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『見えざる風焼け 』
星間・信人0377)&リチャード・レイ(NPC0195)



 星間信人は、幸運にも5日間もの休暇をとることに成功した。彼が務める私立第三須賀杜爾区大学付属図書館は、館内の一部を改装することになったのである。
 星間信人は、実に一般人らしい手段で現地に向かった。彼がわざわざ新幹線や列車を乗り継いだり、バスに乗ったりするのはめずらしいことだ。彼は海外へも短時間で行ける手段を持っていたが、今回の調査ではそれを使わなかった。どういうわけか、彼はのたくらと移動に時間をかけたかった。5日間という充分すぎる余暇のためか。
 しかし本当の理由は、目的地に着いたときにわかったような気がした。
 ――彼と共に行けと。主よ、あなたはそうおっしゃるのですか。

 雲ひとつない晴天。もうじき夕暮れ。周辺の聞き込みや資料の確保に、ことのほか時間がかかってしまった。
 人の息吹がまったく感じられない畑畑畑森森林森。
 まるであぜ道の中にぽつんと取り残されたような、傾いたバス停のそばで、星間信人は灰色のイギリス紳士とばったり出くわしたのだった。

「……ホシマさん。奇遇ですね」
「ええ、本当に」
 リチャード・レイは実に迷惑そうな、陰険な表情で、信人に一応そう挨拶した。信人はいつもの平坦な微笑で、いつものようにレイに会釈と挨拶を返した。
「玄井神社でしたら、こちらの方向ですよ」
「……。クライジンジャと読むのですか。漢字の読み方というのは実にバリエーションに富みますね」
「ええ、本当に」
 レイと信人の目的地は同じだった。四国の某県某村のはずれ、参拝する者もなく、ひっそりと森に沈む玄井神社。ふたりの探究者は、あからさまに互いを見張りながら、緑深い山に分け入った。
 傾いたバス停の汚れた時刻表が、生温かい突風にあおられて、いびつな音を立てていた。


 ふたりは道中、何も語り合いはしなかったが、手に入れている情報は似通っていた。玄井神社の祭神は、数多い日本の神々の中でも異彩を放っている。どの神とも繋がりを持たず、はっきりとした伝承を持たない。いつ頃創建されたものなのかも皆目見当がつかず、管理する宮司も存在していない。神社本庁も把握していない、忘れられた神社だ。
 恐らく、人はこの神社を忘れているべきなのかもしれない。
 しかし、信人とレイは玄井神社の歴史を掘り返した。そして、知ってしまったことがある。祀られている神は、風神に属するものである――と、いうことだった。
 腰の上まで伸びている草をかき分け、道なき道を辿り、ふたりが神社に辿り着く頃には、すっかり日も沈んで、空には無数の星が散らばっていた。夜が広がり、冷たい風が星と地の間を駆け抜けていた。
 木々を押しのけるようにして、黒い鳥居がそこにある。
 ぞっとするほどの沈黙の中、ぼぅ、と風が通り過ぎた。草と枝葉が揺れた。光は、頭上の頼りない星ぼしと、ふたりが持つ脆弱な懐中電灯のものだけだった。
「この光では……少し……」
 懐中電灯の光は強いが、前方しか照らせない。それに、リチャード・レイという男は原題の文明機器をあまり好まなかった。彼は鞄からキャンプ用のカンテラを取り出すと、明かりを灯した。
「古き良き道具ですねえ」
「何とでも言ってください」
 レイは渋面で軽くかぶりを振り、信人は口の端を大きく吊り上げた。ふたりは、懐中電灯とカンテラを頼りに、玄井神社の本殿へ近づいていった。


 木造の本殿は簡素な造りで、人に見放されてから随分と日が経っているようだった。床や屋根の一部は腐っており、レイは賽銭箱のそばの床を踏み抜いて転倒した。信人はそれを見なかったことにしたので、レイのルーマニア語による悪態も聞こえなかったし、手を差し伸べて助けることもなかった。慎重に踏む場所を検討しながら信人は進んだ。
 風を感じたのは、本殿の内部に入った直後だった。
 その一陣の風だけで、信人は落胆することができた。彼が崇める渇いた黄色の風ではなかったのだ。だがすぐに、彼は好奇心と探究心を取り戻した。求めている神の痕跡ではなくとも、人類の理解を超えた現象や生物に触れられる機会は貴重だ。信人はそういった領域の知識に関しては貪欲だった。自分が一生をかけても貪り尽くせない世界であることも知っていたが、それでも、探求をやめることはできなかった。
「聞こえますか」
 ようやく床の穴から足を引き抜き、中に入ってきたレイに、信人は興奮のあまり思わず声をかけていた。
「見ることのできない口笛ですよ……」
 くつくつと彼は笑って、前に進んだ。
 風に導かれるように、信人は屈みこみ、異臭を放つ床に手をかけた。床の一部が、容易く外れた。床の下には、玄武岩でできた扉があり、朱印によって封印がなされていた。
「――ホシマさん!」
 レイの制止など、信人は聞いていない。旧い封印は破られた。扉が開いた。そこには入口があった。入口から口笛が聞こえてきた。風が吹いてくる、目には見えない、ぴいぴいと唸る風が……。


 人間の本能に直接はたらきかけてくる、それは不気味な口笛だった。わけもなく不安に駆られ、恐怖を覚え、耳を塞いで逃げ出したくなる。それは、人間の動物としての本能が、目には見えないこの口笛の主を畏怖しているということなのか。
 口笛はつづいている。暗闇もつづいている。
 玄武岩でできた入口は、まるで井戸のようだった。井戸はさほど深くなく、底は洞窟につながっていた。闇の奥から、口笛と生温かい風がやってくる。信人は笑っていた。彼の本能は人間らしい機能を果たしていなかった。その目に憑かれたような好奇心と喜びの光を浮かべて、懐中電灯の光を頼りに、闇を進んでいく。リチャード・レイは――、口笛に息を殺しながら、そろそろとあとからついてきていた。

 それにしても、突然だった!

 信人まではっと息を呑んだ。
 光が、突然、異形の姿を照らしたのだ。まるで異形が瞬時にして、光の前に転移してきたかのようだった。そして再び消えた。また現れた。口笛はつづいている。
「ホシマさん!」
「すばらしい! この目で見ることになるとは! 見えざるものが見えた! すばらしい!」
 飛ぶ腫瘍! 見えざる口笛! 眼球と5本指の塊! これが神か! 信人とレイの脳裏に、文献と情報があふれ出す。
電灯とカンテラの光を受けて、まぶしげにその無数の目をぎょろぎょろと回転させていたのは、かつて地球に住み着いていた叡智の種族を滅ぼした異形に他ならなかった。人間が生まれるずっと以前、あるいは恐竜すらもまだ小さなトカゲにすぎなかった時代に、宇宙から地球にふらりと飛来してきたものだ。この怪物は、殺して喰うことしか考えていない。
 怪物は、点滅していた。視界から消えたり現れたりを繰り返している。そのコマ送りのような動作の中で、はっきりと、眼球と眼球の間に裂け目が生まれ、その裂け目を広げ、牙を剥いていくのが見えた。
 滴る涎や、危険な風があった。
 しかし、かれは長いことこの地下で暮らしていたためか、光を忘れていたようだ。カンテラと懐中電灯の強い光に、まぶたを持たない無数の眼球は混乱し、ぐるぐると裏返ったりばらばらに動いたりしていた。涙も流していた。涎かもしれない。口笛はつづいている。一度その凶悪なあぎとが信人の頭を咬み砕こうとしたが、慣れない光のために距離感をつかめなかったのか、あぎとは空を喰いちぎった。
「ホシマさん!」
 レイが信人のジャンパーの後ろ襟を掴み、その細い腕からは考えられないような力をもって引っ張った。信人は感動のあまり、自分が何をされているのかわからず、レイに引きずられるようにして洞窟をあとにしていた。浅い井戸をよじ登り、神社の床を踏み抜きながら逃げている間も、口笛はつづいていた。
 玄武岩の井戸と扉が吹き飛び、口笛が爆発した。点滅する腫瘍は、地上にあらわれていた。
 信人とレイはすでに神社から離れ、鳥居の外で息を殺し、神社の中で口笛を吹く怪物の様子をうかがっていた。口笛は次第に細くなり、くぐもって、やがて消えてしまった。
 怪物は地下に戻ったらしい。だが、本殿に戻って井戸に蓋をしに行くには、かなりの勇気が要る。レイは額の汗を拭った。
「かれらは……、地下がお気に入りのようですね」
「ええ、本当に」
「……もう一度封印しなければ」
「あなたがたにできますか?」
「偉大なる種族の知識を頼れば、あるいは」
「つまり、あなたがたの知識だけでは無理だということですね」
「……」
「今夜は実にいい経験をさせていただきました。はは……お礼を言いますよ、レイさん」
 彼の礼は、命を救われたことに対してのものではない。それを知っていたレイは、信人から目をそむけ、鳥居の向こうを睨みつけた。信人は眼鏡をかけ直し、髪を撫でつけて、森の中を歩きだす。

 乾いた風が吹いて、レイが振り向いた。口笛は聞こえなかった。

 信人の姿は、もう森の中にない。彼にはもう、わざわざ電車やバスを乗り継ぐ気などなかったのである。




〈了〉
PCシチュエーションノベル(シングル) -
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東京怪談
2006年07月06日

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