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『花群星 』
清芳3010)&馨(3009)&(登場しない)



 七夕の夜祭りに行きませんか? と、最初に誘ったのは馨の方だった。
 自宅からさほど遠くない場所で夜祭りが開かれると知れば、馨が清芳を連れて祭りに赴いてみたいと思うのは当然の事。
「屋台も出ますから、甘いものが沢山売られていると思いますよ」
 清芳が甘味を好きと知っていて、わざと計画的に告げた馨の一言は、浴衣を着ることに微かな抵抗を見せた清芳をいとも容易く頷かせた。


 穏やかだが、こそばゆい沈黙が流れていた。
 衣擦れの音が静かな部屋の中に響いて、清芳はゆっくりと視線を落とす。
 足元には綺麗な色の畳紙が置かれており、さらにその後ろでは馨が清芳の浴衣に合う帯を選んでいた。
 浴衣を着付けて貰っている間、清芳は何をするでも無く部屋の中央で立ち尽くしていれば良いだけなのだが、「馨に着付けをしてもらう」という事自体に緊張してしまい、先程からどうにも落ち着きがない。

――後ろに馨さんが居て、浴衣を着付けて、帯を結ってくれている。

 そんな普段とは違う艶やかな雰囲気に、清芳はますます緊張した。
 馨が帯を結ぼうと何気なく清芳の腰へ手を当てただけで、思わず馨の手を避けてしまう程である。

 馨はといえば、清芳の行動に何事かと思わず顔を上げると、緊張して硬くなった清芳の細い背中と、ほんのり赤く染まった頬とが視界に入って、思わず苦笑と共に抱き寄せてしまいたい衝動に駆られていた。
 もう少しだけこの優しい時間が続けば良いと思う。それが自然と、浴衣を着付ける馨の手を遅くさせる。
 半幅帯をするすると結んでは解き、結んでは解きを繰り返す事、数回。
「……ま、まだか?」
 不意に、清芳の困惑にも似た声が耳に届いた。
 馨は自分の心内を清芳に知られたような気がして思わず手を休めると、青碧がかった黒い瞳に穏やかな優しさを湛えて清芳を見つめる。
「もう少しですから、動かないでくださいね清芳さん」
「…………」
「清芳さんには、やはり太鼓よりも文庫の方が似合いますね」
「……そう、なのか?」
「ええ。割り角も捨て難いですが、この浴衣には少々不釣合いです。いっそ兵児帯で蝶結びやリボン重ねというのも……」
 藍と縹のぼかし地の中で、金魚が涼しげに泳いでいる柄の浴衣。そこに臙脂の半幅やシンプルな兵児帯を合わせて、あれやこれやと至極楽しそうに呟いている馨に、清芳は少々拗ねた口調で、今しがた脳裏を過ぎて行った疑問を投げかけた。
「馨さん……もしかして私で遊んでいないか?」
「いいえ。単に嬉しいだけですよ」
「何が?」
「清芳さんの可愛らしい浴衣姿を見ることが出来て」
「!!」
 にこにこと満面の笑みを浮かべる馨に対し、清芳はさらりと言われた台詞に返す言葉さえ失って、顔を赤らめる。
 軒下に吊るされた風鈴が、二人のやり取りを見て楽しんでいるかのように、リンと涼しげな音を立てて揺れていた。


*


 穏やかな地上の闇を、空に浮かぶ満天の星が照らしている。
 七夕の夜祭りが行なわれている場所へ向かうまでの間、清芳の履いている赤い下駄が小気味の良い音を立てて夜道に響いていた。
 下駄に慣れていない所為かどうにも上手く歩く事が出来ず、清芳はつい自分の足元を気にしてしまう。
 転ばないように、転ばないように。細心の注意を払って歩いていると、ふと、清芳と会話をしながら隣を歩いている馨も、いつもより歩調が遅い事に気がづいた。恐らくは下駄で歩きなれていない清芳に歩調をあわせてくれているのだろう。
 何も言わないけれど馨の優しさが伝わってきて、清芳にはそれが嬉しかった。
「どうかしましたか?」
 馨を見つめていた清芳の視線に気づいたのか。不意に馨に問われて、清芳はとっさに視線をそらす。
「なっ、なんでもないっ」
「……今日は随分と緊張していませんか? 清芳さん」
「浴衣なんて慣れないものを着ているからだ」
「私としては、これからも時々着て欲しいですね。照れて赤くなった清芳さんの顔がまた見たいですから」
「……知るかっ!!」
 指摘されるとさらに顔が火照ってくる。清芳はそれを見られたくなくて、思わずぷいっとそっぽを向くと、馨の先を歩き出して夜祭りの広場へと向かった。


「ほらほら、そんなに拗ねないで下さい」
「拗ねてない!」
「じゃ、私の顔をちゃんと見てください」
「…………」
 七夕の夜祭りが行なわれている広場は、既に多くの人で賑わいでいた。
 屋台の立ち並ぶ沿道。浴衣を着て笑いあっている人々の中で、馨は先ほどから拗ねたままでいる清芳の機嫌を、どう取り戻そうかと思考を巡らしていた。
 恐らく甘いものを買えばすぐにでも機嫌を直してくれるだろう。自分に対して拗ねた表情を見せる清芳をもう少し見ていたいような、微かな悪戯心があったりもするのだが、今はなにより清芳の笑顔が見たかった。
「顔を見てください」と言われて、ふと立ち止まりゆっくりと見上げてくる清芳に、馨はとても優しい表情を向けた。
 先ほど結い上げた清芳の長い黒髪にふれれば、艶やかな感触が馨の手の内に残る。清芳の髪に触れたまま「何か甘いものでも買いましょうか?」と告げれば、清芳は微かに目を輝かせ、小さい声で「綿菓子と水あめ」と返してきて、馨は頷きながら微笑んだ。


「晴れて良かったですね。星が綺麗です」
 馨の言葉に、先ほど買ってもらった綿菓子と水あめを手にしたまま、清芳は空を見上げた。
 頭上に広がる天の川が宝石箱を零したように瞬いていて、その美しさに吸い込まれてしまいそうになる。
「織姫と彦星は天の上で会えたんだろうか」
「天の川があれだけ克明に見えるんですから、きっと会えていますよ」
「……愛する者に、年に一度しか会えないというのも辛いだろうな」
 互いを愛して、愛しすぎたが故に引き裂かれた二人が零した涙はどれほどのものだろう。そんなことを思いながら、清芳は自分の隣に居る馨を見つめた。
 馨は落ち着いた縹色の浴衣を着て、静かに空を見上げている。

――馨さんと、年に一度しか会えなかったら、私はどうなるだろうか……

 そんな疑問が過ぎて行く。
 見慣れているはずなのに。いつも添い寝をして知っているはずなのに。その広い背に、大きな手に、ずっと触れていたいと思う。
 ただ傍にいるだけで幸せで、今年も一緒に居られる事がこんなに嬉しいのにと思うと、清芳は無意識の内に馨の浴衣の袖を掴んでいた。
 と、不意に視界が妨げられた。
 トンと、柔らかな感触と共に暖かい体温が伝わってきて、清芳は一瞬何が起こったのかわからなかった。馨の袖を掴んでいた清芳の手は、いつの間にか馨の手の中にあって優しく絡めとられる。
 気づけば馨に引き寄せられ、清芳は抱きしめられていた。
「大丈夫ですよ。私が彦星だったら、何をしてでも毎日清芳さんに会いに行きます。必ず」
 清芳の不安を察したのか、変わらず穏やかな声で馨が囁く。
 抱きしめる力は声に反して力強く、それでも清芳が苦しくないように気を使っているのがわかって、嬉しさを隠すように、清芳はコクンと頷きながら馨の胸に頭をうずめた。


*


「あ」
 帰りがけ、広場の中央を通り過ぎようとした時。ふと清芳は空を見上ると、小さく声を上げた。
 どうしたのかと馨が清芳と同じ方を見遣ると、そこには大きな笹が幾重にも立て掛けられており、その下では夜祭りに来た人々が思い思いに願いを込めて書いた短冊を吊るしている。
「短冊が風に揺られて、綺麗ですね」
「ああ、そうだな」
「私達も短冊を書いていきましょうか」
 にこりと微笑んで告げる馨に清芳は頷いて、傍に置かれていた短冊を手に取ると、自分の願い事を書こうと筆を持つのだが。ふと隣に佇む馨が気になって、
「馨さんは何をお願いするんだ?」
 首を傾げながら聞いてみる。けれどそんな清芳に、馨は笑顔で自分の唇に人差し指を押し当てると、
「言ってしまうと叶いませんよ?」
 と、答える事をしない。教えてくれても良いのにと微かに思いはするけれど、叶わないと聞けばそれもそうだなと頷いて、再び清芳は自分の手の中にある短冊へ視線を落とした。
 願い。自分が今一番願ってやまない事。

――来年も二人で此処に来れますように。

 恐らくこんな願いは、馨に言えばすぐにでも叶ってしまうだろうけれど。自分自身への思いも込めて、清芳は短冊に文字を綴る。
 短冊を笹に結び終われば、後ろにいた馨から「清芳さん」と声をかけられて。
 結い上げた長い黒髪をさらりと揺らしながら後ろを振り返れば、穏やかな笑顔で馨が清芳に手を差し伸べていた。
 清芳は気恥ずかしさから暫し躊躇い、やがて微かに頬を赤らめながらも、馨の手の平に自分の手をそっと乗せた。
 繋いだ手のぬくもりが愛しくて、清芳が少しだけ握る手に力を込めると、馨はそれに答えて指を絡める。
「清芳さんの願い事、叶うと良いですね」
「馨さんの願い事も、叶うと良いな」
 互いに互いを思いやり、笑いあって。やがてゆっくりと空を見上げると、清芳は再び満天の星に祈りを込める。

 貴方と一緒にいられる、その時が何より嬉しい。
 だからどうか、二人で共に居られる、その幸せをいつまでも――。



<了>

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2006年07月24日

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