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『お味はいかが 』
藤井・蘭2163

「おかしいねえ」
 昼寝のために店の奥に引っ込む前、確かにここに置いたはずなのだ。古色蒼然としたアンティークショップのあちこちを探し回りながら、碧摩蓮は首をひねっていた。
 古書からアンティークまで、整理も分類もされずに物が雑多に積み上げられた書き物机の引き出しから、品物がひとつ消えていたのだった。この品を注文した客に、届いたから店に取りに来いと連絡を入れようしていた矢先の出来事だった。引き出しはもちろん、棚の上、椅子の下、屑籠の中まで、店中どこを探しても、ない。
「参ったね。昼寝してる間にどこ行っちまったんだか」
 とりあえず落ち着いて思い出そうと愛用の煙管を取り上げ、火を入れながら眉根を寄せた。
 ……そういえば昼間、貧乏探偵の草間武彦がやってきたような気がする。
 煙をゆっくり吐き出しながら、蓮は寝ぼけている間の朧な記憶をさらに手繰り寄せる。
 貧乏なくせにときどき妙に義理堅い男は、代金が払えないのが心苦しそうだった。だが蓮としてはいつまでも居座られるのも迷惑だったため、さっさと寝なおすべく適当に手土産を持たせて追い払ったような気がする。……手土産?
「…………」
 真相はまだ思い出せないがなんとなく推察はつく気がして、蓮はひとり口をつぐんだ。
 その間十秒。
「……まあ、もう遅い気もするけど」
 幸い、怪しげな伝手に事欠かない彼女にとっては、そう入手の難しい品ではない。
 もし真相が彼女の考えている通りであるならば、やはり彼に一報するべきだろう。たとえ手遅れだったとしても。
 クッキーに入っている惚れ薬の効果は一時的なものだと、やはり知らせておいたほうがいい。



 その日、依頼の経過報告にやってきた神木九郎のポケットには、小さな包みが入っていた。
「あ、お疲れ様です。ちょうど今お茶淹れるところなんですけど、神木さんもご一緒にいかがですか?」
「ああ……じゃあもらおうかな。それでだ、あー」
「他の皆さんと一緒に、適当に座っててくださって結構ですから。今日のお茶菓子は、お兄さんのお土産のクッキーなんですよ。珍しいでしょう?」
 くすくす笑いながら、草間零は事務所の奥へと姿を消してしまった。
 この会話の流れならばきっと『じゃあこれ、茶菓子にでもしてくれよ』とさりげなく包みを渡せると確信していた九郎は、いきなり出鼻をくじかれて憮然としつつ、事務所の応接スペースに足を向けた。
「……タイミング悪ィなあ」
「あ、九郎お兄さんだ〜」
 事務所の応接用のソファには先客が腰かけていた。すらりと長い銀髪に青い瞳の少女、涼原水鈴は、その涼しげな名前と見た目とはうらはらな能天気さで手を振る。
 九郎は一瞬眉を上げたが、この娘の神出鬼没ぶりにはいい加減慣れつつある。鞄を置いてその隣に腰掛けると、その向かい、事務椅子から足をぶらつかせていた藤井蘭がぺこりと頭を下げた。
「こんにちはなの〜」
「おう、こんちは」
「九郎お兄さん、どしたの? 元気ないね」
 不思議そうに覗き込んできた水鈴をちらりと見やり、一瞬口を開きかけてまた閉じる九郎。鞄の中の包みひとつ満足に渡せなかった事実を話せば、曲解されるか、あるいはいらぬお節介を焼こうとするか、どちらにしても恥ずかしい事態になることは目に見えている。
「……なんでもねえよ。そっちはいつにも増して元気だな」
「うふふ」
 水鈴は笑みをさらに大きなものにした。
「だって今日は特別な日だもんねー」
「ねー、なの」
 意味がわかっているのかいないのか、水鈴の尻馬に乗って蘭も同調する。
「ホワイトデー! ねえねえ、九郎さんからは私にお菓子ないの?」
「ねえよ。なんで俺が」
「だって、男の子が女の子にお菓子を贈る日なんでしょ?」
 間違ってはいないものの、本来の『バレンタインの贈り物のお返し』であるという認識が、どうも水鈴の頭からすっぽり抜け落ちているようだ。誰だこいつにホワイトデーなんて教えた奴。
「そうなの。所長さんもちゃんと零さんにお返ししたの」
 ……どうやら元凶は蘭のようであった。
 まるで自分のことのようににこにこと嬉しげな蘭に、今度は水鈴がねーっとやり返す。ふうんと気の無い相槌を返した九郎に構わず、水鈴は続ける。
「なんだかんだ言って、所長さんって零さんを大事にしてるんだねえ」
「大事な妹さんなの」
 先月、事務所にいた皆にお茶請けとして小さなチョコレートが出された日があった。そのお返しということなのだろうということは、その日その場に居合わせた九郎にも推察はつく。
 あの草間がどういう風の吹き回しでホワイトデーなのかは知らないが、そのおかげでこっちはクッキーを渡しづらくなった……と、九郎は内心で苦虫を噛み潰す。たかがひとくちサイズのチョコのお返しにすぎないのだからさっさと渡せばいいものを、なかなかそうもいかないのが年頃の少年というものだ。

「あら、珍しい」
 所長席にもたれ煙草をふかしている草間の様子に、いつもと違う変化を目敏く嗅ぎ取ったのは、当然のごとく事務員であるシュライン・エマだった。
 ソファで座っていた水鈴や蘭らもそのやりとりに思わず目をやる。
「「……何が?」」
 『珍しい』箇所を探すこと数十秒、若者たちはすぐにギブアップ。くすりと朱唇に笑みを浮かべ、エマは整理し終えたファイルをキャビネットに戻しながら種明かしした。
「煙草が違うのよ、いつもと」
 公私ともに草間といる時間の多いエマだからこそ気づくことだろう。まだ喫煙も飲酒もできない年齢ということもあり、九郎がなーんだと露骨に落胆した様子を見せる。
「そんなのに気づくの、エマさんぐらいだって。あー盛り上がって損した」
「いつも思うんだけど」
 事務所に漂う紫煙を眺めながら尋ねるのは水鈴である。
「この煙って、けむたいばっかりで全然おいしくないのに、所長さんはなんでいつも吸ってるの?」
「…………どこから説明すればいいんだこれは」
 すべての喫煙者への根源的な質問に頭を抱えた草間を尻目に、エマは怪訝そうに眉を寄せる。
「でも変ね。この辺りでこんな煙草売ってたかしら?」
「そうなの?」
 エマの真似をして首をかしげた蘭に頷く。
「少なくとも近所では見たことがないけど」
「例のアンティークショップでツケで買った」
 灰皿へ灰を落としながらの草間の科白に、がたんと事務所に大きな音が響いた。この場合、アンティークショップといえばひとつしかありえない。草間の手元に視線が集まり、九郎とエマがおそるおそる口を開いた。
「……煙草は煙草でも国内でご禁制の奴じゃないよな」
「まさかと否定しきれないのが心苦しいわ……」
 あの店で買ったものならばどんな品でもありうると恐怖に打ち震える約二名をよそ目に、世間というものに疎い蘭や水鈴は彼らの話についていけずに素直に感心している。
「よくわからないけど、すごい煙草なの?」
「私もよくわかんないけど、そのお店ってすごいとこなんだねえ。なんでも買えちゃうんだ」
「まあそれもこの場合良し悪しだと思うけどな……。そうだおっさん、自首するなら早めに」
「違う! これは本当に単なる煙草だ!!」
 放っておいたら塀の中の自分への差し入れをどうするかにまで話が発展してしまうと、草間は声を限りに否定した。
「昔製造中止になった銘柄を、あの店のつてで取り寄せてもらっただけだ。失礼な推理をするな」
「なんだ、そうなの」
 ほっとしたようにエマが息をつき、ちょうどそのタイミングで零がお茶を運んできた。楽しそうですね、何のお話ですか? という問いに九郎が答えあぐねていると、いち早く盆の中を覗き込んだ蘭が嬉しげな声を上げる。
「わーっ。おいしそうなクッキーなの〜」
「ええ、本当に。お兄さんにお礼を言いましょうね」
「うん! 所長さん、ありがとうなのー!」
 笑顔満開で素直に礼を言う蘭に、よせよと草間は頭をかいた。まさか照れているのだろうか。
「白状するとな、それは貰い物なんだ」
「え?」
「店に行ったときに、オマケでもらった」
 ――その『店』というのが、先ほど話題にのぼったアンティークショップ・レンのことであるということに気づくのに少しの時間を要した。その頃には水鈴と蘭のふたりが、いただきまーす、と件のクッキーを摘み上げていた。
「待っ」
 ぱく。
 ぱりぽりぱりぽり、もぐもぐもぐ。ごくん。
 捕食、咀嚼、嚥下。その一部始終を見届けた事務所内はしばしの間、緊張した静寂に包まれた。
「おいしーい」
 能天気そのものの水鈴の声で、固唾を呑んで反応を窺っていた九郎は思い切り脱力した。「なんともない……の?」というおそるおそるのエマの質問に、早速次の一枚を食べながら蘭は、何が? と首をかしげている。
「本当にただのクッキーみたいだな」
「そうみたいね……」
 疑ってごめんなさいと内心で蓮に謝りつつ、ふたたびエマは胸を撫で下ろした。心臓に悪いことこの上ない。事情のわからない零が雰囲気を察して、
「あの……?」
「ああいや、なんでもねえんだ。悪い悪い。俺たちも食おうぜ」
「先にやっててくれ。俺はもう二、三本吸ってから食うから」
「あんまり吸うと体に悪いですよ、お兄さん。あ、エマさんはコーヒーですよね?」
「ああ、自分でやるわ。零ちゃんも座ったら?」
 これでもうなんの憂いもないのだと安心して、草間探偵事務所の面々は思い思いにくつろぎ始めた。それは日常そのもの、幾度となくこの場所で繰り返されている平和な午後のコーヒーブレイクの光景。だが彼らは基本的なことを忘れていた。
 ――服用後すぐ効果の現れるような即効性のある薬物は、そうそうないのだということに。


 異変はまず、わりと露骨なかたちであらわれた。
「……あー」
 なにやら先ほどから九郎があーとかうーとか意味不明な音を発しているのに、談笑していた面々がふと気づく。話の合いの手にしてはタイミングが妙で、注意して観察してみればどうも零のほうをちらちらと見やっているようだ。人の心の機微というものに疎い助手の少女もようやくそれに気づいて、
「九郎さん? コーヒーのおかわりですか」
「……いや……あー」
「あ、ほんとだ、もうからっぽ。これで何杯目だっけ?」
 何か言いかけた九郎を遮って、おそらく零に輪をかけて人間関係の機微に疎い水鈴がマグカップを覗き込む。ガラスポットの中身はもう空になっていて、じゃあ新しく淹れ直して来ますねと零が席を立つ。
「あ」
「はい?」
「い、いや、いい」
 呼び止めておきながら結局やめた少年に首をちょっとかしげると、まっすぐな零の黒い髪がかすかに揺れて襟元から白い鎖骨がのぞき、九郎はそこから目をそらすようにして顔をそむけた。年頃のわりに鋭いその目元が常になく赤らんでいるのに気づいていないのは、たぶん当の零と九郎本人だけだ。エマはクッキーをつまむ手を止め、そっと隣の草間に顔を寄せ小声で話しかける。
(ね、武彦さん。九郎くんて、そうなの?)
(そうって、何がだ)
(何がって……だから)
 ここにも朴念仁がひとりいたわ……と頭を抱えたくなるのをこらえ、エマはかすかに溜息。年長者として応援してあげたいような気もするけれど、肝心の当人とその保護者がこの調子ではなんともいいようがない。
 仕方がないので手元のクッキーをかじる。バターの香りがきいていて、なかなかいける。煙草をくゆらせてエマの質問について真剣に考えているらしい草間を横目にしつつ、カップに残っていたコーヒーと一緒に、二度目三度目の溜息を喉の奥に押し込めた。鈍い男につきあっていると、苦労するわ。
 まだこの場の誰も、異変に気づいていない。

 ……だが零がコーヒーを淹れて戻ってきたとき、エマもおかしいと気づき始めていた。
「おい……おまえら」
「はいなの」
 先ほどは九郎の向いに座っていた蘭が、なぜかぴったりと九郎の左側にはりついている。もともと右隣に座っていた水鈴にはさまれ、ソファはずいぶん窮屈そうだ。
「こっちのソファに座りたいのか? なら俺がそっち側に」
 両隣を陣取られるという状況に耐えかねて、九郎は腰を上げようとしたところ、
「「だめ!」」
 ひっつき虫と化していた左側だけでなく、右側の水鈴までもが抗議してきて、そのユニゾンに一同仰天。当の水鈴も言ってから驚いたようで、一瞬ぽかんと口を開け顔を赤くする。九郎は呆れて、
「……んなこと言ったって、この座り方じゃ狭くてしょうがねえだろ」
「だ、だめなんだもん。ねえ蘭くん」
「だめなの。九郎さんがそっちに座るなら、僕もそっちなの」
「だーもう、なんなんだよお前らは!」
 あやうく癇癪を起こしかけている九郎の手を、両脇からそれぞれ蘭と水鈴がしっかりキープしている。さすがの零も何か変だと思い始めたのか、コーヒーのおかわりを注ぎながらひっつき虫二人に問う。
「あの、お二人とも急にどうしたんですか? 九郎さんが困ってらっしゃいますよ」
「よくわかんない」
「わかんないけど、なんだか変なの」
「九郎お兄さんを見ると、きゅんってして」
「どきどきなの」
 少年をはさんで顔を見合わせ、蘭と水鈴が頷きあう。互いに牽制しあうかと思えばそうでもなく、どうも奇妙な連帯感で結ばれているようだが、そうなるとふたりに挟まれた九郎が一層哀れである。そもそも彼らが「なんか変」なのは誰が見てもわかる。
「状況が分かんねえんだけど……」
「安心して、九郎くん……私もまだあんまり把握できてないから」
 頭を抱えようにも両腕をキープされていない九郎に、エマがフォローにならないフォローを口にした。水鈴は水鈴で、ぷうと頬を膨らませて口を尖らせている。
「分かんないのはこっちだもんっ。このどきどきする感じは、運命の人じゃなきゃ駄目なんだもん。九郎お兄さん、私に何か変なことしたんでしょ? 悪い魔法とかっ」
「なにを言いがかり……いてっ」
「おいおい、暴れるなら外にしろよ」
 ぺしぺしと頭をはたかれて抗議もままならない九郎を眺めながら、草間が煙草を灰皿に押し付けた。外、という言葉に、今度は蘭がぴくりと反応する。
「そうなのっ。水鈴さん、九郎さん、皆でお外行くなの」
「は?」
「いっしょにごはんを食べて、遊園地に行って、でーとなの」
 ……。
 …………デート?
「あ、それいい。丁度今日はいい天気だし」
「水鈴さんも一緒するなの?」
「デートって、男の人と一緒にお出かけして、おいしいものおごってもらえるんでしょ?」
「わあ。知らなかったなの」
 誰に教わったものなのか、水鈴はどこまでも笑顔、蘭もつりこまれて笑顔。
「デートの終わりはね、夜景のきれいなところで決まりなの! この間テレビで見たなの」
「ついでに九郎お兄さんに魔法を習ったら、運命の人に駄目って言われないかなあ」
 そもそもその名前と幼い外見でつい忘れがちだが蘭は確か男の子だったはずだ。唐突なその単語の意図を理解できずいやしたくはなく、九郎が束の間意識を飛ばしている間も、両隣では傍若無人と紙一重の無邪気な会話が続いている。助け舟を出そうにも一体どこから突っ込めばいいのやら、事務所の面々はただ遠巻きに見守るばかり、孤立無援とはこのことか九郎。
 水鈴の歪んだデート観はいずれ犯罪を誘発しそうな気がするのだが、ここは大人としてやはり訂正してやるべきなのか、しかしこのほんわかした二人の何から正してやればいいのかとエマは一瞬本気で悩む。
「……いくらなんでも変よね、零ちゃん」
「そうですよね。コーヒーのおかわり、どうしましょうか」
「……。と、とにかく……この場合怪しいのは」
 二人の視線の先には……草間の手土産のクッキーを入れた、今はほぼ空に近い菓子皿。はっと目を向けたエマは、草間とまともに目が合った。
「た、武彦さんっ。ま、まさか」
「……もう食った」
 さすがに草間もこの騒ぎの元凶に気づいたのか、やや青ざめて呟くように言う。
 飛ぶようにしてエマは給湯スペースに向かい、牛乳パックをまるごと一パック持って戻ってきた。がっと男の後頭部を抱え込み、有無を言わせぬ強引さで口をこじあけ牛乳を一気に流し込もうとする。ごぼっ、という音は、この場合聞き流すべきなのだろうか。
「は、吐いて。武彦さん、吐き出すのよ!」
「え、エマさん、それはちょっと」
 お兄さんが死ぬかも……と零は呟くのだが、エマにしてみれば、間違っても草間が水鈴や蘭に迫るような光景を見たくはない。仮にも惚れた男なのだ。いやそれ以前に条例違反だ。相手は未成年、過去の判例では確か最高懲役二年……。
 そんなことはさせない!
「そうだわ」
 草間の頭をがっちりとホールドしたまま決然とエマが言う。草間はあやうく牛乳死(?)しかけて生死の境をさまよい意識がないのだが、そんなことは彼女にとってささいな問題らしい。
「とりあえず武彦さんに犯罪を犯させないよう、拘束した上で隔離。零ちゃん、仮眠用の毛布持ってきて。あと何か縛るもの」
「え、え? はい」
 最近はずいぶん常識を学んだものの、根が素直な零はぱたぱたと言われたものを取りにいく。意識がないのをいいことに草間の簀巻きが着々と作成されているかたわらでは、九郎が蘭と水鈴にふたりがかりで事務所の外へと引きずられていた。
「離せコラ! 俺はまだここに用事がだな」
「さあまずどこ行こうか」
「うーん、やっぱり、デートといえば遊園地なの!」
「人の話を聞け!」
 しかし惚れ薬の効果でいつにもまして浮き立っている彼らが、本人の意思など尊重するはずもない。さすがに力ずくで振りほどくわけにもいかず(薬が効いていても理性が効いているのは偉いが、こういう場合はある意味不幸だ)、そのままなすがままずるずると移動させられていく。
「離せ――! 俺はまだ渡すものが――!!」
 結局、散々あちこちを引っぱり回された数時間後にようやく効果が切れ、二人いわく「どきどきしなくなった」そうなのだが、立派な食い意地の持ち主である水鈴はホワイトデーを盾に食べ物をおごれと強要してきた。消耗しきっていた九郎はもはや抗議する気さえ起こらず、近場の喫茶店で巨大なパフェを二人におごる羽目になったらしい。
 そして当然ポケットのクッキーは、渡せずじまいに終った。合掌。



「惚れ薬、ね」
 今更になってかかってきたアンティークショップの女主人からの電話を切って、エマは溜息をつく。
「どうします? このクッキー」
「もうほとんど皆で食べちゃったしね……返すわけにもいかないんじゃない?」
 やはり捨てるのが無難だろうと、零に向かって肩をすくめてみせた。効果が一時的とはいえ、物騒なクッキーは早々と処分してしまうに限る。蓮からの電話によれば、いまごろ九郎たちの薬の効果も切れているころだ。
「でも、いい思い出になるんじゃないかしら? ほら」
 ぱちりと開いたエマの携帯を零が覗き込むと、液晶ディスプレイに、蘭と水鈴に両側からくっつかれ、この上なく微妙な表情の九郎が表示されている。
「今度九郎くんが来たときにでも、見せてあげましょうよ」
「エマさん、これいつの間に……」
「内緒」
 皆が混乱していた最中どうやって撮ったのかと零は唖然としたが、エマは嫣然とした笑みで回答を拒否する。こうなると答えを引き出すことは無理に等しく、零はそういえばと話題を変えた。
「エマさんもちょっと普段と違ってたのは、あのクッキーのせいだったんですね」
「言わないで」
 草間はまだ簀巻きになったまま、事務所の床で芋虫のように転がっている。薬のせいだとはいえ、あれだけの無体を働いた今となっては、あの拘束を解くのがちょっと恐ろしい。しかしその反面、惚れ薬の効果で好きになった相手が草間でよかったという思いも確かにある。
 本当は、惚れ薬なんて野暮なものが出る幕じゃない。元々惚れているのだもの、なんて、さすがのエマも言うのはちょっと恥ずかしい。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 2163 / 藤井・蘭 / 男 / 1歳 / 藤井家の居候
 0086 / シュライン・エマ / 女 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
 3203 / 涼原・水鈴 / 女 / 11歳 / 迷子さん。
 2895 / 神木・九郎 / 男 / 17歳 / 高校生兼何でも屋

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 ライターを務めさせていただきました宮本です。
 ……えー、まず、何をいまさらという感じではありますが、今更な納品です。季節商品でありながら、ものすごい遅刻をお詫びします……。言い訳はいろいろあるのですが、そのためのライター通信ではないので、謝罪のみにとどめておきます。
 土下座してもいいけれども文章では見えませんし。

 ともかくも、発注ありがとうございました。そして、大変申し訳ない。
 今後はこのようなことのないように、深く深く反省します。
ホワイトデー・恋人達の物語2006 -
宮本圭 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年06月26日

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