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『夏の空に近い場所で 』
紫東・暁空6330)&燐華・灯夜(6329)&(登場しない)

千秋志庵

 風鈴の音。
 木造の匂い。
 人工的にあつらえられた風が喉を乾かせ、幾度となく水に手を伸ばさせる。日本特有の湿度を多分に含んだじめじめとした気候から隔離された空間にいられることに軽い感謝をしつつ、グラスを洗って元の場所に戻す。
 硝子越しに見える薄ぼんやりとした人影は、恐らく附近の高校の学生だろう。この時期は試験期間も終了し、授業も早く終わると言う話をどこかで聞いた。もしかすると自身の体験からの記憶であるのかもしれないが、そこの辺りははっきりしない。ぐでっとした身に気合を入れるかのように両の手を上に伸ばして、大きな欠伸を一つ。
「……そう言えば、今日祭りがあるんだよな」
 年に一度の夏祭り。夏との冠があるから四季の内でも夏限定であるのだが、神社へと続く参道を挟んで露店が立ち並ぶ盛大なお祭りだ。定番の林檎飴も射的もあるし、近年ではあまり珍しくなくなったスーパーボール掬いまで何でもありだ。例年だと便利屋家業――それこそ本業でないのが奇異でもあるのだが――のせいで夏らしいイベントをこなせなかったのだが、今年は運が良かった。丁度今日一日だけは、その時間はまるまると空いている。わざわざ空けるといった器用な真似も不得手だからして、偶然だと言っても過言ではない。
 休憩所・アクアオーラには見知らぬ客も見知った客もいたが、内、銀髪の長い人物の横に紫東暁空は座った。
「灯夜、今日の夜、時間空いてる?」
 特に目的もなくのんびりと外を眺めていた燐華灯夜は、穏やかな赤を暁空の方へと向けた。
「今日、ですか?」
「そう今日。出来れば、夕方以降なんだけど」
「ええ。特にこれといった用事は控えてません」
「ならさ、お祭り行かない、お祭り」
「お祭りって、近くの神社のお祭りですよね?」
 頷きに、灯夜は少しだけ戸惑ったような笑みを見せた。暫し黙り込んだ後に、軽く目を伏せて口を開いた。
「ごめんなさい。人ごみは……ちょっと苦手なんです」
「ちょっとだけ?」
「……本当は、とても苦手、です」
 折角暁空の体が空いているというのに、自分のこういった性質には時折辟易する。熱くなってくる目頭を押さえる手にはっとして顔を上げると、灯夜以上にすまなそうな顔をしている暁空がそこにあった。問いを返したのは意地悪でもなく本音を聞き出すためなのだろうが、流石に泣かせてしまうのはやりすぎだと思ってしまったのだろう。ごめん、と小声での謝罪に、灯夜は平気だというように首を横に振った。
「なら、二人で花火でもしないか。コンビニで線香花火とか色々買って、あと夏なんだしスイカ。焼きイカ……はこの際我慢するとして、とうもろこしも諦めるか。そんなしょぼいお祭りで良ければ、今日俺の実家にでもおいでよ」
 提案に、
「はい、喜んで」
 嬉しそうに灯夜は頷いて、その笑顔が予想以上に可愛くて。暁空は思わず口元に手を当てて、にやけてしまっていることがばれないように努めることに必死だった。

 夜空に咲く花。
 色取り取りの火薬の生む幻想。
 藍染の甚平が下駄を鳴らしながら暁空の実家の屋根の上で愉しそうに舞うのを、ラムネを握り締めながら借りた緑色の浴衣が微笑む。一緒にどうだと伸ばす暁空の手を取り、転ばないように気をつけながらゆっくりと灯夜も立ち上がる。一瞬だけよろめいたように見えるも、頼りある大きな手に何とか体勢を保つ。高くなった視線からは、ほんの少し前まで二人で興じていた花火の残骸と防火用のバケツ、蝋の部分が少なくなった蝋燭が風に炎を揺らしているのが見える。それでもやはり、暁空を見上げる形になってしまうのは変わらない。この差だけはこれから先も変わらないのだと思うと、少しだけ寂しい。
 既にコンビニで買った花火はトリの線香花火も尽き、まるでその対比を際立たせるかのように、巨大な音を立てて大きな花火が空に幾度も打ち上げられている。街灯の多さ故に空の色はやや白んでいたが、それでも花火の光には到底及ばない。風は少しだけ吹いている。何かのロゴだろうか、大きな顔のイラストが斜めに傾いていた。
 大きな円を描くように咲く花火に向けて、灯夜は白い手を目一杯に伸ばしてみる。届かないと知っているから、それでも伸ばす。錯覚のように感じたのは、今この瞬間だけは思い願ったことは全て実現してしまうのではないかということ。一人では無理でも、二人でなら不可能も可能になる――そんな錯覚。
「とても、綺麗です」
 搾り出すような灯夜の声。
「とてもとても、綺麗です」
 嬉しそうに、幸せそうな響きを持つ声。
 その横顔を、暁空は少しだけ目を細めて見つめていた。
「花火、遠くてごめんな。もっと近くで見れれば良かったんだけど、他に良い場所が思い付かなくてな」
「いえ、元はと言えば私が人ごみが厭だと言ったのが先ですから。でも、本音を言ってしまうと私はこの展開をとても愉しんでます」
「そう……なんだ」
「はい。だって、暁空さんと二人切りで花火を見ることが出来たんですから」
 そんな小さな希望でいいのか。
 もっと大きなことを願ってもいいのではないか。
 屈託のない笑みの灯夜に、暁空は困惑したように頭を掻き、照れを隠すかのように話題を繋げることにした。
「来年もここで花火したいな」
「はい。でも仕事が忙しかったら無理しなくてもいいですよ。無理はさせたくないですし……」
「無理なんて、誰かのためだったらそれすらも厭わないものなんだよ。そういうものだから、灯夜は俺に思いっきり甘えちゃいな」
「甘えるって……何だか難しい要求、です」
 嫌われるか、そうでないか。
 我が侭を口にしないという問題はそこにはなく、ただ今までしたことない『無意識の静止』という箍をどうやって緩めるか。そこにある
 現状に不満がある訳がない。
 ただそこにいてくれるということだけで、こんなにも幸せになれる。
 だから、今が最高であって、何も望むことが思い付かない。
 それでも一つだけ望むとしたら、今ではない未来の事象。
 保障も確約も何もない、あやふやな将来の約束。
「それでは、少しだけ我が侭を」
 隣に立つ暁空に軽く体重を預けて、灯夜は小さく呟いた。

「来年も再来年もずっとずっと、私と一緒にここで花火を見てください」





【END】
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東京怪談
2006年07月18日

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