあるものだ。
 にっこりと再度の満面の笑みを浮かべる馨に清芳がさり気なく瞳に力を入れる。身構えていると明らかな彼女の鮮やかな青の眸も今は昼間より深い。
 清冽な色だとまじと見た。

 馨のその笑みの中にある真摯な感情を聡く拾い上げ、清芳はそれを見詰めながら考える。
 ネクタイの色について。
 あのしっとりと深い森ににた落ち着いた緑、スーツと合わせたときの絶妙なバランスは余程のシャツを選ばない限りは失敗しないだろうし、そう、なによりも瞳と似た色、で――瞳と似た色。
 はたと思い至って清芳はまた顔に血が昇るのを理解していた。
 それから正面の馨が三度満面の笑みを浮かべるのも。


 無言で見詰め合う二人の間を夜風がふいと通り過ぎていった。





end.
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聖獣界ソーン
2006年07月25日

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