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『オレンジの廊下 』
都築・秋成3228)&尾神・七重(2557)&(登場しない)



 コンクリートで固められた駅は、熱を持っていた。
 梅雨は明けたようだ。夏が始まった。
 平日の昼下がりには、あまり利用客がない駅であるらしい。ホームに立って列車を待っているのは、都築秋成ただひとり。通過する列車がやたらと多く、ホームはよく騒音に呑まれたが、列車が行ってしまえば、静寂が下りた。踏切の赤い音も随分と遠くにある。
 夏は始まったようだが、日陰のホームに入りこむ風はまだ心地いい。
 秋成は薄く目を閉じて、列車を待っていた。1時間に数本の急行列車に乗れば、辿り着くのは今日の仕事場。埼玉の奥地にある廃校だ。

 あと五分ほどで列車が来るだろうか、という頃合に、秋成のパンツのポケットの中で、携帯電話が震えた。知人からの電話であるような直感が働いた。
 予感は的中した。相手は、尾神七重という少年だった。
「七重くんですか。お久しぶりです」
『突然の電話で申し訳ありません』
 七重の口調はいつもと変わらないようだった。育ちのよさが窺える丁寧な挨拶、あまり抑揚のついていない静かな口ぶりだ。けれども、一見いつもと変わらないような様子の中に、秋成はわずかな心の乱れを感じ取った。
「どうかしましたか?」
『その……、まず電話でご挨拶してからのほうがいいかと思いまして。都築さん、今、森の沢駅にいらっしゃいますね』
「……? え、ええ。これから仕事で埼玉まで行くところです」
『……、僕も今、森の沢駅に着くところです』
「はい?」
 奇妙なやり取りはすぐに終わった。秋成が電車を待つホームに、尾神七重が現れる。いつもと変わらぬ、憂いを帯びた様相。暗い赤の瞳は、秋成の顔をちらとうかがうと、すぐに下に向けられた。
「僕もお仕事にご一緒させていただきたいのですが、いけませんか」
「それは構いませんが、突然ですねえ」
「……ご迷惑なら……」
「いやいや、とんでもない。心強いですよ。一緒に行きましょう」
 相変わらず七重は秋成の顔をあまり見ようとしなかったが、少し唇の端を持ち上げた。彼はこれでも、嬉しくて笑ったつもりなのだ。
 突然の電話に、突然の同行。理由がないはずがない。だいいち、七重は今日の秋成の仕事内容を聞こうともしないのだ。だが秋成は、理由を聞かないことにした。七重もそれを望んでいるだろう、と。
 秋成が七重の同行を認めたそのとき、ふたりが乗るべき列車がホームに入ってきた。乗客はほとんどいなかった。暇を持て余す列車は、ふたりを呑みこみ、西に向かって走りだしていた。太陽は、列車が行く道の真上にあるようだった。


 風景は様変わりしていく。秋成と七重は、時おり車窓の向こうな目をやった。目をやるたびに風景は変わった。いつしか東京は終わっていて、背の低いビルと、緑の合間の民家が目立ちはじめていた。
「着くのは夕方になるかな。ちょうどいい時間帯になりそうです」
 秋成は口を開いた。
「現場は廃校なのですが、夕方になると、子供の声が聞こえてくると言うんですよ」
「……」
「近所の子供が忍びこんで遊んでるんじゃないか、って思ったんですがね。どうも違うようです。まあ、そもそも、ただのいたずらや不法侵入ですむ話なら、俺のところに依頼が来るはずがないわけですから」
「……たちばな台小学校ですね」
 独白のような秋成の話に、突然七重が入ってきた。秋成は少しだけ驚いた。七重が呟いたその施設名こそ、秋成の今日の仕事場になる廃校である。
 しかしやはり、なぜ知っているのか、とは秋成も問わなかった。
 尋ねてはいないのに、七重は答える。
「埼玉で最近廃校になった小学校でしょう。テレビで『お別れ会』をしていました」
「そうですか」
「少子化が進んでいますからね」
「ええ、それはもう」
「……」
 また、七重は秋成から目をそらした。暗い紅色の瞳は、少し汚れた床に落ちていた。
 日差しが強い。太陽は傾いている。



 依頼主経由で、秋成は学校に入る許可と職員玄関の鍵を手に入れていた。廃校、というどこか木造のイメージよりも、随分と新しい学校だ。恐らく昭和中期の生まれだろう。改装すれば何らかの施設に使えそうだが、今のところそういった予定はないし、かといって解体するめども立っていないらしい。
 この学校は、ずっとこのままだろう。老人ばかりの町はずれで、昼と夜と夕暮れを過ごすのだ。しんと静まりかえった静寂を抱えて――。
 静寂――。
 整然と窓が並んだ廊下で、秋成と七重は立ち止まり、思わず顔を見合わせた。確かにここは静寂に包まれているはずなのに、どこからか子供たちの声が聞こえてくる。
 窓からは夕暮れの強い日差しが射し込み、廊下を橙色に染めていた。
 橙色の光を、黒い影が時おりさえぎる。小柄な七重よりもまだ小さい、子供たちの影だった。影が走れば、夕暮れの廊下に足音が響いた。音と声は、時が経つにつれ、大きさと存在感を増していった。
 太陽が傾けば傾くほど、橙の日差しは色濃くなり――この世にはないものを照らし出す力を帯びていくようだった。子供たちはオレンジ色に染まり、廊下に長い影を落としていく。
 ふたりは黙って、立ち尽くしていた。
 一見、奇妙な光景だった。
 子供たちの格好はあまりに多彩だ。平成生まれらしき姿の子供たちは、携帯ゲーム機の通信機能を使って、わいわいパーティーゲームを楽しんでいる。そのすぐ隣では、古いデザインの服を着た子供たちが廊下に足を投げ出し、『大根抜き』をして遊んでいた。
 そして廊下の一番はじでは、おかっぱ頭にもんぺ姿の女の子たちが、おはじきをして遊んでいる。
 ふと、七重が教室の中に目をやった。廊下に面したガラス窓の向こうには、まだ背の低い机と椅子が並べられている。その当たり前の教室の中では、坊主頭の男の子が、枝でチャンバラごっこをしていた。
 確かに、身体の向こう側の景色が透けて見える子供たちや、彼らが立てる笑い声やわらべ歌は、慣れない者にとって恐怖でしかないのかもしれない。たまに、男の子が振り下ろした枝や、女の子が投げるお手玉や手毬がガラス窓にぶつかった。窓枠は驚いたようにがたんと揺れて、薄いガラスがびりりと震える。
 橙の夕日が傾くにつれ、子供たちの数は増していった。始めからずっとこれだけの数の――50人、60人はくだらないだろう――子供たちが、学校に住みついているのかもしれないが。
 誰かが窓を開けたのか、割ったのか。夕暮れの涼しい風が廊下に吹き込み、子供たちの姿は陽炎のように揺らいだ。
 けれども彼らは、秋成や七重の生命や身体をおびやかすものではなかった。多くの子供は、自分たちの遊びに夢中だった。ふたりの存在に気づいても、好奇心いっぱいの視線をちらちら送ってくるだけだ。
『ここであそんじゃだめだった?』
 やがて、ふたりの背中に、声が投げかけられた。振り向いてみると、そこには、幼稚園児と思しき男の子の手を引く、おさげの少女が立っていた。この学校の子供たちの中では、いちばん年かさかもしれない。小学校卒業間近といったところの年頃だ。
『あたしたち、しかられる?』
 秋成は微笑み、数珠をポケットにしまった。長身な彼はゆっくりかがんで、少女たちと視線の高さを合わせる。
「……ここに入った誰かをわざと驚かせたり、怪我をさせたりしたかな?」
 少女と男の子は、強い調子で首を振った。
「それなら、何も悪くないよ」
『よかった!』
 いつから会話を聞いていたのか、坊主頭に裸足の男の子が、にこにこしながらそう言った。他にも、このやりとりに注目していた子供たちは意外と多かったようで、秋成が顔をめぐらせると、皆ほっとしたように笑ってから、また遊びに戻っていった。
「でも……、ずいぶんたくさん集まったんだね」
『もっと学校でべんきょうしたり、あそんだりしたかったの』
『ぼく、うちにかえるとちゅうでダンプにひかれちゃったよ』
『あたし、かわにおちちゃった。およげるとおもったんだけどなぁ』
『ばくだんおちてきたんだ。B29でかかったあ!』
『しんじゃったのはしかたないけど。でも、もうちょっと、学校にきたかったな……』
 風が、茂る草と、校庭と、子供の匂いを運んできた。
 さて、どうしたものかと思案に暮れながら、秋成は立ち上がる。そのとき、七重の姿が消えていることに気がついた。


 遊んでいる子供たちばかりではない。生前、勉強が好きだった子供もいる。ある教室では、そういった数人の子供たちが静かに自習をしていた。ただ、黒板は白い霊気で描かれた落書きで埋まっていて、隅に一昔前の漫画のキャラクターを描き続けている子供もいる。
 窓際の席を見つめたまま、七重は立ち尽くしていた。
 白い髪に赤い目の少女が、夕日を頼りに、分厚い『水滸伝』を読んでいる。
「……」
 七重は声をかけようとしたが、言葉にならなかった。うっすらと口を開けたまま、七重が立ち尽くしていると、やがて少女が顔を上げた。彼女は微笑んだ。
 それだけだった。


 拝んでもよかった。幽霊はいつまでも地上にとどまっていいものではない。だが、彼らは満足したらこの学校を去っていくのだろう。そして今度こそ、二度と学校には戻らない。
 秋成は小さな幽霊たちの存在を、大目に見てやることにした――七重も、それを望んだのである。
「少なくとも、女の子のひとりは」
 壁に札を貼りつける秋成の背後で、ぽつりと七重は呟いた。
「『水滸伝』を読破したら、あの世に行くつもりでしょうから」
「長いお話ですよ、あれは」
「都築さん。……僕の家は、遠い親戚というものが多いんです」
 秋成は振り向く。
 黄と橙を混ぜた光の中で、尾神七重はうつむいていた。顔はオレンジ色に染まっていたが、長い前髪とそのうつむき加減のために、表情はうかがい知れない。
「ここ埼玉にも、遠い親戚がいました。僕と同じで、あまり身体が丈夫ではなくて。でも、本が好きで、勉強のよくできる子でした。お盆やお正月に会うくらいでした。いつも分厚い本を読んでたな。……最近、死んでしまったんですけれどね」
「死で、人間の何もかもが終わってしまうわけではありませんよ。こうしてまた学校に来ることができるし、……誰かの記憶に残っているなら、その人の存在はまだこの世にあるんです」
 秋成は壁に貼り付けた札に向き直り、数珠を持って、短く経文を唱えた。
 七重が、はっと顔を上げる。
 涼しい夕暮れの風が、校舎の裏に植えられた樹木の枝葉を揺らした。電車がレールを渡る音がやってくる。耳のそばに風がぶつかり、ごごご、ばばば、と音を立てる。
 それだけだった。
 校舎の外にまで漏れていた子供たちの声が、聞こえなくなっていた。外からもちらりちらりと見えていた廊下を渡る影も、忽然と消えている。
 苔が生えた生温かい校庭が、だんだんと、影を帯びていった。日が沈もうとしているのだ。その静けさの中、廃校は廃校にふさわしい沈黙を取り戻していた。
「大丈夫。声と気配を消しただけです。よほど霊感の強い人か、幽霊そのものでなければ、彼らの存在には気がつきませんよ」
「『出入り口』は塞いでしまったのですか」
「いいえ。相変わらず絶賛開放中です。来るものは拒まず、去るものは追わず……『学校』さんのやり方を貫いていただきましょう」
「……そうか。学校側も受け入れていたんですね……」
 七重は、気配を感じ、表情を見た気がした。三階の端の窓から、ふたりをじっと見下ろしている視線がある気がしたのだ。子供ではない、老人の気配だった。今は秋成の結界が働いているために見ることはできないが――きっと、それは背広を着た優しい顔の老人だろう。校長先生、なのだろう。
「……さてと。今から帰ると家に着くのは夜中になってしまいますねえ。一泊しましょうか。疲れたでしょう、七重くん」
「大丈夫です」
 まだ空は明るい。夏至は過ぎたばかりだ。夕食時になってもまだ青い空は、疲労の訪れをも先延ばしにしてくれるような気がする。

 去っていくふたりの背中に、見えなくなっただけの子供たちが手を振っていた。

 振り返ったふたりは、笑顔で一度だけ手を振り返した。




〈了〉

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2006年07月03日

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