▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『車前草に涙は零れて 』
玲・焔麒6169)&空狐・焔樹(3484)

 光色の雨が降る。
 さあさあという涼しげな音や独特の香りを引き連れたそれは、梅雨のざあざあと世界に存在する物全てを叩き蒸し暑い空気を運んでくるそれではなく静かに、風に誘われるようにして東京の晴れた空から涙のように降り注いでいた。

「ああ、お嫁入りですか…」
 青銀の艶やかな髪を束ね、漆黒と純白の織り交ざった中華服に身を包んだ青年―――玲・焔麒(れい・えんき)はここ暫く続いた梅雨という名の蒸し暑い雨から、ようやく晴れたその空に降り注ぐ涙のような雨を瞳だけ綻ばせてそう口にする。
 焔麒の営む薬屋『柳仙閣』はここ数日、雨の酷い日々と路地の狭いその場所も会い重なって閑古鳥が鳴いていたがなんの事は無い、この季節が過ぎてしまえばそれなりの客がまたやってくるのだから薬の調合も大した休む暇無く続け、今日この晴れた空に雨が降り出した時から薬ではなく香を、焔麒は朝から休む事無く試行錯誤の上ようやく普段使用しない小さな、けれど随分と凝った装飾の香炉へと入れて大窓のある柳仙閣の二階へと足を運んだ。

 柳仙閣、元々いつ頃建てられたのか、いつ焔麒という青年の姿を模した者が薬屋などを始めたのか、細まった路地の中にある場所の出来事を知る者は誰一人として居ない。
 が、ただ一つ、この中華独特の威厳と漢方の香り、煌びやかな装飾は既に年月と共に無くなってしまい木目は裸になって見え、店頭にある薬は珍妙な物ばかりである摩訶不思議なその場所は、焔麒にとってとても心地の良い空間であったし、何より年月を経ている筈だというのに戸の閉まりが悪い等という不都合も一切無い、ただ少しばかりぎしぎしと年月を経た建物の声を聴きながら階段を登り二階の大窓を開け放つと、晴れた空から降り注ぐ淡い水に香から香る品の良い香りを流した。

 と、香の煙が雨の水を撫でた途端、まるで雨そのものが歓喜に満ちた声を香を流す主に送るかのように、止みかけたその水を一層多く虹色に輝かせながら地上に降り注がせる。
「ほう、他国の狐に祝いなど酔狂なものだな」
「おや、ここのねぼすけさんはもう起きたのですか」
 小さな店の二階は意外に広く造られており柳仙閣が以前は増築を重ねた物件だという事がうかがい知れる。
 そんな中、矢張り独特の木材による装飾で飾られた長椅子から強く、張りのある女性の声を耳にし、焔麒はその声の主である空狐・焔樹(くうこ・えんじゅ)にさも、今ここに彼女が居るという事実に気が付いたと言わんばかりな金の瞳にわざとらしい驚きを称えて香炉を窓際に置いた。
「寝坊とはなんだ。 兄様とて人の世の中でぐうたらと好き勝手にやっておるではないか」
 同じ青銀の色のある髪、月にも見間違えるような黄金の瞳は焔麒と焔樹のただならぬ仲―――血縁の意味を空気に乗せて知らせており。
「好き勝手とは言いようですよ焔樹。 人の世を知るのもまた一つの役割ですからね」
 物は言いよう、嘘も方便。
 焔麒の言う事の半分程は確かに頷けるが実際のところ自分がそういう意味で下界に下りているのか、そう問われれば笑い返す他無い。
「…口の減らぬ…。 同郷に帰らぬ者が他国の者を祝おうとて意味はなかろうが」
 冷たく言い放つ焔樹はそれでもどこかこの兄、焔麒に逆らう術を見つけられないと言った風に視線を泳がせ起き上がると、長椅子に膨れながらも身体を委ねる。
「そうですか?」
 瞳の中に映る妹の姿は胸を大きく肌蹴た自分と同じ中華服に身を包み、焔麒としても自らの血筋を引く者と理解できる整った艶のある女人そのもので、同じ月は一瞬見つめあい、そして兄が同じ長椅子に腰掛けると同時に妹からその視線は外された。
「唐土の狐も日本の狐も種族としては同じなのですから祝いの香一つも焚いて差し上げるのも宜しいでしょう」
「ふん…」
 外された焔樹の視線がもう一度焔麒に戻り、何か言いたげな色を宿してからまたすぐに逸らされる。
 それっきり静かになった妹は曲線美のある足を組み、そこに肘をついて機嫌の悪さをあからさまに表情に出しながらも時折香を気にする焔麒をちらちらと覗き見た。

(矢張り機嫌を損ねてしまいましたか…)

 狐の嫁入り。
 雨の気にあてられても掻き消される事の無い祝いの香が残り少なくなるのを感じながら、焔麒は妹の起した数々の出来事について瞳を伏せ自らの思い出を探る。



 焔麒と焔樹。二人がこの世、人の世とは違っていてもその意識と身体を持って生まれたのは本当に遠い昔。人間が生きていれば気が狂ってしまいそうな程の大昔に二人は世に出た。
 しっかりとしている、と言えば言葉は良いが実際単に生きていく術を幼い頃から早く理解し、天才型とも言える速度で本来の力を使う事が出来た兄、焔麒とは違い焔樹に至っては様々な悪戯、子供らしい事をしたもので。人の姿に化ける事も出来ずに一人どこかへ行ってしまった事も、何事もすぐに覚えてしまう兄に対してよく言葉を荒げた事もある。
 ただ、その全てが兄である自分の側で起きた事であり、意識が確立して千年。人で言えばもうこの世には居ないであろうし、数々の能力者とてそこまで生きたと思うそんな時間ですらまだ焔樹達にとっては半人前。

 そう、その半人前の知識と有り余る能力、焔麒とは随分と離れた思考を持った焔樹は兄達の下から離れ、単身日本という島国に渡ってしまったのだ。
 始めこそ能力の伸びが著しくはなかった焔樹ではあったがこの頃になると既に兄の焔麒を凌ぐ能力を身につけ、天界でも一目を置かれる存在になり、そんな彼女を放っておく事も出来ずに役職関連で動く天界の者達の重い腰を横目で見ながら、焔麒は自分もまるで妹のように単身他国に乗り込んでいて。

『兄様…兄様なのか…?』

 強力な力を持つという事はどれだけの苦労を強いられる事だろう。焔麒が焔樹を他国の蠱毒使いの下、能力を逆手に取られ自由を奪われたその姿を見つけた時は流石に驚かされた。
 幼い頃あんなにも強気で発する言葉全てに棘のあった妹がなんと弱々しく兄を見上げるのだろうか。それはさながら朧月を見るかのように、曇った瞳を健気にも涙は溜めずただ肉親が自分を助けに来たという事実が信じられないというように焔樹を酷く長い時間凝視する。
 種族にとってはまだまだ小娘、他国の武将達に力を分け与えては戦乱の世を見下ろしていると天界にまで轟いた彼女の名前はそこで一旦兄に連れられるという形で日本国から消える事になった。

『焔樹様、何卒御戻り下さりますよう…』
『また同じお役所仕事か…。 そんなもの放っておけば他の者が勝手にこなすであろう!』

 天界に戻ればあれだけ安否を騒いだ下々の者が焔樹につくようになる。それは、生まれ持った才覚、焔麒でも回廊で出合ったならば横に道を開けねばならぬそんな距離。
 蠱毒使いから焔麒によって救い出された焔樹は以前の負けん気の強さで一気に天界最上位、空狐の座を得て日々を過ごした。
 尤も、役職仕事よりも色事のかけひきや自らが楽しいと感じた全てに全霊を注ぐ性質でもあったから、お付の者を散々と泣かせてはいたものだが矢張り。
『焔樹様、あまりお付の者をお泣かせになりませぬよう、お願いします』
 再び戻った天界での生活に地位は兄妹を縛りつけたが、何故か焔麒の精神的地位は焔樹より上で。
『兄様か…』
 気は許しているものの何処か懐かない獣のような、美しいが冷たい氷のような視線が回廊の隅で微笑む焔麒に向けられる。
『もういい、行くぞ』
 職務を放り出して下界へと繰り出す筈の焔樹の足は焔麒を見て踵を返した。
 決して兄の言う事を聞いたわけではないだろう、彼女の背後を下々の者達が歓喜の声を上げながらついていく。

 兄妹の間に元々小さな溝のようなものはあった。ただ、それは人の肉親にあるそれと同じ程度であり地位が上がるに連れて焔麒の思考と焔樹の思考はそれ相応に変わっていったのだ。



(焔樹の今後はあるのでしょうか…)
 考えにふけってふと、長椅子を立ち上がり無くなった香炉を手元に戻すと狐の嫁入り。花嫁という言葉が柄にも無く頭を過ぎる。
 元々は人、生き物と交わり精気を奪う種族でもある故、婚姻を深く考える事など無い。無いのだが、焔樹は空狐。世継ぎも必要ならばその強力な力をこの後の世も繋げていく必要があるのだ。
「焔樹」
「なんだ兄様、突然妙な顔つきをして」
 香炉を机に置いて長椅子に座る。
 顔をつき合わせるのは天界からまた下界、互いの思惑の末に日本国に戻ってからは大して珍しい事ではなかったが、焔麒が焔樹の瞳をまじまじと観察するかのように覗き込むのは珍しく、その瞳に真剣な何かが宿っているとなると妹は怪訝そうに肩を低くして警戒の態勢をとる。

 いかに空狐とて狐の習性は持ち合わせていて、それは焔麒も同じではあったが妹のそれは過去の事もあるのだろう種族の範囲以上のものであり、心を許す者は本当に一部。
「いえ、相変わらず可愛らしいですねぇと我が妹ながら見惚れてしまいました」
 言葉に出していいものか、悩まされるも回転の速い焔麒の意識はすぐにいつもの理解しがたい笑みを浮かべて焔樹の顔に近づいていく。
「ふん、気でも狂うたか。 一度たりとてそのような事、思うた事すらない癖に」
「おや、心外ですねぇ…」
 ぐい、と身体を押しのけられて焔麒自身、拍子抜けしたように瞼を何度か瞬かせる。
 人の世、一度は忌々しい目に合った島国に気紛れとはいえ顔を覗かせる妹の心には何が映っているのだろう。遠い昔に何か恐ろしい意味とは別の、心に残るものがあったのか。

(あの子の心を射止める者は居るのでしょうか…?)

 押しのけられたのならば仕方がない。立ち上がり香炉を持って妹を見れば呑気にまた長椅子に転がり始める。
 物心ついた時から親は居なく、下々の者の世話によって今日までを過ごしてきた兄妹二人。焔樹からしてみれば親は焔麒と言っても過言ではないだろうがその兄からすれば親は無く、ただ一人の妹の将来を思う本当の親のそれとなっているのだから、彼女の今後に関しては気が気ではない。
 もし焔樹の心を射止める者が居るのだとすれば兄として、親代わりとして嬉しいのか、ただ複雑であるのか。

「貴女がお嫁に行くのはいつになるのでしょうね?」

 呟いた言葉の次に返ってくるのは言葉にならぬ言葉であって、決して好意的なものではなく息を詰まらせたような、怒りを兄に向けたようなそれだけで。
 煙の無くなった香炉を抱えて柔らかな絹にそっと包む。祝いの装飾が施してあるこの道具を妹に対して使用する日は来るのだろうか、想像して何故か苦笑が零れるのを押し殺す。
「いつもいつも妙な兄だと思えば! もう良い、さっさとその香をしまえ!」
「ええ、無くなってしまいましたしね。 貴女も部下をあまり泣かせるものではありませんよ」
 直後に知らん、と大声が飛び焔樹はそのまま長椅子で無言になってしまった。

(やれやれ、もう完全に不貞寝ですねぇ……)

 昔から焔麒を丸め込む術を知らない焔樹の最後の手が怒鳴り散らしてそのまま眠ってしまう事だ。それでも、矢張りこうして兄の下に顔を出すという事は見えない信頼の証。
「もう少し、待っていましょうかね」
 妹の心を射止める人物を。いつか会える事を願って。
 香炉を大切に懐に抱えながら焔麒は一階の柳仙閣店舗へ戻っていく。

 さあさあと地上を淡く叩いていた雨は止み、梅雨にしては晴れた空が今日この日だけ覗いている。明日、もしかしたらまた叩くような雨が降ったとしても、それは矢張り焔麒と焔樹にとって長い生命の思い出の一つ。
 戻らない一日の一つなのだ。




PCシチュエーションノベル(ツイン) -
クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年06月19日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.