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『芳醇な未来に捧ぐ  』
藍原・和馬1533)&藤井・葛(1312)

 この季節の長雨を「梅雨」と呼ぶようになったのは、青梅の収穫時期だからであるらしい。
 何をもってして四季の移り変わりを感じるかは人それぞれであろうが、藤井葛にとっての季節感とは、身近な植物たちによってもたらされるものだった。
 居候を連れ、フラワーショップを営んでいる実家に顔出ししたのは、ついこの間のように思う。そのとき、店頭からは白梅の花の香りが漂っていた。ところが、今、葛が立ち寄っているスーパーでは、粒の揃った南高梅が、1kg単位で空気穴つきビニール袋に入れられ、絶賛販売中である。
 その一角には、広口瓶や氷砂糖、ホワイトリカー等、果実酒づくりに不可欠な品々も並べられている。
 花から、果実への変化。つまりは、いつの間にかそういう季節になったのだ。
(ふうん……)
 興味を惹かれ、果実酒コーナーで立ち止まったのは他でもない。
 一昨日、藍原和馬が葛のアパートを訪れた際、「土産だ土産。何と、俺の手作りだぞ」と差し出されたのが、焼酎の空き瓶に入った梅酒だったのである。
 良い焼酎を使い、長年寝かせておいたのだと自慢するだけあって、その梅酒はたいそう美味しかった。いったい、どれだけの時間を経ればこの味が出るのかと聞いたところ、
 ――あ? 何年ものかって? えーと、んーと、どうだったっけー?
 何やらしどろもどろになり、誤魔化されてしまったのだけれど。
 そういえば、そのとき和馬は、処理に困るくらいに大量の梅をもらったばかりで、今、部屋は梅に占領されているとも言っていた。何でも、とある公園の野外ステージ清掃に駆り出されたついでに、併設の梅園の手入れと梅の収穫も手伝わされたそうなのだ。
 高額のアルバイト料をはずむという約束だったのだが、結局、その報酬は現物支給となったらしい。
 ――やれやれだ。せっかくだし、新しく梅酒を仕込むかねェ。広口瓶の予備はあるんだが、酒と氷砂糖を買ってこなくちゃだなァ。
(梅酒用のお酒って、何を使うんだろう……。ホワイトリカーにウイスキー、ふーん、ブランデーでもいいのか)
 売り場を飾る『あなたも梅酒造りに挑戦してみませんか?』という内容の貼り紙には、カラフルな文字で工程が紹介されている。
 丹念に目を通してから、葛は力強く、よしっ! と頷いた。

 ……しばらくして。
 レジを済ませた葛は、たいそうな荷物を両手に持ち、スーパーを後にした。
 これはと思った酒類を2〜3本ずつひととおり網羅したうえに、1kg入り氷砂糖を3袋、大瓶入り純正れんげ蜂蜜(氷砂糖の代わりに蜂蜜を使ってもよいという記載があったので)を2瓶買い込んだので、まるで救援物資を運ぶがごとくの風情である。
 だがしかし、救援物資には違いない。……梅の海で遭難しかけている誰かさんを助けるための。
 葛は大荷物の重量をものともせず、その足で颯爽と、和馬のアパートに向かったのだった。

 ◇◇ ◇◇

 葛がチャイムを鳴らす前に、部屋の扉は開いた。
 どうやら、足音で判断がついたものと見える。五感が鋭敏な交際相手だと、こんなときにはフットワークが軽くて便利だ。
「お待ちしておりました。梅屋敷へようこそ、お嬢サマ」
 うやうやしく、芝居がかった礼をして、和馬は室内を指し示す。梅特有のさわやかな香気が、部屋に満ちている。
「うわ。ほんとにいっぱいある」
 部屋の3分の1くらいを占めたビニールシートには、青梅と黄熟しかけた梅が分けられて、大粒、中粒とサイズ別に山盛りになっていた。ささやかなキッチンスペースには、とうてい収まりきれない量である。仕分け作業だけでも、さぞ時間がかかったろう。
 葛は目を見張ってから、あははと笑った。持ち手がちぎれそうなスーパーの袋を、床に下ろす。
「土産のお返し。必要だろうなと思って」
 梅の山の前には、和馬が用意した広口瓶がずらりと並んでいる。その横に、ホワイトリカーのパック、ウイスキー瓶、果実酒用ブランデーパック、氷砂糖袋、蜂蜜瓶を、袋から次々に取り出した。
「おウ。ありがたい。じゃあ、共同作業と行きましょうかね」
 腰を下ろすなり、葛は竹串を渡された。これを使い、まずは梅のへたを取り除いていくのである。避けられない工程のひとつだ。
 が、自分で言っておきながら、和馬は「共同作業」という言葉の醸し出す家庭的な雰囲気に、勝手に照れている。
「ええっと、これから梅酒漬けるの、手伝ってくれるン……だよな?」
「……? 当たり前だろう。そのために来たんだから。さっさと始めるぞ」
 
 もくもく。ぷちぷち。
 もくもくもく。ぷちぷちぷちっ。
 もくもくもくもく。ぷちぷちっぷちっぷちっ。

 ふたりとも、かなり手際が良いほうである。梅の凹みからへたを穿る作業は順調に進んだ。
 ……無言のままで。
 葛は、真剣極まりない表情で左手で梅をつまみ、右手で竹串を操っている。まるで短剣を駆使して戦闘中のような、気合いの入れようだ。
「あのォ、葛サン」
「なに?」
「俺思うんだけどさァ、手は動かしながらでいいンで、なごやかに、こう、他愛のない会話とかしながらだったら、嬉しいかなァって」
「そだね。すれば?」
「や、うん、まあ」
 葛があっさり事務的なのは、こちらはこちらで、半分は照れと緊張、半分は天然という、微妙な事情がある。
 その証拠に――
「家庭における果実酒づくりは、ほんの最近まで禁じられてたんだよなア」
 和馬のぎこちない話題提供に、著しい反応を見せたのだ。
「……家庭……」
 そう呟くなり、ぴたりと手が止まる。竹串がぐさっと梅に突き刺さってしまった。もっとも、作業工程において、漬ける前に数個の穴を開けておくのは必須であるから、無問題ではあるのだが。
「そこに突っ込まれると、ちょっとあの、俺もどう続けていいやら。一般的表現ってことでご勘弁を」
「そ、そうだよね。最近って、いつごろまで?」
「あーと、たしか昭和37年だったっけか、解禁されたのは」
 40年以上も前のことを、うっかり「ほんの最近」なんぞと言ってしまったことに気づき、和馬は焦る。が、特にフォローはせず、たたみかけて流してしまうことにした。
「で、翌年の昭和38年には、続いて12品目が解禁されたんだ。みかん・いちご・くこ・またたび・すもも・かりん・にんにく・しそ・くわ・さるなし・とち・ぐみ」
「あれ? りんごやびわやぶどうは?」
「りんごやびわはそのあとの緩和対象だな。それ以外の品目も、ほとんどがOKになってる。あ、でも『ぶどう』は現在でも禁じられているぞ、たしか」
「じゃあ、『ぶどうの果実酒』を家で造るとどうなるんだ?」
「酒税法違反」
「ふうん」
 激動の果実酒規制緩和の歴史解説が一段落したところで、さしも大量だったへた取り作業も完了した。
 手分けして流しに運び、水洗いする。乾いた布でひとつずつ丁重に水気を拭き取り、竹串で数ヶ所、穴を開けておく。
 あとは氷砂糖と交互に、瓶に詰めていけばいい。
「いい梅だね。粒が大きめで新鮮で」
「そりゃァ、産地直送だから――っても間違いじゃないよな、うん。もぎたてだし」
「青い梅を使うほうがいいんだっけ」
「そう言われてるけど、好みじゃないかなァ。青いので漬けると透明で綺麗な仕上がりになるし、黄色くなったので漬けると多少濁るが、香りのいいのが出来る」
「広口瓶はたくさんあるよね。両方造ろう」
「おォ。ベースアルコールもたくさん買ってきてくれたから、いろんなパターンが試せるな」
「ん。こっちには氷砂糖を入れて、こっちには蜂蜜を入れて、と」
「砂糖は控えめにするのがコツだぞ。あと、ブランデー漬けは、果実酒用以外に上等なのを1割くらい混ぜておくといい。同じ要領で、年代物の梅酒を入れて造るのもウラ技のひとつだ」
 瓶に酒を注ぐ際、和馬のとっておき在庫から、熟成年月はヒミツの梅酒を加えるなど、考え得る限りの手段を駆使して、本日の共同作業は何とか終了した。
 なお、仕込みの詳細は以下のとおりである。

 ・青梅+氷砂糖(控えめに)+ホワイトリカー+年代物梅酒 → 黄熟梅バージョンも加えて3瓶
 ・青梅+氷砂糖(控えめに)+ウイスキー → 黄熟梅バージョンも加えて3瓶
 ・やや黄熟梅+氷砂糖(控えめに)+麦焼酎 → 蜂蜜バージョンも加えて2瓶
 ・やや黄熟梅+蜂蜜+ブランデー(1割はレミーマルタン) → 青梅バージョンも加えて2瓶

 ◇◇ ◇◇

「何とか終わったなァ。乾杯ッ!」
「かんぱい。お疲れさま」
 梅の山がめでたく瓶の群れに変わった部屋で、和馬と葛は祝杯を上げる。
 テーブルの上には、冷蔵庫の残りものをアレンジして葛が作った、青菜とベーコンのパスタやトマトとソーセージのオムレツなどが並べられ、なかなか豪華な打ち上げとなった。
 乾杯用の酒は、和馬秘蔵の『びわ酒』をお湯割りにしたものだ。どうやら和馬は、他にも、りんご酒やらかりん酒やらの在庫も持っているらしい。
 今日の梅酒が飲めるようになるのはだいたい3ヶ月が経ってからで、1年以上置けば、まろやかな味になるのだと和馬は言う。
 ずらりと10本、梅酒の瓶が整列したさまは壮観であった。
「こんなにたくさん。飲み切るの、かなりかかるな」
「いいじゃないか。何年もかけて飲めば」
「そうだな。時間が経つほど美味くなるし」

 諸行無常、生々流転。
 ひとの世の儚さを、語る言葉にはこと欠かないけれど。
 時が経てば経つほどに、熟成していくものもある。

「来年も、こんな風に飲めたらいいね」
 ふうわりと漂う、びわの優しい香りに目を細めながら、葛は呟く。
 その横顔に――
 翠の瞳を持つ、別の面影がオーバーラップし、和馬は口に運びかけたグラスを、ふと止める。
 それは決して、過去に出会った誰かではなくて――
 これからの――未来に出会うかも知れない、近しい『家族』。

 逢えるだろうか、いつか。
 そして、たとえば20数年後、年代物となったこの梅酒を、ともに酌み交わせる日が来るだろうか。

 葛の真摯なまなざしと、和馬の諦観を併せ持つ、誰かと。


 ――Fin.
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
神無月まりばな クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年06月19日

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