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『『夏の夜に想い深まって、距離縮まって、描くもの』 』
高柳・月子3822)&城ヶ崎・由代(2839)&(登場しない)


 浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど ありまてなどか人の恋しき


 出逢いはオルゴールが切欠。
 そしてそれで袖を触れ合わせたあたしたちは、
 その縁の糸で、互いの小指を結わった。
 桜の樹の下、
 咲き誇る淡い薄紅の花が惜しげも無く花びらを宙に舞わすその中で、
 あたしたちは結ばれた。
 想いを告げて、
 受け入れて。
 交わした約束。
 言の葉のおまじない。
 それを口にする事で、
 それが叶う事を願い、
 願掛けとして、
 そうして二人でそれを実現していく。
 来年も、再来年も、そのまた次の年も、あたしはあなたと淡い薄紅の花を数えていく。
 そうして歳を取って、二人でおじいちゃんとおばあちゃんになっても、
 仲良く、手を繋いで、そうやって生きていきたいと、あたしは望むから。



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 季節を読み解くものは意外と多くある。
 たとえばカレンダー。一目瞭然。
 たとえば人が着ている服。
 たとえばあたしが働いているお店の和菓子。
 たとえばイベント。
「花火大会か」
 朝、出勤すると、お店のガラス戸に張られていたポスターはあたしの働く店も加入している商店組合が主催する花火大会のポスターだった。
 小学生が描いたとおぼしきイラストの下にあたしは見慣れた店の名前を見る。
「あらー、もう、そんな時期なのねー。そりゃあ、蝉も鳴いて、小学生も朝から走り回っているわよね」隣で同僚のおばさんがどこか感慨深げにそう言う。
 ラジオ体操からそのまま遊びに出かけたのか、首にカードを付けた紐をぶら下げている小学生の一団が走り抜けていく。
 早朝から遠慮する事無く鳴いていた蝉はいよいよその鳴き声を本格化させてきた。
 いったいこの緑の少ない街のどこにこれほどの音量を発するだけの蝉が居るのだろうかと考え、
 そしてそれからあたしがくすり、と笑ってしまったのは、もしもこれが由代さんだったら何を話しかけてももうその思考に集中して、生返事になって、下手をしたら鳴き声から蝉の数を数えたり、鳴き声から割り出した方角へと足を向け、いちいち蝉を発見しては数えてまわるのだろうな、とかと想ってしまったから。
 いいえ、あたしは彼のそういう所は嫌いじゃないわ。
 寧ろかわいい、と想ってしまう。あの人のそういう所は。本当に子どものまま大人になったような、そんな好奇心の溢れる彼は、見ていて清々しいもの。
 でも…………
 あたしは夏の風に吹かれた髪を手で押さえながら、蒼い空に浮かぶ真っ白な、海の波間に漂う海月のような月を見つめる。
 ――――時折、不安にはなってしまう。
 思案する彼の意識には、その時ばかりはあたしは居ないから。
 だから置いていかれるような気がして、
 彼がどこかへ行ってしまうような気がして、
 遠く、遠く、遠く、すぐ隣に居ても、心はどこか遠くへ行ってしまっている事を心は敏感に感じ取って、
 あたしのこの胸は、それに張り裂けそうになるぐらいに痛む。
 きゅっ、と痛むのだ、胸が。
 かすかな眩暈と共に。
 まるで夏の草原、真っ白なワンピースを着て、麦藁帽子をかぶって、だけどその麦藁帽子を乱暴な夏の風に飛ばされてしまったように、それを見つめるしか出来ないような、そんな眩暈を伴うきゅっと痛む胸の痛み。
 ――――本当の初恋を知った思春期の少女のように…………………
 あたしは左胸を指で触った。
 あれほどに由代さんに想われて、
 幸せで嬉しい事に由代さんから告白してもらえて、
 それでもまだ、心が不安なのは、あたしのこの心が、それで満足しきれずに、足る事を知らずに、覚えずに、あの人からとても嬉しくって幸せな感情を、想いを、言葉を、温もりを貰うたびに、もっと、とその心を望んでしまうから、だろうか?
 それはなんと浅ましい…………
 だけどそう想う傍ら、あたしの中の女は、あの人を求めて止まない。
 それはまるで百人一首で詠われる恋心のようにあつく、あつく、あつく、そして切なく………
 あたしのこの心は想うのだ。
 もっと、
 もっと、
 もっと、
 あたしを愛して欲しい、
 あなたの感情が、欲しい、と。
 求めて止まないのは、あなただけだから。
 だから、その心をもっと与えて欲しい、と。
 でもそれは、あたしの女は、砂漠に水をかけるように、それに潤う事など無いかのように想えて………。
 それはどうしようもなくあたしが女で、
 そしてあたしが、あたしも由代さんを好きだからこそ。
 どうしようもなく―――――



  浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど ありまてなどか人の恋しき



 あたしが求めて止まないのは、あなただけです、由代さん。
 だから、名前を呼び捨てで呼んでもらいたい、そう想うのは、どうしようもない事だった。



 +++


 4月、淡い薄紅の花が咲き誇っていた桜の樹は、今はその花を咲かせてはいなかった。
 それが何気なく拾って、ポケットに入れたはいいけど、だけど別に使い道は無くって、それでも捨てるには忍びないボタンをどうしようもできないように、
 この胸にあるやり場の無い想いも、僕に自由に処理させてはくれなかった。
 恋する事に慣れる事は無い。
 どれだけ恋をしようが、その恋はいつも初めての恋のように、僕を戸惑わせ、どうすればいいのか、わからなくさせる。
 キミはきっと知らない。
 僕がどれだけキミを想っているのかを。
 キミを欲しいと想っているのかを。
 キミを僕だけの人にしたいと想っているのかを。
 この、醜さすらも感じさせるほどにキミに抱く、僕の子どものような独占欲も。
 恋は、だから苦手なのかもしれない。
 僕は理性的であろうとする。
 だけど恋はそれとは正反対だ。
 キミの笑顔に、
 僕は安らぎを覚え、
 キミの笑顔と言葉を夜、まどろみの海に沈んでいく最中に何度も思い浮かべ、
 胸を熱くする。
 キミを想う僕は、普段の僕とは違う。
 普段の僕は理性的であろうとする。
 だけどキミと一緒に居る時の僕は、ただただキミの表情や仕草、言葉、香り、そういうモノに心奪われて、どうしても感情で、動いてしまう。
 感情で、キミを見てしまう。
 だから、僕は僕の感情の海に、キミを、沈めたいと想う。
 ――――それは僕が尊ぶ理性とかけ離れた感情………独占欲の極み。
 だけどそれが恋なのだと、僕は、知っている。
 そしてそれが嫌なのか、と訊かれれば、
 実は決してそんな事は無く、
 理性を尊ぶはずのこの僕が、
 僕を乱すその感情を心地良く想っている事を素直に認められる。
 僕は確かに月子さんが好きだから。
 だから、彼女を想うこの自分の心は、心地良い。
 そんな自分は悪くは無いと想えた。
 ただ、独占欲で彼女を抱え込み、抱きしめて、どこにも飛んで行ってはしまわないようにしたいけど、しないのは、そうする事で、彼女が僕を嫌いになってしまうのが、怖いから。
 ああ、だから僕はそれを考える度に実感する。
 心の奥底から僕は月子さんが好きなのだ、と。
 だから名前を呼び捨てで呼びたいと想うし、
 だからそれができないでいる。失うのを怖れて。
 夏の木漏れ日の下で僕は、薄紅の下で月子さんにこの恋心を告白した時以上に彼女が好きになっている事をあらためて再認識し、
 それを幸せに想った。



 +++


 夏の夜の夢があった。
 それはいつか誰か素敵で大切な人が出来たら、その人と一緒に、花火を見に行きたいと想っていた事。
 浴衣の着付けはできた。
 着物同様にひとりで着る事が出来る。
 それでも今回、お店の女将さんに浴衣の着付けをしてもらったのは、それがひとえに女心だから。
 自分で着付けるよりも、誰かにしてもらった方が、綺麗に浴衣を着付ける事が出来るように思えて。
 髪の毛は女将さんのお孫さんが結ってくれた。
 自分で用意してきた和服用の下着を身につけ、それからかわいらしいキャミソールを着る。
 着付け。
 なんだか自分が着せ替え人形になったようなそんな気分を覚えながらあたしは女将さんの手によって浴衣を着せられていく。
 鏡に写る浴衣の帯の結びはかわいらしい蝶々結びだった。
「女将さん、これ」
 あたしが顔を赤らめながら言うと、女将さんはほやりと笑った。
「だって月子ちゃん、今夜はお店によく来るあの人とデートなんでしょう? だったらかわいらしく浴衣を着こさなくっちゃ。月子ちゃんのためにも、あの人のためにも。ね」
「え、でも…」耳まで赤いのはわかっている。あたしに似合うのだろうか、蝶々結び………。
 それから女将さんはあたしに耳打ち。「浴衣の下だって、せっかくかわいいキャミソール着てるんだから」
 ………。
 べ、べべべべべべべ別にそんな意味を込めてなんかじゃなくって――――――。
「…………」
 あたしは恥ずかしくって俯いてしまう。
「うん、月子さん、すごい綺麗よ」
 お孫さんもにこりと笑って、
 それから、
「ごめんね、月子さん。浴衣を着る前にしてあげな、って感じなんだけど、急にひらめいちゃって。ちょっと、いいかなー」
 お孫さんの言葉にあたしは三面鏡の前に座らされ、
 そして結い上げられていた髪は解かれ、
 今度はウェーブのかかったエクステが取り付けられて、
「うん、似合う。だけどもうちょい、仕込があるんだなー、これが」
 さらにエクステをつけたあたしの髪はまた後ろで結い上げられて、エクステごとネットを被せられる。
 手鏡による合わせ鏡で見せられたあたしの後ろ髪はとても綺麗だった。
「ね、いつもとは違った印象で、かわいらしさの中にも月子さんらしい清楚な感じがしていいでしょ?」
 仔犬がワルツを踊っているような嬉しそうなお孫さんにあたしも顔を赤くしながら頷いた。
 そしてお孫さんは、
「そんなかわいらしい恋する月子さんをさらに素敵にするアイテムがこれにござい」
 と、最後にあたしの結い上げた髪を淡い薄紅のコサージュが飾る。
 あたしの髪に、あの一番の幸せを感じた時に見た、ずっとこれからも毎年春に二人で数えて行こうと誓い合った、桜の花が咲く。
「これ…」
「月子さんと彼氏さんの思い出の花、なんでしょう?」
 ウインクしたお孫さんにあたしはまるで少女のようにこくこくと頷いて、そして嬉しくって幸せで、泣いてしまいそうだった。
 この綺麗に着飾った浴衣姿のあたしを見て、由代さんは喜んでくれるだろうか?



 +++


 一瞬、あの春に時が戻ったのかと想った。
 浴衣姿の彼女の髪に咲く桜のコサージュを見て。
「綺麗ですよ、月子さん。よく似合っている」
 月子さんの浴衣は濃紺地に白と青とで花柄が施されているものだった。
 それが本当に月子さんの上品で清楚な顔に似合っていて、華やかで艶やかな印象を与えている。
 ちなみに僕は藍染ものの浴衣を。
 夕暮れ時、空は橙色と菫色とがコントラストとグラデーションを成して、星がちらほらと輝き出して、明度を低くしていく。
 直に空は深海の色に染まり、さながらマリンスノーのような星空がそこに現れるのだろう。
 今宵はそこに大輪の火の花が咲く。
 だけどそれにはまだ少し早かった。
 だから僕らは夜店を回る事にする。
 黄昏時。
 誰ぞ、彼? 
 目の前に居る人物すらわからぬほどに視界の悪くなる時刻、
 だけどそこに人が大勢居て、
 人の海があった。
「行きましょうか、月子さん?」
「はい、由代さん」
 歩き始める僕。
 後ろを付いてくる月子さん。
 少しでも気を抜けば、すぐ後ろに居る月子さんは人の海に飲まれ、消えてしまうように思えた。
 僕は想いだす。
 春の満開に淡い薄紅の花が咲き誇る桜の樹の下に居た時の事を。
 桜の樹は満開に咲き誇る花を惜しむ事無く舞わせ、
 虚空は淡い薄紅に染め抜かれ、
 僕はその花びら、ひとひらに指先を伸ばす。
 だけど風に踊るそれは僕を嘲うかのように僕の指先で方向転換。
 指の先に触れる事も無く、僕の横を通り過ぎてしまう。
 僕はそれが悲しくって、寂しくって、
 だからまた、桜の花びら、ひとひら、それを捕まえようとして、手を伸ばすんだけど、指先はそれに触れられないで、
 桜の花びらたちは僕を通りすごしていくんだ。
 それで僕は、指先ではなく、手で、手を桜の花びらに伸ばしたんだ。
 そしたらそれは、つかまえられた。
 そう。欲しい物はちゃんと、手を伸ばさないと、その手で掴んでおかないと、どこかへ飛んで行ってしまう。
 ―――サラサラのアッシュブロンドが思い浮かぶ。
 助けて、由代――――、
 そう言ったあの、彼女…………
 彼女の手もまた、僕は、その手でちゃんと掴んではいなかった。
 だから、もう、同じ失敗は、二度としないように、
 したくは無いから、
 だから、
 それで、
 僕は月子さんの手を――――――




 月子さんの手を掴もうとして、
 だけど次の瞬間、僕と月子さんの間を人が通って行って、
 そしてその次の瞬間には、月子さんの姿が見えなくなっていて、
 それで僕は、
 恐怖にも似た焦りを覚える。




「大丈夫ですよ。迷子にならないようにちゃんと、握っていますから」
 だけどその控えめで遠慮がちな、それでも温もりに満ちた声が、僕の耳に届くのと一緒に、その声に込められている温もりと同じ温度のぬくもりが、僕の手を包んだんだ。
「月子さん」
 彼女は微笑んだ。
 まるで夕暮れ時の街、人ごみの中で迷子になるのが怖くって、それで手を繋いできた子どもに優しく母親が微笑を浮かべるように――――
 ああ、僕はやっぱりこの人が好きなんだ、
 そう確信した。
 なぜなら手を包む温もりに、僕は僕の凍り付いていたものが溶けていくのを敏感に感じ取っていたから。



 +++


 …………本当は、半分以上は自分に言った言葉。
 ――――――大丈夫ですよ。迷子にならないようにちゃんと、握っていますから。
 置いていかれないように、
 はぐれないように。
 だからもしも、その後に由代さんがあたしの手を握り返してくれていなかったら、あたしはその手を離していたかもしれない。恥ずかしくって。
 だけど由代さんの手はあたしの手をしっかりと掴んでくれた。
 それが嬉しくって、
 そして移りあう温度(ぬくもり)に、ほっと安堵した。
 再認識する。
 あたしがどれだけこの人が、好きなのかを。
「行きましょう、由代さん」
「はい、月子さん」
 だから今度はあたしが前を行く。
 まるで幼い子が動物園や水族館、遊園地で父親の手を引いて歩いていくように。
 嬉しくって、幸せで、そしてちょっぴりと恥ずかしくって、だから照れ隠しで。
 大好きです。
 大好きです。
 大好きです。
 大好きですよ、由代さん。
「あ、焼きそば。やっぱりお祭りや花火大会はこれを食べないと、始まりませんよね」
 あたしは無邪気にそう言い、
 由代さんは優しく微笑んだ。



 +++


 花火大会の場所となっている河川敷。
 対岸の方では、花火大会の実行委員や花火師たちが最終チェックなどをしている気配が感じられる。
 だけど川を挟んでこちら側は皆が、そんな緊張感とは無縁で、華やいで、そわそわと落ち着かない祭りの空気を楽しんでいた。
 二人で一緒に屋台のひやかし。
 月子さんは楽しんでいた。
 まずは焼きそば。
 野菜大目で、肉は一皿に一枚。大きな肉が入っていればラッキー。たとえ小さな肉でも入っているだけマシ、というのがお題目のこの焼きそばを堪能した後は、
「あ、お面ですよ、由代さん」
 お面屋には今の流行のアニメやら特撮の主役の顔が立ち並ぶ。
 嬉しかったのは僕が子ども時代の番組のお面もあって、
「由代さんは何か知っているお面はあります?」
「ええ。この、変てこないかにもアニメ絵のロボットの顔、これは忘れませんよ」
 などと懐かしい子ども時代の昔話をして、
 それから、
「あ、由代さん、これ、見てください。蛍光の腕輪。子どもの頃、こういうの、絶対に買ってましたあたし。次の日には光らなくなっちゃうんですけど、でもやっぱり」
 にこりと笑う彼女が取ろうとしていた腕輪を僕は手に取り、それを店屋の親父に見せて、300円を払う。
「由代さん」
 僕は彼女の手を取り、そっと彼女の折れそうなぐらいに細い手首にその腕輪をはめた。
「ありがとうございます。この腕輪」
「ん?」
「きっと、はじめて、この夜を越えて、光らなくなったのに、なのに大事にする腕輪になります」
 子どものように喜ぶ彼女に僕も微笑んだ。
 すると、子どもの泣き声。
 僕と月子さんは顔を見合わせあい、
 そして子どもの泣き声がする方へと顔を向ける。
 そこには割れた水風船を手に持つ女の子が独り、居て、
「かわいそうに、迷子なんだわ」
「うん。それに水風船も割れてしまっているね」
 月子さんが優しく微笑みながらその子の目の前で丁寧に浴衣の裾を押さえながらしゃがみこんで、
「こんばんは。迷子なの? お姉さんがお母さんとお父さんを一緒に探してあげようか?」
 そう優しい声で彼女が言うと、女の子は安心したせいで、余計に大きな声で泣いてしまう。
 僕はというと、少しその月子さんに抱きしめられながら泣く女の子を羨ましく想ってしまった。
 だからそのお詫びという訳では無いけど、割れてしまった水風船と同じ柄の水風船と、もうひとつ、金魚柄のピンクの可愛らしい水風船を釣って(二個目でこよりが切れてしまった。)、それを彼女に渡した。
 泣いた顔には花が咲いたような顔。
 それから僕がその女の子を肩車して、大声で月子さんと一緒にその子の名前を口にして、ご両親を呼ぶ。
 どうやらシジルを描いて、何かを召還せずとも、無事に彼女の両親を見つける事に成功したらしい。
 おむろに女の子の身体が前のめりに動いたかと思えば、その子のご両親がやって来て、そして僕と月子さんは二人で並んでその子を見送って、
 見送った後にどちらからとでもなく、顔を見合って笑う。
「良かったですね」
「はい。でも」
「ん?」
「少し寂しい気が」
 そう笑う月子さんを僕は思わず抱きしめたくなった。
 そしてそうしようと想った。
 だけど月子さんは子どものように微笑んで、彼女を抱きしめるために上げようとしていた僕の右手を握って、引っ張った。
「金魚すくい、やりませんか?」
 僕は少し驚き、
 そしてその後に笑いながら頷く。
「はい」
 二人で金魚すくいの前に行って、
 それから僕は親父に600円を渡す。
 親父は欠けた前歯を見せて、笑い、ポイを僕と月子さんにくれる。
 それから月子さんは悪戯っぽく僕に囁いた。「見えます、由代さん、ポイの入っていたダンボールに5号って書かれているの? 5号は、紙が厚いんですよ」
 月子さんはしゃがみこんで、ポイを持つ方の腕の袖をもう片方の手で押さえて、そして月子さんはポイを水に入れて(入れる前に月子さんはもう一つ、教えてくれた。「ポイにも裏表があって、水に入れて、金魚をすくう時は必ず表でやるんです」、と)、
 それからなるほど月子さんは随分な金魚すくいのプロのようで、ポイはそっと、でありながらいっきに前面に水に漬けて、狙うは壁際に居る金魚。
 決して金魚を追わずに、彼女はポイの上を通過する金魚をゆっくりとポイですくい上げて、
 上げつつポイの水をきり、金魚をポイの縁に移動させようと、
「あっ」
「残念でしたね、月子さん」
「はい」
 金魚はポイの上で跳ねて、落ちてしまった。
 破れてしまったポイを細めた目で見据えて、
 それから彼女は僕を見て、おどけるように肩を竦めた。
「残念。由代さんに良い所を見せようと想ったのに」
「しょうがありませんよ。こういうのは運ですから」
 僕は自分のポイを彼女に渡す。にこりと微笑んで。
「そうですね。じゃあ、リベンジです」
「ええ」
 大丈夫。今度はちゃんとすくえるはずですよ。
 僕は彼女に微笑む。
 そう。あのポイには魔術がかけてある。
 決して破れないように。
 手品で言うなら、たとえば防水スプレーがポイに吹きかけてあるように。
 月子さんは先ほどのテクニックを忠実に再現しながら金魚をすくい取る。黒の可愛らしい出目金。
 月子さんは僕を見て、ふふん、と子どものような得意面々の笑みを浮かべた。
 そして僕は親父を見て微笑む。
 親父は月子さんを見て、驚いていた。
 そう。良心的な金魚すくいの屋台は5号と7号のポイを使い分けている。5号は女性と子ども用。7号は男性用。
 ここの親父は女性にも7号を手渡していたのだ。
 月子さんは5号だと想いこみ、5号のやり方で、親父を信用して、そうしていたから、だから失敗した。
 だから僕は、ポイに魔法をかけたのだ。紙が水に漬いても大丈夫なように。
 ついでに他のポイ全ても。
「由代さん。あたし、すごい調子が良いです。今ならこの水槽の金魚全てをすくえる自信がありますよ」
 大量の金魚が入ったお椀を手に月子さんは微笑んだ。



 +++


「大量です」
 片手に二袋ずつ、両手で四袋。
 金魚は23匹。
 本当になんだかあたしは日本金魚すくい大会に出ても優勝できてしまうぐらいに好調だったけど、なんだかどんどん哀しげになっていく親父さんの顔がかわいそうだったから、これでやめてあげた。
 さて、家に帰ったらまずは前にグッピーを飼ってた水槽を出して、洗わないと。
「あ、由代さん、見てください。あんず餅です。食べませんか?」
 あたしは由代さんにそう言い、そして由代さんに金魚たちを任せると、
「すみません。あんず餅、くださいな」
 と、あんず餅を買った。
 小さなトレーの上にあんず餅が10コ。
 爪楊枝は二つ。
 だけど由代さんは両手が金魚たちで塞がっている。
 だからあたしは爪楊枝であんず餅を刺すと、それを一個、彼の口へ持っていく。
 由代さんはわずかに苦笑して、だけど口を開けて、私が運んだあんず餅を食べてくれた。
「うん、美味しい」
「でしょう? あたしは大好きなんです、これが」
 あたしも、あたしが由代さんの口にあんず餅を運んだ爪楊枝で、あんず餅を刺して、それを口に運ぶ。
 柔らかい羽二重餅の中に上品な白あんことまるごとの密漬けあんずが入っていて、それぞれがそれぞれの味わい深い味を演出している。
 それに、
「間接キス」
 あたしは小指で唇をなぞって、まるで中学生の女の子のように口の中だけでそれを呟いて、くすりと笑った。
 由代さんも少し顔を赤らめていて、そしてあたしは悪戯ぽっく笑いながら、その爪楊枝でもう一コあんず餅を刺して、由代さんの口に運んだ。
 二人であんず餅を食べて、それで間接キスに思春期のカップルのように顔を赤らめる。
 そしてそんなあたしたち二人の間にある空間を埋めていたのは、夏の夜の世界の音。
 川のせせらぎの音に、
 人々の声、
 衣擦れの音、
 でもそれに、
 ひゅるるるるるるるる、どーん、
 という音。
 それは花火大会が始まる合図。
 あたしたちは顔を見合わせあって、そして河川敷特設のベンチを確保。
 二人でそこに移動して、そして最初に由代さんが座って、あたしはその隣に、とかと想ったら、そっと由代さんの手があたしの腰に伸びて、そのままその彼の腕にエスコートされる。
 あたしは由代さんに抱きかかえられるような形で座った。
 夏の夜の風はわずかに火の花の匂いがした。
 本当の花が、その香りを香らせるように、
 夜空に咲く火の花もまた、その香りを香らせる。
 火の花の香りを含む風は涼しかった。
 わずかに夜特有の匂いもする、そんな涼しい風。
 だけどその風では、由代さんに抱きかかえられるように座るあたしの身体に篭る熱は冷ます事が出来なかった。
 そう、熱かった。
 胸がきゅっと切なく痛んだ。
 そして眩暈がする。
 呼吸が苦しくって。
 それは恥ずかしい程に切ない、青臭いような想い。
 思春期の少女のような。
 あたしは好き。
 あたしは由代さんが好き。
 だから由代さんとの間にあるあたしたちの距離をもっと縮めたかった。
「―――――」それを口に出したい、と、そう、あたしは望むけど、だけどそれは言葉には出来なかった。
 それは言葉に出来るような想いではなくって、
 そしてそれにはまだ、本当は名前は無くって、
 だからこそ愛おしくって、大切で。
 あたしはあたしを抱く由代さんの手に、あたしの手を重ねる。


 手を重ねる―――


 ねえ、由代さん、伝わっていますか?


 あたしの、手の、温もり…………


 その温もりが持つ、あたしのこの胸が痛くなるほどの切ない想い、伝わりますか?



 好きです。
 好きです。
 大好きですよ、由代さん。



 だからあたしは、あなたにこの想いを、あたしの温もりに溶かして、あなたに伝えよう。
 そうすれば、このもどかしく、あたしを不安にさせる、あたしたちの距離もきっと、埋まるから………



 埋まるはずだから。



 ああ、言葉が無い時は、人はどうやって、この想いを、
 大好きで、
 大切な人に伝えていたのだろう?



 夏の夜の空に咲く花が、咲き綻ぶその音に合わせて、あたしは歌を詠った。



「浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど ありまてなどか人の恋しき」





「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを」



 だから僕も詠った。
 百人一首の歌を。
 それは月子さんの想いに応えるもので、
 そして僕の想いをキミに伝えるためのもの。
 ねえ、月子さん、知っているかい? 僕がこんなにもキミを好きな事を。
 僕はぎゅっとそれまで抱きかかえていた彼女の身体を、僕に引き寄せて、僕の頬を彼女の頬に摺り寄せた。
 それからそのまま僕は身を起こし、左胸に彼女の顔を当てた。
 きっと、言葉が無かった時でも人は、声帯を震わせて発する音で、人に恋心を伝えていた。
 言葉が意味をなすのでは無い。
 だって言葉とは、想いが先にあって、だからこそそれにつけられるために生まれた名前だろう?
 だから僕はキミに言葉を届ける。
 あの四月にキミにこの想いを告げた時のように。
 そしてまだ、もしもそれでも想いが通じていないのなら、なら今度はこの心が奏でる音楽を、僕はキミに伝えよう。
 伝えている。
 伝えたい。
 聴こえているかい、僕の心が奏でるキミへのこの恋の歌(心音)が。



 かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを――――



 この世で命を初めて持った瞬間は、生れ落ちた時ではなく、母の中であたしがあたしとなった時。
 だからあたしにはどうしようもなく安心できる歌があった。
 その歌は、母親の心音。
 子宮の中でずっと聴いていた歌(母親の心音)が、あたしの魂の子守唄。
 だけど、今、このあたしの耳朶を愛撫する音楽はそれと同じぐらい、あたしの心を慰撫した。
 優しい、優しい、愛に満ちた、雄大な歌。
 その歌が、あたしの心が感じていた最後の距離を、埋めてくれる。
 優しくあたしの心に流れ込んで。
 だから、あたしも、由代の胸から顔を離して、下から彼の顔を見ながら微笑んで、
 そして両手を彼の後頭部に回して、
 そっと硝子細工の壊れ物を触れるように大切な手つきで、優しく、慈しみを持って、
 彼の顔をあたしの左胸に持っていく。
 左の胸に、浴衣の生地越しに、彼の顔が触れる感触、
 ふわりとした、その心休まる、嬉しい、幸せな心地にあたしは目を細め、彼を見つめる。
 とくん、という心臓が脈打つ感触は、いつも由代と一緒に居る時に脈打つ速さよりもまた早く脈打って、
 それはワルツを踊っているようで。
 それは、それが、あたしの心が奏でる由代への愛の歌。
「由代、聴こえる?」
「ああ、聴こえるよ、月子」
 由代は優しくそう言い、
 そしてそっとあたしたちはおでことおでことを合わせて、そこから移りあう温もりに、最後の隙間を埋めあう。
 夜空には、大輪の火の花が咲き始めて、
 そしてその明かりに照らされるすぐそこにある由代の顔にあたしは微笑んで、
 一緒に火の花が咲き誇り続ける様を、見守った。



【ending】


 かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを――――




 互いに片手に金魚の袋を持って、
 そしてもう片方の手で互いの手を握り合う。
 その感触に、
 移りあう温もりに、
 嬉しさと幸福を視ながら。
「来年も、来年も来よう、月子」
「ええ、由代。約束」


 ――――約束。
 僕らはそうして約束して、
 二人一緒に居る未来を思い描いて、
 それを実現していく事で、願掛けとして、
 そうして二人一緒に生きていく。
 僕はおじいさんとなって、
 キミはかわいらしいおばあちゃんとなるまで。
 それが僕らの未来予想図。
 夏の夜に想い深まって、距離縮まって、描くもの。


 →closed


 ++ライターより++


 こんにちは、高柳月子さま。
 はじめまして。
 こんにちは、城ヶ崎由代さま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
 ご依頼、本当にありがとうございます。


 いかがでしたでしょうか?
 最初は花火を見た後に、人ごみに離れ離れになるとか、なんかそういうトラブルがあって、さん付けでは間に合いませんから、呼び捨てにしましょう、というような展開にしようかな? とかとも想ったのですが、それはなんだか、花火見物で幸せにしておいて、なのにどぼん、と闇に落とすような感じがして、月子さんと由代さんがかわいあそうな感じがして、それでお互いの好きですオーラを感じ取って、ラブラブカップルが自然な成り行きで、お互いを呼び捨てで呼ぶようになりました、という感じにしたいと想って、
 それで温もりに想いを溶かして送る、という風に。もどかしさの中にも大人なしっとりとした感じを織り込めて。
 もしもPL様方にお気に召していただけていましたら幸いです。^^



 高柳月子さま。

 浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど ありまてなどか人の恋しき
【浅茅の生えている野原の、篠竹の群落――その篠竹が茅(ちがや)の丈に余って隠れようがないように、忍んでも私の思いは余って、どうしてこうあなたが恋しいのでしょう】


 ご依頼、ありがとうございました。
 私信の方、とても嬉しいお言葉を頂きありがとうございます。とても嬉しかったです。^^
 その分だけ、本当に良いお話に仕上げる事ができていればいいのですが。いかがでしたか?
 月子さんを描く時に気をつけたのは、溢れるような切ない彼女の好きという感情を書きながら、それでも実はリードは女性らしく月子さんが、っていうそんな感じが出ますように気をつけて書かせて頂きました。^^
 少女のように恋心に胸を痛めながら、だけど大人の女性らしい余裕さが出ますように。
 女性の感性の深さは男性以上ですものね。
 そして慈愛の深さも。
 だからそんな感じで書かせて頂きました。^^
 由代さんが好きだけど、それでも完全に包み込まれるのではなく、月子さんも由代さんを包み込む様に。
 少女のようでいて、だけど大人の女性らしい感性の深さを書き綴るのはすごく楽しくって、月子さんの好き、という感情を描写するのには本当に夢中になりました。^^
 本当に凄く楽しかったです。^^
 ご依頼、ありがとうございました。
 
 


 城ヶ崎由代さま。

 かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを
【こんなに君を愛している、とだけでも言えればいいのだけれど、とても言えないよ。まるで伊吹山のもぐさを焼いたようにくすぐっている私の心を君はきっと知らないんだろうなぁ】



 ご依頼、ありがとうございました。
 まさか由代さんの恋話が書けるとは思いもよりませんでした。
 以前、儚く散ってしまった由代さんの恋を書いた身としては、すごく嬉しかったです。^^
 だから以前の恋の傷を引きずりつつ、だけど今のこの恋に心を焦がし、
 そして月子さんを心から想うその由代さんの想いを描けるのはとても楽しく、幸せでした。^^
 月子さんは大人の女性の余裕さを感じさせるようなそんな描写を選んだのですが、
 逆に由代さんは少し、好きです、と言われて、だから自信を持てて、自分自身も好きです、と言えるような中高生男子のような雰囲気を込めてみました。
 これは前の恋が原因だったりするのがあるのかな、と想います。
 だからこそ月子さんの温もりがそれを少しずつ溶かしていく、というようなそんな感じを演出してみたのです。それによって彼もまたあらためて月子さんへの想いを知り、それを口に出来るって。
 そして、由代さんが由代さんも月子さんに僕もこれだけ好きですよ、と語る部分を書いたのは、由代さんの中に前の恋の傷と戦って、この恋を、月子さんを大事に想う想いの強さを私自身もまたPLさまが感じられているであろうそれを感じたから。
 だから由代さんは男前で、大人の男なのです。^^
 男の切ない恋描写も本当に素敵ですよね。^^
 由代さんの新しい恋、書ける機会をいただけて嬉しかったです。
 ご依頼、本当にありがとうございました。


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
草摩一護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年07月18日

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