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『文月の懐古の調−風の鈴− 』
烏丸・織6390


 染織師、烏丸・織(からすま・しき)がその月に請負った仕事は、一風変わった類のものだった。
 郊外の森林の中に立つ、とある小さなギャラリーからの依頼で、月毎にテーマを変えて行っている展示物のディスプレイ、七月の部を受け持って欲しい、という。
 それ自体は珍しくもないが。
「風鈴、……ですか」
 今月の展示物は、ある老夫婦が、長い年月をかけて集めてきた風鈴たちだという。その数、100個。だが、まとめ買いしたものは一つもない。
 旅先では、まず風鈴が置かれている店を探し、ゆっくりと吟味する。そして、本当に気に入ったものを一つだけ、買ってくるのだ。一度の出会いに、一つしか選ばないのだ、と老夫婦の主人は笑っていた。
 子もおらず、二人だけで営む生活の中で、この風鈴集めが彼らの楽しみだった。
 それも今年で100個になったから、二人だけで眺めるのはもったいない、とギャラリーに展示を申し込んだ、ということらしい。
 そういったことならば、と織は二つ返事で依頼を引き受けた。
 その上で、風鈴を借り受けに行った先の、その二人は、随分と綺麗に年をとってきたのだなぁ、と思われる人々だった。皺を刻んでいる顔は柔和で、意外と背が高く、少しも曲がった節がない。
 我が子を慈しむように風鈴を丁寧に扱い、参じた織に深々と頭を下げてくる。
「どうぞ、よろしくお願いいたします。貴方様の思うように、飾ってやってくれて結構ですので」
 風鈴には、ガラス、鉄器、陶器、様々な形や材質のものがあった。だが、中でも織の目を惹いたのは、可愛らしい、赤い金魚があしらわれた、とても素朴な風鈴だった。
 形は少し歪だが、掌にすんなり収まるサイズの、丸い風鈴。
 そっとそれを手にとって鳴らすと、透明感のある、涼やかな声を聞かせてくれた。
「それは、お恥ずかしい。わたしたちが作ったものでして」
 本当に恥ずかしそうに、老人がそう言う。
 硝子工房の体験教室で、一日体験の風鈴製作があったので、参加したのだ、と。真っ赤に熱く溶ける硝子を吹くのは、なかなか難しかった。だが、これも男の務め、と力強く吹き上げて、出来上がったものに老婦人が絵を描いた。
 風鈴の中では一番好きだ、という、金魚の柄だった。
 織は、二人に深々と礼をする。
「大切なものを、しばらくお借りいたします。展示のディスプレイが終わった際には、招待状を送ります。ご足労でしょうが、どうか一度いらしてください」

*

 風鈴自体を見たときから、イメージは確立されていた。あとはそれを実現しなければならない。
 染色には、植物から取り出した色粉を使う。色数を多く使うので、カップ状の容器に染料を溶き、自由に混色できるよう、並べ立てた。自分の手にもう一つ別の容器を持ち、それぞれ染料、糊、水分を加えて混ぜる。今回は浸染の手法で染める為、スレン染料を使用した。
 混色は使う素材、染料の比率などによって出る色目が違うので、何度も繰り返し、試して納得のいくものを作り上げた。今回は、特にこの色を大事にしたいのだ。

 織は、そうやって自らが織り、染めた反物やタペストリーの中から、蒼の、それもどちらかというと渋い色合いに染まったものを、濃淡混ぜ合わせて選び出した。あえて、無地のものばかりだ。紺、褐色(かちいろ)、紺桔梗、瑠璃紺、黒橡(くろつるばみ)。これらには、夏の夜空になってもらう。
 合わせて、資材として、大き目のすのこと、簾、それから植木鉢や透明な硝子の金魚鉢を発注した。
 日頃は主に画廊として使用されているらしいギャラリーの両開きの戸を解放し、森林へ繋がる入り口の戸も開けたまま固定する。
 風鈴は、風を受けて身を震わせている時がとりわけ美しい。だが、その身を揺らす風は人工の風ではなく、できるだけ自然の風を呼び込みたい、と思った。
 織は張りのある声で、美術を受け持つ人員に支持する。
「すのこは、床に敷き詰めてください。隙間なく、です。壁には、そのタペストリーを。一番蒼が濃いものがいい。両脇にも布を提げてください。そう、一筋道をたて、奥に誘導するようにです。天の川が輝く、夏の夜の空をモチーフにして。かなりの広さがありますから、もし布やタペストリーが足らなければ、私に申し出て下さい。天井からも、風鈴を吊るします。これは星に見立てたいので、吊るす長さにメリハリを持たせてください。わからない時は遠慮せずに、いつでも声をかけてください」
 大きな素材の位置は配置図を用意し、口でもおおまかに指定しておき、自分は風鈴自体のディスプレイへとかかる。この時期にふさわしい、未成熟な夏を詰め込み、演出する為に趣向を凝らした。
 吊り下げられた布を縫って、所々に金魚鉢・植木鉢・水鉢など、丸い型のものを配置する。金魚鉢と水鉢には水を張り、花や硝子の水球を浮かべて遊ばせた。遠く、空の向こうに浮ぶ惑星に見立てたのだ。
 植木鉢には土を入れ、細めの竹棒を差しいれ、しっかりとした枝振りを作り、そこにいくつかの風鈴を吊るす。これは七月に咲く朝顔に見立てて。

「烏丸さんー、側面に置く台、これくらいの大きさでいいっすかねぇ?」
「あぁ、はい。いま行きますよ」

 呼ばれ、足早にそちらへ向かうとさらに何人かに声をかけられる。それに一つずつ丁寧に指示を与えてから、織は頼んでいたものの出来上がりを確かめた。
「……いいなぁ。これはいい出来だ。ありがとうございます」
 さすがですね、と労うと、大道具を担当している大工は嬉しそうにはにかんでぺこり、と頭を下げ、次の持ち場へ行く。
 そこにあったのは、少し小さめではあるが、そのまま夏祭りの参道に並んでいそうな屋台だった。上の骨組みを囲うビニールの代わりに、また織が染め抜いた布を張り、人が立つ空間に簾をかけた。この簾を背景に風鈴を吊るせば、風鈴屋台の出来上がりだ。
 今ではなかなか見なくなったが、遠く江戸の時代などには多くの客を呼び込んでいた屋台である。
 風鈴は、けして落ちたりすることのないよう、慎重にテグスをつかって簾にぎゅっと縛り付ける。店屋らしく、等間隔に。
 できるだけ彩り豊かに、賑やかに見えるよう、使う風鈴の配色にも気をつかった。

 流れ落ちる汗を拭って、ふと、天井に目をやると、緩急をつけて吊り下げられた風鈴が、涼しげにちりちり、と音を立てて泳いでいる。照明に気をつかっていない今でもこれほど綺麗に見えるのなら、実際の仕上がりには期待できそうだった。

「そろそろ、仕上げかな」
 呟き、織は取り分け大事に布にくるんで、保管しておいた風鈴を取り出した。
 あの老夫婦が自ら手がけたという風鈴だ。
 自分も物を作るのだから、この風鈴への彼らの思い入れは、よく分かるつもりだ。
 子供のいない、長い長い人生の中で、楽しみにしてきたことの集大成がこの、少し歪ながらも丸く、優しげな金魚風鈴ならば、これこそが彼らの絆なのだろうと思う。
 だから、一番奥に、布も台もあまりない、ひらけた空間を創り出した。
 その真ん中に、素朴な木作りの長椅子を据え、小さいながら、軒先を天井に接して作った。金魚風鈴は、その軒に吊るす。
 入り口の方から進んできてもその姿がきちんと見えるように、上についた紐に足し紐をした。
 夏の夜に、縁側に出て、風鈴の涼やかな音を聞きにきたような、そんな気分で見てもらえたらいい。
 あの老夫婦に、二人で今まで重ねてきた毎日を、鮮やかに思い返してほしい。
 二人きりだったが、あんなことがあったな。こんなこともあったな。
 そんな風に、懐かしんでほしいから。
 この空間に、今まで誰もが一度は経験したことのある夏を、できる限り閉じ込めた。
 すべてのディスプレイを終えた後、皆が引けて、一人きりになってからも、織は丁寧に一つずつ、配置や見え方のチェックを行い、それがすむと、約束どおりに、二人に招待状を書いた。
 傍らでは、飾りつけた色・形とりどりの風鈴たちが、凛、と涼やかな音を奏でていた。

*
 後日、老夫婦たちが、織の庵まで訪ねてきた。
 手紙ではとても済ませなくて、と言う老婦人の声は、濡れて、涙ぐんでいた。
 織が恐縮するほどに、二人揃って深く頭を下げてくれた。あんな風に、気持ちを汲み取ってもらえるとは思わなかった、という。

「貴方にあの風鈴たちをお預けして、本当に良かった。本当に、嬉しかったんですよ。ありがとう」

 そうして、嫌でなければ、と言いながら控えめに老紳士が差し出したのは、あの、素朴な金魚風鈴に似た、丸い形の風鈴だった。描かれているのは、夜の空に咲く花。
「もう一つね。工房を借りて、作ったんですよ。あなたのような方に差し上げるには、とてもお恥ずかしい出来のものですが、よければ」
 私たちの精一杯の気持ちです、という言葉と共に、織はその軽く、手にすっぽりと収まる風鈴を受け取った。
「もったいないです。ありがとうございます」
 朗らかに笑って、礼をする。

 何より、彼らの笑顔が嬉しかった。
 この花火をあしらった風鈴は、きっとこの庵の夏を、涼やかに彩ってくれることだろう。


END


Writing by 猫亞 
Thank you for the order.
PCシチュエーションノベル(シングル) -
猫亞阿月 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年06月19日

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