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『うたかた 』
秋月・律花6157)&ジェームズ・ブラックマン(5128)&碇・麗香(仕事)(NPCA005)

 ずっと迷っていた。
 人の心を知るのは、考古学のようには上手く行かないから。
 お互いが触れ合わなければ何も得られず、かといって深く立ち入りすぎれば亀裂が入る。
 それでも、迷ってるだけでは何も進まない。
 だから私は勇気を出して、一歩進む…。

「ブラックマンさんの連絡先を教えて欲しいんです」
 いつもあわただしい昼間の月刊アトラス編集部。
 その編集長である碇麗香を前にして、秋月 律花(あきづき・りつか)は、まるでレポートを採点してもらうときのように、やや緊張気味に麗香に向かってそう言った。麗香はその様子を興味深そうに微笑みながら聞いている。
「なになに、どうしたの。あなたがそんな事言うなんて珍しいわね」
「ええまあ、ちょっと彼に興味があって…」
 ふふっと微笑を漏らす麗香に律花は思わず俯きながらも、正直にどうして連絡を取りたいかの理由を麗香に告げた。
 ジェームズ・ブラックマンとは、ここのアルバイトで顔を合わせたことがあるぐらいの仲だ。だが、何だか彼はただ者ではない、普通の人間ではないという気はしていた。それが一体どんな感情なのかは分からないが、何故かジェームズと二人で話をしてみたい…そう思ったのだ。
 それを面白そうに聞いていた麗香が、机の上にあるメモ帳に携帯らしき電話番号を書き付ける。
「住所とかは私もよく知らないのよ。でもここに電話したら繋がるはずよ」
「ありがとうございます…」
 メモを受け取りながらお辞儀をする律花を見て、麗香がまた微笑む。
「相手を知る…ってのは、人間関係の第一歩よ。人と人とはお互い話し合わないとなかなか理解できないものだから。頑張りなさい」

 自宅に帰った律花は、早速麗香に教えられた番号に電話をしていた。
 本当はどうしようか考えていたのだが、先延ばしにしていればそのうち連絡が取れなくなるかも知れない。そうなってから後悔するのは嫌だ。電話の前に正座しながら、律花は呼び出し音を聞いていた。
 一回…二回…呼び出し音が鳴るごとに、緊張と鼓動が高まる。そしてプツッと呼び出し音が途切れた。
「はい、ジェームズ・ブラックマンですが」
「も、もしもし、ブラックマンさんですか?私、先日お仕事でご一緒した秋月律花です」
 電話の向こうでジェームズがくすっと笑ったのが聞こえる。
「ミス・秋月ですか、こんにちは。今日はどうかしましたか?」
 思わず緊張で声がうわずりそうになるのを何とか押さえながら、律花はゆっくりと深呼吸するように言葉を出した。
「あの…突然なんですけど、ブラックマンさんは今日お暇ですか?」
「ええ、今日は特別予定もありませんが」
「じゃあ、良かったら突然なんですけど、蛍狩りにご一緒しませんか?」
 …唐突すぎただろうか。
 律花はそう思いながらも、ジェームズの言葉が返ってくるのを待っている。ダメ元で当たってみたが、それが凶と出るか吉と出るか…待っているのはほんの少しの時間のはずなのに、永遠かと思うほどずいぶん長く感じる。
 すると電話の向こうでジェームズが動く音がした。
「よろしいですよ。どこで待ち合わせいたしましょうか」
 それを聞き、律花は待ち合わせの場所と時間を告げた。ジェームズは住所を聞いただけでそこがどこだか分かったらしい。
「じゃあ、十八時に…はい…失礼します」
 目の前に人がいるわけでもないのに、ついお辞儀をしてしまう。律花は電話を切った後、受話器を電話機に押さえつけたまましばらくその姿勢で固まっていた。
「電話しちゃった…」
 賽は投げられた。
 大きく深呼吸をした後、律花は顔を上げて立ち上がり、タンスの一番上の段を開けた。そこには田舎の祖母から送られてきた紺地に撫子柄の浴衣が入っている。それをそっと出し、今度は着付けの本を開く。
 自分から蛍狩りに誘ったのだから、ある程度の礼儀はしっかりとしておきたい。その為にジェームズに失礼にならないよう、浴衣を着ようと思ったのだ。律花は真剣に襦袢からしっかりと浴衣を着付ける。
「帯の結びは今回は花結びで…」
 ジェームズが普通の人間じゃないというのは、何となく気が付いていた。
 それが恐ろしいのか、それとも惹かれているのかは分からない。ただ普通の人間だろうが、ちょっとした能力を持っていようが人外の者であろうが、東京に住む者は皆同じだと思っている。
 それをふまえた上で、これからジェームズとどうやって付き合っていけばいいのか、律花はその距離感を知りたかった。
「うん、上出来」
 浴衣の着付けに満足し、律花は巾着袋にハンカチや財布などを入れようとした。その瞬間、猫の黒鏡が目に入る。一瞬袋に入れようかどうしようか迷ったが、律花は少し首を振って猫の黒鏡を伏せてドレッサーの上に置いた。
 相手の真実の姿を暴き出す魔境…だが今日は蛍狩りに行くのだ。これを使う必要はない。
「今日は留守番しててね」
 そう呟くと、微かに猫の鳴き声が聞こえたような気がした。

 律花が待ち合わせに選んだのは、世田谷区のある公園だった。
 ここはこの日のために律花が大学の先輩に地酒の四合瓶を贈って聞き出した、東京で蛍狩りが出来る名所だ。初めて聞いたときは本当に蛍がいるのか半信半疑だったのだが、あちこちで蛍はほのかな光を放っている。
「こんばんは、ミス・秋月。今日はお誘いいただきありがとうございます、浴衣姿も素敵ですね」
 先に来ていたジェームズが律花に気付き丁寧に挨拶をしたあと、自分の服を見て少し苦笑した
「これは…気が回らなくて申し訳ありません」
 おそらく自分が着ているいつもの黒いスーツのことを言っているのだろう。律花はそれに微笑みながら、立ち止まってお辞儀をする。
「こんばんは、ブラックマンさん。急なお誘いで私の方こそ申し訳ありません」
 ジェームズはそんな律花の姿勢に好感を抱いていた。
 確か前に出会ったときは、律花は真実の姿を暴き出す力を持つ『猫の黒鏡』を持っていたはずだ。だが、今日はその気配を感じない。それは律花自身の持つ探求心よりも、別の何かが勝ったのだろう。何にせよ恐怖心などに屈せず、紳士的に接してくるのは好ましい。
 蛍がほのかに光を放ちながら飛んだりしている。ゆっくりとうちわを仰ぎながら、律花は話のきっかけを探していた。
「東京でもこんな場所がまだあるんですね。私の田舎の方では珍しくもなかったんですけど」
「それは素敵ですね。私もこんな夜は、まだ蛍が珍しくもなかった頃を思い出します」
 蛍が珍しくなかった頃…とは一体どれぐらいなのだろうか。律花から見て、三十代前半ぐらいにしか見えないジェームズからは考えられない言葉だ。蛍が見られなくなったのは、少なくとも十年ぐらいの話ではない。
 律花はゆっくりと慎重に言葉を吐く。
「ブラックマンさんはいつ頃から東京に?」
 隣にいるジェームズがふっと笑いながら遠くを見る。
 いつぐらいから東京に…言われなければ思い出さないようなことを聞かれたことに、ジェームズは何故か嘘をつく気にはなれなかった。信じるかどうかは別として、たまには本当のことを話すのもいいだろう。
「そうですね…明治から大正に変わる少し前で、私のような外国人が少なかった頃ですよ」
 そう言うと、ジェームズは律花の顔を見た。律花もジェームズの方を見ていたようで、お互いの視線が薄闇の中重なる。
「でも、それ信じます?」
「信じます…嘘を吐くなら普通もっとそれらしいことを言うと思いますから」
 あまりにも真っ直ぐ射抜くようなジェームズの眼差しに、律花は蛍を目で追いながらそっと視線をそらせた。このまま見つめられていたら、半信半疑なのがばれてしまうかも知れない。でも、ジェームズが嘘をついているようにも思えない。
「私は、大学進学で東京に来たんです。歴史が好きだったので、それを勉強したくて…でも、たまたま行った発掘のボランティアがきっかけで、考古学の虜になっちゃったんです」
「過去を知ることは悪い事じゃありません。まして貴女のように聡明なら、学ぶことや、何かを知ることは楽しいでしょう」
 知ること…そう言われ、律花は浴衣の裾を気にしながらそっとその場にしゃがんだ。まだ伸びきっていないススキの葉に留まっている蛍の光がずいぶん近い。
 自分はもしかしたらジェームズのことを「知りたい」のかも知れない。電話番号を教えてもらったときに麗香に言われた言葉が耳に蘇る。
『相手を知る…ってのは、人間関係の第一歩よ』
 もしかしたらジェームズは人間ではないのかも知れない。
 自分には理解できないような時を生きていて、今こうやって話し合っているのもジェームズにとっては、ほんのうたかたの時間なのかも知れない。
 でも、だからこそ律花は知りたかった。
 同じ東京に生きるものとして、ジェームズがこの世界をどう思っているのかを。
「『東京には空がない』ってのは、智恵子抄でしたっけ。私も、東京に来てしばらくはそう思っていた時期がありました…」
 律花は蛍が飛び立つのと同じタイミングでゆっくりと立ち上がる。
「でも不思議ですね。暮らしていくうちにだんだんと、この街が好きになっていったんです」
「それはどうしてですか?」
 ふい…と二人の間を蛍が光りながら飛んでいく。一瞬の光に照らし出されたお互いの表情は不思議に穏やかだった。
 律花はふうっと息を吐く。
「何て言ったらいいんでしょう、東京の懐の広さに吃驚させられるんです。探せば私の田舎のように蛍が見られる場所もありますし、美しいものも醜いものも全部を受け入れるこの街が、何だか好きなんです…」
 その言葉を聞きながら、ジェームズは天を仰いでいた。東京の空なのに、月も星もちゃんと見える。
 律花の言葉がジェームズに真っ直ぐと届いていた。
 律花の東京観は、その探求心と共に真実を見いだしている。美しいものも醜いものも全部受け入れる街…それは、決して猫の黒鏡では絶対に分からない東京の姿。律花が己の目で見いだした真実。
「誰の言葉だったか忘れましたが『東京は都市の中で唯一破壊を楽しんでいる街だ』と…それが真実かどうかは分かりませんが、私も好きですよ。色々なものを呼び、それを受け入れ、居場所を作ってくれるこの街が…」
「………」
 ジェームズが自分と同じように東京を愛していることを知り、律花は思わず微笑んだ。
 彼が人間かそうじゃないかは、もはや関係ないのかも知れない。同じ東京に生き、東京を愛しているのであればそれでいい。それにもし、ジェームズが人外であり、自分に敵意を向けてくるのであれば、とっくに何かしているはずだろう。
 今は東京の空の下で、蛍を眺めている…それでいい。
「あの、一ついいですか?」
「何でしょう?」
 おずおずと質問をする律花にジェームズが微笑む。
「ジェームズさん…って呼んでもいいでしょうか?何かブラックマンさんって、他人行儀な感じがして」
「ええ、どうぞ。その代わり私も今から友人として、律花とお呼びしますよ」
 友人…そう言われたことが律花は嬉しかった。
 相手を知る代わりに自分を知ってもらう。そんな小さな事だが、それが何だかものすごく嬉しい。それはジェームズも同じだった。
 律花はそれに笑って返事をする。
「はい、ジェームズさん。これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ」
 お互いそっと握手をし、律花は大きく息を吐きながら蛍を見た。本当に今日は緊張の一日だった。でも、自分が踏み出した一歩はきっと大きいはずだ。
 さっきまでの緊張をほぐすように、律花はジェームズに話し始める。
「…そういえば、蛍も関東と関西で光り方が違うって知ってます?」
「そうなんですか?」
「ええ、関西の蛍の方が光り方がせっかちなんです。何か不思議ですよね…」
 蛍がゆっくりと光を点滅させている。
 その間を風が柔らかく吹き抜け、夏の香りを運んでくる。
 二人は並んで立ったまま、夏の夜の下いつまでも蛍を見つめていた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6157/秋月・律花/女性/21歳/大学生
5128/ジェームズ・ブラックマン/男性/666歳/交渉人 & ??

◆ライター通信◆
ご指名ありがとうございます、水月小織です。
「二人が『知り合い』から『友人』になる課程」ということで、蛍を見ながら東京についてゆっくり語り合うという話にしてみました。律花さんは知ることについて貪欲だという設定でしたので、今回は『智恵子抄』の一文を出したりしながら自分の持ち札をあえて全部見せ、ジェームズさんの警戒心を解く感じになってます。蛍の光り方の違いなどは、物知りな律花さんなら知っていそうです。
東京近郊で蛍が見られる場所を調べて、本当に奥の深さを感じました。世田谷区で蛍が見られるんですね…。
リテイクなどはご遠慮なく言ってくださいませ。
では、またよろしくお願いいたします。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
水月小織 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年07月10日

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